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2025年7月の5件の記事

2025年7月29日 (火)

玄関の鍵を落としてスマホで「遺失届」を出したらキーが戻ってきた話

いやいやながら?夜の散歩を始めて10日になる。
我が家の運動不足ははなはだしい。あらゆる病気に「運動を!」と言われる。でも直ぐにサボる。
心を入れ替えて?朝の散歩は不得手なので、夕食後にカミさんと一緒に少し散歩をする事にした。以前は犬の散歩で、夏の夜はよく行ったものだが、犬が死んでからはずっとサボっていた。

一昨日の散歩で、夕焼けがキレイだった。三日月がキレイ。それでスマホで写真を撮ってみた。カミさんも、肩掛けのポーチからスマホを取り出250729yuuyake
して写真を撮った。
ここが問題!たぶんその時に、カミさんのポーチに一緒に入れてあった玄関のキーが落ちたらしいのである。
団地を一回りして家に帰ると、ポーチに鍵が無い。
用心のために、屋外に予備のキーを隠しておいたので、家に入ることはできたが、思い出しても、心当たりはあの写真を撮った時しかポーチには触れていない。
直ぐにその辺りを探しに行ったが、鍵は落ちていなかった。この30分ほどの間で、誰かが拾ってくれたのかどうか?

翌朝、カミさんが「念のため近くの交番に届けがなかったか聞いてくる」と言って交番に行ってみた。するとスマホで届けが出来るので、登録しておくように言われたとか。
それでスマホで検索すると、なるほど「警視庁行政手続きオンライン」というサイトがあり、「遺失 届出書」というのが見付かった(ここ)。それで「100%戻らないと思うが一応やっておくか」と登録してみた。

すると、記入項目の多いこと!
250729isitubutu
「郵便番号、住所、氏名、電話番号、携帯番号、最後に物件を見た時間、物件がないことに気付づいた時間、遺失場所の箇所数、JIS住所コード、遺失場所住所、遺失場所、遺失した施設名等、現金の有無、遺失物の個数、物品コード、物品名、記名、色、ブランドコード、ブランド名、固有番号・製造番号、特徴等、備考」と入れる。
特に「特徴等」に「ブルーの革製のキーホルダーが付いた玄関の鍵」と具体的に説明を入れた。

まったく期待していなかったが、何と今朝の10時前にスマホに電話!! 警察を名乗るので、まず思ったのが「詐欺では?」。しかし「遺失物の届けをされましたね」というひと言で正気に!

物の特徴を色々と聞かれたが、もちろんスラスラと答えられる。
今家にある鍵を持ってきて、それと合致するようであれば、返すという。
それで、これから警察署に取りに行ってくる。

いやいや、日本人の正直さはバカに出来ない。
たぶん、一昨日の夜に道で拾って、昨日交番に届け、その情報がコンピュータに登録されて、今朝、合致した情報がヒットして、さっきの電話につながったのだろう。

どなたが拾ってくれたのかは分からないが、やはり日本人は正直。交番に届けるのも手間が掛かるのに、ありがたいこと。
もちろん自分も同じような時は手間を気にせず届けるが、何よりも玄関を開けることが出来るキーがどこかにあるという不安感が払拭されたのは何より。
事件の少ない我が家の最近の「大事件」ではあった。
(警察で聞くと、鍵は交番の机の上に置いてあったとのこと。よって、法で定められた「お礼(5%~20%)」が出来ない。交番はカミさんが昨日行った家の近くの交番だと思うが、相手の善意に感謝!)

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2025年7月27日 (日)

ダークダックスの「二十二歳まで」

先日、ダークダックスの「二十二歳まで」という歌を“初めて”聞いた。
歌詞が何とも楽しい。(哀しい?)

<ダークダックスの「二十二歳まで」>

「二十二歳まで」
  作詞:阿久 悠
  作曲:森田公一

結婚式は 何時始まって いつ終ったのか
私は何も おぼえていないよ
思い出だけが 走馬燈のように 駈けめぐり
私はずっと 目を閉じていた

〇才 女の子だと言うので 少々ガッカリした
二才 病気がちで 苦労をさせられた
四才 幼稚園で 一番美人だと鼻を高くし
六才 桜の下の 入学式の写真
八才 ママと どうして結婚したのだと聞き
十才 そろそろ 風呂に入れるのが はばかられ

十二才 男の子の手紙が みょうに増えて来て
十四才 男女共学が危険に思われる
十六才 ミス高校に選ばれて 苦労が増え
十八才 優しさ あふれた女学生
二〇才 結婚はしませんと 口ぐせのように言い
二十二才 コロリと裏切って 結婚してしまう

結婚式は 何時始まって いつ終ったのか
私は何も おぼえていないよ
思い出だけが 走馬燈のように 駈けめぐり
私はずっと 目を閉じていた

25072722saimade 歌詞が気になって挙げてみたのだが、ネットでググると、この歌は1976年7月21日の発売というからもう半世紀前の歌。そして1976年(昭和51年)の紅白歌合戦でも歌ったという。
作詞が阿久悠、作曲が森田公一というからいわゆるゴールデンコンビの歌だ。
自分的には森田公一というと「愛する人に歌わせないで」(ここ)を思い出す。

この歌について、作詞の阿久悠がオフィシャルサイトで「あまり売れなかったがなぜか愛しい歌」という項目でこの歌についても書いている(ここ)。
それによると、阿久悠は女の子どもは無かったという。
「ぼくは女の子どもを持ったことがないので、 花嫁の父の気持ちは全くわからないのだが、 どうやらこれは大変なものらしい。気の早い人は、娘がまだ小学生なのに、その日――結婚式のこと――のことを想像すると涙があふれてくるというくらいである。それはいくら何でも早過ぎるだろうと笑うのだが、案外本気のようで、娘を持たないあなたにはわかりませんよと怒られた。」ここより)

自分も女の子は持たなかったので、こんな気持ちは経験が無い。(ウチのカミさんは、ずっと「女の子が欲しい」と言っており、とうとう授からなかったが、70歳を超えた今でも、よく「女の子が欲しかった・・・」と言っている)
でもラッキーなことに二人の孫が女の子。これだけは人生の最大の財産!?

我々夫婦もいつまで生きられるか分からないが、人生最後の楽しみのイベントは、孫の結婚(式)かも知れない。
まあ無理だろうが、孫のことを思い浮かべながら、楽しんで聞いた歌ではあった。

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2025年7月18日 (金)

和泉雅子が亡くなった~「二人の銀座」

和泉雅子が亡くなったというニュースが流れた。
和泉雅子さん、生前葬していた 所属事務所が発表 死去当日に体調急変

 日本人女性として初めて北極点到達を達成した冒険家で、女優の和泉雅子(いずみ・まさこ)さんが9日午後1時3分、原発不明がんのため都内の自宅で死去したと18日、所属する「和泉雅子事務局」が発表した。77歳だった。事務所によると、故人の遺志で生前葬を営んでいたことから、葬儀は執り行わないという。お別れ会、しのぶ会なども予定されていない。
 所属事務所によると、和泉さんは今年5月に自宅で倒れて都内の病院に入院。その後退院して自宅療養をしていたが、亡くなった当日に体調が急変し帰らぬ人となったという。

250718izumi  和泉さんは東京・銀座生まれ。10歳から子役として芸能活動を始め、石原裕次郎さんを見いだした名プロデューサー・水の江滝子さんにスカウトされて1961年に日活入り。多くの青春映画に出演し、吉永小百合、松原智恵子と「日活三人娘」として人気を博した。63年には主演映画「非行少女」(浦山桐郎監督)の演技が評価され、モスクワ映画祭金賞を受賞した。日活の映画では高橋英樹と共演する機会が多かった。66年には山内賢さんとのデュエット曲「二人の銀座」が大ヒット。またヤマト運輸のCMキャラクターとしても親しまれた。

 冒険家としては89年に北極点到達を果たした。日本隊としては4隊目で、日本人女性としては初の快挙だった。きっかけは84年、テレビ番組のリポーターとして南極を訪問して「地球のテッペンに立つ」のが夢に。85年に遠征隊の隊長として北極点遠征に挑戦したが、北極点まで残り148キロの地点で断念した。89年に北極点遠征に再挑戦。カナダ最北端のワードハント島から2台のソリで出発し、同年5月10日に北極点に到達した。出発から62日目、直線距離800キロを走破しての偉業達成だった。」ここより)

自分は特に和泉雅子のファンというわけではないのだが、同じ歳という事で気になるのだ。
77歳。喜寿。でもそろそろ訃報が聞かれる歳。まあ仕方が無い。

和泉雅子の歌というと、「二人の銀座」という1曲しか知らない。
これを聞いてみよう。

<和泉雅子&山内賢の「二人の銀座」>

「二人の銀座」
  作詞:永 六輔
  作曲:ザ・ベンチャーズ

待ちあわせて 歩く銀座
灯ともし頃 恋の銀座
僕と君が 映るウィンド
肩を寄せて 指をからませ
二人の銀座

触れあう頬 夜の二人
甘い香り 熱い二人
みゆき通り すずらん通り
なにも言わず ときめく胸の
二人の銀座

銀座 二人だけの
星もネオンも 僕と私のもの
夜も更けて 消えたネオン
星空だけ 恋人だけ
ペーブメントに よりそう影が
かさなる時 初めてのキス
二人の銀座 二人の銀座
二人の銀座……

250718futarinoginza この歌は1966年9月15日のリリースだという。作曲はもちろんベンチャーズ。
オリジナルは1966年のアルバム「Go With The Ventures」に収録されていたという。

オリジナルも聞いてみよう。

<ザ・ベンチャーズの「二人の銀座」>


和泉雅子は、冒険家の前はもちろん女優。
自分が特に覚えているのは、舟木一夫との「絶唱」という映画。
この映画の主題歌は、15年も前に(ここ)に書いている。
その時にこう書いていた。
「舟木一夫と和泉雅子の映画「絶唱」は、1966年(昭和41年)9月17日の公開だという。そう、自分が大学1年の時だ。季節は、初秋・・・。夏休みが終わって、前期試験が終わり、何か羽目を外したい時だ。その時に、同じ下宿の友人と、“映画に行こう”という話になり、この映画を見に行った。映画館まで歩いて行った。当時、たぶんオールナイトで上映していた・・・と思う。そして夜中、シーンとした道を歩いて下宿に帰った思い出がある。」

記憶とは不思議なもので、いまだにその時の光景が思い出される。
和泉雅子は同じ歳なので、当時18歳。
何と60年も昔の話だ。

話は飛ぶが、2週間ほど前に同期会があった。12名の参加。通算53回目となる。
近況報告での中心となった話題は、何と「前立腺肥大」。
PSA(前立腺特異抗原)の値が飛び交う。体験談が飛び交う。「PSAが**になったら手術した方が良いよ」「オレはPSAが**になったが、もう少し頑張ってみる」・・・
自分は「何のことやら??」

つくづく、自分はまだまだ幸せだと思う。PSAの値をまだ気にしなくて済んでいるから・・・

それと、3ヶ月置きに行っている近くの大学病院。心房細動の手術のフォローと、腹部大動脈瘤のフォロー。診察の半月ほど前に行った造影CTの結果を聞くことになっていたが、最初に貰った本日の予定表に、何と次回の予定が入っていない。いつもは、勝手に次回の予定を主治医が入れているのだが、今回は次回の予定が無い。
つまりは、CT検査の結果、良くないのでとうとう「手術」か? だから、診察の時に手術の日程を決めるので、次回の診察予定が入っていない??
つくづく自分は気が弱いと思った。
そして診察室に入ると「検査結果がメチャメチャ良いので、次回からはいつも行っているかかりつけ医から薬を出して貰うよう、紹介状を書いておくので、そこから貰って下さい。」
「良い意味で見放された?」
「終わったら誰かが抜けないとあぶれちゃうからね」

さらに話は飛ぶが、数日前、運転免許の認知機能検査を受けた。
3年前に受けた検査の状況は(ここ)に書いた。
記録は残しておくもので、3年前のその記事を読んでその時のテクニックを思い出した。
そして、前夜に、同じようにカテゴリ16個を思い起こし、当日、タブレットに出て来た絵を、そのカテゴリにはめこんでいった。
すると、16個の絵がいとも簡単にスルスルと出て来て、最後まで書かないうちに「合格」で打ち止めとなった。
あまりに早い終了に、検査官がタブレットを覗きに来た。もちろん12人中イチバン!
数日経った今でも、16個の絵を思い出せる。
これも喜寿にしてはありがたいこと!

先の同じ喜寿の同期は40人余いたが、亡くなったと聞いているのは2人だけ。
しかし、耳にする有名人では、同じ歳頃の人も、この和泉雅子のように、亡くなった人もいる反面、まだまだステージで頑張っている人もいる。そう言えば、やはり同じ歳の五木ひろしも急病のため、明治座公演を休演するとか言っていたな・・・。

お盆が近くなってきた。
そろそろ人生の終盤を想う梅雨明けの夏である。

(2025/10/16追)

<和泉雅子&山内賢の「二人の銀座」(2008年再録音盤)>


<NHKラジオ深夜便「和泉雅子さんを偲んで 北極点に立った女優」前編(2025/09/30放送/初回放送2013/12/01)>

<NHKラジオ深夜便「和泉雅子さんを偲んで 北極点に立った女優」後編(2025/10/01放送/初回放送2013/12/01)>

 

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2025年7月 8日 (火)

「これまでのお墓、これからのお墓」僧侶・鵜飼秀徳氏の話~我が家の墓じまい

だいぶん前だが、NHKラジオ深夜便で「明日へのことばアンコール これまでのお墓、これからのお墓 僧侶・ジャーナリスト 鵜飼秀徳」(2025/06/14放送)を聞いて、改めてお墓の現状を知った。

<「これまでのお墓、これからのお墓」僧侶・ジャーナリスト 鵜飼秀徳>(2024/01/13放送、2025/06/14再放送)

この放送のテキストは、(ここ)にあるが、お墓の歴史については非常に興味ある内容だった。
それにしても、平安時代は風葬だったとは少々ショック!

鵜飼秀徳氏の話は、前にも「お寺が減っていく」(2020/11/14放送)(ここ)というタイトルで話を聞いており、今回はその続き?

さて本題だが、先日、我が家のお墓を墓じまい(改葬)したので、今日はその体験談。
我が家のお墓は、先祖代々のお墓と、カミさんの実家のお墓の2つあった。
先祖代々のお墓は、東京・谷中の信義真言宗のお寺に、カミさんの実家のお墓は茨城県の浄土真宗のお寺に。
250708ohaka 我が家の親父は長男だったので、自宅には祖父母までの繰り出し位牌があった。一番古いのは大正7年の親父の次の弟から、昭和51年の祖母まで。お札を見ると、昭和4年から昭和33年の祖父までの間に、真宗のどこかのお寺から、今の信義真言宗のお寺に改装されたらしい。戒名(法名)をたどるとそれが分かる。
その後、H8年の親父から、H23年の義姉、H26年のお袋、H31年の兄まで、たくさんの位牌が出来てしまい、地理的なことから自分の弟がそれらを預かっていたが、仏壇も小さく、古いお札はお寺に頼んでお焚きあげして貰い、親父以下の位牌は繰り上げ位牌としてまとめて、次兄の我が家に引き継ぎたいとの話が弟から来たのが昨年の春だった。
当然、親父が長男で、その長男(長兄)の兄が亡くなって子どもがいないため、次に引き継ぐのは次男の自分。それを2月の兄の七回忌を機に弟から引き継いだ。

さて、我が家には、今までカミさんの親の法名軸を簡易に祀ってあったが、真言宗の仏壇が来るとなると、並ぶのはちょっと変・・・?
それで、カミさんは自分の実家のお祀りはもう良い。と言いだし、法名軸をお寺に返すことにして茨城のお寺に電話をしてみた。
「法名軸のお焚き上げをしたいのですが・・・」
すると、事情を色々聞かれ、義母が亡くなったときに相談したときは、「まさか墓じまいを考えているんではないでしょうね」と厳しい話があったが、「そもそも我が家は真言宗」という話が効いたのか、茨城のお墓は次の代には無縁化する可能性があるので、墓じまいも仕方が無い、との話になった。
ただし、お骨はお寺の合同墓に移すので、その費用が50万円、お墓を更地にするのに30万円かかるとのこと。
単純計算では、年に7千円のいわゆる管理費を考えると100年分。だったら、そのまま放って置いて、毎年管理費を払う方が安上がり。
自分が躊躇していると、もしお寺の合同墓に移さず、時前でお骨をどこかに移すのであれば費用は掛からない。更地への工事も、時前でやっても良いとの話に。
それで、結論的には、更地の工事は自分で手配し(前にお墓のリフォームをお願いした石屋さんここ)、お骨はその石屋さんに頼んで、「終の棲家なき遺骨を救う会」(ここ)に郵送して貰うことにした。
Netで探したのだが、今回頼った「終の棲家なき遺骨を救う会」はメディアでも有名な会らしく、1人の合葬料は3万円。骨壺の郵送のための送骨セットも送ってくれるとのこと。

250708kaisou かくして、更地の工事代約16万円と、合葬の@3万円で今回の改葬が済んだ。もちろん自分は現地には行かず・・・。
お寺さんには、少しのお礼はしたが・・・

茨城の真宗のお寺も、そもそも真言宗の我が家のような片手間的な檀家は迷惑なのだろう。更地になれば、お墓の場所が良い位置なので、たぶん直ぐに他の人に売ることが出来、本来の檀家が増える方が長い目で見て良いのだろう。
我が家も、二つの宗派の違うお墓を抱えて、自分たちの代は良いとしても、次の代には引継ぎづらく、今回の処置でホットした。

茨城の市役所に改葬許可証の発行をお願いしたり、まあ色々とあったが、それほど手間は掛からず、何よりも、お寺が許可証の発行など、協力的なので助かった。
やはりお寺は確実な檀家が重要なのだろうと思った。

最近の我が家のエピソードではある。

(関連記事)
20万円でお墓を大リフォームした話 
「お寺が減っていく」  

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2025年7月 3日 (木)

宮尾登美子の「朱夏」を読んで

宮尾登美子の「朱夏(しゅか)」を読み終わって、心にずっしりとした何かが座った。
新潮文庫の解説にはこうある。
「渡満、敗戦、引揚げ。死を覚悟した五百三十日の苛烈な旅。
宮尾登美子の原点となった、昭和21年、満州で見た地獄を描く。
250703miyaosyuka 『櫂』『春燈』から『朱夏』へ。さらに『仁淀川』へと続く、自伝的長編の第三幕。

果してまだ、日本はあるのだろうか……?同郷の土佐から入植した開拓団の子弟教育にあたる夫、生後まもない娘と共に、満州へ渡った綾子は十八歳。わずか数カ月後、この地で敗戦を迎えることになろうとは。昨日までの人間観・価値観は崩れ去り、一瞬にして暗転する運命、しのび寄る厳寒。苛酷無比の五百三十日を熟成の筆で描き切る。
『櫂』『春燈』から『仁淀川』へと連らなる宮尾文学の一大高峰。」ここより)

この作品は文庫で700頁にも及ぶ長編。その中に1年半に及ぶ満州からの逃避行が克明に描かれており、読んでいて息苦しくなるほど。
まさにこの作品は体験者でなければ書けない自伝。しかも17歳という若さで赤ん坊を抱えての体験。
巻末の解説にこんな言葉もある。
「『朱夏』は宮尾氏の帰還から数えて34年の歳月を経て書き始められた。宮尾氏は随筆の中で、満州体験は自分の小説の原点であり、この体験を娘に書き残しておいてやろうと決心したのが小説を書く始まりであった、と叙している。」

この小説(体験)の中には先に逃げた関東軍のことは出て来ない。あくまで現地のその時の目線であるため、そもそもその情報が無いのである。情報が何も無い中での地獄。
この小説には数々のエピソードが出てくる。ある意味、日々の出来事の羅列。しかし読んでいて飽きが来ない。どれも胸に迫ってくる。これは実体験から来るリアリティのせいかも知れない。

満州開拓団の逃避行については藤原ていの「流れる星は生きている」が有名で自分も読んだ。またその娘さんの「新田次郎/藤原ていの娘・藤原咲子氏の数奇な人生」(ここ)という記事も昔に書いた。

もう戦争はこりごり。と思っても、今なお世界では日常的に戦争をしている国がある。そしてTVでは、まさに満州からの引き揚げ者と同じように、難民として飢餓に苦しんでいる人たちの姿が流れている。何という世界か・・・!

相変わらず毎日小説ばかり読んでいる。読書リストを付け始めて7年余。800冊近くになった。そして相変わらず、ひとりの作家について読み始めると、つい「全部」読んでみたくなる。
最近は女流作家に凝っている。1年ほど前に高田郁に凝ったが、5月に自分の大好きなNHKのドラマ「蔵」(ここ)の録画を再度見たのをきっかけに、オリジナルの小説を読んでみる気になり、宮尾登美子の「蔵」を読んだ。
これが結構面白かったので、つい他の作品も読んでみたくなり、また集めてしまった。宮尾作品を15冊ほど集めて今読んでいる最中だが、さすがに宮尾登美子の作品は多いため、とても全部は無理だ。
それに昔読んだことを思い出して、山崎豊子の本も10数冊集めてしまった。これも続いて読んでみようかと思っている。
相変わらず、小説三昧の日々ではある。

●メモ:カウント~1460万

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