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2022年10月19日 (水)

映画「PLAN75」(プラン75)を観た

今日は、立川のミニシアターで、映画「PLAN75」を観てしまった。デパートに併設された映画館に初めて行ったが、席はたった25席。朝、予約をしたとき、既に席は半分以上埋まっており、一番後の席を取ったのだが、行ってみると画面が遠く小さいこと・・・。これでは自宅のTVと変わらない。その罪滅ぼしか?座席は飛行機のビジネスクラスのように豪華。リクライニングも付いた大型。
今後は、スクリーンに近い席を取ることにしよう・・・

さて本題だが、先日、「楽天マガジン」で「サンデー毎日」を読んでいたら、こんな記事が気になり、それで見る気になった。

「高橋源一郎 これは、アレだな (99)老人はみんな死ぬ
・・・・・ 
 映画『PLAN75』(脚本・監督早川千絵)を観た。観たのはイオンモールに併設された、いわゆるシネコンだ。
・・・・・
 ひとことで感想をいうなら、テレビのゴールデンタイムで放映してもらいたいと思った。老人はみんな傷つくか、目をそむけたくなるか、ため息をつくだろう。いや、老人ばかりではなく誰しも胸に手を置いて考えたくなるだろう。
221019plan75  少子高齢化が進んだ近未来の日本で、「長生きする老人」のために、社会は疲弊してゆく(と政府やマスコミは喧伝する)。そのため、満75歳になると「生死の選択権」を与える制度か国会で可決される。それが「プラン75」だ。なんだか生命保険にありそうなプラン名で微妙な気持ちになる。
 倍賞千恵子が演じる主人公の角谷ミチは、夫と死別した78歳の老女。ホテルの清掃係として働きながら、ひっそりと独り暮らしをしている。ある日突然、ミチは同僚と共に解雇される。理由は「高齢だから」である。無職になったミチは、家の立ち退きも迫られる。必死になって不動産屋を回るが、高齢で無職のミチに部屋を貸してくれる人はいないのである。やっと見つけた仕事も、夜の交通整理。寒空の下の立ち仕事は高齢のミチにはきつかった。
 そして、同じ職場の同僚だった高齢の女性の孤独死の現場を発見したミチは、ついに「プラン75」を申し込むことを決意するのである。
 老人たちが少しずつ生きる場所を失っていく様子を観るのは結構つらい。それが、どう考えても、ほぽ現実と同じであると思うと、もっとつらい。けれども、なぜだか、これは観なければならない作品だと思えてくるのである。
 この映画で、ミチを演じる倍賞千恵子の演技が素晴らしい。というか、その「老い方」があまりにリアルなのだ。顔や囗もとの皺、たるんだ皮膚、鈍い動き、そのすべてが、「老人とはこういうものだ」という現実を突きつけてくる。とりわけ、朝起きて、布団で寝たまま、自分が生きているのを確かめるように、ミチが我が手を伸ばして見つめるシーンがある。観客も、ミチと同じ気持ちになって、その手を見つめる。その手はひどく老いているのである。
 最後にミチは、「プラン75」の決まり通り、ある施設に向かう。「プラン75」を選択した者はみんな、その施設で、静かに死を迎えることになるのである。老人たちは、役に立たない。貧しい社会の資源を食いつぶす。だから、死ぬことによって「社会のお役に立つ」のである。
 この施設で亡くなった者たちが残した物は、集められ、分けられる。迎え入れから、死、最後の分別まで、画面を見つめながら、わたしはどこかで見たことがあるような風景だと思った。そして、最後に気づいた。それは、ナチスの強制収容所で見かけた風景だったのである。

 貧しさ故に、それを口実にして、その社会から、老人が本人「自らの意志」という形をとって葬り去られる。それを「棄老」の物語というなら、『PLAN75』より遥か以前に、「棄老」の物語の傑作かあることをわたしたちは知っている。いうまでもなく、深沢七郎の『楢山節考』(新潮文庫)だ。
 『楢山節考』は、およそ66年前に書かれた。日本文学の不滅の古典とでもいうべき作品だ。
 主人公の「おりん」は69歳。極度の貧困と食糧不足に悩むこの村では70歳になると「楢山まいり」に行く習慣がある。「楢山まいり」とは、山に入って戻らぬこと。つまり、人減らしのための「死出の旅」のことだ。いま、このあらすじを書いてみると、映画の政府・国家が、考え、作り出した「プラン75」は、要するに「楢山まいり」なのだということかよくわかる。
 「おりん」は、近づいてくる「楢山まいり」を楽しみにしている。いや、ほんとうはそうではないのかもしれないが、貧しい家族たちにとって、それが必要であることを深く理解しているのである。そのために準備を怠らない。・・・・・・」(「サンデー毎日」2022/10/30号P36より)

この映画の解説は(ここ)などに詳しい。

主人公ミチを襲う「事件」(エピソード)は、直前のシーンで止まる。その「事態」は、観客の想像に任されている。そして、どんどん追い込まれていくミチ・・・。

数年前、ある女性政治家が「生産性が無い」という言葉を使い、掲載された月刊誌が廃刊に追い込まれたことがあった。
この物語を見ると、自分もまた、いわゆる生産性が無くなった老人は、もはや社会にとって存在意義が無く、早く死んで貰った方が「社会のお役に立つ」という、上の筆者の言う「楢山節考の世界」そのものを感じる。

自分もまさに75歳。「プラン75」の入口だ。
社会のお役に立っているか?と問われると、はなはだ心もとない。
確かに、年金で税金を使い、健康保険で多くのお金を使っている。現役時代に年間数百万の税金を払っていたとは言え、自分の世代は、収支がプラスらしい。
そんな事を思いながら、この映画を見ていたが、老人にとっては見るのがツライ内容。

人生とは何だろう?と考える。
儒教では年長者を敬う文化があると聞くが、日本のこれからの少子高齢化社会では望むべくも無く・・・

まさに「問題映画」。タブーに挑んだ作品なのかも知れない。
「現実は冷酷」と改めて認識し、「プラン75」に直面する当事者として、目を背けたくなる映画だった。

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コメント

私も通常の映画館では上映されていない、音楽映画とか戦争のドキュメンタリー映画等を見るために遠くまで足を運ぶことがあります。
・最近では(今年の4月ですが)、映画「クレッシェンド、音楽の架け橋」を見ようと思っていたのに気が付いたら、上映している劇場はつくば市のショッピング・モールにあるMovieXつくばという映画館だけになり、しかも朝1番の上映ということで、朝早く起きて高速を飛ばして見に行きました。この映画は、有名なピアニスト・指揮者のダニエル・バレンボイムがつくったという実在のオーケストラをモデルにした音楽ドラマで、長年紛争中のイスラエルとパレスチナから若い音楽家を集めて作った異色のオーケストラの話です。いつもMETライブビューイングを見にいくさいたま新都心のMovieXさいたまのスタジオより狭く、画面は小さく観客は10人いたかどうか。なお、この映画がWOWOWで、11/14に放映されることを昨日WOWOW放送ガイドが届いて知りました。WOWOW加入者でクラシック音楽に興味のおありの方は是非ご覧ください。
・ミニシアターということならば、岩波ホールが有名ですが、私も一度だけ、2018年6月にここへ、「ゲッベルスと私」というヒトラーの側近で広報担当大臣だったゲッベルスの秘書だった女性にインタビューするドキュメンタリー映画を見にいったことがあります。(岩波ホールは、コロナの影響もあって運営が難しくなり、最近閉鎖されたという話を聞きました。)
・2015年の8月には東京の新宿にあるK's Cinemaというシアターに「ソ満国境15歳の夏」という満州の新京中学の学生が、ソ連の突然の満州への侵攻によって逃避行を余儀なくされた、実話に基づいて制作された映画を見に行きました。
・この年の9月には県民文化センターで上映された「望郷の鐘、満州開拓団の落日」という、これも山本慈昭という、後に中国残留孤児の父と呼ばれた人の実体験を映画にしたドラマを見ました。ドラマの中にも出てきますが、山本さんも悲惨な満州引き揚げ体験を持ち、引き揚げ途中では妻や娘さんを失っている。2015年という年は戦後70年という節目の年だったのでこのような映画がいくつか制作されているんですね。

【エムズの片割れより】
結構広範囲に、そして精力的に見に行っているようですね。
自分には、とてもそんなパワーはありません(^o^)
リストを見たら、岩波ホールには、07年12月に「サラエボの花」、08年2月に「フートンの理髪師」を見に行った、とありました。
既に閉館しましたが、当時も古いミニシアターで、ちょっとガッカリしました。

千波の県民文化センターといえば、開館した昭和41年の春、N響のドボルザーク第8番のポスターを思い出します。
お金が無くて行けませんでしたが、若しかしたらホールのこけら落としコンサートだったかも!?

投稿: KeiichiKoda | 2022年10月22日 (土) 17:58

水戸にある県民文化センターは現在「ザ・ヒロサワ・シティ会館」と呼ばれています。たしかに開館は1966年(昭和41年)ですから、そうかもしれませんね。2016年の4月、開館50周年記念の「諏訪内晶子バイオリン・リサイタル」があって、当時県民文化センター友の会の会員だったので、招待されて聴きに行きました。ドボルザーク「交響曲第8番」といえば、来週、サントリーホールでコバケン指揮の日本フィルによるこの曲の演奏があって、聴きに行くことになっています。

投稿: KeiichiKoda | 2022年10月26日 (水) 21:48

ドボルザークの交響曲はベートーベンとならんで一番多く生で聴いている交響曲ですが、ほとんどが交響曲第9番「新世界」で(5回?)、海外でも聴いたことがあるし、今月末にも県民文化センター(ザ・ヒロサワ・シティー会館)で聴くことになっています。11/3のサントリーホールでの交響曲は第8番で、生で聴くのははじめてでした。トランペットではじまる第4楽章がとくに印象的でしたが、コバケンの選んだアンコールも別の曲ではなく、この第4楽章のフィナーレに向かうフレーズの再演でした。もう一つの曲目も、ドボルザークで、チェロ協奏曲の傑作とされる「チェロ協奏曲ロ短調」(宮田大のチェロ)でしたが、このチェロ協奏曲も何度か聴いています。ところで、エムズさんはベートーベン交響曲全曲演奏は聴かれたことがおありの由ですが、ネットで調べてみるといまからではチェケットは値段の高い席しか残っていないようです。チェケットの予約は7月ごろからはじまるんですね。

【エムズの片割れより】
ドボルザークのチェロ協奏曲のナマは、さすがに聞いたことがありません。

「ベートーヴェンは凄い!」は、下記にも書きましたが、全体の7~8割はS席のようです。
https://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/2012-30b2.html
7月のチケット販売は、自動的に「良い席」から順に売るアルゴリズムになっているようで、今からではもう良い席は無いのでは?
でも、1度はお聞きになると良いと思います。
午前0時前に終わるので、あらかじめホテルの予約を取って・・・??

投稿: KeiichiKoda | 2022年11月11日 (金) 08:17

上で県民文化センター(ザ・ヒロサワ・シティ会館)のことを書いてから、2度ほどここでコンサートを聴きました。一つは、一昨日(11/29)で、永峯大輔指揮東京交響楽団の演奏、ドボルザーク「交響曲第9番新世界」とチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」でした。後者の曲のピアニストは上原彩子さんで、以前ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をサントリーホールで聴いたことがあります。上原さんは、チャイコフスキー・コンクールのピアノ部門で日本人として初めての、たぶん唯一の優勝者で、おそらくチャイコフスキー・コンクールでもこのチャイコフスキーの曲を弾いたんだろうなと思いながら聴いていました。この曲は誰でも知っている有名な出だしで始まりますが、第1楽章後半以降はあまりよく覚えていませんでした。全体として非常にロシア的というか、第3楽章などはロシアの民族舞踊を取り入れたと思わせる雰囲気のある曲ですね。
 このコンサートの2日ほど前(11/27)にも、茨城交響楽団の定期演奏会があってこの劇場に行っています。この種の演奏会には珍しく、ミュージカルと映画音楽の演奏会でした。ミュージカルは「マイ・フェア・レディ」、「オペラ座の怪人」、「サウンド・オブ・ミュージック」から、映画音楽は「スターウォーズ演奏会用組曲」等でした。このコンサートには司会が付いて、演奏の前にミュージカルの内容の説明がありました。とくに「マイ・フェア・レディ」は日本で初めての本格的ミュージカルとして、1964年に江利チエミのイライザと高島忠夫のヒギンズ教授で演じられたことでも有名。私はなんとこの江利チエミ-高島忠夫の舞台を見ているのです。ブロードウェイでも上演されましたが、イギリス発の「オペラ座の怪人」も私が好きなミュージカルで、15年ぐらい前になりますか、劇団四季がこのミュージカルを上演したとき、主役のクリスティーヌを知人の娘さんが演じたということもあって、家内と見に行ったことがあるのです。ジョン・ウィリアムズの映画音楽「スターウォーズ」は先日(11/17)の読響プレミアでも演奏されていましたが、今後こうした演奏会も増えていくのでしょうね。

投稿: KeiichiKoda | 2022年12月 1日 (木) 14:04

あけましておめでとうございます。
昨年2022年は私にとっては(オーケストラのはいった)クラシックコンサートによく出かけた年でした。いくつかについてはエムズさんのブログのコメント欄に報告していますが、数えてみたら9回ほど行っています。締めは、12/25の東京芸術劇場でのベートーベンの「第九」(コバケン指揮日本フィル)で、昨年につづいて2回目の生の第九でした。家内の、笛田博昭さんのテノールが聴きたいという要望で笛田さんの出演するこの演奏に決まったのです(笑)。合唱団は昨年同様(ソリストたちを除い員マスク着用でした。第九を聴かないと、年を越せないという人たちでホールは満席でした。驚いたのは演奏終了後ホール内での写真撮影が許可されたことです。そういえば、11/3のサントリーホールでのコンサートでも最終曲の演奏終了後にスマホだけでなく本格的なカメラを向けてバシバシ写真を撮っている人がいたのですが、私が知らないだけで写真撮影許可が出ていたのかもしれません。ヨーロッパでは以前からホール内での写真撮影は演奏中はともかく、演奏開始前や終了直後には禁じられているといことはないようです。2017年にウィーンに旅行したとき、楽友協会の黄金の間でウィーン・フィルの演奏を聴いたことはどこかに書いたと思いますが、私の手元にも演奏直前・直後にとったホール内でのスマホ映像が残されています。ウィーンフィルの演奏といえば、今年のウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートをテレビで見ていて驚いたことの一つは演奏者はむろんのこと観客の誰もマスクを着けている人はいない、ということです。ニューイヤーコンサートは2020年の無観客演奏、2021年の観客限定(1000人限定)かつ観客マスク付き演奏を経て、本年の、ギッシリ詰まったノーマスク観客席の演奏へと移行したということです。事前にPCR検査の提出を義務付けているのかもしれませんが、そうした説明はとくにありませんでしたね。

【エムズの片割れより】
おおいに余生を楽しんでいて、羨ましい限りです。
自分もウイーンの黄金のホールに行ったことだけは、貴重な記憶です。(2006/8/19)
かえすがえすも、右耳の難聴が惜しい・・・
でもお袋も、兄貴も、伯母も・・・なので仕方が無いか・・・

今年も世界を股に掛けて好きな時間を過ごして下さい。
当方は、孫の小学校の吹奏楽のドラムをやっている姿をみて、ニヤついています。

投稿: KeiichiKoda | 2023年1月 6日 (金) 10:18

訂正。上のコメントで、年度が1つずつずれていますね。
ニューイヤーコンサートは2021年の無観客演奏、2022年の観客限定(1000人限定)かつ観客マスク付き演奏を経て、本年2023の、ギッシリ詰まったノーマスク観客席の演奏へと移行したということです。
ついでですので、指揮者は2021年がリッカルド・ムーティ、2022年がダニエル・バレンボイム、そして2023年がフランツ・ウェルザー・メストでした。リッカルド・ムーティは日経新聞の先月12月の「私の履歴書」を終えたばかりですが、ウィーンフィル・ニューイヤー・コンサートを6回指揮したと書いています。6回目が無観客演奏の指揮だったんですね。

投稿: KeiichiKoda | 2023年1月 6日 (金) 16:14

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