倍賞千恵子の「私の履歴書」
最近は、司馬遼太郎を休んで、松本清張と、何と!映画「男はつらいよ」に凝っている。
きっかけは、KeiichiKodaさんからのコメント(ここ)。
そこに「男はつらいよ」シリーズはたぶん全部見ているという話があり、その“全部”というキーワードにまたまた反応してしまった。
「男はつらいよ」は、映画の展開がほとんど同じであり、まあそれが安心感を生んで、50年で50作品を生んでいる原動力になったのかも知れない。
よって、たまにTVで見ても、展開が同じなので、つい飛ばし見をしていた。
それが、さっきの話を機に、BSテレ東4Kで毎週土曜日に4Kで放送をしているのに気づき、録画したおいた。そして見たのが第41作の「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」、そして第42作「男はつらいよ ぼくの伯父さん」。
さくらの息子役・吉岡秀隆の恋人役の後藤久美子(当時15歳)の可愛いこと!録画を消すのがもったいない??
「男はつらいよ」は、BSテレ東4Kで毎週やっていたので、もっと早く気が付けば良かった!と思っても時すでに遅く・・・
しかし今が時代が違う。Netでの配信で見られるのだ。
それで、つい配信で順番に見始めてしまった。10作目まではほとんど見ていたので、それ以降の作品を順に見ている。
それにしても、さくらの倍賞千恵子が毎回美しい。
第1作が1969年というから1941年生まれの倍賞千恵子は、当時28歳。
話は変わるが、先のKeiichiKodaさんからのコメントに、日経の「私の履歴書」に倍賞千恵子が登場したという話があった。
これは読んでみたい・・・。
★日本経済新聞/倍賞千恵子の「私の履歴書」(2023年12月掲載)のPDFは(ここ)
82歳になる倍賞千恵子の人生の振り返り。
考えてみると、若いときから自分は倍賞千恵子のファンだったのだ。当サイトでも倍賞千恵子版の歌は11曲も挙げている。
特に抒情歌が素晴らしい。前に何度か書いたが、30年近く前に亡くなった親父が、やはり抒情歌が好きで、倍賞千恵子のLPをたくさん持っていた。
日経の「私の履歴書」を読んでいくと、「下町の太陽」から始まった歌手としての活動と同時に、映画での活躍の話が面白い。
第15回にこんな文字がある。
「・・・「遙かなる山の呼び声」では一人息子(吉岡秀隆君)を抱えて女手一つで酪農業に励む。ともに「働く」女性だ。
・・・
「本物の親子になるのよ」 照れて嫌がる息子役の吉岡君と一緒に無理やり入浴し、背中を流したこともある。
その人になりきる-。
「民子3部作」を通じて私は演技する土台を学んだ。」
ヘエー。かの吉岡秀隆が倍賞千恵子と一緒に風呂に入ったんだって!!
年齢を計算してみると、当時吉岡秀隆くん9歳。やはり「親子」だった。
もちろん「男はつらいよ」でも二人は親子。
第28回にこんな話が載っている。
「そこによく顔を出してくれるのが「男はつらいよ」「遙かなる山の呼び声」で息子役を演じた吉岡秀隆君。私には子どもがいないのでまるで息子みたいに接してしまう。
吉岡君も中標津には特別の愛着があるらしい。私たちが別荘を建てた後、彼も自分の別荘を建て、骨休めに来るようになった。たまにはウチの別荘にも遊びに来て肩や腰をマッサージしてくれる。とても“孝行な息子”なのだ。
私は自分が出演した作品を見返すことはあまりない。でも吉岡君が家に来た時、珍しく「遙かなる山の呼び声」を一緒に鑑賞したことがある。
「ヒデ、私たち素晴らしい映画に出てたんだね」「本当ですね……」
作品に恵まれた幸運に2人で感謝した。
吉岡君は53歳。“親バカ”と笑われそうだが「幼かったあの子が年齢を重ね、心で演技できる良い役者になったな」と嬉しく思う。・・・」
「下町の太陽」と「故郷」は多分まだ見ていないので、配信で見てみようかな・・・
ひょんな事で、倍賞千恵子を「勉強」してしまったこの頃である。
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