映画「大河への道」を見た
カミさんに誘われて、、映画「大河への道」(ここ)を見てきた。これがなかなか面白かった。エンタテインメントとしては一級。内容に深さがあるとは言えないが・・・
映画館へ行ったのは、2年半ぶり。午後は歯医者の予約があるので、午前中。Netで見たら、午前中の上映は9時50分からだという。前にサイトを見たときは10時過ぎだったので、前日に良く確認しておかないと危ない。シネコンは上映時間が自由に変わるらしい。
駐車場が開くのは9時半。こんなに早く行ったことが無いので、戸惑う。数分前に着いたが、既に開場待ちの車が並んでいる。
平日の朝一番というのに、シネコンは結構な人。「大河への道」の上映館は30~40人か・・・?
それにしても、本編前の予告編の音の大きいこと!耳にタオルを詰めてもダメだった。
公式サイトのキャッチコピーは、 「夢とロマンを抱き55歳から地図作りを始めた伊能忠敬。根気と執念で日本全国を測量すること17年。歩いた距離は地球一周分。そして1821年、遂に日本初の実測地図「大日本沿海輿地全図」(伊能図)は完成した……というのが歴史の授業で習うこと。しかし、200年の時を経て、そんな日本史の常識をひっくり返す映画が誕生した!
「伊能忠敬は地図を完成させてない。だからドラマにはならない!」 千葉県香取市。市役所の総務課に勤める池本保治(中井貴⼀)は、市の観光振興策を検討する会議で意見を求められ、苦し紛れに⼤河ドラマ制作を提案。思いがけずそれが通り、郷土の偉人、伊能忠敬を主人公とする大河ドラマの企画が立ち上がってしまう。ところが企画を進めるうちに、⽇本地図を完成させたのは伊能忠敬ではなかった!?彼は地図完成の3年前に亡くなっていた!
という驚きの事実が明らかに……。江戸と令和、2つの時代を舞台に明かされていく⽇本初の全国地図誕生秘話。
そこには地図を完成させるため、伊能忠敬の弟子たちが命を懸けて取り組んだとんでもない隠密作戦があった――。」(ここより)
まったくの予備知識無しで見に行ったのだが、先ずはタイトルの「大河への道」。何と「大河」とはNHKの大河ドラマのことだった。つまり、香取市の観光PRのために、伊能忠敬を大河ドラマのテーマに売り込もうという「大河への道」だった。何とも人を食ったようなネーミング。
そして物語は、伊能忠敬の物語と思っていたら、伊能忠敬が亡くなってから地図が完成するまでの3年間の、天文方・高橋景保と弟子たちの物語だった。
キャストは中井貴一、松山ケンイチ、北川景子、西村まさ彦、平田満、草刈正雄、橋爪功といった、自分の好きな(臭くない!?)メンバー。それらが、現在と江戸時代の一人二役を演じる。これがまたユニークで面白い。まあ原作者の立川志の輔も、二役で無理に出場させたのは余計だったが!?
それに原作が落語と言うからオドロキ。こんなテーマの落語もあるのだ・・・
落語は、小学校5年生の頃、鉱石ラジオを作ったときに、クリスタルイヤホンでよく聞いていた。しかし、今は全くの苦手。前に兄貴に初めて寄席に連れて行ってもらったが、話に頭が付いていかず(話に入って行けず)、まったく面白くなかった。周りはドット笑うが、一人孤独だった!?
話が脱線するが、最近よくカミさんから、笑いが少ないと言われる。言われてみると、確かに笑う機会は少ない。笑いが無いのは、うつ病の症状とか!?
加齢で笑いが無くなる??注意せねば!?
おっと話を戻そう。この映画はとにかく分かり易い。映画によっては、復習で2度見てやっと分かった、という映画も多い。それが、実に単純で分かり易い。
これについては、中井が「この映画を小学生に観てもらいたい。コメディにしたのは、子どもたちにも観やすい形で伊能忠敬を知ってくれたら嬉しい」と言っている。
なるほど、意識的か・・・
家に帰ってから、高橋景保について勉強!
するとwikiにこんな記述があった。
「文政11年(1828年)のシーボルト事件に関与して10月10日(11月16日)に伝馬町牢屋敷に投獄され、翌文政12年2月16日(1829年3月20日)に獄死している。享年45。獄死後、遺体は塩漬けにされて保存され、翌文政13年3月26日(1830年4月18日)に、改めて引き出されて罪状申し渡しの上斬首刑に処せられている。このため、公式記録では死因は斬罪という形になっている。
墓は上野の源空寺。高橋至時・伊能忠敬・高橋景保の大日本沿海輿地全図組三人頭の墓地が並んでいる。」
シーボルト事件については、前にTVドラマで見たことがある。
この映画は、高橋の絶頂期だが、その7年後の事件。何とも残念な晩年だが、禁制品と分かっていながら、なぜ渡したのか・・・
wikiには「樺太東岸の資料を求めていた景保にシーボルトがクルーゼンシュテルンの『世界周航記』などを贈り、その代わりに、景保が伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』の縮図をシーボルトに贈った。この縮図をシーボルトが国外に持ち出そうとした。」とある。
その話をしたら、カミさんから「映画を見てせっかく良い気持ちでいたのに、イヤな話を聞いた」とうらまれた!?
ともあれ、伊能忠敬について、つい勉強してしまった。
確かに、地図が完成したのは、死の3年後かも知れない。しかし、それは作業が続いていた、ということであって、伊能忠敬の業績には違いない。
彼の有名なモーツァルトのレクイエムも、モーツァルトが全部を書いたわけでは無い。でもあれだけの名曲として残っている。
早くコロナが終息し、映画館に行くのが普通の風景になることを祈ろう。
| 0
コメント