小澤征爾の「100年インタビュー」より
あれよあれよという間にもう年末である。
先日、いつも聞いている「カルチャーラジオ 保阪正康が語る昭和人物史」を聞いていたら、小澤征爾を特集していた。
その中で、2009年6月25日にBSで放送された「100年インタビュー 小澤征爾~西洋音楽と格闘した半世紀~」を取り上げていたが、指揮についての興味深い話だった。
<「保阪正康が語る昭和人物史~小澤征爾」2(2024/12/09放送)>
指揮者の小澤征爾は昭和34年フランスのブザンソン指揮者コンクールで優勝したあと、カラヤンやバーンスタインに学び、26歳でニューヨーク・フィルの副指揮者に就任。日本では山本直純とともに新日本フィルを立ち上げ、国内外で目覚ましい活躍をしていきます。平成21年6月にBSで放送された「100年インタビュー 西洋音楽と格闘した半世紀」では指揮者の役割とは何か、また人を育てることの大切さについて語っています。(ここより)
<「保阪正康が語る昭和人物史~小澤征爾」3(2024/12/16放送)>
指揮者の小澤征爾は昭和48年、38歳の時にボストン交響楽団の音楽監督に就任し29年に及ぶ任期を務めました。その後平成14年67歳で東洋人初のウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任して、世界のオザワとして名声を広めていきました。平成21年6月にBSで放送された「100年インタビュー 西洋音楽と格闘した半世紀」では、音楽の真髄を追求する指揮者の勉強や、人間の感情を表現する音楽の方法について語っています。(ここより)
小澤征爾が亡くなったのは今年の2月6日。当時自分も「小澤征爾さん死去~1972年の日フィルとの「復活」」(ここ)という記事を書いた。
上の12月9日の放送で、小澤さんが「運命」の冒頭の“ダダダダー”を例に、説明されていたが、自分も最も分かり易い例として、「運命」の冒頭が指揮者によって、また同じ指揮者でも時期によって、こんなにも違う!と、71の音源を集めて、記事を書いたことがあった(ここ)。
我ながら凝ったものだ。
年末といえば、上野の東京文化会館で大晦日に行われる「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏」を思い出す。
自分も2012年と2013年の大晦日の2回行った(ここ)。翌日の2014年1月1日にお袋が亡くなったので、鮮明に覚えている。あれからもう11年も経ったが、それ以来行っていない。この名物コンサートも、今年は第22回だという。よくも続いているものだ。
本当は自分も、一年の総決算で毎年行きたいところだが、何せ片耳がダメなので、行かなくなってしまった。
年末といえば「第九」。それも最近は聞かなくなってしまった。
ふと、クラシック音楽で自分が一番よく聞いているのは何かな?と思い出してみると、いわゆる「ウラニアのエロイカ」だ。
他の演奏、たくさんの音楽の音源はあるが、なぜかこの演奏ばかり聞いている。
まさに小澤さんの言っていた、音符の奥にある何かが、自分にフィットしているのだろうと思う。
この放送を機に、今年亡くなった小澤征爾を思い出した年末ではある。
上の放送の1回目の「「わたしが子どもだったころ スペシャル 指揮者 小澤征爾」(2009年6月3日放送)からの番組も下に置いておきます。
<「保阪正康が語る昭和人物史~小澤征爾」1(2024/12/02放送)>
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