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2022年9月の3件の記事

2022年9月17日 (土)

美空ひばり作詞、岡林信康の「レクイエム~麦畑のひばり~」

先日、こんな歌を見付けた。何と、美空ひばりの作詞による曲だという。

<岡林信康の「レクイエム~麦畑のひばり~」>

「レクイエム~麦畑のひばり~」
  作詞:美空ひばり
  補作詞/作曲:岡林信康

麦畑空高く
飛ぶひばり 駆け昇る
はるか雲の上まで
おまえは行くというのか

おまえを育ててくれた
この麦畑を
ふり返る事もなく行くよ
ただ高く高く
飛びつづけてゆく

そこから何が見える
教えておくれひばり
澄み渡る青空か
それともその向うには

暗闇深くひろがり
遠き死の谷が
たとえそれが見えたとしても
おまえは行くだろう
飛びつづけるだろう

果てなく高き青空
私は見上げる
麦畑に吹く風の音
お前は見えない
はるかなひばりよ
はるかなひばりよ
愛しのひばりよ

この歌が出来るまでの経緯については、Youtubeにある。

220917okabayashi (2010年に作曲する)「35年前に、美空ひばりさんから岡林信康さんにあてに送られた1通の手紙。その中に同封された“詩”をもとに岡林さんが作品に仕上げられたのが、この「レクイエム~麦畑のひばり~」だという。
美空ひばりが亡くなったのは1989年6月。つまりこの詩が送られたのは1975年の頃らしい。
上のYoutubeによると、貰った当時は詩の内容から歌にはならないと思ったという。それが「美空ひばりと加藤和枝の二つの人格の自問自答、葛藤」が背景にあると読み解けてから、やっとこの歌が出来たという。

美空ひばりの作詞の曲は珍しいと思ってwikiを覗くと「ひばりが作詞し、生前に曲がついたものは22曲ある。そのうち18曲は自ら歌唱した」とあった。

ところで、上のYoutubeで「楽譜が読めない」という話が出て来た。美空ひばりが読めない話は有名だが、この岡林信康も同様に読めないと言っていた。
楽譜が読めない有名人をググると、井上陽水、小椋桂(ここ)や、桑田佳祐も・・・。
その他「ビートルズのメンバー全員、オペラのパバロッティ、BBキング、ジョージ・ベンソン、ジャンゴ・ラインハルト、ジミー・スミス」という記載もあった。

さすがにオペラのパバロッティにはビックリ!

それにしても、楽譜を初見で演奏できる音楽家はすごい。ベートーヴェンの交響曲をリストが編曲しているが、このCDを聞くと、まさに音の洪水。この音符の洪水を演奏できる人間の能力に感心する。

おっと、話がずれた。
美空ひばりが逝ってから33年。そんな美空ひばりを久しぶりに思い出させてくれた岡林信康の歌であった。
自分にとって、新しい歌を教えてくれるFM放送。毎日番組を録音はしてはいるが、さすがに「これは!」と新たに発見する歌は少ない。
そんな中で、久しぶりに「発見」した歌ではある。

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2022年9月 8日 (木)

メルカリで中古本を買いあさった話

このところ、メルカリで中古本を買いあさっていた。その狂騒曲も終わったので、今日はその顛末。
このところ、司馬遼太郎に凝っていることは前に書いた(ここ)。

「国盗り物語」に端を発して?司馬遼太郎の戦国物を読んでみようと、中古本をメルカリで買っている。
メルカリで中古本を買うことは、前に(ここ)で書いた。

繰り返しになるが、本を読んだときに、読み終わった本をどうするか、という問題に直面する。本棚に並べて置いても、その後、手にすることは無い。
結局処分することになる。ブックオフに持ち込んでも、1冊10円。やはりメルカリで処分することが良いようだ。
メルカリで売る場合、送料が問題になる。2022年6月16日より、本を送るときの送料が175円から210円に値上げになった。最低価格300円で売った時の残る金額は、メルカリに10%取られるので、300円-30円-送料210円=60円 にしかならない。写真を撮って梱包して、コンビニに持っていて1冊60円か・・・。
それを見てか、日本郵便のクリックポストが、2022年7月20日から198円から185円に値下げになった。上の例だと残るのが85円。
一時は、メルカリを卒業!と思ったのだが、送るのは全てクリックポストにすることで、再びやる気になって今日に至っている。

繰り返しになるが、メルカリでの売り買いはボランティア。つまり、再利用・リユースを目的にしないと手間が合わない。まだまだ読める本を捨てるのはもったいない。誰かに読んで貰えれば、資源のムダ廃につながる。
そんなわけで、読み捨てる本(小説類)は、買うのも売るのもメルカリなのである。

8月17日、突然メルカリのポイントが10000ポイント増えていることに気が付いた。何だこれは!?
Netでググってみると、どうも「【対象者限定】お買いものした金額の200%が戻ってくるチャンス!《メルカリ夏のお買いものドリーム》」というのに当たったらしい。このキャンペーンは、7月15日~31日の間の購入金額の2倍、200%が抽選で1万名に当たるという。調べてみると、ちょうど「国盗り物語」に凝り出したときで、司馬遼太郎の中古本を買いあさっていた時期。確かに購入金額の合計は5000円を越えていた。それで上限の1万ポイントが付いたらしい。
ポイントの期限が特に書いていなかったので、のんびりしていたら、「有効期限が過ぎる前に、ぜひポイントをご利用ください。」というメールが来た。使用期限は2022年9月30日だという。
それからが狂騒曲。1万円となると、結構な金額。カミさんに言っても、特に欲しい物は無いという。それで、文庫の中古本を買うことにした。

1万円分買うとしても、到底直ぐには読めない。順番に読むにしても、たぶんその内読みたくなるであろう本を探した。歴史・時代小説のお勧めサイトや、Amazonの売れ筋本などを参考に・・・。
先ずは、司馬遼太郎の戦国物。池波正太郎や浅田次郎の歴史小説などなど。
昨日まで、メルカリだけでなく、ヤフオクやAmazonの中古本を含めて、数えてみたら、山岡荘八の「徳川家康」26巻や池波正太郎の「真田太平記」12巻を含めて103冊であった。買った金額は、1万ポイントを入れて、25000円ほど。つまり実質15000円ほど遣った。
もちろんこの中には取っておきたいと、Amazonで新本を買ったものもあり、中古本だけの平均は1冊@220円だった。

さてここからが本題だが、自分がどんな基準で中古本を買ったか、である。
220908yake 自分はヤケが大嫌い。本棚で長期間置いておくと、陽が当たる部分が黄色く変色する。そしてそれは表面だけで無く、ページの中にまで浸透していく。
新品である必要は無いが、ヤケて中古中古している本は読む気がしない。
前は、Amazonの中古本屋で程度の良い本をよく買ったが、どれも新品同様で気に入っていた。しかしあるネット中古本屋で買った本が、着いてみるとヤケがあってガッカリ。
それと、メルカリで「未使用に近い」という本を買ったら、全ページの周囲が黄色くヤケて変色していたことがあった。周囲全体がヤケているので、たぶん直射日光が当たる場所に置いておいたのだろう。本棚に保管していると、上の写真のように、上部と小口がヤケるはず。

その二つの経験から、必ず出品の写真で、本の上部と小口の状態を見ることにした。Amazonの中古本は写真で確認できないので買うのを止めた。Amazonもメルカリも、「商品の状態」は出品者の主観なのでアテにならない。上の例では、確かにページをめくって、各頁の周囲が変色していることに気が付かなければ、「未使用に近い」状態。でも開いてみるとヤケが・・・
これはだます話では無く、出品者が気が付くかどうかの問題だろう。つまりは、買う方が写真で確認するしかない。
よって、メルカリでは、必ず上部や小口の写真があるものから選ぶことにした。もちろん変色しているものは買わない。
一番確かなのは、「本屋で買って一度読んで保管」という説明があるもの。
それが無いものは、写真で本の金額を確認して、もっとも高い値段表示の本を買う。
Amazonも含めて、本は全て消費税抜きの表示。ちょっと見ると分かるが、まったく同じ本でも時間と共に値段がグングン上がっている事が分かる。つまりは、値段が安いものほど発売が古いという事。同じような物であれば、値段が高い=最近の発売の本の方が無難。
もうひとつ気にしたのが「新装版」。ロングセラーの本は、途中で「新装版」として改版されている本が多い。どれも、文字が大きくなって読み易くなっている。これも表示の値段から判断できる。
整理すると・・・

<自分がメルカリで中古本を買う基準>
①写真で、表紙や裏表紙だけの物は避ける(表紙がキレイなのは当然)
②写真で、上部(天)や小口がヤケて変色している物は避ける
②同じような物であれば、値段が最も高いもの(=新しいもの)を選ぶ
③文庫は「新装版」が読み易い

ともあれ、100冊の歴史・時代小説を買ってしまった。1冊2日のハイペースで読んでも200日。1年はかかるかも・・・

でも、本当にこの頃、TVは見なくなった。音楽も聞かなくなった。今日はWOWOWも見ないので解約した。
老化防止に、読書は良いらしい。ウチのカミさんも、若いときから読書好きで、司書の資格も取ったが、自分とはジャンルも何もかもが違う。よって同じ本を二人で読む事はまったくない。そんな意味では非効率的。でも読書は金がかからない老後の楽しみではある。

怖いのは、白内障などの目の病気。幸い、外出時は必ずサングラスをしているせいか、今のところ徴候は無い。
問題は動かない事。じっと同じ姿勢で本を読んでいるため、姿勢が悪く、肩凝りがひどい。湿布を貼りすぎたせいか、肌の状態も良くない。
せめてもと、自室でラジオ体操を始めた。でもこれも直ぐに忘れてしまうだろう。
何事も、続かないのが自分の性格。
ま、こんな事で老後を楽しんでいる?最近ではある。

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2022年9月 3日 (土)

司馬遼太郎の「国盗り物語」「関ヶ原」を読んで再認識したこと

相変わらず、コロナ渦にかまけて、運動もせず、自室にこもって司馬遼太郎の戦国物に逃げている最近だが、今までの自分の常識がくつがえる?記事を読んだので、今日はその話。

220903siba 司馬遼太郎が面白く、中古本を数十冊買い集めている。ついでに、司馬遼太郎のガイドブックのような本も買って、何を読むかの指針にしているが、先日買った「KAWADE夢ムック 司馬遼太郎の「戦国時代」」(2002年8月刊)の「司馬遼太郎「戦国物全長編」を読む」に面白い記述があった。

まず「国盗り物語」の斎藤道三の親子二代説。この話は、先日KeiichiKodaさんから教えて頂いたが(ここ)、詳しい記述があった。

「「国盗り物語」
下剋上のダイナミズム 磯貝勝太郎
・・・
 司馬遼太郎が述べているように、斎藤道三についての史実を伝える資料はきわめて少ない。歴史家の桑田忠親の研究によると、道三は明応三年(一四九四)、山城の国乙訓郡西ヶ岡(現在の京都市)の北面の武士、松浪左近将監基宗の子であったという。だが、『洞堂軍記』には、京都の傘張り職人の子として生まれたと書いてあり、『江濃記』には、山城の国の西ヶ岡から浪人して美濃に流れてきたと記されている。桑田忠親が道三を京都の西ヶ岡の松浪基宗の子である、と指摘されたのは、太旧牛一の『信長公記』に典拠している。
 ところが昭和四十七年ごろ、注目すべき資料が発見されている。『六角承禎条目』である。これは横浜市春日力氏所蔵の永禄三年(一五六〇)七月二十一日付、平井兵衛尉以下五人宛の文書で、『岐阜県史』編纂委員によって発見されたのである。『六角承禎条目』によると、道三の父は、新左衛門尉という、もと京都の妙覚寺の法華坊主であったが、美濃に流れてきたとき、西村と称し美濃守護職の土岐家の執権、長井利隆に仕えて、長井氏と改めたあとで、その国の実力者に成長したという。そして、その子の道三は、父の死後、土岐頼芸を国主にしたのち、ほどなく頼芸を追放し、美濃を奪ってしまったというのである。
 この『六角承禎条目』の長井新左衛門と松浪基宗とが同じ人物であったとすれば、“美濃の国盗り”は、父親の新左衛門とその子の道三との二代にわたるものであり、京の油問屋の奈良屋を奪い取り、灯油の行商人となったのち、美濃に流れてきたという興味深い物語は、作り話ということになる。『国盗り物語』の道三は、妙覚寺の法蓮房、松浪庄九郎、西村勘九郎、長井新九郎など、生涯に十三回、姓名を変えており、変えるたびごとに身分が上がっているが、『六角承禎条目』に記されていることが史実であるならば、妙覚寺の法蓮坊から長井氏と改名するにいたるまでは、父親の略歴にあたり、父親の代に、すでに、美濃を乗っ取る謀略がすすめられていたのである。その子の道三は、美濃で生まれたか、もしくは、幼少のころ、父に連れられて、美濃に来ていたことになり、“美濃の国盗り”は父子二代によるものであったと推定される。
 したがって、道三が油問屋の奈良屋とその後家のお万阿を手中にしたあとで、永楽銭の真ん中の四角い穴から油を流し込むという至芸を売り物とする灯油の行商人となり、その後、美濃に流れてきたというのは伝説、逸話のたぐいにすぎない。『六角承禎条目』が『岐阜県史・資料編』に収録、刊行されたのは昭和四十八年である。『国盗り物語』が刊行されたのは昭和四十一年なので、司馬遼太郎は『六角承禎条目』をふまえて、『国盗り物語』を書くことはできなかったが、流布している伝説、逸話のたぐいを使って、作者ならではの道三を筆端に躍動させている。『国盗り物語』の道三は、史実上の彼と異なっていても、文学作品の価値がいささかもそこなわれることはない。・・・」(司馬遼太郎の「戦国時代」P51より)

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んで、我々は「薩長同盟を締結できたのは龍馬がいたからだ」「大政奉還の立役者だった」と思い込んでいるが、実態はぜんぜん違う。という話もあるが(ここ)、同じように、「国盗り物語」を読んで、それが史実だとつい思い込んでしまう。
それだけ司馬遼太郎の小説の影響が大きいという事。たぶん、吉川英治の「宮本武蔵」も同じでは無いか・・・

次に、秀吉の正室、北政所について・・・

「「関ヶ原」
石田三成の冤(ぬれぎぬ)を雪(そそ)ぐ 横田淳
・・・
 「関ヶ原」で豊臣家から政権を奪い取った徳川家は、その行為に正当性を与える必要があった。江戸開幕後、朱子学(儒学)を導入して封建社会の秩序を創りあげていく徳川政権にとって、「関ケ原」の過去はどうしても都の悪いものであった。家康が戦ったのは「主家」豊臣家であってはならなかった。その名を騙る「悪」でなければならなかったのだった。三成は徳川政権から敵役に指名され、その御用史家によって「奸人」に仕立て上げられることになる。徳川政権が「関ケ原戦犯」の三成を赦すことはなく、その歪められたイメージは二百数十年の歳月をかけて語り継がれ、“事実”となっていった。」(司馬遼太郎の「戦国時代」P103より)
・・・
「三成のスタート以前から大坂では、着々と家康討伐計画が進められていたに違いない。三成が最初に挙兵計画をうち明けた人が吉継である、このことが事実ならば、三成は挙兵計画の発起人ではなく、そのひとり、あるいは一流に過ぎなかったといえよう。
 さらに驚くべきことは、北政所の動きである。家康を支持し、加藤清正・福島正則などのいわゆる尾張系の大名を家康に荷担させ、実の甥にあたる小早川秀秋には裏切りを命ずるなど、徳川方の勝利に重要な役割を果たしたといわれる北政所は、七月七日に豪姫が行った必勝祈願の式典に側近の「東殿局」を代参させ、また伏見城攻撃が開始されている二十三日に宇喜多秀家が豊国社に参詣すると、秀家に祈祷を依頼しているのである。秀家は秀吉に家康討伐の義挙を報告し必勝を祈願したに違いなく、北政所の行動は大坂方の家康討伐を肯定、さらには秀家にそれを指示していたとすら推察できるのだ。北政所は大坂方を支持していたのだった。
 北政所の家康支持説は、秀吉の正室ですら家康を支持したと、その行為を正当化する作用と、秀吉が没してわずか数年であまりに無節操に「利」に奔った豊臣家恩顧の諸侯を、北政所の指示・助言を理由に救済するために創りあげられた虚構だったのだ。・・・」((司馬遼太郎の「戦国時代」P106より)

司馬遼太郎も「城塞」で、徳川家康が冬の陣、夏の陣で行った豊臣家を滅ぼす手段は、「犯罪行為」とまで言っている。
勝った者がそれまでの歴史を書き換え、自己を正当化する。これは鎌倉幕府の「吾妻鏡」が「源氏に厳しく北条に甘いという特徴を持つ」というのと同じ。
しかし、後世の人は、それ以外の史料がないので、それらを信じるしか無い・・・

司馬遼太郎の作品を読むと、随所に引用文献が出てくる。色々なエピソードも、ほとんどが各史料に基づいており、その調査能力には感心する。
しかし、もちろん筆者の考えでそれらは小説として色付けされ、それがベストセラーとして広く読まれることによって、「歴史」となってしまう。

歴史的な事実というのは、発見された史料によって、色々な説が出てくる。BS-TBSの「関口宏の一番新しい古代史」でも、色々な説が紹介されていた。
その意味では、上記もある一説であり、これを否定する説も多いのかも知れない。

話は変わるが、世を騒がせている安倍元首相の国葬問題。
これも勝った者(自民党)が、勝手に歴史を作ってしまう一例なのだろうか?

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