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2025年6月 7日 (土)

中西龍アナウンサーの「にっぽんのメロディー」

夜中に目が覚めたとき、時間が惜しいので、録ってあった「ラジオ深夜便」を聞く事がある。昨夜もそれを聞いていると、「中西龍」という名が出て来たので、つい聞いてしまった。
それは2025年5月24日放送の「アナウンサー百年百話「語りの世界と向き合う~中西龍・語りの世界」(初回放送2024/12/11ラジオ第2)」ここ)という番組だった。

wikiを覗いてみると、この「アナウンサー百年百話」という番組は「2025年にラジオの放送開始100年を控え、歴代のNHKのアナウンサーの証言を基に放送の100年を振り返るもので、新たな音源に加え資料の掘り起こしに取り組むと共に、いろんなメディアと連携・展開すると共に、「NHKの貴重な財産」を社会還元するもの」という主旨らしい。

<「アナウンサー百年百話「語りの世界と向き合う~中西龍・語りの世界」(2025/05/24放送)>

この「にっぽんのメロディー」の流れるような中西節が何とも懐かしい。
「(♪「赤とんぼ」)
歌に思い出が寄り添い、思い出に歌は語りかけ、そのようにして、歳月は静かに流れていきます。こんばんは。にっぽんのメロディーです。
熊本県山鹿市の〇〇さん。こんばんは。おはがき、拝読いたしました。ありがとうございます。「毎日欠かさず15分間楽しく聴いておりますので、そばにいるようです」と。
私があなた様のおそばにいるという風にお感じになってくださっていて、本当に光栄に思っております。ご希望は和田弘とマヒナスターズです。この歌でございますよね、〇〇さん。松平直樹作詞、中山晋平作曲、「男の夜曲」。
(♪「男の夜曲」)」

「(♪「赤とんぼ」)
「含羞(がんしゅう)や 豪雪の屋根 夕焼けて」〇〇(ペンネーム)。
“含羞や”は、“はじらいや”と読むのかもしれません。豪雪地帯です。来る日も来る日も雪ばかり。なんだってこんなに降らなきゃいけないのかと、雪に向かってどなりつけたい思いに駆られるほど降っていた雪がすっかり止んで、今日は珍しく一日中良いお天気でした。美しい夕焼けが、何十センチにも積もった雪に美しく映えています。というより、それは「あまりに降りすぎてごめんなさいね。私恥ずかしくて」とそう言いながら、雪自身がはにかんでいるように見えます。どの家からも晩御飯の支度をするいい匂いが流れています。さて、このお宅はどんなお料理を作るんでしょうか。当マイクロホンがもしこの家の主婦でありましたなら、大根を薄く切り、それに白菜、白滝、しいたけ、豆腐、鶏肉、そうした水炊きにするかもしれません。もちろん、ご主人には熱かんのおちょうし2、3本の用意は忘れないと思います。
「含羞や 豪雪の屋根 夕焼けて」〇〇(ペンネーム)。
さようなら。」ここより)

中西龍の「にっぽんのメロディー」については、昔当サイトに書いた事がある。探してみると2008年8月3日付の「中西龍の「にっぽんのメロディー」と「ちいさい秋みつけた」」ここ)という記事で、もう20年近く前の記事だった。
この記事では、一緒に懐かしがってくれた人が多く、そのリクエストによって、自分が持っている音源を次々とアップしたもの・・・

250607nakanishi ググってみると、同じく中西龍の「ひるのいこい」の収録風景が見られる(ここ)。

「ひるのいこい」についても、音楽が懐かしく、前に挙げたことがあった(ここ)。
どれも、自分が実際にナマで聞いていた番組では無いのだが、でも懐かしい。
しかし今、中西さんの姿を見ると、ちょっと怖いので、ラジオ向きであってテレビ向きでは無いかも??(失礼!)

2025年の今年は、ラジオが始まって100年だという。
「ラジオ放送の開始は1925年3月22日、NHKの前身である東京放送局(JOAK)が、東京芝浦の東京高等工芸学校の仮スタジオから「ああ、あー、聴こえますか。」と第一声を発信しました。この第一声は、当時主流だった鉱石ラジオの調整を促すものでもありました。NHKは、この日を放送記念日としています。」

自分の人生は、小学校低学年のブリキのオモチャの「ロボット」、そして高学年の鉱石ラジオから始まったと言って良く、いまだに「通信型受信機」(ここ)と聞くと心がうずく。

しかし「ラジオ第2」が来年2026年3月末で停波することが決まっているように、ラジオの時代も終焉に向かっている。
こんな番組を聞きながら、懐かしさと共に、自分の人生もそろそろ終焉かな?と思うこの頃である。

(関連記事)
中西龍の「にっぽんのメロディー」と「ちいさい秋みつけた」 

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