「欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか」
いつもヒマさえあれば覗いている「Yahoo!ニュース」。
今朝も覗いていたら「マイナ保険証利用の患者、電子カルテを病院間で共有へ…病歴や検査結果も把握可能に」(ここ)という記事があった。
やれやれ、やっと導入か・・・と思った。
今のマイナンバーカードのシステムでは、1ヶ月経たないと最新情報は得られないという。緊急の時などに医師が知りたいのは、今現在の患者の情報。よって、たぶん利用する病院は皆無だろう。
しかし改善が進み、今回の「電子カルテ情報共有サービス」なるものがリアルタイムで稼働することになると世界は変わる。
思い出すと、2年ほど前に近くの大学病院で心臓のカテーテル手術を受けたが、その時の履歴の聞き取りは細かかった。薬手帳はもとより、アレルギーの状態やあらゆる過去の病歴を聴取された。それらが今後、カルテで即時に確認できれば、患者にとっても安心。
おっと、ここからが本題。
上の記事の下部に、関連記事として「欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか」という文字が目に付き、たたいてみた。すると2012年6月20日付けの10年以上前の記事だが、なかなか唸る記事が載っていた。曰く・・・
「欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか
ヨーロッパの福祉大国であるデンマークやスウェーデンには、いわゆる寝たきり老人はいないと、どの福祉関係の本にも書かれています。他の国ではどうなのかと思い、学会の招請講演で来日したイギリス、アメリカ、オーストラリアの医師をつかまえて聞くと、「自分の国でも寝たきり老人はほとんどいない」とのことでした。一方、我が国のいわゆる老人病院には、一言も話せない、胃ろう(口を介さず、胃に栄養剤を直接入れるため、腹部に空けた穴)が作られた寝たきりの老人がたくさんいます。
不思議でした。日本の医療水準は決して低くありません。むしろ優れているといっても良いくらいです。
「なぜ、外国には寝たきり老人はいないのか?」
答えはスウェーデンで見つかりました。今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでした。
その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。
ですから日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。寝たきり老人がいないのは当然でした。
欧米が良いのか、日本か
さて、欧米が良いのか、日本が良いのかは、わかりません。しかし、全くものも言えず、関節も固まって寝返りすら打てない、そして、胃ろうを外さないように両手を拘束されている高齢の認知症患者を目の前にすると、人間の尊厳について考えざるを得ません。
家内と私は「将来、原因がなんであれ、終末期になり、口から食べられなくなったとき、胃ろうを含む人工栄養などの延命処置は一切希望しない」を書面にして、かつ、子供達にも、その旨しっかり伝えています。(宮本顕二)」(ここより)
自分終末期については、当blogにも過去何度も書いてきた。
結論はいつも同じ。延命治療はしない。
よく言われるように、日本の病院は延命が使命。何が何でも延命のための処置をする。
脳溢血で倒れた時、救急車を簡単に呼ばないで!ともよく言われる。救急車、及び運び込まれた病院では、何が何でも延命をするのが仕事だから。
年末が近くなってきて、欠礼ハガキが届くようになってきた。世代的に、どれも90歳を超えて亡くなったと思われる。しかしどのような状態で亡くなったかは分からない。
自身を考える。
90歳を超えても、なおベッド縛られて命を長らえることに何の意味があるのかと、改めて思う。
やはり人生は、自分のちゃんとした意識があるうちが自分の人世では?
意識が無くなって、ただただ心臓が動いている植物人間の状態は、もはや自分の人生ではない。つまり、上の記事の欧米の考え方に心から賛同してしまう。
まだ喜寿なのでもう少し人生を楽しみたいとは思う。しかし、いつかは「もういいか」と思える時期が来る。その時、突然「ウッ!」と心臓が止まることを期待しているのだが・・・
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