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2025年6月 3日 (火)

小野寺時夫著「私はがんで死にたい」を読んで

もし人間が死を選択出来るのであれば、医師はがんを選択するらしい。という話は前から聞いていた。
今日は、そんな医師が、その主張通りの死を迎えられるのか?という話である。
結論は、やはり「その時々の状況で、判断は変わってくる」ということか・・・

250603gande0 先日(2025/05/31)新聞の広告で「私はがんで死にたい」という本が出ていることを知った。ちょっと興味をそそられ、Amazonで買って読んでみた。
この本は2012年6月に出た本の新装版。データは古いにしても、考え方は今でも通じる。

250603gande 本の帯の解説にはこうある。
「がんだけは絶対に嫌だ、という人は多い。だが2人に1人がこの病気になり、3人に1人が亡くなる。
著者は長年、外科医としてがん拠点病院で活躍。その後ホスピス医として3000人の末期がん患者と接した経験から医療の過剰な介入(幾度もの手術、抗がん剤)に疑いを持ち、むしろ「がん死」こそが人間に相応しいと考えるに到る。
がんでも穏やかに最期を迎えるには、何をどう準備すべきか。
がんで亡くなった愛妻の最期を告白し、「人ががんで死ぬ」25の実例を挙げ、死に方、終末医療のあり方を示す。名著、待望の復刊。序文・久坂部羊。」

筆者は、40年以上に亘って都立駒込病院、都立府中病院(現多摩総合総合センター)などで消化器がんの外科治療に携わり、その後10年以上に亘って、日の出ケ丘病院で死の前年までホスピス医として働いていたという。
氏が言いたいことは、本の目次に並んでいる。

250603gande1 250603gande2 250603gande3 250603gande4

そこで語られていることは、
●高度進行がんになったら手術は受けません
●抗がん剤治療も受けません
●体力のある間に、自分のやりたいことをします
●在宅で最期を迎えるのが第一希望ですが・・・
●入院するならホスピスにします
●痛みなどの苦痛は十分とってもらいます
●食べられなくなっても点滴輸液は受けません
●認知症になる前に依頼しておくこと
●臨終に近づくときは、そっとしておいてもらいたい、
●安らかな死を妨げるのは最終的には心の痛み

著者はこの本を書いた7年後の2019年に亡くなったが、その時の状況を本書の最後に、娘さんが「あとがき」として記している。少し抜粋すると・・・

「そんな父にとって一大転機となったのは、57歳のとき咽頭がんになったことだと思います。幸いこのときは完治したのですが、父にとってはそれまでの仕事漬けの生活を考え直す機会になったようです。管理職になって受け持ちの患者がいなくなり、時間に余裕ができたことも大きかったかもしれません。
・・・
父は87歳のとき、再びがんになりました。今度は大腸がんで、肺転移と間質性肺炎を併発していました。父は消化器外科が専門ですが、不審に思っても、「医者の不養生」の言葉どおり自分の体のことは二の次だったようで、最後はみずから直腸を触診して気が付いたようです。後輩にあたる駒込病院の高橋慶一先生に検査を依頼したところ、やはりがんが見つかりました。
この本には「がんになっても手術はやりすぎてはいけない」と書いた父ですが、後輩であり、駒込病院の消化器外科で大腸の部長をなさっていた高橋先生のことはたいへん信頼していましたので、開腹手術をしていただき1週間ほど入院しました。予定より早めに退院し、自宅に戻ってからは庭の手入れをしたりし、病院の仕事にも復帰しました。
がんで3度目の入院をする88歳のときまで、父は週1度、やはり後輩の医師が経営していた静岡県富士市の病院まで新幹線で通勤していました。また、日の出ヶ丘病院のホスピスでも週に2日勤務しており、ビジネスホテルで1泊して戻って来るという生活を続けていたのです。開腹手術の後はCTなどの検査を行いつつ経過を見ましたが、1年後に両肺野部に転移が見つかり、胸腔鏡の手術を3度に分けて行いました。
父自身、肺転移があった段階で死の覚悟をしていたと思います。自宅でモーツァルトの「レクイエム」を大きな音量で聴いていたこともありました。
・・・
父の最後の日々は、すべてがこの本に書いたとおりというわけではありませんでしたが、抗がん初は最後まで投与を受けませんでしたし、「葬式はするな」とも言われたので、そのとおりにしました。」

抗がん剤はやらなかったものの、手術は受けたという。
やはり健康なときに考えていたことでも、いざその時になると、周囲条件も変わり、判断は変わるもの。
それはそれで良いのだと思う。
全ては自分の命。それへの判断は、いつどう変わっても良いのだと思う。

同じような話で、10年ほど前に「「どうせ死ぬなら『がん』がいい」中村仁一×近藤誠著」(ここ)という記事を書いた。
近藤誠氏は「がん放置療法」で有名だったが、73歳で虚血性心不全で亡くなったという。
がんでは無かった・・・

またまた話は飛ぶが、前に「「死にともない」の仙厓和尚」(ここ)という記事を書いた。
そこにこんな言葉が・・・
「仙厓和尚は、禅僧としてすばらしいキャリアをつみ、当時としてはスーパー長寿の88歳で臨終を迎えたのだから、最後のお言葉をと申し出た弟子たちは立派な遺偈(ゆいげ)がきけるものと思ったにちがいない。そこへ「死にたくない」の一言。弟子たちは驚いたが、いかにも仙厓和尚らしい。」

生前、どんな理屈をこねていても、自分がいざその時になったら、理屈などどこかにいってしまうもの。
前に書いた「訪問診療医 岡山容子さんの話」(ここ)もそうだが、この所、妙にこのような話が気になるこの頃である。

(付録)
この2月に七回忌をした兄。
生前こんな事を言っていた。「検査をして治るならするが、治らないなら調べない」
今になって、やはりこのスタンスが気になる。
この本の著者も、がん検査を受けないスタンス。
結果として、ガンになって発見されたときは既に手遅れ。
つまり、抗がん剤治療などをしないで死んでゆく。
後期高齢者になったら、自然に任せ、がんを調べない、という考え方も有りでは無いかとも思う・・・

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