高田郁「あきない世傳 金と銀」が最高に面白かった
6年半前に藤沢周平から始まった読書の趣味。それが今日、666冊になった。
その中で、今回読んだ高田郁の「あきない世傳 金と銀」(全13巻+特別巻2冊)が最高に面白かった。
先日書いた「高田郁の「みをつくし料理帖」と上田秀人の「奥右筆秘帖」を読む」(ここ)の記事中で下記のように書いた。
「発行数が少ないだけに、シリーズものは「あきない世傳 金と銀シリーズ」全15巻の2つしか無い。まあこれも買っておいたが、さていつ読もう。
売れている作家ということで、読んではみたが、今まで読んだ藤沢周平や山本周五郎、清張、そして司馬遼太郎などの本に比べ、読後感が何か軽い印象。薄い印象。
まあ買ってしまったシリーズは一応は読むが、やはり大作家の本に戻ろうと思うこの頃である。」
これ、全面的に訂正。「高田郁という作家は素晴らしい!!」
今までに読んだ本はExcelに記録している。そして読んだ後、5点満点で自分なりに評価している。それで、読んだ冊数の多かった作家の評価点の平均を出してみた。すると、
高田郁 5.15
池波正太郎 4.81
司馬遼太郎 4.67
松本清張 4.63
上田秀人 4.38
藤沢周平 3.86
山本周五郎 3.84
佐伯泰英 3.82
夏目漱石 3.47
つまり、高田郁は5点満点の「満点」を超えているのである。
読後、5点を付けるには忍びない。5点を超えている!6点だ!と思った本が多かったということ。
それだけに読む速度も違った。1日1冊ペースで読んだ。
初期に面白かった2018年に読んだ佐伯泰英の「居眠り磐音」が、2日に1冊のペースだったのに・・・
このシリーズの最終巻は2024年2月29日の発行。つい先日だ。
今回は、15冊を一気読みしたが、発行年を振り返って見ると、発行は半年に1冊のペースだったらしい。つまり昔からの高田ファンは、半年ごとに1冊ずつ読んでいた訳で、その道程は長かったろう・・・
改めてストーリーを確認すると、第1巻の説明にこうある。 「物がさっぱり売れない享保期に、摂津の津門村に学者の子として生を受けた幸。父から「商は詐(いつわり)なり」と教えられて育ったはずが、享保の大飢饉や家族との別離を経て、齢九つで大坂天満にある呉服商「五鈴屋」に奉公へ出されることになる。
慣れない商家で「一生、鍋の底を磨いて過ごす」女衆でありながら、番頭・治兵衛に才を認められ、徐々に商いに心を惹かれていく。果たして、商いは詐なのか。あるいは、ひとが生涯を賭けて歩むべき道か―――大ベストセラー「みをつくし料理帖」の著者が贈る、商道を見据える新シリーズ、ついに開幕!」
ちなみに「世傳」をChatGPTで聞くと「世傳(せいでん)は、特定の家系や一族に伝わる歴史や伝承を指します。これには、家族の起源、重要な出来事、先祖の業績などが含まれ、世代を超えて口伝や文書として伝えられることが一般的です。日本の武家や貴族、特定の地域の伝承などにおいて特に重要視されることがあります。世傳はその家系や文化のアイデンティティを形成する要素ともなります。」とあった。
この言葉、知らなかった・・・。なるほど、呉服商「五鈴店」の歴史だ。
舞台が呉服屋なので、絹や木綿についての記述は詳しい。相当に勉強しながら執筆したのだろう。だから半年に1冊?
しかし登場人物の年齢設定や人物相関の不自然さは残った。例えば登場人物の2人が104歳で亡くなったとか、お竹が92歳で現役でまだ店で働いていたり・・・
そして主人公の4度の結婚。兄弟3人と結婚し、最終的には店主の主人公が年下の手代と。
脱線だが思わぬ収穫も??
つまり旧暦の和風月名を覚えてしまった。
1月:睦月(むつき)2月:如月(きさらぎ)3月:弥生(やよい)4月:卯月(うづき)5月:皐月(さつき)6月:水無月(みなづき)7月:文月(ふみつき)8月:葉月(はづき)9月:長月(ながつき)10月:神無月(かんなづき)11月:霜月(しもつき)12月:師走(しわす)
この小説ではすべて旧暦の月名なのである。それでつい覚えてしまった。それでないと、時間の経過が分からない・・・。
これも脱線だが、出てくる言葉で、子どもの頃の風景も思い出してしまった。
例えば「洗い張り」という言葉。
小学校低学年の頃、現在のさいたま市の与野に住んでいた。その頃、よくお袋が「洗い張り」をしていた。
着物をバラして洗い、元の反物に戻してのり付けして、細長い反物の状態で伸(しんし)針で幅を伸ばした状態で干す。
その光景がいまだに目に残っている。
そして「火鉢」なんていう言葉が出てくると、昔与野の家にあったな・・・とか思い出して・・・。
ともあれ、チャンバラではない時代小説にはまった。
しかし高田郁は寡作の作家。まずはあと4冊を手に入れた。
しかし、あと4冊でオワリかと思うと残念だ。
まだまだ時代小説の世界は広いな、と感じたこの頃である。
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