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2025年12月の5件の記事

2025年12月31日 (水)

オールドメディアの劣化~「『安倍首相、選挙支援に非常に喜んだ』旧統一教会、内部報告文書で言及」

当サイトで、政治的な話題を書かなくなって久しくなる。
しかし、このニュースだけは風化させたくなく思ったので、ここにピン留めしておくことにしたい。(2025/12/31 10:35)
それは、韓国ハンギョレ新聞が報じた旧統一教会と安倍元首相との関係を示すスクープ記事である(ここ)。

以下にコピペしておくが、このニュースの日本のオールドメディアの対応が薄っぺらで残念。
さすがに産経新聞も採り上げているが、「人数など報告内容の信憑性は不明。」と記載(ここ)、日経も「報告内容の信ぴょう性は不明だ。」と書いている。
読売や朝日も他紙同様、肝心の「徳野元会長は安倍元首相と同席した自民党の萩生田光一幹事長代行(当時)にエルメスのネクタイも贈呈した。」や「TM文書には高市早苗現首相の名前も32回登場する。」という部分を飛ばしている。
そしてNHKや毎日新聞はググっても、そもそもヒットしない。報道されていないのか?
(その後、毎日新聞は12月31日(本日)の14時前に、NHKは21時に挙げていた。またNHKは「NHKは、ハンギョレ新聞が伝えたものと同様の内容を取材で確認しました。」とあり、唯一確認後に流したので遅れたようで、姿勢が産経や日経と一線を画している)

「徳野元会長は2021年12月の衆院選後には「我々が応援した国会議員の総数は、自民党だけで290人に達する」と得意げに報告していた。」という内容は、日本で大ニュースになるはずだが、なぜかオールドメディアは静か・・・
ネット上では大いに議論されているが、オールドメディアは無視??
政権への忖度?

高市首相の高支持率も解せないが、何ともやりきれない最近の日本である。

===<ハンギョレ新聞>==<Yahoo!ニュース>より===

【独自】「安倍首相、選挙支援に非常に喜んだ」旧統一教会、内部報告文書で言及
登録:2025-12-29 15:20 修正:2025-12-29 18:12

「韓鶴子特別報告」に高市現首相の名前も32回登場 
日本の政界と結んだ「ギブアンドテイク」モデルを韓国にも適用しようとした情況

 「(安倍首相は)それ(選挙支援)について非常に喜んで安心しているようだった」

 2019年7月2日、日本の参議院選を前に自民党本部の総裁室で安倍晋三首相と面談した徳野英治・世界平和統一家庭連合(旧統一教会)日本統一教会会長(当時)は、教団首脳部にこう報告した。韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁に報告された「TM(True Mother、真の母)特別報告」の文書には、日本の政界と旧統一教会が密接に癒着していた状況が露骨に表れている。安倍元首相ら日本の保守政界と代々続く「縁」があった旧統一教会は、自民党候補に組織票を集め、実際に当選者輩出に貢献した。旧統一教会が日本政界と結んだ「ギブアンドテイク」モデルを韓国政界にも適用しようとした情況も明らかになった。

■日本統一教会「応援した議員、自民党だけで290人」
 2018年から2022年の間に作成されたTM報告書を今月28日に確認したところ、徳野元会長は222回に及ぶ報告書で、衆・参院選や自民党総裁選の動向分析とともに「統一教会が推す」候補に数万票を集める、いわゆる「選挙応援」状況を詳細に報告していた。徳野元会長は2021年12月の衆院選後には「我々が応援した国会議員の総数は、自民党だけで290人に達する」と得意げに報告していた。

 日本統一教会の「選挙応援モデル」は、韓国でも学ぼうとするくらい体系的で緻密だった。2018年2月、徳野元会長は韓国統一教会の嶺南圏(慶尚道圏)の幹部らと会った席で、日本統一教会と政界が交わす「ギブアンドテイク」の機能のしかたを詳細に説明。教区の現場の長年の信者を中心に政治家らと「コンタクト(連絡)」を取って後援会を結成し、後援会を通じて政治家らを「教育(統一教会の思想の伝播)」し、彼らが統一教会の行事に参加して祝辞を述べるようにする方式だ。徳野元会長は「そのような『ギブアンドテイク』の関係性は韓国ではまだ模索中であり、確立されていないため、非常に刺激的だったという」と報告した。

 実際、当時面談に参加した嶺南圏の5地区長のP氏は、与野党を問わず嶺南圏の政治関係者に広く接触し、「韓日海底トンネル」関連事業の協力を求めていた。

■安倍首相との面談の目的は「選挙応援」
 日本統一教会と政界の「蜜月関係」は、参議院選を約3週間後に控えた2019年7月2日、安倍元首相と日本統一教会の幹部らの「20分面談」の席で絶頂に達する。安倍氏と旧統一教会には、彼の祖父である岸信介氏が文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁の設立した反共主義団体「国際勝共連合」のメンバーとして活動するなど、代々続く縁があった。徳野元会長は安倍氏との面談が「今回で計6回目」だと述べた。

 当時のTM報告書によると、徳野元会長は「安倍首相が推薦する北村経夫議員を我々団体がどこまで応援するか、決意を聞きたかったのは明らかだった」とし、安倍首相との面談の目的は『選挙応援』であったと報告。さらに「(我々は)これまでは10万票だったが、今回は30万票とし、最低でも20万票は死守すると宣言した」として「(安倍首相が)それ(選挙支援)について非常に喜んで安心しているようだった」と伝えた。

 徳野元会長は安倍元首相と同席した自民党の萩生田光一幹事長代行(当時)にエルメスのネクタイも贈呈した。徳野元会長は「安倍首相は大変喜んだ」とし「たった一本のネクタイだったが効果的だった。真のお母様(韓鶴子総裁)への感謝の気持ちを贈り物を通じて感じたと思う」と報告した。

 報告書によると、その後旧統一教会の組織票を基盤に当選した北村議員は、東京都渋谷区の旧統一教会の拠点である「松濤(しょうとう)本部」を自ら訪問し「恩返し」を示す。7月24日の報告によると、徳野元会長は 「得票数は約18万票で目標の20万票には届かなかったが、前回の選挙より約4万票増え、自民党本部でも非常に高く評価されたという」とし、「(北村議員が)我々の統一運動のおかげで当選したことを明らかにしたため、今後も我々と運命を共にするという決意を示した」と伝えた。

■「文大統領に会ったら必ず話してほしい」
 旧統一教会は日本政界に持つ影響力を、『韓日海底トンネル』など宿願の事業の推進に活用した。徳野元会長は2018年5月の報告で、「『選挙応援』を通じて議員や自民党のトップクラスの重鎮幹部とより深い信頼関係を築くことが最も現実的で効果的なアプローチ」だとし、旧統一教会が当時開催した韓日トンネル関連行事に日本の現職議員が19人参加したと報告した。

 2018年10月11日の報告では、日本の中堅政治家を通じて韓国政界に影響力を及ぼそうとした情況も表れる。徳野元会長は、旧統一教会と近しい関係にあった重鎮の衆院議員が韓日国会議員連盟の総会出席のため訪韓するにあたり、「(文在寅大統領に会ったら)韓日海底トンネルを本格的に進めようという話を必ずしてほしいと伝えた」と報告した。

■安倍襲撃直後、旧統一教会による犯人記録削除の情況
 旧統一教会と安倍氏の蜜月関係は、彼が首相の座を退き、暗殺事件によって死亡する直前まで続いた。安倍氏は首相を退いてから1年後の2021年9月、旧統一教会が主催した「シンクタンク2022 希望前進大会」で、映像を通じての基調講演を行った。暗殺事件直前の2022年7月にも旧統一教会は「安倍元首相の依頼で我々が応援している」(TM報告)と述べ、参議院候補者である井上義行氏に対する水面下の選挙運動を展開していた。

 そうした中、2022年7月8日の銃撃事件で安倍元首相が死亡し、犯人の山上徹也が教団信者の息子と確認されると、日本統一教会は大きく動揺した。奈良教区長のキム氏は、襲撃直後の2022年7月10日の報告で「犯人の山上徹也を知っている方から電話があり、(信者である)Aさんの息子であることがわかった」とし「山上徹也が(日本統一教会の)大和郡山家庭教会の所属となっていたため、本部会長の指示で会員記録を削除した」と明らかにした。さらに、山上徹也の母親が数千万円の献金をしたことで家庭内のあつれきが深刻化したとし、「そのような家庭環境ゆえに、犯人も教会に恨みを持っていたようだ」とも報告した。

 この日の報告には「A首相関連」という題で「日本の被害:参院選後に矛先を向けられる可能性-宗教法人抹殺-献金関連-VIP渉外基盤崩壊」「韓国:メディア対応はすでに開始、韓国はむしろ反安倍感情、キリスト教が積極的に活用の可能性も」など、当時の状況に関する緊迫した独自分析も書かれていた。

■高市早苗首相の名前も32回登場
 TM文書には高市早苗現首相の名前も32回登場する。徳野元会長は、高市氏が2021年9月に初めて自民党総裁選に出馬した当時、「高市氏は安倍元首相が強く推薦しているということと、神奈川県出身であり、神奈川県の現場において高市氏の後援会と我々は親密な関係にある」とし、「岸田(文雄)前政策調整会長や高市前総務大臣が総裁に選ばれることが天の思し召しと思われる」と報告した。

 「ギブアンドテイク」で日本政界に「密かな影響力」を行使していた日本統一教会は、安倍元首相殺害事件後、政治スキャンダルとともに高額献金問題が注目され、解散の危機に陥った。東京地裁は3月、「(信者)本人や近親者らの生活の維持に重大な支障が生じ、長期間にわたって深刻な影響を受けた者が相当数いる。(献金勧誘などの行為の)態様は悪質で、結果も重大だ」として解散を命じた。旧統一教会は直ちに抗告し、高裁の判断を待っている。

イム・ジェウ、ペ・ジヒョン、キム・ガユン、キム・スヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1236926.html
韓国語原文入力:2025-12-29 10:05
訳C.M

ここ)より

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2025年12月29日 (月)

キング・クリムゾンの「エピタフ」の別テイク

最近、なぜだかキング・クリムゾン(King Crimson)の「エピタフ(Epitaph墓碑銘)」に凝っている。
この曲については、もう15年も前にオリジナルを(ここ)に、その後西城秀樹とザ・ピーナッツを(ここ)に挙げた。
それでも凝っている。

自分はよく知らないが、キング・クリムゾンというバンドはメンバーが時代と共にどんどん変わっているらしい。
言うまでも無く、「エピタフ」は、1969年10月に発表されたデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』に収録されていた一曲。
メンバーがたくさん替わっているため、やはり当時のメンバーの録音が貴重。

なかでも1969年8月19日にBBCメイダ・ヴェイル・スタジオで録音されたというこの録音がなかなか良い。

<キング・クリムゾンの「エピタフ」(BBC)>


ついでに、1969年11月21日にニューヨークのフィルモア・イーストでの録音と言われているもの。
<キング・クリムゾンの「エピタフ」(1969年11月21日)>


この歌詞は何を歌っているのだろうと、歌詞の日本語訳をググってみた。
そのなかでアンブーさんの「私は広島平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に添えられた碑文のことであるという解釈でこの日本語訳を書きました。」ここ)という訳を下記にコピペしてみた。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という有名な墓碑を頭に浮かべてこの意訳を読んでみた。

==========
「エピタフ(Epitaph墓碑銘)」

その壁に刻まれた言葉を見たとき
 The wall

「 この意味が解けるか 」と預言者に言われてるような気がした
 on which the prophets wrote

綻び(ほころび)があるんだ
 Is cracking

整然と並んだ 縫い目の中に
 at the seams


最初は誰もがこう思う
 Upon the in-

「 儀礼的な追悼の言葉が書かれているはずだ 」
 -struments of death

「 これは墓標なのだから 」
 The sunlight

「 装飾のような言葉が添えられてるんだろう 」 と
 brightly gleams


だが、そこに訪れる誰もが
 When every man

「 何だ?この酷い言葉は・・」と眉をひそめる
 is torn apart

「 悪夢を見てるようだ 」
 With nightmares

「 夢なら醒めてくれ・・ 」 と
 and with dreams

「 これでは死んでいった人々の魂を 」
 Will no one lay

「 鎮魂するどころか 」
 the laurel wreath

「 静かに眠っていた屍たちが 」
 When silence

「 怒って、這い出て来てしまうじゃないか! 」
 drowns the screams


「 何ということだ! こんな、人を馬鹿にした墓碑銘があるか!」
 Confusion will be my epitaph

「 どう考えても、いい文句だとは思えない・・ひど過ぎるよこれは! 」
 As I crawl a cracked and broken path

「 もしも、これが被害者の事なら、今頃、彼等を殺した奴等は、腹を抱えて高笑いしてることだろうよ! 」
 If we make it we can all sit back and laugh

「 ああトラウマになりそうだ。これからの日々を、この死者達の叫び声を聞いて生きるのか・・ 」
 But I fear tomorrow I'll be crying

「 そうか!何て恐ろしい。これからの日々を、この呻き声を聞いて生きろと言っているんだ 」
 Yes I fear tomorrow I'll be crying

「 そうだ!そういう意味だ!これから死ぬまで、彼等の泣き叫ぶ声を聞いて生きろと言っているんだよ! 」
 Yes I fear tomorrow I'll be crying


ここにあるトンネルが、天国へ行くか地獄へ行くかを決めるのは
 Between the iron gates of fate

その時代に蒔かれる種とどう向き合うかだ
 The seeds of time were sown

" 流れに身をまかせるんだよ " と
 And watered by

あなたの耳元でささやく者がいる
 the deeds of those

それは誰だ? それが誰なのかを考えるんだ
 Who know and who are known


それが智だと思うのなら、死は恐ろしいものでしかない
 Knowledge is a deadly friend

しかし、それが別の声だと思えるなら、今までとは違うものがきっと見えて来る
 if no one sets the rules

運命を司る神々の目で、人間の歴史を見るんだ。
 The fate of all mankind I see

そうすれば分る
 Is in

いつも "それ " を、コントロールされている事が!
 the hands of fools

(間奏)

この壁に刻まれた言葉は
 The wall

聖なる預言者によって書かれたものだった
 on which the prophets wrote

打ち破ってくれるんだ
 Is cracking

心に縫い付けられていたものを
 at the seams

今はこう思うようになった
 Upon the in-

この死者に贈られた一行の詩は
 -struments of death

太陽の日射しのように
 The sunlight

俺達をも、照らしてくれるものだったと
 brightly gleams


いつの時代の人々も
 When every man

" 恐怖 " を縫い付けられて来た
 is torn apart

その悪夢の中で
 With nightmares

夢を見せられコントロールされるんだ
 and with dreams

「 はみ出してはならない 」
 Will no one lay

「 人と同じである事が上等なんだ 」
 the laurel wreath

「 お前にも聴こえるはずだ 」
 When silence

「 我々に逆らって殺された奴らの呻き声が 」
 drowns the screams


行く道が分らなくなったら
 Confusion

この墓碑銘を思い出そうと思う
 will be my epitaph.

この道しるべは
 As I crawl

決して渡ることが出来ないと思っていた海の方角を指している
 a cracked and broken path

だが彼等がついていると思えば、込み上げて来るんだよ。
 If we make it we can all

"糞ったれ!"という気持ちと不敵な笑いが
 sit back and laugh.

どんなに恐くても、過ちは繰り返してはならないと、そう言い続けて行く
 But I fear tomorrow I'll be crying

どんなに恐ろしくても、過ちは繰り返してはならないと、そう言い続けて行く
 Yes I fear tomorrow I'll be crying

どんな恐怖の中でも、繰り返してはならないと、叫び続けて行く
 Yes I fear tomorrow I'll be crying

そう言い続ける
 crying

そう叫び続ける
 crying


どんなに恐くても、過ちは繰り返してはならないと、そう言い続けて行く
 Yes I fear tomorrow I'll be crying

どんなに恐くても、過ちは繰り返してはならないと、そう言い続けて行く
 Yes I fear tomorrow I'll be crying

どんな恐怖の中でも、繰り返してはならないと、叫び続けて行く
 Yes I fear tomorrow I'll be crying

そう言い続けて行く
 crying
===========

だいぶん長くなってしまったが、YouTubeから拾ってきたライブ録音の幾つか・・・

<King Crimson - Epitaph (Live in Tokyo, November 6th, 2002)>


<King Crimson - Epitaph (Live In Queen Elizabeth Theatre, Toronto November 20, 2015>


(関連記事)
キング・クリムゾンの「エピタフ」 
西城秀樹の「エピタフ」 

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2025年12月12日 (金)

「オマーンで日本の心を伝えたい」元私立学校長 スワーダ・アル・ムダファーラ(森田美保子)さんの話

NHKラジオ深夜便で「「オマーンで日本の心を伝えたい」元私立学校長 スワーダ・アル・ムダファーラ」という番組を聞いた。
いやはやアフリカでこんな活動をしている日本人女性がいたとは・・・(この放送の内容はここ

<NHKラジオ深夜便「オマーンで日本の心を伝えたい」元私立学校長 スワーダ・アル・ムダファーラ(2025/11/30放送)>

251212almudhaffar そもそもオマーンってどこだ? アフリカのどこか・・・は分かるが、場所が思い浮かばない。
改めて地図を見るとイランの対岸、ペルシャ湾の入口でドバイのそばの国だった。
海賊の国かと思ったら、それはアフリカ本土のソマリアだった。
ググると、韓国以上に安全な国だという。
しかし、イスラム教とアラビア語の国。日本からするとあまりに異国。

その国に女性ながら単身乗り込み、日本流の学校を作ったという。
そして2025年秋の叙勲で旭日小綬章を受賞したという。

スワーダ・アル・ムダファーラさんをググるとそのプロフィールが覗ける。
2009年に出版した「砂漠に創った世界一の学校―学力世界ナンバーワンの生徒を育てた日本人女性校長、涙のビジネス戦記」という本の著者紹介によると、
「スワーダ・アル・ムダファーラ
東京都立川市出身。高校卒業後、就職した銀行で職場結婚し、娘をもうけるが離婚。その後、カルチャースクールを開いていた1979年、オマーンとの文化交流の催しに招かれ、オマーンを訪れる。これがきっかけとなって知り合ったオマーン人と1983年に結婚、日本人女性として初めてオマーン人となる。同国に渡った後は、持ち前のチャレンジ精神で、資金づくりやアラビア語のマスターなど数々の困難を乗り越え、1990年に幼稚園アザン・ビン・ケイス・プライベート・スクールを設立。これをベースに、2003年には幼稚園から高校まで一貫教育を行なう学校にまで成長させた。現在、スクールでは500人以上の生徒が学ぶ。オマーン・マスカット在住。旧日本名:森田美保子」
とのこと。

昔、「世界の村で発見!こんなところに日本人」(ここ)というTV番組があった。
思いもかけない国に日本人がいてビックリしたもの。

そういえば、島国根性という言葉があった。
島国で閉鎖的と言われていた日本。その日本人が異国でこのように活躍。
同じ日本人として、何とも誇らしい話ではある。

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2025年12月10日 (水)

買い物で冷蔵庫の写真は有用

先日の衆院予算委で、献金法案と衆院定数減の審議順について「先入れ先出し」という言葉が出てきた。
現役時代を思い出し、何とも懐かしい言葉だった。
言うまでもなく「「先入れ先出し(さきいれさきだし)」とは、先に仕入れた(入庫した)商品や資材から、先に使っていく(出荷する)在庫管理・運用方法で、「FIFO(First-In First-Out)」とも呼ばれます。商品の品質劣化(賞味期限切れなど)を防ぎ、安全な商品を顧客に提供するための基本ルールであり、食品や医薬品、半導体などの管理で特に重要ですが、管理の手間やコストが増えるという側面もあります。」

現役時代、ある電機メーカーの工場生活が永かったので、在庫品や半製品の保管において、「先入れ先出し」は必須だった。
ひるがえって我が家における「先入れ先出し」。
とにかく「見える化」は必須。高齢になってくると、見えない物は無いに等しい。見えないところに保管していても、その事を忘れてしまって二度と出て来ない??
よって、我が家でも棚を多くした場所に、消耗品は何でも直ぐに見えるようにして置いてある。

そして、家庭での食料品の保管場所は、まずは冷蔵庫。
これがくせ者。冷蔵庫の奥の方は見えない。つまりこれも無いに等しい。そして知られないままに賞味期限を過ぎてしまう。
冷蔵庫の食品も「先入れ先出し」で古い物から消費して行くべきだが、これには常に保管品を前後に“かき混ぜる”必要がある。つまりは見える化。

さて今日の本題だが、このところ買い物に行く前に、冷蔵庫の写真を撮ることにしている。スマホで、冷蔵庫の中、扉、冷凍庫、野菜保管庫そしてジャガイモなどの保管庫。
これが意外と有用。「タマゴはあと幾つあったっけ?」「キュウリはまだあったっけ?」「キャベツは??」
いつも売り場の前での悩みが、この写真で一挙解決。スマホの写真の解像度は抜群!拡大して見ると、何がまだ残っているかが一目瞭然。例え見えなくても、写真を見るとその裏に何があるかが思い出せる。
つまり、余計な買い物をする事が少なくなるのであ~る!

それまでは、「タマゴはまだあったっけ?まあ買っておくか・・・」
家に帰ると「まだあった!買い過ぎて、置く場所が無い!」

まあこれで結構ムダな買い物が少なくなった。
しかし、今度は出発する前の写真撮影を忘れる!
先日も、スーパーに行って、「あ、撮るのを忘れた!」と言ったら、カミさんが撮っていた。
カミさんもその有用性を認めたみたい・・・

後期高齢者になって、もうすぐ親父の没年に追い付く。
病気も物忘れも、もう何が起きても不思議では無い歳。
そのうち家中にメモ紙があっちこっちに貼られる日が来るかも知れない。
まあそれも仕方が無いこと。
でも、できるだけ知恵を絞って、周囲に迷惑が掛からない生活を何とか維持したいものである。

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2025年12月 2日 (火)

豊臣秀頼の出生の秘密~本郷和人著「生きざまの日本史」より

言い尽くされた感があるが豊臣秀頼の出生の秘密。本郷和人の話が面白かった。
たまにタブレットで週刊誌を読む。もちろん新聞広告に載るスクープ記事は読めないが・・・。
最近、「サンデー毎日」の「日本史 今までにない人物伝」というシリーズを読んでいる。自分の知らない人の人物伝はあまり面白くないが、有名な逸話については、歴史学者の説だけに興味を引く。
そのシリーズが本になったというので買って読んでみた。本郷和人著「生きざまの日本史」という本。最初に出て来たのが秀吉。豊臣秀頼の出生の秘密についての話が面白かった。

「<豊臣秀吉――頭脳明晰で自身の没後も予見!?>
*みなが豊臣のためには生きない
 慶長3(1598)年8月18日、秀吉は伏見城で亡くなりました。
・・・
亡くなるまで秀吉は徳川家康に対し、「秀頼を頼む、頼む」と懇願した。これは史実ですが、さてここで、歴史学では禁じ手ですが、秀吉の胸中に思いを馳せてみましよう。だからこその「今までにない」人物伝なのです。
251202hideyori 秀吉はさて、豊臣の天下が続くと思っていたのでしょうか。もちろん、願ってはいたでしょう。でも、秀吉は頭脳が明晰で、将来を的確に予測できた人でした。だから天下人になりおおせた。政権抗争に身を投じ、その厳しさをだれよりも知っていた。
大恩ある主家、織田家から天下人の座を奪いとる冷徹さも併せ持っていた。信長の娘を側室に加えた。
 そんな秀吉です。オレが居なくなったら、天下は徳川殿のものだな、と見抜かなかったはずはない。ぼくはそう思うのです。
 佐吉に仁右衛門(石田・増田)、虎之助に市松(加藤・福島)。仕事のできる子飼いの大名は、育てた。五奉行を中心とする豊臣の統治システムも少しずつ形になってきた。でも問題は徳川殿だなあ。徳川殿が律儀者だって? うそをつけ。そりゃ仮面よ。オレが死ねばすぐに、天下取りに動き出すに決まってる。そうなったら、豊臣に心を寄せる者たちは、徳川殿にかなうだろうか。いやどう考えたって、束になってもムリだな。年季が違う。能力も違う。それに人心は移ろいやすい。みながみな、豊臣のために、なんて本心から考えてるわけがない。人はみな自分が可愛いし、自分の家が大切だ。仕方があるまいよ・・・。そう考えている、と推測するのが自然じゃないか。

<豊臣秀頼――触れてはいけない!? 出生の秘密>
前回、秀吉は豊臣家の将来を予見していたのではないか、と書きました。最晩年の秀吉の思いを忖度すると・・・外様大名(という呼称は、この時期にはありませんが)ども、毛利や上杉や島津や伊達などには、豊臣家に忠節を尽くす義理はないしのお。
いや、上杉景勝あたりは人情に厚いから、徳川内府(内大臣)への一定の歯止めにはなるか。宇喜多の八郎(秀家)は可愛いヤツだで、がんばりを見せてくれるじゃろうが、まあ能力では内府の足元にも及ばんし。やはり頼りになるのは、内政面で佐吉(石田三成)ら、戦働きで虎之助(加藤清正)らか。子飼いは政権を維持するため懸命に働くだろうが、うーむ、やはり内府にはかなうまいのお・・・。こんなところだったのではないでしょうか。
とすると、秀吉が家康に「秀頼のことを頼む、頼む」と懇願した真意はなんだったか。ぼくは「おぬしが天下人になるのは避けられまい。だが、そのときに、秀頼をどうか生かしてやってくれ。小さな大名で良いから、豊臣家の存続を許してくれ」という意味ではないかと解釈してみます。
さて、それでいよいよ秀頼なのですが。歴史研究者が、議論を遠ざけるのが賢明、とする随一のポイントに、敢えて言及します。秀頼って、秀吉の子なんでしょうか?
秀吉にはかつて子どもがいたけれど亡くなった、という話には確たる証拠がありません。秀吉は多くの女性に囲まれていた。これは史実。天下人たる秀吉のハーレムを形成していた彼女たちの誰もが、もちろん淀殿は別としてですが、子どもを産んでない。これも史実。
 ぼくらの状況に置き換えると、ああ、Aさん(男性)は子どものできにくい体質なんだな、でおしまいの話です。そういう方はたくさんいらっしゃいます。ところが「人生50年」時代に、秀吉は53歳にして、淀殿との間に鶴松をもうけた。さらにこの子が病没すると、57歳のときに、また淀殿が秀頼を産んだ。

*その話題はスルーということで・・・
秀頼の出生に関しては、同じ九州大学内で、服部英雄先生と福田千鶴先生が論争していましたが、こうした話を歴史研究者がしても決着は付きません。ぼくは折に触れて産婦人科の先生に意見を聞いています。すると皆さん、「秀吉に突然子どもができるのは、おかしいですね」とおっしゃる。秀吉の弟の秀長にも子どもがいないんですよ、と付け加えると、やっぱり体質的に子どもは望めないんじゃないかな。長年子どもを授かれなかった権力者の若い妻が、後継者を産んだ。現代なら、DNA鑑定、という話になりますね、と。
秀吉と淀殿は、子をなすことに関して、あり得ぬほど体質の相性が良かったのではないか、だからこのカップルにだけ、奇跡的に二人も男の子ができたのでは? ぼくはそうも聞いてみました。すると先生方はみな、いやそういう考え方は科学的ではありません。本当に奇跡が起きて淀殿が秀吉の実子を産んだとする。でも、それは次の子にはなんの関係もない。つまり、二人の男の子が生まれる確率は、奇跡かける奇跡、すなわち天文学的な数字になる。だったら、秀頼は他の男性の子、と考えた方が自然です、という内容を答えて下さいました。
 それではぼくも、歴史研究者としてこの問題を考えてみましょう。周囲の反応はどうだったか、それを調べることが大事です。これならば、冷静な分析が可能です。
 秀吉は専制的な権力者です。その彼が「これは私の息子だ」と宣言したらどうなるか。よく反社勢力の特徴として「親が言うことは絶対だ。親が白といえば、カラスだって白いんだ」との説明を聞きますね。専制的な君主の言い分というのは、まさにそういうものです。「おまえはアウトだ!」とジャッジされれば、無実でもアウト。実際に秀頼生誕の関わりで、豊臣秀次一家は、罪なくして皆殺しになりました。秀次と関係の深い家臣も多く殺されました。また鶴松が生まれた年、聚楽第の外門に何者かが落書きをし、その内容(鶴松出生の秘密を揶揄するものといわれるが、詳細は不明)に激怒した秀吉は警護していた役人の耳を切り、鼻を削いで、100人以上の人命をこともなげに奪っています。
 秀吉とはそういう権力を持った人物。そんな彼に、「鶴松様は殿下のお子なのでしようか?」なんて言えますか。それは・・・絶対に言えませんね。周囲の大名たちは「鶴松様は、また秀頼様は、殿下のお子様で、豊臣政権の継承者である」と、自らに何度も何度も言い聞かせたに違いない。余計な疑念と詮索は、身の破滅を意味するのです。
問題は当の秀吉です。秀吉自身はどう思っていたのでしょう。そのあたりのことを、次回、もう一度考え直してみましょう。

<豐臣秀吉――強烈な猜疑心ゆえ自らを騙し続けた君>
 2回にわたって豊臣父子のことを書いてきました。そろそろまとめましょう。
 豊臣秀吉について、ぼくがもっている最大の謎。それは「どうして徳川家康と徳川家を滅ぼさなかったのか」ということです。秀吉は晩年に20万を超える兵を朝鮮半島に送り込んだ。そんな余計なことをするくらいなら、なぜそれを以て徳川領に攻め込まなかったのか。家康は関東を治めて石高は255万石。兵であれば多くて7万人。いかに家康といえども、20万を超える軍勢には敵わないでしょう。家康さえ倒しておけば、豊臣政権は存続した可能性が高くなる。それなのにどうして?
 秀吉がなぜ朝鮮出兵に踏み切ったのか。説はいろいろありますが、どれも今ひとつ説得力に欠けます。「是が非でも兵を出さねばならない」、という理由としては、どれも弱いんです。海外に新しい領土を求められないと、部下の要求に応じられなかった(朝鮮出兵の理由その1)? いや、海外に一片の領土を得られなくても、徳川幕府は発足して維持されたじゃありませんか。では、東アジアにおける貿易で主要な地位を占める必要があった(理由その2)? うーん、これまた、徳川家康はそこまで積極的に海外交易を行っていませんよ。さらには幕府は鎖国へと進んでいくわけですよね。当時の日本って、食糧自給率が100%、海外との取引をしないでもやっていける国、自給自足が可能な、ある意味「豊かな国」だったんです。
 こう考えてみると、朝鮮出兵の必然性は、簡単には見つけられない。ならばそんなことをする代わりに、「方広寺の鐘銘事件」(豊臣家が作らせた方広寺の鐘に『国家安康君臣豊楽』の文字があり、これは徳川家を呪証するものだと家康が難癖を付けた茶番劇)みたいのをでっち上げ、徳川内府が豊臣家の崩壊を願っている、不届きだ、として滅ぼしてしまえばよかったのに。費やすエネルギーは、朝鮮出兵も、徳川討伐も、そんなに変わらないと思うんだけどなあ。
 なぜ家康を討たなかったか。家康が律儀者だったから? ご冗談でしょう。秀吉ほどの人物が、家康の世を忍ぶ仮の姿に、気づかないわけはない。自分がいなくなったら、家康は信長と同盟を結んだ頃からの律儀者の仮面を直ちに脱ぎ捨て、天下人になるべく動き出すに違いない。秀吉はそう見通していたと思う。秀吉だって、織田家から天下を奪った。宣教師が「もっとも信長に似ている」と評した信長三男の信孝は殺している。家康が同じことをしても、道義的には責められないし、まだまだ戦火がくすぶり、価値観が揺れ動くあの時代は、そうした下克上があっても不思議はない激動期だったわけです。
 なぜ秀吉は? そこでぼくはどうしても、安易だなあと自分でも思ってしまうのですが、秀頼の出生に意識が向いてしまう。

*天下人たる秀吉の孤独
 秀吉自身は、秀頼が自分の子だと確信していたか? いや、そんなはずはない、と思います。専制君主という存在は、今も昔も、洋の東西を問わず、猜疑心がものすごく強烈です。友人は信じない。家臣も言じない。「苦労はともにできるが、富貴を分かち合うことはできない」という君主は枚挙にいとまがない。中国を見てください(あえて中国史、とは書きません)。新しい王朝が掛立されると、ついで必ず、功臣の粛清が行われる。だから越の勾践も、漢の張良も、智恵のある功臣は、栄達を求めずに姿をくらますのです。能力があればあるほど、疑惑の眼差しを向けられるから。まあ、日本は中国ほど澈烈ではないですが。
 秀吉もまた、猜疑心が強烈です。長年苦楽をともにした「軍師官兵衛」こと黒田如水は、朝鮮出兵の折、讒言する人がいて、危うく失脚するところだった。子飼いの中の子飼い、加藤清正も同様です。蟄居を命じられていますね。そういえば、天下取り事業に欠かせなかった相談役、千利休は死を賜りました。確実に血の繋がった甥の秀次は、一族皆殺しです。晩年の彼は、だれの忠告も聞かない、「狂王」そのものです。
 その秀吉が、秀類の出生を疑わない? あり得なくないですか? ぼくは分かっていたと思う。あの子はオレの子ではない。でも、後継者がいなかったら、オレはなんのために天下人になったんだ。なんのために「豊臣家」をつくったんだ。その思いが強烈だったから、自分で自分を騙し続けた。秀頼はオレの子だ、と殊更に大声で、内外に表明し続けた。そんなところではないでしょうか。
 秀頼はかわいいのお、豊臣政権はこの子に渡すぞ、と常に自分にウソをついている。だけど、それは、ときに自らを深い絶望に誘う。
 徳川内府を討たねば、豊臣家は滅びる。ではどうするか、準備を整えて対処しなくては。分かっている。分かっているのだけれど、いざ行動に移そうとすると、そういう時にこそ深い絶望が甦ってきて、疲労感にとらわれてしまう。このままではいかん、と知りながら、先延ばし先延ばしにして、気がつけば自身は臨終の床にいた。もはやできることといえば、秀頼と豊臣家の延命を祈るだけ。それが家康への「頼みまいらせる」という懇願だったのではないでしょうか。
 まあ、これはぼくの感想です。科学的な論文にはできません。でも、ありそうかな、とは思っています。みなさんはどう思われますか?」(本郷和人著「生きざまの日本史」p14~p25より)

別の視点だが、ググると「なにしろ日本の中世は、誰の子かということよりも、何処の家の子かという方が重要であった。」という記述もある。
つまり秀吉が秀頼は豊臣家の子であると認知している限り、秀頼は秀吉の子なのである。

前にも書いたが、この本は自分の知っている逸話についての見解は確かに面白い。しかし歴史の世界は広い。知らない人の逸話は面白くない。
有名な逸話についての大歴史学者の見解を今後も期待したいもの。

●メモ:カウント~1470万

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