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2023年3月の4件の記事

2023年3月27日 (月)

ホームセンターで値札が違っていて時間をムダにした話

今日は、近くのホームセンターで買い物をしたが、値札表示の誤りによって、ムダな手間がかかってしまった。というヒマ潰し?の話。

我が家では、洗剤などの継続的に使う物は、コストパフォーマンスのために、業務用の大きな物を買って、都度小さなボトルに継ぎ足して使っている。
今日は、ハンドソープの「キレイキレイ(液)業務用4リットル」の話。

前は、Amazonで買っていたが、前に近くのホームセンターに行ったとき、業務用の色々な洗剤が並んでいるのを見て、「業務用も一般で買えるんだ~」と思って、参考にスマホで写真を撮っておいた。
230327kirei_20230327214901先日、「キレイキレイ」の備蓄が無くなったので、再び買おうと思って調べたら、Amazonが2,856円に対し、ホームセンターでは2,618円とわずかに安い。
そもそも、4キロ以上と重い商品をわざわざ送って貰うのは、幾ら無料とは言え、資源の無駄遣いでは?と思って、先のホームセンターで買ってきた。他の買い物も含めて6千数百円。ちょっと高いな、とは思ったが、そのまま買って帰る。

自分はこういった買い物は、後学のために常にExcelに付けている。そこで改めて領収書を見ると、何と3,718円。何で千円以上も違う??改めて写真を見ても、やはり変だ・・・
手入力では無いPOPレジなので、間違っているハズは無いとすると、写真を撮った当時から値上がりした、としか考えられない。とすると、返品しようか・・・
と仕方なく、夕方、店に行った。改めて棚を見るが、やはり領収書と値札の値段が違う。
そして店員さんに「値札と領収書が違うんだけど・・・」。一緒に棚を見て、店員さんが少し考えてから「スミマセン、値札が隣の商品と逆に付いていました」という。
つまり、自分の買った商品の値札は、隣の商品の下に付いていた。ということ。自分が安いと思って買ったら、その値段は隣の商品の値段だった。というお粗末な話。

結局、返品して貰ったが、ホームセンターで見付けてから数か月。その間、値札は逆のままだった事になる。その間、若しかすると、安いと思って買ったが、実際には高いお金を払っていた人、またはその逆で、買った値段が思ったより安かった人がいたかも知れない。
今回は、車で数分の店だったので良かったが、遠かったらそのまま泣き寝入り??

それにしても、改めて通販は安い、と思った。
帰ってから、改めて通販で頼んだが、上の「キレイキレイ(液)業務用4リットル」は、このホームセンターで3,718円だったが、Amazonでは2,856円。ヨドバシの通販では2,890円の289ポイントで実質2,600円。結局今回はヨドバシに頼んだ。

店頭の値札は単に挟んであるだけ。よって実際と違う事も有り得る。よって、領収書はちゃんと見ないと危ない、ということか・・・

まあ、こんな事しか、非日常的な事件が無い今の生活は、岸田首相のウクライナへの「必勝しゃもじ」土産のように、平和ボケそのものかも知れないな・・・。トホホ・・・

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2023年3月23日 (木)

ひばり児童合唱団の「赤い靴」

このような歌声を名唱というのではないか・・・
ひばり児童合唱団の「赤い靴」である。

ひばり児童合唱団の「赤い靴」

「赤い靴」
 作詞:野口雨情
 作曲:本居長世

赤い靴 はいてた
女の子
異人さんに つれられて
行っちゃった

横浜の 埠頭から
船に乗って
異人さんに つれられて
行っちゃった

今では 青い目に
なっちゃって
異人さんの お国に
いるんだろう

赤い靴 見るたび
考える
異人さんに 逢うたび
考える

この歌は独唱であるが、演奏は「ひばり児童合唱団」とある。団員の誰かの演奏であろう。
以前、この音源は「赤い靴(部分)」として自分のライブラリーにあった。つまり、半分ほどしか放送されなかった音源であったのだ。それが先日全曲を録音することが出来た。
楽曲の半分でも録っておこう、と思うのは、よほど自分が気に入った音源。つまりは、この歌唱にこころ引かれたのだ。
同様の“名唱”に塩野雅子の「花かげ」(ここ)がある。この歌唱も、自分が惚れた音源だった。

さて、この「赤い靴」にまつわる像や碑は、全国に4つあるという。
(1)横浜市中区・山下公園
(2)横浜市・JR駅の広場
(3)静岡県清水市(静岡市)・日本平
(4)東京都港区麻布・街頭

昔、野口雨情記念館に行ったときに買った「いしぶみ・雨情の童謡」から引いてみる。

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「大正十年十二月「小学女生」に発表された「赤い靴」は、異国的な雰囲気がこもり、本居長世の付曲と相まって今も愛唱されている。
 「赤い靴」のブロンズ像等が公開されているのは、四ヶ所と思う。
(1)の横浜市山下公園の像は、海に面して建っている。埠頭が見え、船が走り、海鳥が群れる。それをじっと見つめている女の子、円柱形の台座の下部には「赤い靴はいてた女の子」と陽鋳があり、英訳の横文字も見える。像の近くには、終戦後引揚船として活躍した氷川丸が、任を終わり観光船としてすえつけられている。
(2)のJR横浜駅通路の一角に「赤い靴広場」があり、三十センチ余りの小さな鋳鉄の像が1メートル余の御影石の円柱台座にすえられ、行く人来る人をじっと見守っている。この像は、山下公園の銅像のミニチュア版で、公園の像を建てた時に一千体を作り、関係者に配布したものの一体でNo.999である。しばらく駅に保管されていたが、現在地に復建したのは平成二年一月である。

(1)と(2)の像は大小の差こそあれ同心と考えられるので、駅頭の説明文に目を向けよう。
「大正十年、詩人野口雨情は美しい横浜の情景に魅せられて、この詩を詠み、本居長世の曲によって人々の感動を呼び起し、今に歌い継がれております。
 私たちは、これを横浜の心として形にとどめ、大人にはありし日の郷愁を、そして青少年には夢と希望を与えたいと願い、市民運動を展開しました。
 幸い日本全国はもとより海外からも多くの方々が参加され、直接協力者は42,922名にのぼり、昭和五十四年十一月、この永遠の小さな恋人は誕生し、いま横浜の新しい顔として、山下公園での人気を一身に集め、語らずしてロマンを伝えております。
 私たちはこの像を、コペンハーゲンの人魚姫や、ブリュセルの小便小僧と共に世界三大メルヘン像として、不朽の名詩名曲をいつまでも讃え続けて行きたいと思います。 童謡/赤い靴を愛する市民の会」
 ちなみに、この会の代表者は「人形の家」の主宰者松永春氏であり、像の作成は彫刻家山本正道氏である。

(3)の日本平山頂の像は、北海道テレビの菊地寛氏が苦心の末あきらかにした事実により、清水市が「赤い靴の毋と子の像」として建立したものである。それによると、この童謡のモデルとなった女の子の名は「岩崎きみ」。明治三十七年七月十五日、清水市営加三 (旧不二見村)の生まれ、母親の名は「かよ」。故あって母子は北海道に渡るが、まだ二歳になったばかりの「きみ」をアメリカの宣教師夫妻に託することとなった。宣教師はやがて母国へ帰ることになるが、このとき「きみ」は不治の病に冒されており、孤児院でわずか九歳の生涯を終わるのであった。母を慕いつつ……。いま「きみ」は六本木の鳥居坂教会の共同墓地に眠っている。
 この幸せ薄い母と子を、ふるさとの地に再びあいあわせようと、全国の浄財を得て日本平の展望のよい地に、等身大の像が建てられた。昭和六十一年三月三十一日の建碑である。清水市では「雨情の碑ではない。赤い靴の母子の像である。」といわれるが、台座には「赤い靴」の歌詞も刻まれている。敢えて本書にとりあげたことを諒とされたい。

(4)の港区麻布の像の台座には「詩に聞く、少女の微笑、想をはせて。“きみちゃん”一九八九・二」とある。麻布十番商店街振興組合の建立であり、高さ約六十センチの可愛い立像である。“きみちゃん”の墓が近くの六本本にあることは前に述べたところであり、説明文の最初には「赤い靴はいていた女の子は今、この街に眠っているのです。」とある。」

誰もが知っている「赤い靴」。
そんな歌にも故郷があり、そして心に残る名唱がある。

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2023年3月17日 (金)

NHK「JAPANデビュー」を見てみた~偏向番組とは

先日、Netで「【放送法問題】安倍元首相がTBS「サンデーモーニング」より問題視していたNHKの“偏向番組”とは」ここ)という記事を読んだ。

「デイリー新潮」の記事だが、その中に「総理がいちばん問題意識を持っているのはNHKの「JAPANデビュー」だが、これはもう過去の話。今はサンデーモーニングには問題意識を持っている。・・・」という部分があり、「JAPANデビュー」というのがどんな番組だったのか知りたくなって、Youtubeで見たみた。

wiki(ここ)によると「NHKスペシャル シリーズ 「JAPANデビュー」は、2009年4月から6月にかけて日本放送協会 (NHK) のテレビ番組230317nhk 『NHKスペシャル』で放送された4回分のシリーズを括る題名で、NHKが自社の取り組む「プロジェクトJAPAN」の一環として制作した日本のドキュメンタリー番組である。

日本が西洋列強に対抗する際に命運を握った「アジア」 「天皇と憲法」 「貿易」 「軍事」に世界史上から焦点をあてた特別番組として4回がNHK総合、NHKの海外放送、子会社NHKグローバルメディアサービスが行うNHKワールドプレミアムを通じて放送された。

第1回放送をめぐっては、日本と台湾の視聴者や番組出演者を含めた約1万300人(台湾人約150人を含む)による集団訴訟が起こされたが、原告側の逆転敗訴で幕を閉じた。」とある。

番組は、第1回 「アジアの“一等国”」(2009年4月5日放送)、第2回 「天皇と憲法」(2009年5月3日放送)、第3回 「通商国家の挫折」(2009年6月7日)、第4回 「軍事同盟 国家の戦略」(2009年6月28日放送)だったらしいが、Youtubeで第1,2,4回の3回分を見ることが出来た。
wikiに「第1回放送をめぐる騒動・訴訟」という項目があるが、当時相当に騒ぎになったらしい。自分は覚えていないが・・・
ここに「視聴者、地方議員、自民党国会議員、産経新聞・週刊新潮・日本文化チャンネル桜などの保守系メディア、市民団体、有識者、更に、番組に出演した台湾人(パイワン人を含む)や台湾や日本の民間団体など日台双方から抗議や批判が続出した。」とあるように、上にある「デイリー新潮」の記事も、批判した週刊新潮の延長として読む必要がありそうだ。

第2回と4回は特に違和感は感じなかったが。やはり第1回 「アジアの“一等国”」(ここ)を見終わった後は、後味の悪さを感じた。
見た後で、wikiの騒動の記事を読むと、何が問題になったかが良く分かる。

wikiに「番組で証言した柯徳三は、「(NHKには)八田與一のことや後藤新平のことなどもいろいろ話したのに、そこを全部カットした。同窓会の改まった席で誰かが火ぶたを切って不満を話した部分だけが放映され、あたかもあそこにいた人全員が反日的であるかのように宣伝された」と批判。」
「また朝日新聞の取材によると、柯徳三が日本の台湾への貢献を語った部分はすべてカットされたと発言していることも伝えられた。」とあるように、取材を受けた人が、自分の発言が部分的に切り取られ、自分が意図しない姿として番組で使用されたことが非難のひとつらしい。

この事は、新聞をはじめ、メディアのニュースや番組で日常的に有り得ること。
前に何度か書いているが。学生のときにたまに読んでいた「朝日ジャーナル」という週刊誌で「テレビの画面で、学生が機動隊の警棒で打たれている場面を写すと、視聴者は“学生が可哀想”と思い、学生の投げた火炎瓶に逃げ惑う機動隊の姿を写すと“機動隊が可哀想”と思う。」という記事を読み、それが未だに頭に残っている。

編集者=番組の作成者の意図によって、自分の都合の良い所だけを切り取って番組を作ることはよくある話。
逆にそれは避けられない事なのかも知れない。誰もが、自分の意志を持っているので・・・
だから法のいう「政治的に公平であること」を「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」という事になっていた。
それが2016年に当時の高市総務相が「一つの番組でも極端な場合は政治的公平を確保しているとは認められない」と答弁。そして、停波の可能性まで言及したことを、今回の事件で皆は思い出してしまった。

それにしても、「政治的公平性」を政府が判断するというこの姿勢は怖ろしい。まさに政府による各番組の検閲であり、世の中が大本営発表に戻りかねない。
今回、“かつてのNHK”が偏向番組として問題になったという番組を見て、問題になったという部分を俯瞰してみたが、世の中の事象で、何が真実か、見る側の難しさを改めて認識した。

それに比べ、第2回 「天皇と憲法」では、立花隆さんや御厨貴さんが登場。こんな番組は安心して見ていられる。理由は簡単。自分は、立花さんたちは信用しているので、その発言も信頼する。
問題になった第1回 「アジアの“一等国”」も、立花さんのような誰もが信頼している人を登場させて発言させていれば、バランスが良くなって問題が噴出しなかったかも知れない。
ともあれ、番組の「政治的公平性」について、勉強して?しまった。

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2023年3月 3日 (金)

林部智史の「恋衣」

先日、こんな歌を見付けた。
林部智史の「恋衣」という歌である。この歌手の名は知らない。でも、なかなか透き通った声で好ましい。

<林部智史の「恋衣」>

「恋衣」
 作詞:阿木燿子
 作曲:来生たかお

ふと目を窓にやれば
花水木の葉が揺れてる

いつでもあなただけを
見つめてたい僕なのに不覚だね

幼いという文字の斜めの一筆
ためらい傷のように隠せば幻

恋をして 素顔のあなた
守らなきゃ そう思う
恋衣 身に纏うたび
透き通る 白い肌

まだ目を覚まさないで
僕が描く絵心のない似顔

儚いという字にも人と夢が棲む
ならば恐くはないさ すべて越えてゆく

恋ゆえに あなたの笑みは
薄紅の花霞
恋心 日毎に募り
指で梳く 長い髪

恋焦がれ やっと逢えても
大粒の砂時計
恋衣 そっと脱ぐ日は
痛いほど 抱き締める

恋をして 虹を見た朝

この歌が気になったのは、最初のフレーズ。
「ふと」「目を」「窓・にやれば」という切り方が気に入ったのである。
この不自然な?区切り方で、ふと徳永英明の「青い契り」(ここ)を思い出した。

「あ・るこうとしてたの?」「でも今はき・みの全てを」という切り方がユニーク。
小椋佳だったか、さだまさしだったか忘れたが、日本語のアクセントを考えると、自然に旋律が出来るという。つまり、日本語のアクセントを無視した旋律はNGだという。
でも「歩こう」が「あ・るこう」という旋律になったとき、自分にとっては印象が強くなり、聞きたくなる。

作詞:阿木燿子、作曲は来生たかお。まさにゴールデンコンビ。
そんな作品を、自分が知らなかった林部智史という歌手が歌っている。
ともあれ、この歳になると、聞きたいと思う新しい歌はなかなか見つからない。
そんな中で、久しぶりに開拓した?歌であった。

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