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2026年2月の3件の記事

2026年2月23日 (月)

茨木のり子の「花の名」

NHKラジオ第2の「放送100年 保阪正康が語る昭和人物史 茨木のり子」を聞いた。
詩人・茨木のり子については、前に「詩人・茨木のり子の遺した愛のかたみ」(ここ)という記事を書いた。もう13年も前の事である。
当時、この詩人に興味を持ち、何冊か読んだことがあった。
今回は、(自分の好きな)山根基世アナとの対談が再放送された。
2004年3月13日「土曜ホットタイム 素敵なあなた 生きるということ」という番組で、茨木のり子が77歳の時の対談だという。(茨木さんはこの2年後に没している)

<保阪正康が語る昭和人物史 茨木のり子①>(2026/02/01放送)

<保阪正康が語る昭和人物史 茨木のり子②>(2026/02/08放送)

この放送の中で、色々な詩が紹介されており、13年前に書いた記事(ここ)に挙げていたものもあった。
そして今回、「花の名」という詩を初めて聞いた。

『花の名』茨木のり子
 「浜松はとても進歩的ですよ」/「と申しますと」/「全裸になっちまうんです 浜松のストリップ そりゃあ進歩的です」/なるほどそういう使い方もあるわけか 進歩的!/登山坊の男はひどく陽気だった/千住に住む甥ッ子が女と同棲しちまって/しかたないから結婚式をあげてやりにゆくという/「あなたは先生ですか?/「いいえ」/「じゃ絵描きさん?」/「いいえ/以前 女探偵かって言われたこともあります/やはり汽車のなかで」/「はっはっは」/わたしは告別式の帰り/父の骨を柳の箸でつまんできて/はかなさが十一月の風のようです/黙って行きたいのです/「今日は戦時中のように混みますね/お花見どきだから あなた何年生れ?/へええ じゃ僕とおない年だ こりゃ愉快!/ラバウルの生き残りですよ 僕 まったくひどいもんだった/さらばラバウルよって唄 知ってる?/いい唄だったなあ」/かつてのますらお・ますらめも/だいぶくたびれたものだと/お互いふっと目を据える/吉凶あいむかい賑やかに東海道をのぼるより/仕方がなさそうな/「娯楽のためにも殺気だつんだからな/でもごらんなさい 桜の花がまっさかりだ/海の色といいなあ/僕 いろいろ花の名前を覚えたいと思ってンすよ/あなた知りませんか? ううんとね/大きな白い花がいちめんに咲いてて……」/「いい匂いがして 今ごろ咲く花?」/「そう とても豪華な感じのする」/「印度の花のようでしょう」/「そう そう」/「泰山木じゃないかしら?」/「ははァ 泰山木 ……僕長い間/知りたがってたんだ どんな字を書くんです?/なるほど メモしとこう」/

 女のひとが花の名前を沢山知っているのなんか
 とてもいいものだよ 
 父の古い言葉がゆっくりよぎる
 物心ついてからどれほど怖れてきただろう
 死別の日を
 歳月はあなたとの別れの準備のために
 おおかた費やされてきたように思われる
 いい男だったわ お父さん
 娘が捧げる一輪の花
 生きているとき言いたくて
 言えなかった言葉です
 棺のまわりに誰も居なくなったとき
 私はそっと近づいて父の顔に頬をよせた
 氷ともちがう陶器ともちがう
 ふしぎなつめたさ
 菜の花のまんなかの火葬場から
 ビスケットを焼くような黒い煙がひとすじ昇る
 ふるさとの海べの町はへんに明るく
 すべてを童話にみせてしまう

鱶に足を喰いちぎられたとか/農機具に手をまき込まれたとか/耳に虻が入って泣きわめくちび 交通事故/自殺未遂 腸捻転 破傷風 麻薬泥棒/田舎の外科医だったあなたは/他人に襲いかかる死神を力まかせにぐいぐい/のけぞらせ つきとばす/昼も夜もない精悍な獅子でした/まったく突然の/少しの苦しみもない安らかな死は/だから何者からかの御褒美ではなかったかしら/「今日はお日柄もよろしく……仲人なんて/照れるなあ あれ! 僕のモーニングの上に/どんどん荷物が ま いいや しかし/東京に住もうとは思わないなあ/ありゃ人間の住むとこじゃない/田舎じゃ誠意をもってつきあえば友達は/ジャカスカ出来るしねえ 僕は材木屋です/子供は三人 あなたは?」/父の葬儀に鳥や獣はこなかったけれど/花びら散りかかる小型の涅槃図/白痴のすーやんがやってきて廻らぬ舌で/かきくどく/誰も相手にしないすーやんを/父はやさしく診てあげた/私の頬をしたたか濡らす熱い塩化ナトリウムのしたたり/農夫 下駄屋 おもちゃ屋 八百屋/漁師 うどんや 瓦屋 小使い/好きだった名もないひとびとに囲まれて/ひとすじの煙となった野辺おくり/棺を覆うて始めてわかる/味噌くさくはなかったから上味噌であった仏教徒/吉良(きら)のチエホフよ/さようなら/「旅は道づれというけれど いやあお蔭さんで/楽しかったな 、じゃ お達者でね」/東京駅のプラットフォームに登山帽がまったく/紛れてしまったとき あ と叫ぶ/

 あの人が指したのは辛夷(こぶし)の花ではなかったかしら
 そうだ泰山木は六月の花
 ああ なんといううわのそら
 娘の頃に父はしきりにそう言ったものだ
 「お前は馬鹿だ」
 「お前は抜けている」
 「お前は途方もない馬鹿だ」
 リバガアゼでも詰め込むようにせっせと
 世の中に出てみたら左程の馬鹿でもないことが
 かなりはっきりしたけれど
 あれは何を怖れていたのですか 父上よ
 それにしても今日はほんとに一寸 馬鹿

 かの登山帽の戦中派
 花の名前の誤りを
 何時 何処で どんな顔して
 気付いてくれることだろう

この詩を聞いて、まず思い出したのが、中島みゆきの「雪」という歌(ここ)。
どちらも亡くなった父への追慕。

ひるがえって、我が父はどうか?
最近、朝起きてカミさんに「また親父やお袋の夢を見たよ」と言うと、「お父さんもお母さんも本当に良い人だったよね」と言う。
親父もお袋も、やっと来てくれた嫁さんに、最大限の心遣いをしていたのだろう、と思う。しかし自分は兄貴のように跡取りでもなく、弟のように可愛いチビちゃんでもなく、あぶれ者の次男の自分から見ると、いつも親父は敵。
上の詩で「お前は馬鹿だ」「お前は抜けている」「お前は途方もない馬鹿だ」という言葉が出てくるが、まさに自分も同じ。
だから、親父の死の1年前に、自分が*長になったと知ったときは、さすがに喜んでくれたらしい。あぶれ者の自分が「左程の馬鹿でもない?」ことが分かった??? 自分の親父に対する人生で唯一の親孝行だった。

つい色々な事を思い出してしまうのも、人生の終盤戦を迎えたせいかも?

さて、もう一つ、「汲む」という詩も紹介されていた。

『汲む Y・Yに』茨木のり子
大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃

立ち居振る舞いの美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背伸びを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……

わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

この放送の中でも言っていたが、このY.Yさんというのは、山本安英さんという新劇の女優さんで、木下順二作の戯曲『夕鶴』のヒロイン・つう役を1000回以上にわたって演じたことで有名な方。

こんな詩を読むと、やはり「品(ひん)」という言葉を思い浮かべる。
当サイトにも何度か書いているが、自分も人生やはり「品」を持って終えたいと思うこの頃ではある。

(関連記事)
詩人・茨木のり子の遺した愛のかたみ 
中島みゆきの「雪」 

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2026年2月19日 (木)

78歳で3度目の痔の手術を受けた話

吾輩は「痔」主であ~る。それにしても、人生で3度も痔の手術を受ける事になろうとは・・・
今日はその体験談。自分用の備忘録である。

最初に痔に気が付いたのは入社3年目。独身寮のトイレで便器の赤いのにビックリ。24歳の時だった。
痔の本を読み、静岡の井上医院という著者が、東京に毎週出張で来ているという所に行ったのが29歳時。当時はひどいもので、トイレで息んで、それを医者に観察された。結果は、手術が必要と言われ、自由診療代1万円だった。
何とか言う有名な力士が手術を受けたという東京の有名な前田病院にも行った。同じく手術が必要と言われた。
そして痔の先輩の親父から紹介されたのが、東京日本橋人形町の山本医院。親父の友人がそこで受けたという。そしてその病院に受診したのが1977/7/29。やはり手術要の診断。
ここは痔の専門病院で、自由診療。金はかかるが専門の病院なので安心?
親父が金を出してやるから受けろ、と言うので、1977/9/3に入院、1977/9/5に手術、1977/9/19に退院。費用が393,500円だった。17日間の入院だった。
この時は肛門潰瘍。いわゆる切れ痔だが、とにかく痛くて、大変な毎日だった。
でも何とか治った。当時の39万円は、ChatGPTに聞くと、今の価値で72万円相当という。

次に気が付いたのは38歳の時。この時はいぼ痔だったので、徐々に出血がひどくなった。この時は10年間我慢をした。しかし、近所の行き付けの医院が肛門科も標榜しており、「手術してやろうか?」と言われて、やっとその気になった。
そして近所に入院して手術をしたのが48歳の1996/4/22だった。この時は5日間の入院で済んだ。
そんな所で良く手術を受けるね。とも言われたが、2度目なので甘く見ていた。
今から29年前の話だ。

そして2000年10月頃にはまた出血。それ以来、たまに出血があり、そして止まる。の繰り返し。
つまり今の痔は、25年間育てたものなのだ。つまり、痛みが無いので、放っておいても特に困らない。それで、またか・・・の繰り返しだった。
それが何で今手術??

やっと本題なのだが、今回手術を受けたのは八王子クリニック(ここ)という医院。
Img_7596 ここは昔から知っていた。カミさんの友人の娘さんが、結婚式の前に日帰り手術を受けたという話を聞いていた。それを聞いて「今は日帰りで手術を受けられる時代か・・・」と感心したもの。
それで、もし自分もその時はこの医院にしようと思っていた。

4年ほど前、ある友人がここで手術を受け、やはり半日で終わったとの話を聞いていた。
それが、10日ほど前から、一週間ほど出血が止まらなかった。それで、やっかいなのでこの際、治してしまおうか?と思ったのが始まり。
どうも近くの人が体験していると、自分も簡単に出来る気になってくる??

ネットで予約を取って、行ってみた。やはり手術が必要で自由診療になるという。費用は42万円。それで、今回手術をして貰った、という話。
初診の時は、血液検査の他にCTを撮った。CTで状態を見るというのはやはり現代的。
手術は主治医を選べるというので、院長の大先生をお願いした。息子の若先生も手術をするらしいが、やはり・・・ね。

手術当日の推移はこんな感じ。
Img_7600 12時半の予約だったが、12時ちょっと過ぎに行ったが、12時10分過ぎには部屋に案内される。
午後の手術は3つなので、個室が3つ。部屋に入ってちょっとビックリ。結構良い部屋。ビジネスホテルの感じ。12時20分点滴開始。12時28分麻酔注射(これだけは痛かった!!)。それから手術室に。
終わったのが1時0分。目が覚めたのが1時20分過ぎ。
何の事は無い。手術室に入って、ベッドで手と足の位置を確認した所までは覚えているが、その後は意識不明。つまり眠っていたので全身麻酔と同じ。
2回目の手術と同じように、うつらうつらと意識はあるのかと思っていたが、今回は意識は無かった。

麻酔が覚めていないせいか、痛みは無し。それからの時間がヒマ。
点滴を外して、3時半頃に主治医が来て、写真と共に手術内容の説明。
自分のいぼ痔は、それほど大きいという訳では無いが、3度目なので結果として難しい手術だった。肛門は機能を持った所なので、取れば良いという訳では無く、機能をちゃんと残して治すことが大事。機能をダメにしてやり過ぎてはいけない。ここが案配。1つ目の手術よりも2つ目の方が難しくて、3つ目はもっと難しい。
とのこと。
また、主治医の携帯番号を教えて貰い、24時間いつでも不安なことがあれば電話するように言われたのも安心材料。

麻酔が効いていると小水が出にくいことがあるので、小水が出れば帰れる、との事だったが、別に下腹が張っていることも無いので、そのまま4時前に退院した。帰ったらちゃんと小水も出たので、一安心。

さて、ここからが感想だが、とにかく痛くないのにはビックリ。手術から6時間後の自宅での夜。何と、まったく日常の生活。体調もいつもの通りで、夜中の12時前までいつもの読書をしてしまった。
ん?これが手術をした夜?という感じ。
30年前の手術では、導尿管を抱えて、一晩うなったもの。何で今回は??が感想。

改めて八王子クリニックのHP(ここ)を見ると、「痔の日帰り手術、2024年1700人。29年間で3万人」とある。
「クランプトレーザー法」という術式もこのクリニック独自のものだという(ここ)。
翌日と1週間後、3週間後も確認で受診するが、翌日にCTや血液検査の結果も教えてくれる。
「手術の夜は日常に戻ったが、何でこんなに術後が良いのか?何で痛みが全く無いのか?」を若先生に聞いてみた。すると、やはり経験に裏打ちされた手術の腕の問題らしい。
やっぱり30年と3万人の経験者の手術はダテでは無かったという話。

昔、インプラントの話を書いた(ここ)。
これも自由診療だったが、それなりの価値はあった。今回の痔の手術も同じ。高価だがそれなりの価値はある。
土日はやはり混むという。つまりサラリーマンにとって、会社を休まないで手術を受けられるのは、最大のメリット。自分も現役の時には、なかなか会社を休めず、5月の連休前に手術してもらった。
その当時とはまさに隔絶の感。繰り返すが、手術の6時間後には日常の生活に戻れる。翌日の通勤にも何の問題も無い。何で、何の痛みも無いのか?麻酔が効いている訳も無く、術式の問題なのだろう。
いやはや、結果オーライ。

今回は、もう歳なので墓場まで持っていこうと思っていた25年育てた痔の扱い。フトしたことからやってしまった。
今回のきっかけになった、先に書いた4年前に同じクリニックで手術をした友人の言葉。
「手術で治るのだから42万円も高くはないか。高齢だと普通は病気は治らないもんね」という返信が心に残る。

以上、墓場前の、老人のドタバタ劇の備忘録でした。

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2026年2月 1日 (日)

とうとう「逆走ジイさん」になってしまった話

先日、とうとう「逆走ジイさん」になってしまった。
なぜ逆走してしまったのか、家に帰ってGoogleMapで「現場検証」した写真が下記。

260201gyakusou1 260201gyakusou2 260201gyakusou3

状況はこうだ。
右の大通りは、バイパスが通る前の国道20号線。たまにこの近辺を通るが、家に帰るとき、いつもは下の方から走ってきて、ちょっとだけ近道の左の道路に左折して入る。
それを、ちょっとだけ近いことを思い出して、逆方向に走ってみた。
つまり、初めてこの交差点を左から走ってきて、右折して下の方向へ行こうとしたのだ。
その時に事件は起こった。交差点に近付く前、路上に大きな右折マーク。その時に焦った。
「エ~ッ!どっちだ!?」
右折マークに引っ張られて、右の車線に。そして交差点の手間で一旦停止。何か変だ?
前の国道で赤信号で止まっている車の運転手が、手で×マーク。
何と!ここは国道から右折で入ってくる入口か!!
周囲の車が信号で止まっているのを確認して、右折して脱出!!
お巡りさんが居なくて良かった!

後でGoogleMapで確認すると、路上の右折マークがある中央分離帯が切れている所は無視して、そのまま直進するべきだったのだ。
それをツイ、中央分離帯が開いている所から入ってしまった。
路上の右折マークが、もう少し先に書いてあるか、中央分離帯がもう少し長くて、切れ目が無かったら間違わなかったのに!!

後で、近くに住んでいる友人に聞くと、あの中央分離帯のすき間は、右側から入って来た車が、右折して上の道路に抜けるためなのだろう、とのこと。
後で道路を上から見ると、なるほどと思うが、初めての道で、とっさに迷ったときは、迷走してしまう。
TVで話題になる老人の逆走も、やはり当人は、何か変だとは思うものの、逆走とは思っていないまま入り込んで走っているのだろう。

何?再発防止??
・初めての道は多少近くても避ける。
・なるべく前を走っている車の後に付く。
・近くてもカーナビ??

今回の事件は、トシのせいだとは思わないが、とにかく車は怖い。
慎重の上にも慎重に運転しよう。
あやうくゴールド免許が剥奪される所だった、クワバラクワバラ・・・

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