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2026年6月 2日 (火)

菅原洋一の「愛のフィナーレ」~92歳で逝去

菅原洋一が92歳で亡くなったという。

歌手の菅原洋一さん 悪性リンパ腫のため死去 92歳 「知りたくないの」「今日でお別れ」が大ヒット

260602sugawara 歌手の菅原洋一(すがわら・よういち)さんが5月31日午前9時26分、都内病院で悪性リンパ腫のため死去した。92歳。日本歌手協会が2日、発表した。

 「日本歌手協会の会員で日本歌手協会の理事や常任理事をつとめ現在、顧問職にある菅原洋一さんが、2026(令和8)年5月31日午前9時26分、都内病院で悪性リンパ腫のため、その人生にピリオドを打ちましたことを、ここに謹んでご報告いたします。92歳でした」と発表。本人、遺族の希望により、家族葬を執り行ったという。現在は「お別れの会」は予定していない。

 菅原さんは今年の4月6日まで東京・上野のライブ会場でコンサートを開催。代表曲の「知りたくないの」や「忘れな草をあなたに」をはじめ、シャンソンの「さよなら」「マイ・ウェイ」など11曲を力強く歌い上げ、生涯現役を全うした。

 菅原さんは1933年8月21日生まれ、兵庫県加古川市出身。国立音楽大学を卒業後の58年、タンゴバンド「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」に入団し、タンゴ歌手として歌手デビューした。67年に「知りたくないの」が80万枚突破の大ヒットを記録。その年の第18回紅白歌合戦に初出場し、88年まで連続22回出場した。68年には「誰もいない」で第10回日本レコード大賞歌唱賞、70年には「今日でお別れ」で第12回レコード大賞を受賞した。その他の代表曲に「愛のフィナーレ」「忘れな草をあなたに」「愛の嵐」など。19年には文化庁長官表彰。22年には日本歌手協会第1回名人賞を受賞した。」ここより)

菅原洋一の代表曲「今日でお別れ」については(ここ)で書いた。

自分にとって、若いときからよく聞いた歌手。上の記事でも書いたが、入社した数日後に買ったLPが菅原洋一であり、「芽生えてそして」などを聞くと、横浜の寮の部屋を思い出す。
もちろん菅原洋一の歌は当サイトでも何曲か挙げた。まだ挙げていない歌で「愛のフィナーレ」を今日は聞いてみよう。

<菅原洋一の「愛のフィナーレ」>

「愛のフィナーレ」
  作詞:なかにし礼
  作曲:宮川 泰

恋の終わりは 涙じゃないの
それは思い出の はじまりなのよ
知っていました 別れはくると
だからいいのよ いいわけなんか
誰にも負けずに 貴方を愛した 私なの
今ではひたすら 貴方の幸せ祈るだけ
恋は消えても 残る思い出
指でかぞえて 私は生きる

思えばはかなく短い月日の 恋でした
くやんでないから 私は言えるのさよならを
愛の思い出 貴方がくれた
ひとりぼっちの 私のために

別の編曲もある。

<菅原洋一の「愛のフィナーレ」>

そして先日は作詞家の橋本淳も亡くなった。
作詞家の橋本淳さんが肝硬変で死去、86歳 ブルー・ライト・ヨコハマなど昭和の音楽界をけん引

 「ブルー・ライト・ヨコハマ」などを手がけ、昭和の音楽界をけん引した作詞家橋本淳(はしもと・じゅん)さん(本名与田準介=よだ・じゅんすけ)が5月21日午前8時25分、肝硬変のため東京都港区の病院で死去した。86歳。東京都出身。告別式は近親者で行った。喪主は長男で、MISIAらを手がけた音楽プロデューサー与田春生(よだ・はるお)さん。
 与田さんは日刊スポーツの取材に応じ、橋本さんの近況を説明した。昨年4月に肝臓がんが判明。治療の結果、体調は回復したが肝硬変となり、年明けから入退院を繰り返した。死去の前日には妻や親族らと楽しいひと時を過ごしたという。人柄について「頑固で偏屈な昭和のオヤジです。でもとても話が上手で面白い。その温かい人柄もあって友人に恵まれた人生でした」としのんだ。

 橋本さんは父親が児童文学者(童謡「ことりのうた」を作詞の与田準一さん)だった影響もあって小説家を目指していたが、青学大在学中に作曲家すぎやまこういちさんと知り合い、独学で作詞を始めた。

 1966年(昭41)に藤浩一らが歌った「黄色いレモン」以降は青学高・大学の1年後輩だった作曲家筒美京平さんとのコンビでヒット曲を連発。いしだあゆみ「ブルー・ライト-」のほか、野口五郎「青いリンゴ」、郷ひろみ「あなたがいたから僕がいた」、小泉今日子「半分少女」などを世に送り出した。

 グループサウンズの代表的作家としても知られ、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」は67年の日本レコード大賞に輝いた。

 時代に寄りそうヒットメーカーとして走り続け、アイドルソングからアニメ主題歌まで幅広いジャンルの約2000曲を作った。」ここより)

橋本淳については昨年「ラジオ深夜便で、作詞家 橋本淳の話を聞く」(ここ)という記事を書いた。
まさに学生時代を思い出す人の数々。

だんだんと、良く知った名前の方の訃報を聞く。

生老病死。仕方が無いことではあるが、まさに生涯現役を張った菅原洋一の「愛のフィナーレ」ではある。

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