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2025年12月 2日 (火)

豊臣秀頼の出生の秘密~本郷和人著「生きざまの日本史」より

言い尽くされた感があるが豊臣秀頼の出生の秘密。本郷和人の話が面白かった。
たまにタブレットで週刊誌を読む。もちろん新聞広告に載るスクープ記事は読めないが・・・。
最近、「サンデー毎日」の「日本史 今までにない人物伝」というシリーズを読んでいる。自分の知らない人の人物伝はあまり面白くないが、有名な逸話については、歴史学者の説だけに興味を引く。
そのシリーズが本になったというので買って読んでみた。本郷和人著「生きざまの日本史」という本。最初に出て来たのが秀吉。豊臣秀頼の出生の秘密についての話が面白かった。

「<豊臣秀吉――頭脳明晰で自身の没後も予見!?>
*みなが豊臣のためには生きない
 慶長3(1598)年8月18日、秀吉は伏見城で亡くなりました。
・・・
亡くなるまで秀吉は徳川家康に対し、「秀頼を頼む、頼む」と懇願した。これは史実ですが、さてここで、歴史学では禁じ手ですが、秀吉の胸中に思いを馳せてみましよう。だからこその「今までにない」人物伝なのです。
251202hideyori 秀吉はさて、豊臣の天下が続くと思っていたのでしょうか。もちろん、願ってはいたでしょう。でも、秀吉は頭脳が明晰で、将来を的確に予測できた人でした。だから天下人になりおおせた。政権抗争に身を投じ、その厳しさをだれよりも知っていた。
大恩ある主家、織田家から天下人の座を奪いとる冷徹さも併せ持っていた。信長の娘を側室に加えた。
 そんな秀吉です。オレが居なくなったら、天下は徳川殿のものだな、と見抜かなかったはずはない。ぼくはそう思うのです。
 佐吉に仁右衛門(石田・増田)、虎之助に市松(加藤・福島)。仕事のできる子飼いの大名は、育てた。五奉行を中心とする豊臣の統治システムも少しずつ形になってきた。でも問題は徳川殿だなあ。徳川殿が律儀者だって? うそをつけ。そりゃ仮面よ。オレが死ねばすぐに、天下取りに動き出すに決まってる。そうなったら、豊臣に心を寄せる者たちは、徳川殿にかなうだろうか。いやどう考えたって、束になってもムリだな。年季が違う。能力も違う。それに人心は移ろいやすい。みながみな、豊臣のために、なんて本心から考えてるわけがない。人はみな自分が可愛いし、自分の家が大切だ。仕方があるまいよ・・・。そう考えている、と推測するのが自然じゃないか。

<豊臣秀頼――触れてはいけない!? 出生の秘密>
前回、秀吉は豊臣家の将来を予見していたのではないか、と書きました。最晩年の秀吉の思いを忖度すると・・・外様大名(という呼称は、この時期にはありませんが)ども、毛利や上杉や島津や伊達などには、豊臣家に忠節を尽くす義理はないしのお。
いや、上杉景勝あたりは人情に厚いから、徳川内府(内大臣)への一定の歯止めにはなるか。宇喜多の八郎(秀家)は可愛いヤツだで、がんばりを見せてくれるじゃろうが、まあ能力では内府の足元にも及ばんし。やはり頼りになるのは、内政面で佐吉(石田三成)ら、戦働きで虎之助(加藤清正)らか。子飼いは政権を維持するため懸命に働くだろうが、うーむ、やはり内府にはかなうまいのお・・・。こんなところだったのではないでしょうか。
とすると、秀吉が家康に「秀頼のことを頼む、頼む」と懇願した真意はなんだったか。ぼくは「おぬしが天下人になるのは避けられまい。だが、そのときに、秀頼をどうか生かしてやってくれ。小さな大名で良いから、豊臣家の存続を許してくれ」という意味ではないかと解釈してみます。
さて、それでいよいよ秀頼なのですが。歴史研究者が、議論を遠ざけるのが賢明、とする随一のポイントに、敢えて言及します。秀頼って、秀吉の子なんでしょうか?
秀吉にはかつて子どもがいたけれど亡くなった、という話には確たる証拠がありません。秀吉は多くの女性に囲まれていた。これは史実。天下人たる秀吉のハーレムを形成していた彼女たちの誰もが、もちろん淀殿は別としてですが、子どもを産んでない。これも史実。
 ぼくらの状況に置き換えると、ああ、Aさん(男性)は子どものできにくい体質なんだな、でおしまいの話です。そういう方はたくさんいらっしゃいます。ところが「人生50年」時代に、秀吉は53歳にして、淀殿との間に鶴松をもうけた。さらにこの子が病没すると、57歳のときに、また淀殿が秀頼を産んだ。

*その話題はスルーということで・・・
秀頼の出生に関しては、同じ九州大学内で、服部英雄先生と福田千鶴先生が論争していましたが、こうした話を歴史研究者がしても決着は付きません。ぼくは折に触れて産婦人科の先生に意見を聞いています。すると皆さん、「秀吉に突然子どもができるのは、おかしいですね」とおっしゃる。秀吉の弟の秀長にも子どもがいないんですよ、と付け加えると、やっぱり体質的に子どもは望めないんじゃないかな。長年子どもを授かれなかった権力者の若い妻が、後継者を産んだ。現代なら、DNA鑑定、という話になりますね、と。
秀吉と淀殿は、子をなすことに関して、あり得ぬほど体質の相性が良かったのではないか、だからこのカップルにだけ、奇跡的に二人も男の子ができたのでは? ぼくはそうも聞いてみました。すると先生方はみな、いやそういう考え方は科学的ではありません。本当に奇跡が起きて淀殿が秀吉の実子を産んだとする。でも、それは次の子にはなんの関係もない。つまり、二人の男の子が生まれる確率は、奇跡かける奇跡、すなわち天文学的な数字になる。だったら、秀頼は他の男性の子、と考えた方が自然です、という内容を答えて下さいました。
 それではぼくも、歴史研究者としてこの問題を考えてみましょう。周囲の反応はどうだったか、それを調べることが大事です。これならば、冷静な分析が可能です。
 秀吉は専制的な権力者です。その彼が「これは私の息子だ」と宣言したらどうなるか。よく反社勢力の特徴として「親が言うことは絶対だ。親が白といえば、カラスだって白いんだ」との説明を聞きますね。専制的な君主の言い分というのは、まさにそういうものです。「おまえはアウトだ!」とジャッジされれば、無実でもアウト。実際に秀頼生誕の関わりで、豊臣秀次一家は、罪なくして皆殺しになりました。秀次と関係の深い家臣も多く殺されました。また鶴松が生まれた年、聚楽第の外門に何者かが落書きをし、その内容(鶴松出生の秘密を揶揄するものといわれるが、詳細は不明)に激怒した秀吉は警護していた役人の耳を切り、鼻を削いで、100人以上の人命をこともなげに奪っています。
 秀吉とはそういう権力を持った人物。そんな彼に、「鶴松様は殿下のお子なのでしようか?」なんて言えますか。それは・・・絶対に言えませんね。周囲の大名たちは「鶴松様は、また秀頼様は、殿下のお子様で、豊臣政権の継承者である」と、自らに何度も何度も言い聞かせたに違いない。余計な疑念と詮索は、身の破滅を意味するのです。
問題は当の秀吉です。秀吉自身はどう思っていたのでしょう。そのあたりのことを、次回、もう一度考え直してみましょう。

<豐臣秀吉――強烈な猜疑心ゆえ自らを騙し続けた君>
 2回にわたって豊臣父子のことを書いてきました。そろそろまとめましょう。
 豊臣秀吉について、ぼくがもっている最大の謎。それは「どうして徳川家康と徳川家を滅ぼさなかったのか」ということです。秀吉は晩年に20万を超える兵を朝鮮半島に送り込んだ。そんな余計なことをするくらいなら、なぜそれを以て徳川領に攻め込まなかったのか。家康は関東を治めて石高は255万石。兵であれば多くて7万人。いかに家康といえども、20万を超える軍勢には敵わないでしょう。家康さえ倒しておけば、豊臣政権は存続した可能性が高くなる。それなのにどうして?
 秀吉がなぜ朝鮮出兵に踏み切ったのか。説はいろいろありますが、どれも今ひとつ説得力に欠けます。「是が非でも兵を出さねばならない」、という理由としては、どれも弱いんです。海外に新しい領土を求められないと、部下の要求に応じられなかった(朝鮮出兵の理由その1)? いや、海外に一片の領土を得られなくても、徳川幕府は発足して維持されたじゃありませんか。では、東アジアにおける貿易で主要な地位を占める必要があった(理由その2)? うーん、これまた、徳川家康はそこまで積極的に海外交易を行っていませんよ。さらには幕府は鎖国へと進んでいくわけですよね。当時の日本って、食糧自給率が100%、海外との取引をしないでもやっていける国、自給自足が可能な、ある意味「豊かな国」だったんです。
 こう考えてみると、朝鮮出兵の必然性は、簡単には見つけられない。ならばそんなことをする代わりに、「方広寺の鐘銘事件」(豊臣家が作らせた方広寺の鐘に『国家安康君臣豊楽』の文字があり、これは徳川家を呪証するものだと家康が難癖を付けた茶番劇)みたいのをでっち上げ、徳川内府が豊臣家の崩壊を願っている、不届きだ、として滅ぼしてしまえばよかったのに。費やすエネルギーは、朝鮮出兵も、徳川討伐も、そんなに変わらないと思うんだけどなあ。
 なぜ家康を討たなかったか。家康が律儀者だったから? ご冗談でしょう。秀吉ほどの人物が、家康の世を忍ぶ仮の姿に、気づかないわけはない。自分がいなくなったら、家康は信長と同盟を結んだ頃からの律儀者の仮面を直ちに脱ぎ捨て、天下人になるべく動き出すに違いない。秀吉はそう見通していたと思う。秀吉だって、織田家から天下を奪った。宣教師が「もっとも信長に似ている」と評した信長三男の信孝は殺している。家康が同じことをしても、道義的には責められないし、まだまだ戦火がくすぶり、価値観が揺れ動くあの時代は、そうした下克上があっても不思議はない激動期だったわけです。
 なぜ秀吉は? そこでぼくはどうしても、安易だなあと自分でも思ってしまうのですが、秀頼の出生に意識が向いてしまう。

*天下人たる秀吉の孤独
 秀吉自身は、秀頼が自分の子だと確信していたか? いや、そんなはずはない、と思います。専制君主という存在は、今も昔も、洋の東西を問わず、猜疑心がものすごく強烈です。友人は信じない。家臣も言じない。「苦労はともにできるが、富貴を分かち合うことはできない」という君主は枚挙にいとまがない。中国を見てください(あえて中国史、とは書きません)。新しい王朝が掛立されると、ついで必ず、功臣の粛清が行われる。だから越の勾践も、漢の張良も、智恵のある功臣は、栄達を求めずに姿をくらますのです。能力があればあるほど、疑惑の眼差しを向けられるから。まあ、日本は中国ほど澈烈ではないですが。
 秀吉もまた、猜疑心が強烈です。長年苦楽をともにした「軍師官兵衛」こと黒田如水は、朝鮮出兵の折、讒言する人がいて、危うく失脚するところだった。子飼いの中の子飼い、加藤清正も同様です。蟄居を命じられていますね。そういえば、天下取り事業に欠かせなかった相談役、千利休は死を賜りました。確実に血の繋がった甥の秀次は、一族皆殺しです。晩年の彼は、だれの忠告も聞かない、「狂王」そのものです。
 その秀吉が、秀類の出生を疑わない? あり得なくないですか? ぼくは分かっていたと思う。あの子はオレの子ではない。でも、後継者がいなかったら、オレはなんのために天下人になったんだ。なんのために「豊臣家」をつくったんだ。その思いが強烈だったから、自分で自分を騙し続けた。秀頼はオレの子だ、と殊更に大声で、内外に表明し続けた。そんなところではないでしょうか。
 秀頼はかわいいのお、豊臣政権はこの子に渡すぞ、と常に自分にウソをついている。だけど、それは、ときに自らを深い絶望に誘う。
 徳川内府を討たねば、豊臣家は滅びる。ではどうするか、準備を整えて対処しなくては。分かっている。分かっているのだけれど、いざ行動に移そうとすると、そういう時にこそ深い絶望が甦ってきて、疲労感にとらわれてしまう。このままではいかん、と知りながら、先延ばし先延ばしにして、気がつけば自身は臨終の床にいた。もはやできることといえば、秀頼と豊臣家の延命を祈るだけ。それが家康への「頼みまいらせる」という懇願だったのではないでしょうか。
 まあ、これはぼくの感想です。科学的な論文にはできません。でも、ありそうかな、とは思っています。みなさんはどう思われますか?」(本郷和人著「生きざまの日本史」p14~p25より)

別の視点だが、ググると「なにしろ日本の中世は、誰の子かということよりも、何処の家の子かという方が重要であった。」という記述もある。
つまり秀吉が秀頼は豊臣家の子であると認知している限り、秀頼は秀吉の子なのである。

前にも書いたが、この本は自分の知っている逸話についての見解は確かに面白い。しかし歴史の世界は広い。知らない人の逸話は面白くない。
有名な逸話についての大歴史学者の見解を今後も期待したいもの。

●メモ:カウント~1470万

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コメント

秀吉の側室はたくさんいますが、その中の一人に南殿とよばれる女性がいますが、この人は秀吉の子どもを二人(男子と女子)を生んだと伝えられています。だだし、両者とも幼い時に亡くなったらしい。それが事実とすると、淀殿以外にも秀吉の子ども生んだ女性はいることになる。
歴史というものは新しい資料が出てくると、大きく変わるものらしい。いま読んでいる高橋陽介氏の近著「シン・関ケ原」(講談社現代新書、2025年10月第1刷)によれば、「関ヶ原の戦いに関する研究は近年、長足の進歩をとげている。現在では、従来語られてきた通説は、ほとんどが間違いであること、もしくは後世の創作であることが判明している。もはや関ケ原の戦いにおいて「通説は不在である」といってもいいだろう。」(本書の冒頭)とまで書いています。エムズさんや私などが愛読してきた司馬遼太郎の「関ケ原」も間違いだらけということになるらしい。

【エムズの片割れより】
確かに一次史料だけの人物像では、物語として面白くなく、誰かが盛る。
それをまた一次史料として誰かが盛る。
その繰り返しでワケが分からなくなるのかも・・・?
結局、本人が書いた史料以外は信用出来ないのかも?
ほとんどはそれが無いため、全て虚構?
まあ、あまり肩を怒らせないで楽しむことにしま~す。

投稿: KeiichiKoda | 2026年1月 3日 (土) 16:55

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