ひばり児童合唱団の「赤い靴」
このような歌声を名唱というのではないか・・・
ひばり児童合唱団の「赤い靴」である。
ひばり児童合唱団の「赤い靴」
「赤い靴」
作詞:野口雨情
作曲:本居長世
赤い靴 はいてた
女の子
異人さんに つれられて
行っちゃった
横浜の 埠頭から
船に乗って
異人さんに つれられて
行っちゃった
今では 青い目に
なっちゃって
異人さんの お国に
いるんだろう
赤い靴 見るたび
考える
異人さんに 逢うたび
考える
この歌は独唱であるが、演奏は「ひばり児童合唱団」とある。団員の誰かの演奏であろう。
以前、この音源は「赤い靴(部分)」として自分のライブラリーにあった。つまり、半分ほどしか放送されなかった音源であったのだ。それが先日全曲を録音することが出来た。
楽曲の半分でも録っておこう、と思うのは、よほど自分が気に入った音源。つまりは、この歌唱にこころ引かれたのだ。
同様の“名唱”に塩野雅子の「花かげ」(ここ)がある。この歌唱も、自分が惚れた音源だった。
さて、この「赤い靴」にまつわる像や碑は、全国に4つあるという。
(1)横浜市中区・山下公園
(2)横浜市・JR駅の広場
(3)静岡県清水市(静岡市)・日本平
(4)東京都港区麻布・街頭
昔、野口雨情記念館に行ったときに買った「いしぶみ・雨情の童謡」から引いてみる。
「大正十年十二月「小学女生」に発表された「赤い靴」は、異国的な雰囲気がこもり、本居長世の付曲と相まって今も愛唱されている。
「赤い靴」のブロンズ像等が公開されているのは、四ヶ所と思う。
(1)の横浜市山下公園の像は、海に面して建っている。埠頭が見え、船が走り、海鳥が群れる。それをじっと見つめている女の子、円柱形の台座の下部には「赤い靴はいてた女の子」と陽鋳があり、英訳の横文字も見える。像の近くには、終戦後引揚船として活躍した氷川丸が、任を終わり観光船としてすえつけられている。
(2)のJR横浜駅通路の一角に「赤い靴広場」があり、三十センチ余りの小さな鋳鉄の像が1メートル余の御影石の円柱台座にすえられ、行く人来る人をじっと見守っている。この像は、山下公園の銅像のミニチュア版で、公園の像を建てた時に一千体を作り、関係者に配布したものの一体でNo.999である。しばらく駅に保管されていたが、現在地に復建したのは平成二年一月である。
(1)と(2)の像は大小の差こそあれ同心と考えられるので、駅頭の説明文に目を向けよう。
「大正十年、詩人野口雨情は美しい横浜の情景に魅せられて、この詩を詠み、本居長世の曲によって人々の感動を呼び起し、今に歌い継がれております。
私たちは、これを横浜の心として形にとどめ、大人にはありし日の郷愁を、そして青少年には夢と希望を与えたいと願い、市民運動を展開しました。
幸い日本全国はもとより海外からも多くの方々が参加され、直接協力者は42,922名にのぼり、昭和五十四年十一月、この永遠の小さな恋人は誕生し、いま横浜の新しい顔として、山下公園での人気を一身に集め、語らずしてロマンを伝えております。
私たちはこの像を、コペンハーゲンの人魚姫や、ブリュセルの小便小僧と共に世界三大メルヘン像として、不朽の名詩名曲をいつまでも讃え続けて行きたいと思います。 童謡/赤い靴を愛する市民の会」
ちなみに、この会の代表者は「人形の家」の主宰者松永春氏であり、像の作成は彫刻家山本正道氏である。
(3)の日本平山頂の像は、北海道テレビの菊地寛氏が苦心の末あきらかにした事実により、清水市が「赤い靴の毋と子の像」として建立したものである。それによると、この童謡のモデルとなった女の子の名は「岩崎きみ」。明治三十七年七月十五日、清水市営加三 (旧不二見村)の生まれ、母親の名は「かよ」。故あって母子は北海道に渡るが、まだ二歳になったばかりの「きみ」をアメリカの宣教師夫妻に託することとなった。宣教師はやがて母国へ帰ることになるが、このとき「きみ」は不治の病に冒されており、孤児院でわずか九歳の生涯を終わるのであった。母を慕いつつ……。いま「きみ」は六本木の鳥居坂教会の共同墓地に眠っている。
この幸せ薄い母と子を、ふるさとの地に再びあいあわせようと、全国の浄財を得て日本平の展望のよい地に、等身大の像が建てられた。昭和六十一年三月三十一日の建碑である。清水市では「雨情の碑ではない。赤い靴の母子の像である。」といわれるが、台座には「赤い靴」の歌詞も刻まれている。敢えて本書にとりあげたことを諒とされたい。
(4)の港区麻布の像の台座には「詩に聞く、少女の微笑、想をはせて。“きみちゃん”一九八九・二」とある。麻布十番商店街振興組合の建立であり、高さ約六十センチの可愛い立像である。“きみちゃん”の墓が近くの六本本にあることは前に述べたところであり、説明文の最初には「赤い靴はいていた女の子は今、この街に眠っているのです。」とある。」
誰もが知っている「赤い靴」。
そんな歌にも故郷があり、そして心に残る名唱がある。
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コメント
わたしの息子は子供のときこの歌を嫌っていましたね。「異人さんに連れられて行っちゃった」というところが人さらいに連れていかれるようで怖かったのだと思います。
ところで、③のところに書かれていることが「赤い靴」のいわゆる「定説」ですが、この「定説」に意を唱える意見があるようです。だいたい宣教師夫妻(ヒューエット夫妻)と岩崎かよの娘(きみ)との間には接点がないというのです。くわしくは、「赤い靴」のウィキペディアをご覧ください。
【エムズの片割れより】
wikiを読みましたが、有名な歌だけに色々な考証が為されているようですね。
とりあえず、野口雨情という詩人の心を想像することは止めて、歌だけ聞くことにします。
投稿: KeiichiKoda | 2023年3月24日 (金) 12:30
日本平山頂の「赤い靴」像が取り上げられていましたので、コメントさせていただきます。
塩野雅子さんの「花かげ」も素晴らしいですね。
私の「花かげ」です。
幼い頃、大好きな叔母さんがお嫁にいく時、私は大泣きして叔母さんを困らせたそうです。その叔母さんも昨年亡くなりましたが、心の中には優しい叔母さんが居ます。
趣味の二胡とピアノの演奏をするとき、叔母さんの事を思い出します。
よろしければブログ「おじさんの独り言」ご覧ください。
【静岡に関わる童謡シリーズ第1弾 「赤い靴」 清水区】
清水市は現在、静岡市清水区となっています。
https://hideogisan.seesaa.net/article/201807article_1.html
こちらは横浜のきみちゃんに会いに行った時のアルバムです。
【’11年11月 横浜・鎌倉散策】
https://photos.app.goo.gl/5CGGcX9cfg7tNqL48
【エムズの片割れより】
コメントありがとうございます。
きみちゃんに会えて良かったですね(^o^)
まあ、異説が色々あるようですが・・・
障がい者の送迎の仕事は、70歳になる弟が同様にやっております。
自分は68歳で仕事を終えましたが、仕事があると心に張りが出来るとか・・・
投稿: HIDEO1480 | 2023年3月25日 (土) 11:04