司馬遼太郎の「菜の花の沖」を読んだ
司馬遼太郎の「菜の花の沖」の文庫本6冊を読んだ。
いつも読んだ面白さを読書ノートのExcelにメモしているのだが、1巻と6巻は5点満点の6点をつけた。それほど、司馬遼太郎の小説の中では面白かった。
しかし、いつもの“司馬節”が長大で、読む速度が遅くなる部分も多かった。特に5巻はほぼ“司馬節”。
一緒に読んだ「週刊 司馬遼太郎Ⅳ」に自分と同じ感想が載っていたので下記してみる。
「 『菜の花の沖』は文庫本で全6巻だが、あっという間に読み終えてしまう。しかし、5巻目で停滞する人もいるだろう。座礁、沈没の危険性はある。
なぜなら嘉兵衛が登場しなくなってしまうのである。
「ロシア事情」という章にはじまり、以下「続・ロシア事情」「レザノフ記」「カラフト記」「暴走記」「ゴローニン」と、司馬さんは止まらない。ロシアを中心にした記述が、文庫本だと約330ページは続く。これほど主人公がいなくなる小説は珍しい。文庫本の解説で、谷沢永一さんも書いている。
〈司馬遼太郎は小説という形式のほとんど辺境を行き、小説のなかでロシアとロシア人を圧縮して描きつくした。けだし予想をこえた破天荒の感銘ぶかい達成ではあるまいか〉
もっとも連載していたサンケイ新聞としては、破天荒な展開にあわてたようだ。担当者だった端山文昭さんはいう。
「原稿をいただいて会社で整理していると、編集局の幹部たちが来て、『どうかね、そろそろ嘉兵衛は戻ってきたかね』と聞かれる。僕が『いや、戻ってきませんね』というと、みんな黙り込んでました。販売局には、『嘉兵衛さん、どこいったんや』という読者の問い合わせがかなりあったようです」
司馬さんに、この“ロシア事情”について聞くと、
「ここは書いておかんといかんのや。しばらくは、しんどいねん。そうでないと、嘉兵衛がなんでロシアに連れていかれるか、話がわからんようになる。「ハーちゃん、わかってくれるか」
端山さんはもちろん司馬さんの思いはわかっていた。
「このころの原稿はいつにも増して、色とりどりのペンで推敲が重ねられていましたからね。書きたい思いは尽きなかった。だんだんとそれは読者にも伝わっていったと思います」
そしてロシアの時代がようやく終わり、「嘉兵衛船」という章の原稿をもらった。
「拝見して、『嘉兵衛』という文字がね、じつに久しぶりで新鮮でした。上司に『嘉兵衛が戻りましたよ』というと、『帰ってきたか!』とほっとしていました」
無事に船が戻った港のような雰囲気だったようだ。・・・」(「週刊 司馬遼太郎Ⅳ」p82より)
司馬遼太郎の小説に時々登場する「余談」は楽しいが、それがあまり深入りすると学術的になりすぎて?付いて行けなくなる。でもそここそが司馬遼太郎が書きたい所なんだろうと思う。
上の記事は2008年に週刊朝日に載ったものだが、この番記者だった村井さんの、かつての司馬さんの仕事を追いかける記事は実に楽しい。自分も好きで単行本化されると買って読んでいるが、週刊朝日が廃刊になって、今後は「歴史道」29で「街道をゆく」が再スタートするという。
さて、「週刊 司馬遼太郎Ⅳ」の村井さんの追いかけ記事を読んでから、録ってあったNHKの2001年のドラマ「菜の花の沖」を見た。70分×5回のドラマ。2023年6月30日~7月28日に再放送された番組は、さすが4Kだけあって映像が美しい。オリジナルが2Kとすると4Kへのアップコンバートはさすが!!
テレビドラマは、さすがに“司馬節”は省かれている。そして全体的に高田屋嘉兵衛(竹中直人)とおふさ(鶴田真由)の夫婦の物語になっており、この二人の登場場面が多い。
小説とTVドラマは別物、と言われるが、確かにその通り。
ふと、小説の面白さ、について考えた。前に凝った佐伯泰英の小説は実に面白い。何故かというと、ストーリー展開が非常に速い。1冊の中で、悪漢が登場して、主人公がチャンバラしてやっつけて、それでオシマイ。もちろん何も残らない。それで良い。
しかし、司馬作品は、筆者が膨大な史料のもとに書いているだけあって、まさに歴史の勉強。その勉強をさせながら読者を引っ張って行く力は、さすが司馬さん!というところ。
さて、「街道をゆく」を一休みしながら、長編小説にチャレンジ中だが、さて次は何を読もう??
当分続く、自分の「司馬遼太郎の世界を堪能する旅」ではある。
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