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2026年9月の3件の記事

2026年9月29日 (火)

NHK「保阪正康が語る昭和人物史」作家 宇野千代と朝ドラ「ブラッサム」

NHKの朝ドラ「ブラッサム」が始まった。まだ2回目だが、なかなか面白そうだ。
250428hosaka_20260929173801 モデルは作家の宇野千代だという。
それにちなんでか、自分が愛聴しているNHK「保阪正康が語る昭和人物史」で、宇野千代が取り上げられていた。
宇野千代の話がなかなか豪快で、面白いので挙げてみる。

<「保阪正康が語る昭和人物史」作家 宇野千代①>(2026年9月5日放送)

作家・宇野千代は明治30年(1897年)山口県岩国市生まれ。明治・大正・昭和・平成と約1世紀を生き抜きました。大正3年高等女学校卒業後、17歳で地元の尋常小学校の代用教員になりますが、そこで「色の白い先生」に恋をします。その後ソウルに渡るものの、再びその先生に会いに行き...。昭和63年1月ラジオ第1放送の「わが故郷わが青春」では、実家の暮らしや恋の顛末、東京に出て働き始めたころを率直に語っています。(ここより)

<「保阪正康が語る昭和人物史」作家 宇野千代②>(2026年9月12日放送)

東京の西洋料理店で働き始めた宇野千代は、そこで当時の文学者と接し、自らも小説を書き始め、「ものを書くことで金が儲かる」ことを知ります。そして新聞の懸賞小説に応募し、一等に!しかも二等だった作家・尾崎士郎と出会い、一目惚れし、一緒に暮らし始めます。昭和57年8月ラジオ第2放送の「わが文学わが回想」では、人に好かれる尾崎士郎の印象や思い出、その背景にある自らの父親の「酷薄な性格」を大胆に語っています。

<「保阪正康が語る昭和人物史」作家 宇野千代③>(2026年9月19日放送)

作家・宇野千代は、大森海岸でのある出来事をきっかけに尾崎士郎と別れます。次に出会ったのは人気画家の東郷青児!しかも「ガス心中した男の気持ちを知りたい」と訪ね、そのまま一緒に暮らし始め、人気作「色ざんげ」を書くのです。昭和57年8月ラジオ第2放送の「わが文学わが回想」では、尾崎士郎との別れ、東郷青児との出会い、「追っかけていかない。別れてあげる」という恋愛観や、文学の定義を自信をもって語っています。

<「保阪正康が語る昭和人物史」作家 宇野千代④>(2026年9月26日放送)

作家・宇野千代は画家・東郷青児と別れた後、10歳年下の北原武夫と出会い。女性ファッション誌「スタイル」を創刊。表紙に藤田嗣治の絵を使った斬新なものでした。そして北原武夫と、生涯4度目となる結婚をし、戦後別れます・平成2年1月FM放送の「宇野千代 92歳の青春」では、エッセイスト・神津ナンナのインタビューに対し、「人を信じる。信じた通りになる」など数々の名言とともに、人生を振り返っています。(ここより)

NHKの朝ドラは、いつも視聴率が抜群。たぶん多くの人は習慣で見ているのだろう。
12年前に亡くなったお袋も、毎日見ていた。どこまで物語に付いて行ったかは分からないが、ウトウトしながらも見ていた。
自分は、習慣では見ない。でも最近では「あんぱん」「ばけばけ」「風、薫る」は見た。
先日まで放送されていた「風、薫る」は、正直面白くなかった。特に主人公の女優さんが苦手だった。でも何となく見てしまった。
いつもは見始めても「虎に翼」のように、自分にフィットしないのは、途中で「やめた!」と宣言して、見るのを止めるのだが・・・

それにしても、どの朝ドラも、テーマソングのナウいこと。いわゆるJポップなのだろうが、老人には付いて行けない。特に朝ドラは、老人の視聴率が高いので、もう少し「旋律のある」静かな歌だと良いのだが・・・

でもまあ今回の宇野千代の人生。上に挙げた本人の話のように、まさにナウい生涯だったわけだが、それがどうチョイスされた物語になるのか、まあ習慣で見てみようか・・・

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2026年9月15日 (火)

三原綱木さんが亡くなった~ブルー・コメッツ「黒いレースの女」

今日、三原綱木さんが亡くなったというニュースが流れた。

「三原綱木さん死去 80歳 腎臓がん NHK紅白歌合戦で指揮 「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」ギタリスト
 グループサウンズの「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のギタリストで、NHK「紅白歌合戦」の指揮も務めた三原綱木(みはら・つなき)さんが11日午前9時2分、腎臓がんのため東京都内の病院で死去した。80歳だった。所属事務所の坂本エンターテインメントが発表した。
260915mihara  所属事務所によると、三原さんは今年春頃に腎臓がんが発覚し、4月から入院。かなり進行した状態で、転移もあったという。適切な治療が行われたが、最期は家族にみとられながら息を引き取った。葬儀は既に家族葬で済ませた。最後の仕事は、3月に大阪で出演したコンサートだった。

 東京都出身。小学4年の時からクラシックギターを習い、高校生のときからジャズバンドで活躍。バンド「ファイヤーボール」で活動後、1964年にブルー・コメッツに加入し、ギタリストとして活躍した。67年の「ブルー・シャトウ」が日本レコード大賞を受賞した。

 ブルー・コメッツ解散後は郷ひろみバンドのリーダーやフジテレビ系「夜のヒットスタジオ」のオーケストラ指揮を担当。1986年から「三原綱木とザ・ニューブリード」を率い、NHK「紅白歌合戦」「歌謡コンサート」などでバンドマスターとして長年活躍してきた。

 ブルー・コメッツは2001年に活動を再開。2020年にリーダーのジャッキー吉川さんが死去した際、三原さんは「別れは悲しいが、きっと天国でドラムをたたいてくれると思います。僕はまだまだこっちでギターを弾きますが、いずれ向こうへ行ったら再会して、一緒に演奏したい」とコメントしていた。」(2026/09/15付「スポーツ報知」ここより)

自分が学生時代に良く聞いた音楽の作者が次々と亡くなっていく。
まあ仕方が無いことではあるが、いつものように、故人にちなむ楽曲を挙げてみる。
ブルー・コメッツの歌で、今回は「黒いレースの女」である。

<ブルー・コメッツの「黒いレースの女」>

「黒いレースの女」
  作詞:橋本淳
  作曲:小田啓義

黒いレースを 編みながら
あなたは秘かに あの人を
つれない人を 慕っているんだね

黒いレースを 織りながら
どうして涙を 流すのさ
つれない人を 求めているんだね

とじた瞳に愛のかげ(愛、愛)
抱きしめたいな 可愛いすがた

結んだ小指に 恋のかげ(恋、恋)
乱れた髪を なおしておいでね

黒いレースを 編みながら
あなたはひそかに 祈ってる
つれない人の 幸せだけを

この歌は前に挙げた「雨の赤坂」(ここ)のB面に入っていた曲なので、メジャーではない。
まさに歌謡曲。ブルー・コメッツのこんな楽曲も自分は好きだった。

年月が経ち、ブルコメのメンバーの訃報が続く。残っているのは、上の曲の作曲者の小田啓義だけだという。
こんな歌を聞くと、学生時代の下宿を思い出す。ヘッドホンで何度聞いたことか・・・

ブルコメの多くの曲の作詞を担当した橋本淳もこの5月に亡くなった。(ここ)

昔よく聞いた音楽。次に誰の訃報を聞くかは知らないが、せめて、亡くなった人にちなむ音楽を聞いて、それぞれの方の冥福を祈ることにしたい。

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2026年9月 1日 (火)

映画「時には懺悔を」を観た

映画「時には懺悔を」を観た。これがなかなか良かった。
映画館に行ったのは2023年の「ゴジラ-1.0」以来3年ぶりのこと。
先日、近くに出来た「イオン八王子滝山」に行ってみたが(ここ)、もう映画以外では行かないな、との場所だったが、その時にカミさんがもらったチラシを見て、「時には懺悔を」(ここ)を見たい。8月28日の封切りが待ち遠しいと言う。
まあ、1度くらいは・・・とのことで、今日見に行ってきた。案の定、ガラガラで観客は10人だった。

それが、なかなかの作品だった。しかしテーマが重い。
チラシの「STORY」にはこうある。
「STORY
260901tokinihazannge 探偵が一人、殺された。
「死んだほうがマシな人間」と呼ばれた男・米本(佐藤二朗)。
調査することになったのは、元同僚の一匹狼・佐竹(西島秀俊)と、助手で修業中の聡子(満島ひかり)。調べを進めるうちに、二人は9年前に起こった誘拐事件にたどり着く-。殺された米本が死の間際に調査していたのは、9年前に失踪し今は父親の明野(宮藤官九郎)と二人で暮らす、重い障がいのある少年・新(しんすけ)。過去に傷つき、誰かを傷つけ、孤独に彷徨う大人たちが出会った「新」という小さな命。
家族から目を背けた男、娘に捨てられた女、子を生きる糧にした男、産んだ子を愛せなかった女。「生きているのが奇跡」と言われたそのひとつの小さな命が、逃げ場のない現実にもがき苦しむ大人たちの心を動かしていく。」

とにかくテーマが重い。
パンフレットの「INTRODUCTION」にはこんな解説。
「物語は、一人の探偵が殺された事件から始まる。その真相を探る中でたどり着いたのは、9年前の誘拐事件で連れ去られた、重い障がいのある少年・新。過去に傷つき、絶望の淵に生きる大人たちが、今を必死に生きる一筋の小さな命に触れたとき、凍りついた大人たちの心がかつてないほど激しく揺れ動くー。「生きているのが育跡」と言われた小さな命を巡り、本作は、障がい、介護、孤独といった現代の深淵を見つめながらも、そこに溢れる「惜しみない愛」と「生きる希望」を描き出す。

親であること。親になること。目を背けたいもの。目を逸らしてはならないもの。

人は間違える。狙した罪は消えない。それでも、どんな命にも、生まれてきた喜びがあると信じたい。あなたは一人ではない。そんな祈りにも似た想いに、この映画は耳を傾ける。」

二分脊椎症と水頭症という障がいを持って生まれた子ども、それを24時間介護で支える母親。現実から目をそむける夫。
そして誘拐されても、追おうとしない母親の現実。しかしその命が大人たちの心を揺さぶっていく。

何よりもこの映画は「スペシャルニーズ」と称する3人の実際の障害児が俳優として登場するのが珍しい。障害児が画像に現れるのは、TVドキュメンタリーがせいぜいで、映画ではあまり見たことが無い。
それだけにリアル。
チラシで「あなたが、人生で出会ったことがない映画」と謳うが、なるほどと思う。
そして劇中のセリフ「この子は生まれてこないほうが幸せでした」と親や周囲は思う。
それが現実。

原作の小説「時には懺悔を」の作者・打海文三は執筆した経緯について「二分脊椎症と水頭症を抱えて生まれた打海の次男について、小説にすることをその編集者が提案し、「妻が嫌だと言わなければ」という条件つきで打海が応じたのだという。編集者は、病院で「それほど長くは生きられないだろう」といわれた次男の生きようとする力、両親の介護の苦労などを打海の自宅で目の当たりにして「小説にしなければと考えた」としている。」(ここより)

それと出演している俳優陣が素晴らしい。
主役の西島秀俊や満島ひかりはもちろん、主役を演じられる名俳優が集結して出来た映画。
ひょんな事でみた映画だが、なかなかのものだった。

合わせて、自分の人世を振り返り、あまり困難を抱えることもなく、これまで過ごせたのは、ラッキー以外の何物でも無いこと、と思った。

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