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2024年11月の4件の記事

2024年11月29日 (金)

「欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか」

いつもヒマさえあれば覗いている「Yahoo!ニュース」。
今朝も覗いていたら「マイナ保険証利用の患者、電子カルテを病院間で共有へ…病歴や検査結果も把握可能に」ここ)という記事があった。

241129netakiri やれやれ、やっと導入か・・・と思った。
今のマイナンバーカードのシステムでは、1ヶ月経たないと最新情報は得られないという。緊急の時などに医師が知りたいのは、今現在の患者の情報。よって、たぶん利用する病院は皆無だろう。
しかし改善が進み、今回の「電子カルテ情報共有サービス」なるものがリアルタイムで稼働することになると世界は変わる。
思い出すと、2年ほど前に近くの大学病院で心臓のカテーテル手術を受けたが、その時の履歴の聞き取りは細かかった。薬手帳はもとより、アレルギーの状態やあらゆる過去の病歴を聴取された。それらが今後、カルテで即時に確認できれば、患者にとっても安心。

おっと、ここからが本題。
上の記事の下部に、関連記事として「欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか」という文字が目に付き、たたいてみた。すると2012年6月20日付けの10年以上前の記事だが、なかなか唸る記事が載っていた。曰く・・・

欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか
 ヨーロッパの福祉大国であるデンマークやスウェーデンには、いわゆる寝たきり老人はいないと、どの福祉関係の本にも書かれています。他の国ではどうなのかと思い、学会の招請講演で来日したイギリス、アメリカ、オーストラリアの医師をつかまえて聞くと、「自分の国でも寝たきり老人はほとんどいない」とのことでした。一方、我が国のいわゆる老人病院には、一言も話せない、胃ろう(口を介さず、胃に栄養剤を直接入れるため、腹部に空けた穴)が作られた寝たきりの老人がたくさんいます。
 不思議でした。日本の医療水準は決して低くありません。むしろ優れているといっても良いくらいです。

 「なぜ、外国には寝たきり老人はいないのか?」
 答えはスウェーデンで見つかりました。今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでした。
 その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。
 ですから日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。寝たきり老人がいないのは当然でした。

欧米が良いのか、日本か
 さて、欧米が良いのか、日本が良いのかは、わかりません。しかし、全くものも言えず、関節も固まって寝返りすら打てない、そして、胃ろうを外さないように両手を拘束されている高齢の認知症患者を目の前にすると、人間の尊厳について考えざるを得ません。
 家内と私は「将来、原因がなんであれ、終末期になり、口から食べられなくなったとき、胃ろうを含む人工栄養などの延命処置は一切希望しない」を書面にして、かつ、子供達にも、その旨しっかり伝えています。(宮本顕二)」ここより)

自分終末期については、当blogにも過去何度も書いてきた。
結論はいつも同じ。延命治療はしない。

よく言われるように、日本の病院は延命が使命。何が何でも延命のための処置をする。
脳溢血で倒れた時、救急車を簡単に呼ばないで!ともよく言われる。救急車、及び運び込まれた病院では、何が何でも延命をするのが仕事だから。

年末が近くなってきて、欠礼ハガキが届くようになってきた。世代的に、どれも90歳を超えて亡くなったと思われる。しかしどのような状態で亡くなったかは分からない。
自身を考える。
90歳を超えても、なおベッド縛られて命を長らえることに何の意味があるのかと、改めて思う。
やはり人生は、自分のちゃんとした意識があるうちが自分の人世では?
意識が無くなって、ただただ心臓が動いている植物人間の状態は、もはや自分の人生ではない。つまり、上の記事の欧米の考え方に心から賛同してしまう。
まだ喜寿なのでもう少し人生を楽しみたいとは思う。しかし、いつかは「もういいか」と思える時期が来る。その時、突然「ウッ!」と心臓が止まることを期待しているのだが・・・

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2024年11月19日 (火)

北原ミレイの「白い花」

だいぶん前だが、近くの道の駅で駐車の順番を待っている時、カーステレオから流れてきた歌に「オッ!これは・・・!」と思った。

家に帰って調べてみると、その歌は北原ミレイの「白い花」だった。そして自分もその音源を持っていた。前に録音していた音源も、久しぶりに聞くと、改めて“見直す”こともあるのだ。

<北原ミレイの「白い花」>


「白い花」
  作詞・作曲:山崎ハコ

私の目の前の白い花
人目にもつかず 咲いているけれど
幸せそうに ほほえんで
香りを漂わせる
できることなら この指で
お前を摘んでしまいたい
あの人の心に 誇らしく
咲いてる お前を

白い花びら はにかんで
とてもきれいに見えるわ
お前のように 咲きたかった
あの人の心の中に
ひそかに きれいに咲くがいい
美しい白い花よ
あの人といっしょに生きて行け
あの人をなぐさめながら

お前をみつめて 生きて行く
私の気持ち知らないで
私にやさしいほほえみを
かえす 白い花
ひそかにきれいに 咲くがいい
ほほえむ 白い花よ
あの人といつまでも生きて行け
あの人をなぐさめながら

241119shiroihana この歌は、ちょうど15年前にも「山崎ハコの「白い花」と「こころの花」」というタイトルで挙げている(ここ)。
山崎ハコ盤が1976年5月の発売というから、この北原ミレイ盤の1976年12月発売は、オリジナルの半年後の発売ということになる。
JASRACのデータベースを見ると他に研ナオコが歌っているようだ。

山崎ハコ盤はギターの伴奏だが、この北原ミレイ盤は、オーケストラ。
自分はギターの伴奏は基本的に好きだが、この歌については、この北原ミレイ盤の編曲が好ましい。
竜崎孝路の編曲。どうと言うことの無い編曲だが、何か自然で心に沁みる。
また歌い方が、山崎ハコ盤は厳しいが、この北原ミレイ盤は自然な歌い方。
単純なメロディーではあるが、なぜか心に残る北原ミレイの「白い花」ではある。

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2024年11月10日 (日)

司馬遼太郎の「街道をゆく」の再スタート

1年ほど前に司馬遼太郎を休んで、他の作家に浮気した。池波正太郎、松本清張、そして上田秀人と高田郁など。
数日前から司馬遼太郎に戻った。やはり最近の作家は、どうも自分にマッチングしないと悟ったから・・・?
「街道をゆく」も13巻の「壱岐・対馬の道」で止まっていたが、続きを読み始めた。今回は第14巻「南伊予・西土佐の道」である。
全43巻のうちの20冊目になる。(最近は発行年順に読んでいる)
それが改めて面白い!読んでいてワクワクするのである。
1冊を2日かけて読む。スピートは気にしない。
タブレットのGoogle Mapで、司馬さんの歩いた場所を確認しながら読んでいる。
Google Mapは非常に便利で、名所毎に皆が投稿した写真が載っている。よって、それを眺めながら読むと、よりリアル。もちろん司馬さんが訪ねた時期とは半世紀近くのズレはあるが、自然の風景はそれほど違わない。

いままでの小説とは違い、まさに「精読」。一文字毎にじっくりと読む。
文庫を読み終えると、NHKの番組を見る。「NHKスペシャル 街道をゆく」の第1シリーズ(全6話)、第2シリーズ(全6話)、第3シリーズ(全48話)である。
NHKでは4Kでの「新・街道をゆく」も5回まで放送されている。

このNHKの番組が良い。文字の世界を、実際の風景で確認させてくれる。
そして「司馬遼太郎の風景」という、この番組制作者の「NHK街道をゆくプロジェクト」による本で番組の背景などを確認。
その次は、昔出た「朝日ビジュアルシリーズ」という写真週刊誌の当該巻を読み、最後は「司馬遼太郎の街道」などのムックで締めくくる。
241110kaidounogenten ムックは最新刊では「司馬遼太郎「街道」の原点」という本が出たばかり。
これは週刊朝日が休刊になったあと、「歴史道」に移ったが、当時の同行編者だった村井重俊氏が、司馬遼太郎の歩いた道を再訪しながら書いている。それがまとめてムックとなったもの。この発刊は実に有り難い。

つまり、1巻の文庫が、かくも広く楽しめる。まさに、自分もその街道を歩きながら、それらの歴史に触れられる。
そして、各所に文庫の本文が引用されるが、それらの文が、直ぐに思い当たる。
つまり「精読」しているので、各文章が頭に残っている。読み飛ばしの小説とはここが違う。

ふと高校時代を思い出す。特に歴史の教科書では、何度読んでもまったく頭に入らなかった。しかし司馬さんの独特の文章は味わい深く、頭に残る。

司馬さんの本は小説を筆頭に、ほとんど買ってある。
「街道をゆく」の残り半分をはじめ、しばらくはじっくりと司馬ワールドを楽しめそうである。

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2024年11月 2日 (土)

「パレスチナ・イスラエル対立の背景と希望」慶大教授 錦田愛子氏の話

中東問題は難しい。良く分からない。
2023年10月7日にパレスチナのイスラム組織ハマスがイスラエルに大規模な襲撃を仕掛け、イスラエルがガザ地区への大規模な攻撃を始めてから1年。
ガザ地区は壊滅状態になり、死者は少なくとも4万1000人に上っており、激しい攻撃はいまも続いている。
この背景は何か?どうしてこんな戦争が続いているのか?断片的なニュースを聞いても、自分には良く分からない。

自分が愛聴しているNHKラジオ第2の「カルチャーラジオ」。
その「日曜カルチャー」で、慶応大の先生が「パレスチナ・イスラエル対立の背景と希望」と題して4時間に亘り解説してくれている。

<第1回「紛争の発端」慶大教授 錦田愛子>(2024年10月6日放送)

パレスチナとイスラエルの対立は、なぜここまで激しくなったのか?その背景について全4回にわたり慶應義塾大学教授の錦田愛子さんが語ります。2023年10月に始まった、イスラエルとガザのパレスチナ武装勢力との衝突は、今もまだ続いています。しかし、エルサレムという土地はもともとイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地で、かつては対立もなく共存できていたといいます。第1回は紛争の発端を歴史的観点から考えます。ここ

<第2回「転機としての第三次中東戦争・アメリカの進出と入植事件」慶大教授 錦田愛子>(2024年10月13日放送)

第2回は1967年に勃発した第三次中東戦争を取り上げます。当時、イギリス・フランスの中東地域の支配力が衰退すると、アラブ諸国は次々に独立を果たしていきます。その独立した国の一つ、エジプトはイスラエルに対しチラン海峡を封鎖、これを契機に第三次中東戦争は発生します。慶應義塾大学教授の錦田愛子さんは、中東地域がまさに激動の時代を迎える転機だったと考えます。今回は同時にアメリカの進出についても解説します。ここ

<第3回「オスロ合意はなぜ失敗したのか・対話の枠組みが残した成果」慶大教授 錦田愛子>(2024年10月20日放送)

第3回「オスロ合意はなぜ失敗したのか・対話の枠組みが残した成果」と題して、慶應義塾大学教授の錦田愛子さんが解説します。1987年、パレスチナのガザ地区で起こったある交通事故がきっかけとなって、インティファーダ(民衆蜂起)が勃発、国際社会の注目がパレスチナに集まります。そして、さまざまな和平への取り組みの末、イスラエルとパレスチナの間でオスロ合意が結ばれました。しかし、その後決裂することになります。ここ

<第4回「なぜ『10.7』は起きたのか・長期化した封鎖の人々への影響」慶大教授 錦田愛子>(2024年10月27日放送)

第4回「なぜ『10.7』は起きたのか・長期化した封鎖の人々への影響」では、去年10月7日に起きたハマスのイスラエル襲撃について、過去20年ほどの経緯から振り返ります。2006年パレスチナ立法評議会選挙におけるハマス政権の誕生は、国際社会にとって予想外の出来事だったといいます。「二重政府状態」「パレスチナの政治的孤立」「トランプ政権の影響」などをキーワードに慶應義塾大学・錦田愛子教授が読み解きます。ここ

日本国憲法の前文にこうある。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
しかし近隣の独裁国家は、いまだに武力で領土拡大を画策している。
もはや「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」している場合では無いのかも知れない。
幾ら国民が戦争はイヤだと言っても、その国の独裁者によって、国民の声は抹殺されている現実は否定しようも無い。

ロシア・ウクライナや、イスラエル・パレスチナの問題から目を背けるのは簡単。
でも、せめて現実を直視して、世界で何が起こっているのか、関心だけは持つことがせめてもの罪滅ぼしかも知れない。

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