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2024年7月の3件の記事

2024年7月23日 (火)

手術か温存(放置)か?

このところ命に直接影響のない病状の手術について考えている。
命に直接影響のある病気や、日常生活に影響のある病気についての手術は、もちろん受けるしかない。手術一択である。

12年ほど前、息子が「発作性上室性頻拍」を発症。先天的だという。診察を受けた大学病院の教授は「若いので、カテーテルアブレーションの手術を強く勧めます。手術をすれば、この病気の事を忘れる事が出来ます。」という助言。
結局1ヶ月順番を待って、2泊3日で手術を受けた。正味2時間のアブレーションの手術。結果は「再発の可能性は2~3%」とのことで、本人は今はもう完全に忘れている。
今考えると、この時はやはり手術一択だったと思う。

自分のことを考えると、30歳の頃肛門潰瘍で手術を受けた。親父の紹介で、都内の保険の効かない医院。人生初めての手術だったのでビビったが、この時は痛くてどうしようもなかったのでやはり手術一択。
50歳前の時、いぼ痔でやはり手術を受けた。この時は、慣れていたので?近くの行き付けの医院で。
2度目はあまり怖くない。
この時の判断は「一時(いっとき)我慢すれば!」であった。

2度受けた心房細動のカテーテルアブレーション手術も同じ。薬でだましだましする手段もあるが、手術をすればかなりの確率で忘れることが出来る。
この時は、何度も医師の勧めがあったが手術をためらっていた。薬でごまかしていた。しかし自分の場合、心房細動を発症すると血圧が下がって苦しくなり、緊急外来に駆け込んで止めて貰うしかなく、結局手術を選んだ。この選択の判断は後悔していない。いつ発症するか分からない。という恐怖から逃れられた。

さて本題だが、先日「眼瞼下垂」の手術を受けた。
1年ほど前からまぶたのたるみが気になり、まぶたテープをしていた。つまり、まぶたの皮膚が余って、まぶたをつまむとビローンと前に傘が出来る。
一重まぶたのせいで?余った皮膚がだらりと上から瞳を覆う。それで無意識に額の筋肉でまぶたを引っ張り上げるため、額の筋肉が凝る。その対策として、毎朝まぶたをサージカルテープで眉毛の上に吊り上げる「まぶたテープ」をする事にした。これをすると、目の周りが非常に楽になった。
しかし欠点は、外出時にみっともない?
最初は外出時に外していたが、だんだんとそれも面倒になり、サングラスと帽子で隠すようになった。
手術をして、余ったまぶたの皮膚を取れば良いことは分かる。しかしテープで止めればそれで済む。大それた手術を受けるか?

転機になったのが、6月にあった同期4人のコーヒー会。そこでT君が「弟が手術を受けたが、そう大変ではなかった」と言う。
家に帰って、カミさんと話している内、急に手術を受ける気になった。それでさっそく眼科に予約。院長の診察を受けると「1時間半~2時間の手術なので、大変ではない。というのはどうか?でも、専門の大学病院の慣れた医師が丁寧にしてくれるので心配無い」とのことで、1ヶ月先の手術を予約。
そして先週末に手術を受けた。奇しくも息子が上室性頻拍の手術を受けた大学病院の、眼科の女医さん。Netを見ると、眼科で眼瞼(まぶた)の手術専門の医師というのは珍しいらしい。目の玉の手術でないので、形成外科や美容外科の範疇かと思うが、大学病院の専門医とのことで信頼。
この先生は、自分の病院での診察以外の日は、今回自分の行ったクリニックなど他の病院で手術をしているという。

正味の手術時間は両目でたっぷり1時間半。まぶたを1.5センチ幅で切ったという。一重まぶたを二重に。その方が、今後まぶたの皮膚がたるんで来た時に吸収出来るのだという。
やはり手術は甘くなかった。結構大変だった。やはりホンモノの外科手術。
今日は術後4日目だが、目の周りの内出血や腫れが、ピークを過ぎて終息の方向。
3日間は腫れると言われたが、その通り。しかしパンダの如く目の周りが真っ赤に内出血した事は予想外だった。まるでボクシングでノックアウトされた状態?(術後、目を冷やさなかったのが悪かった?)

さて、本題の本題だが、選べる病気の場合、手間はかかるが温存療法(放っておく)を選ぶべきか、それとも一気に手術をしてその問題を頭から無くすべきか?
「手術するべきか、避けるべきか、それが問題だ」!?
昔、医師の友人が言っていた。「体にメスを入れるのは出来るだけ避けた方が良い」・・・

今回の自分の場合、医師に言わせるとまだ軽症。しかし自分が手術を選択した理由はこうだ。
今はまだ良い。自分で毎朝テープを貼れるから。しかし、原因が加齢なので、たぶんこれからも症状は進む。最悪自分がホイホイになって、まぶたが目を覆ったとき、テープが出来ずに見えづらい。それが毎日。これに耐えられるか?
そして判断の決定打は、非常に珍しいまぶた手術専門の医師がやってくれること。何でも屋の形成外科医ではないので安心・・・

右耳難聴で音楽の趣味を卒業した現在、残された時間の楽しみは読書だけ。よって目は大事。
幸いなことに今は白内障などの目の病気は無い。手術も1週間の我慢。

今後も色々と発症するであろう経年劣化による体の部品の故障。今回はまぶただったが、次は??
思うに、今後も自分的には「手術で治るなら、さっさとやって忘れることにしよう」で行きそうな気がする。

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2024年7月 9日 (火)

梅棹忠夫の「民族学から見た国際理解」

毎回PCで録音して聞いているNHK第2「カルチャーラジオ 保阪正康が語る昭和人物史」。
先日の「梅棹(うめさお)忠夫」がなかなか聞き応えがあった。

<保阪正康が語る昭和人物史~梅棹忠夫(1)>

NHKのサイトの解説にはこうある。
梅棹忠夫(1)初回放送日:2024年6月17日
「文化講演会 民族学から見た国際理解」昭和56年2月1日
民族学者の梅棹忠夫は京都市西陣の生まれで、第三高等学校を経て京都帝国大学の理学部に進み、動物学を専攻します。同時に学術研究家を目指し中国などの調査隊に参加しフィールドワークにも励みました。昭和56年2月にラジオ第2で放送された「文化講演会 民族学から見た国際理解」では、世界に3000種類以上ある民族についての基本的な考え方や民族と人種の違い、また益々複雑化を極める民族間の対立について話しています。」ここより)


<保阪正康が語る昭和人物史~梅棹忠夫(2)>

梅棹忠夫(2)初回放送日:2024年6月24日
「文化講演会 民族学から見た国際理解」昭和56年2月1日、「文化勲章受章者の声」平成6年10月
民族学者の梅棹忠夫は、昭和30年に戦後初の本格的な学術調査となる京都大学の探検隊に参加し、中央アジアでの実地調査を行いました。これらの業績が認められ平成6年に文化勲章を受章します。昭和56年2月に放送された「文化講演会 民族学から見た国際理解」では、民族学の重要性について。平成6年10月の「文化勲章受章者の声」では、受賞の喜びや、21世紀に入っても激化する民族紛争について語っています。」ここより)

まず梅棹忠夫という名前が珍しい。「うめさわ」でなく「うめさお」だという。
「みんぞくがく」と聞くと、直ぐに柳田國男の名を思い出すが、こちらは「民俗学」だという。「民族学」と「民俗学」。
「民族学とは自民族以外の民族(ethnos)を研究する学問で、民俗学は自民族の言語や社会生活を調査・研究する学問です。民俗学は、日本においては河童の伝説を取り上げたことで有名な『遠野物語』の著者・柳田國男によって始められた学問として知られています。」ここ)とのこと。

この「民族学」の梅棹忠夫という名は初めて聞いた。しかしその業績は大変なもの。
世界60カ国を訪問し、著作は240冊に及ぶという。

上の放送の気になった言葉を少しメモしてみると・・・
「世界には3000の民族がある。
国境線を重視する政治的地図とは別に、民族の分布を中心とする文化的地図で見ると、世界の事件の解釈やこれからの動きの予測が一般とはかなり変わってくる。
民族とは同じ文化(言語、風俗、習慣、宗教)を共用する集団のことで、国民というのは政治的概念。
人種というのは皮膚の色などの肉体的特徴の話で、遺伝子の分布の問題で生物的概念。文化的概念の民族とは全く関係が無い。」

「民族的対立は益々ひどくなる。昔は民族を超える原理が幾つか存在した。宗教である。これが近代になってすべてご破算になった。イデオロギーは民族的対立を超えることはできない。」

そして、65歳の時に突然視力を失う。ある朝、目が覚めたら目が見えなかった。ウィルス性の視神経の炎症による失明。しかし、もの凄いのは90歳で亡くなるまでの25年間で「失明後はそれ以前よりも多数の著作を残した」という。

毎日のように、テレビからウクライナやイスラエルの戦争の映像が流れている。血に染まった子どもの姿を見ると目を背けたくなる。
これらの現状も、「民族」という視点で見ると、また理解が変わるのかも知れない。
幸いにして日本は島国のお陰か単一民族。(アイヌ差別の問題はあるが・・・)

この放送を聞いて「民族」という言葉を再認識した。
そして、遅まきながら梅棹忠夫の著作を1冊でも読んでみようかと思った。

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2024年7月 5日 (金)

51回目の同期会

先日、同期会があった。51回目である。
半年前の同期会の時に、「前に“70年入社なので、70回続けたい”という挨拶をしたことがある」という話があり、数えてみたら1981年に始めて以来、50回を数えていたことが分かった。70回までには、年2回としてあと10年!

同期会は、同じ年齢の者が集まるため、病気や体調の経験談を聞く格好の機会。
それで、今回もメモしておく。

O君 視力が落ちた。目の黄班の上に膜が出来たのが原因。黄斑上膜という病気。手術をして取るしか無いが、やっていない。視力が0.6位で、眼鏡などでは矯正できないので、来年の運転免許の更新が心配。

歯間ブラシを使っているとき、金属製の先が折れた。しかし折れた部分が口の中で見付からない。よって飲んでしまったのかと心配して#7119に電話して相談したら、やはり胃や腸を傷付けると大変なので、調べた方が良い、という事になり、大病院の救急に行ってCTなどで調べたが、結局見付からなかった。
便と共に出てしまったのかも知れないが、怖かった。

A君 片耳難聴。原因は?と聞くと、音楽が好きで、ヘッドホンで聴いていたときに寐てしまい、目が覚めたときには難聴に。病院に行ったが、蝸牛の中にある有毛細胞がダメージを受けたため、治らない。とのこと。
⇒「ヘッドホン難聴」の話題は良く聞くが、一晩でも難聴になってしまう!

Y君 帯状疱疹。最初は頭痛から始まったため、帯状疱疹と分からず、脳神経外科のMRI、整形外科、皮膚科とたらい回しの結果、やっと帯状疱疹と診断。後遺症が残り、治るまでに3ヶ月かかった。

大腸検診。CTが楽だと聞いて検査した結果、ポリープがあり、入院かも?と言われたが、別の病院で大腸内視鏡の結果、何も無し。大腸CTは(その場でポリープを取ることが出来ないため2度手間になり)意味が無い事が分かった。

W君 熱中症。2階で趣味に没頭していたら、奥さんの「ご飯ですよ」を聞いて降りようと思ったら、体が動かない。胸は汗でびっしょり。階段も降りられないため、救急車。
結局、熱中症ということで、点滴2つ3時間。生まれて初めて救急車に乗り、点滴を経験した。熱中症には御注意を!

S君 奥さんが短期記憶障害。直近のことを直ぐに忘れてしまう。介護保険の適用を頼もうとしたら、調査にケアマネさんが来た時、絶対に受けないと本人が拒否。介護保険もおじゃんに。それに自律神経失調もあり、6歳年上の奥さんなので家事が大変とのこと。

M君 便秘。検便に引っかかり、検査をしたいが、大腸に溜まっているものがあり出来ない。それを出すため、薬を貰ったが効かない。相手が女医さんなので仕方が無いか?
奥さんは、色々な病気の薬を飲んでいるが、自分で管理できている。2歳年上だが、「(年下の夫で)当たった」と言っているとか・・・

まあ色々な情報があり、同じ年齢なので参考になる。
自分も2週間後に、眼瞼下垂と眼瞼皮膚弛緩症の手術をするが、目の玉の手術でないので、友人曰く「赤子の手をひねるような手術」なので、他の人の病状に比べるとまだマシ??

K幹事から「同期会の今後、どうする?」の発案あり。今まで通り、年2回の案内を出して、その時に出られる人だけ出て貰うことになった。
このような会は、幹事が大切。言い出しっぺが居ないと、直ぐに廃れてしまう。その点、K幹事は永久幹事を買って出てくれているので、続くのではないか?

しかし出席者は徐々に減っている。今回は、33名に案内メールを出して、出席11名、欠席9名、連絡無し12名、メールがつながらない人が1名。
20名⇒15名⇒13名と少なくなり、今回とうとう11名。
しかし、入社後54年。まだ続いている事の方が奇跡?

病気などでメールの返信が出来ない人も居るのだろう。そして亡くなると、メールがつながらなくなる・・・
唯一残った「飲み会」ではある。

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