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2023年1月29日 (日)

司馬遼太郎の「空海の風景」が面白かった

司馬遼太郎の「空海の風景」が面白かった。面白い、というより“良かった”と言うべきか?
言うまでも無く、「空海の風景」は「中央公論」の1973年(昭和48年)1月号から1975年(昭和50年)9月号に連載された小説。
しかし、自分が今まで読んだ小説とは少し違う。文庫の解説(p412)にこうある。
「書きあげられた『空海の風景』は、まさしく小説にちがいなかったが、伝記とも評伝ともよばれうる要素を根柢に置いているがゆえに、空海を中心とする平安初期時代史でもあれば、密教とは何かに関する異色の入門書でもあり、最澄と空海の交渉を通じて語られた顕密二教の論でもあり、またインド思想・中国思想・日本思想の、空海という鏡に映ったパノラマでもあり、中国文明と日本との交渉史の活写でもあるという性格のものになった。」
まさにこの通りの「小説」なのである。
しかし読んでいると引き込まれる。いつもの“司馬節”に・・・

「街道をゆく」もそうだが、読んでいくと、まさに木の幹をから枝が分かれるがごとく世界が広がって行く。まさに勉強になる。

話は飛ぶが、昔現役の頃「電気工事施工管理技士」という国家資格を得るために受験勉強をしたことがある。その時、数十年ぶりに机に向かった。試験勉強のためのテキストを読むと、まさに今まで乱雑に頭に放り込まれていた知識が、体系的にスッキリと頭の中で整理されていく実感があった。
その時の事を思い出した。
この「空海の風景」も同じで、自分の仏教、密教、空海、最澄、桓武天皇等々の断片的な知識が、頭の中で結合していく・・・
信義真言宗という名もそうだ。我が家の菩提寺は信義真言宗だという。昔の過去帳を見ると、浄土系のお寺から、自分の祖父の時代に今の所に移したらしい。過去帳の法名、戒名で分かる。
その信義真言宗の始まりも、この本に出て来たので、和歌山の根来寺について、つい勉強してしまった。

空海の真言宗については、(天下り)会社に勤めていた2006年、事務所が品川の近くの高輪台に移転した。そこに通っていた約2年間、昼休みに良く近所を散歩した。そこに高野山東京別院というお寺があり、よく行ったものだ。当時は、当サイトにも書いたが、仏教に興味があり、色々と仏教関係の本を読んでいた。

空海の舞台の長安(西安)に旅行したのが2009年5月(ここ)。
大雁塔や青龍寺にも行った。その光景がまだ頭に残っているので、この物語を読んでも、非常に身近に感じられた。特に青龍寺は、ツアーのコースには入っていなかったが、別途料金を払って、連れて行ってもらった。もちろんこのお寺は、1000年もの間、土に埋もれていたので、当時の面影はないが、でも行っておいて良かった。

220129kuukai 1984年(昭和59年)公開の映画「空海」も前にDVDを借りて観たことがある。空海は北大路欣也、最澄は加藤剛だったが、この本を読むと、“やり手”空海の北大路と、“マジメ人間”最澄の加藤は、まさにはまり役だった事が分かる。

wikiで「空海の風景」を読むと、2002年に「NHKスペシャル 空海の風景」がNHKテレビで放送された、とある。これも見たいな、と思ってググったら、何とYoutubeで見ることが出来た(ここ)。
広告で時々中断するが、全編を見ることが出来、いやはやスゴイ時代だ。

「街道をゆく」と同じで、本に出てくる場所が、TV画面に出てくるので、実に理解しやすい。
本番組の制作スタッフによる歴史紀行「『空海の風景』を旅する」という本も出ているという。これも買って読むしか無いな・・・

話は戻るが、司馬遼太郎がこの本の制作意図?をあとがきで書いている。これを読みながら、自分が5点満点の6点を付けた「空海の風景」の話のオワリとする。

「千数百年も前の人物など、時間が遠すぎてどうにも人情が通いにくく、小説の対象にはなりにくいものだが、幸いにして空海はかれ自身の文章を多く残してくれたし、それに『御遺告』という、かれの死後ほどなく弟子たちが書いた空海の言行が、多少は真偽の問題があるとはいえ、まずまず空海に近づくためのよすがにはなりうるのである。この点では、上代人としての空海は右の事情からの例外であるといえる。
 しかし、何分にも遠い過去の人であり、あたりまえのことだが、私はかれを見たことがない。その人物を見たこともないはるかな後世の人間が、あたかも見たようにして書くなどはできそうにもないし、結局は、空海が生存した時代の事情、その身辺、その思想などといったものに外光を当ててその起伏を浮かびあがらせ、筆者白身のための風景にしてゆくにつれてあるいは空海という実体に偶会できはしないかと期待した。
 この作品は、その意味では筆者自身の期待を綴って行くその経過を書きしるしただけのものであり、書きつつもあるいはついに空海にはめぐりあえぬのではないかと思ったりした。もし空海の衣のひるがえりのようなものでもわずかに瞥見できればそこで筆を擱こうと思った。だからこの作品はおそらく突如終ってしまうだろうと思い、そのことを期待しつつ書きすすめた。結局はどうやら、筆者の錯覚かもしれないが、空海の姿がこの稿の最後のあたりで垣間見えたような感じがするのだが、読み手からいえばあるいはそれは筆者の幻視だろうということになるかもしれない。しかし、それでもいい。筆者はともかくこの稿を書きおえて、なにやら生あるものの胎内をくぐりぬけてきたような気分も感じている。筆者にとって、あるいはその気分を得るために書きすすめてきたのかもしれず、ひるがえっていえばその気分も、錯覚にすぎないかもしれない。そのほうが、本来零であることを望んだ空海らしくていいようにも思える。
 昭和五十年十月  司馬遼太郎   」(「空海の風景」p407より)

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コメント

私も、家の仏教は真言宗なので、空海について知っておこうとこの本、司馬さんの「空海の風景」を読んだことがあります。細かいことですが、司馬さんは空海の師匠の恵果をエカと(カナをふって)読ませていますが、この点について、百目鬼恭三郎という人が「読書人読むべし」(新潮社、1984年)という本の「辞書」という章で、つぎのように書いています。「・・・司馬遼太郎の『空海の風景』を読んでいて、空海の師の「恵果」をエカとよませているのが不審で、ひいてみると[えか]の項でみつかった僧は達磨の弟子の「慧可」で、「恵果」は[けいか]のところでみつかりケイカというよみが正しいとわかった・・・」(218ページ)、と。NHKの番組は私も見ましたが、エカではなく、ケイカと発音していたと思います。

【エムズの片割れより】
確かに「えか」とカナでふっていますね。自分はてっきり「ケイカ」と思っていました。
「週刊 司馬遼太郎」⑨でも「ケイカ」。
ググってみると、「「けいか」、「えか」のどちらの読み方でも良い。ただし、「けいか」と書かれていることが多い。」とのこと。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000258421

また色々な文学作品で、「えか」としているのは、この「空海の風景」だけらしいですね。
司馬さんが、なぜ「エカ」としたかの言葉は見つかりません。
1976/6/6の高野山大学での講演記録にも出て来なかった・・・

投稿: KeiichiKoda | 2023年1月30日 (月) 09:47

エムズ様
すっかり司馬遼太郎にはまりましたね!
いつも、ご感想楽しみに拝読させて頂いております。
司馬作品は殆ど読んでいますが「空海の風景」は異色です。30代に読んだ時は内容が難解でとても面白いとは思いませんでしたが70代になって再読したらとても面白く一気に読むことが出来ました。エムズ様ののめり方にはとても及びませんが司馬ファンのひとりとしてご同類が出来たことをとても喜んでおります!
これからもよろしくお願い致します。
尚、蛇足ですが、司馬遼太郎の「遼」の字のしんにゅうは点が二つなんですよね!孫の名前が遼太郎なんで娘から教えて貰いました。点が二つは辞書にもないです。既成への反骨精神躍如の司馬遼太郎らしいですね!

【エムズの片割れより】
30代からのファンとのこと。大先輩ですね。
先日「司馬遼太郎が愛した世界展」のカタログを手に入れたら、そこに「ペンネームは、司馬遷に”遼(はる)カニ及バズ“の意味で司馬遼太郎と付けた」とありました。確かに点二つの字はPCで出ませんね。
このカタログで数えたら、生涯に115冊の単行本(作品)を出しているんですね。
巻まで入れたら何冊になるか・・・
本棚が司馬作品の読みたい本で溢れています。
それらを読み終えるまで、簡単には死ねないな・・・と思っています(^o^)

投稿: ヨコスカのクラークゲーブル | 2023年2月14日 (火) 08:48

2024/5/27から6日ほど家内と奈良旅行に行ってきました。京都には何度も行っているのですが、私は奈良ははじめてです。一日中雨でホテルにいたこともありましたが、まあ天気には恵まれました。興福寺、春日大社、東大寺大仏殿、法隆寺、中宮寺、唐招提寺、薬師寺と、「定番コース」の寺社ばかりですが、最後の日はまとめ(?)として奈良国立博物館で仏像をたくさん見ました。ここでは、偶然でしたが(これを狙っていったわけではなかったので)、4/13-6/9まで「空海の生誕1250年記念特別展」を開催中だったので、空海・密教・曼荼羅についてたっぷり見学しました。もらったパンフレットによると、国宝30件、重要文化財60件だそうで、見学者・観光客で混み合いました。なんでも、5/26のNHKEテレの「日曜美術館」でここの空海展の案内があってから見学者が増えたようです。密教の源流ーー陸と海のシルクロードというところでは、インドネシアに密教が伝わっていたとしてインドネシアからは金剛界曼荼羅彫像群をはじめたくさんの仏像が展示されていました。実は、私は若いとき(1970年)インドネシアのジョグジャカルタの郊外にあるボルブドゥール仏教寺院の遺跡を訪ねたことがありましたが、ここで展示された仏像等も中部ジャワ等から出土されたものでした。
どこへ行っても観光客・修学旅行生がたくさんいましたが、海外からの観光客が増えましたね。ところによっては外国人が半分ぐらい。ガイドブックにはありますが、あまり観光客が行かない場所にも一日をあてました。古代道路の一つで、日本最古の道ともいわれる「山の辺の道」です。西側をJR桜井線が走っているので鉄道駅でいうと、歩いたのは天理駅から三輪駅までの5つの駅の区間です。朝9時ぐらいから午後3時ぐらいまで歩きました。歩数にして2万7000歩ぐらい。こうして歩いている人たちはさすがに少なく、いくつかのグループ(女性のグループが多かった気がします)に出会ったぐらいです。外国人グループはいなかったと思います。

【エムズの片割れより】
いやはや元気いっぱいですね。
うらやましい。
奈良は自分のメモによると、1987年に出張の帰りの土日で観光バスに乗りました。
東大寺、春日、法隆寺、唐招提寺、西大寺など。
この頃は、旅行する気力も無くなりました。
やはり元気なウチに行っておくべきですね。
弟が、先週のスペイン旅行からの帰りの飛行機の中で、ゴホゴホする外人がいて、案の定、夫婦ともコロナ感染とか。
まだまだ安心出来ませんね。

投稿: KeiichiKoda | 2024年6月 3日 (月) 14:07

追記。司馬遼太郎さんの「街道をゆく」シリーズに「奈良散歩」というのがありますが、本は持っていなかったので、代わりに映像版の「新・街道をゆく「奈良散歩」」(2023/6/14NHKBSPで放送、案内人は女優の高嶋礼子)を録画していたので、奈良旅行をする前に見ていきました。ここに出てくる阿修羅像、東大寺の二月堂など主なものは見てきたと思います。「奈良散歩」の冒頭に出てくる多武峰(とうのみね)には行きませんでした。なお、司馬さんの「街道をゆく24 近江散歩、奈良散歩」(朝日文庫)は奈良に着いてから購入しました。

投稿: KeiichiKoda | 2024年6月 5日 (水) 08:06

エムズ様
ここのところ司馬遼太郎論がなっかったのでどうしたのかなと思っていましたが、「空海の風景」読みましたか?私は2度読んだのですが一度目は良く分からなくて内容が難解に感じたのですが2度目は面白かったです。最近、梅原猛の「最澄と空海」読みました。小説と学術論文の違いはあるものの空海の風景で二人の関係は知ってましたので内容は学術論文ですので難解ですが「空海の風景」の予備知識が入っていましたので何とか読み終えることが出来ました。
「空海の風景」でも最澄と空海の比較論が出ていますが最澄と空海では二人の心象により深く入り込んでいますので小説とは違った味わいがあります。
エムズ様にも「最澄と空海」の一読をお勧め致します。

【エムズの片割れより】
推薦、ありがとうございます。
Amazonを見ると「最澄と空海」は結構有名な本のようですね。
このところ、司馬さんから浮気して清張を読んでいますが、これを卒業すると司馬さんに戻るつもりです。
何せ未読の司馬さんが数十冊ありますので・・・

投稿: 司馬浮庵 | 2024年7月 4日 (木) 21:24

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