半藤一利の「B面昭和史1926-1945」を読んだ
半藤一利の「B面昭和史1926-1945」を読んだ。
この本が何とも面白かった。自分の愛読する読み捨てのチャンバラ小説より、よっぽど面白いかも・・・
それは講談師・半藤一利が、「さーて、お立ち会い!御用とお急ぎでない方は、ゆっくりと聞いておいで!!」と講ずるのだから面白い。
「昭和史1926~1945」が新聞の1面とすると「B面昭和史」は3面記事から見た昭和史。
しかし、どうも話がA面に行ってしまうのを、おっとっと、とB面に戻す。の繰り返しが何とも納得できる。
実はこの本の存在を知ったのはごく最近のこと。
NHKラジオ第2の「声でつづる昭和人物史~半藤一利」4(2022/01/24放送)(ここ)を聞いた時に、保阪正康氏が、昭和史三部作を紹介していた。その時は、「昭和史1926~1945」「昭和史(戦後編)」そして「世界史のなかの昭和史」が三部作で、「B面昭和史」を入れて四部作と言ってよいのでは。と言っていた。 「昭和史1926~1945」と「昭和史(戦後編)」はだいぶん昔に読んだが、「世界史のなかの昭和史」と「B面昭和史」は知らなかったので、早速買ってきて、今日「B面昭和史」を読み終わったということ。650ページの大作としてはスイスイ読めた。
(p594の「あとがき」を読むと、半藤さんは「昭和史1926~1945」「世界史のなかの昭和史」「B面昭和史」を昭和史三部作と言っているようだが・・・)
まあ、興味のある方は読んで頂くとして、こんな裏話もあったという。どうでも良いことだが・・・
<昭和4年の項>p58より
「スポーツに関連してもう一話、他愛もないことながら―――。わたくしは小学校一年生のはじめての運動会で、「いいですか、徒競走の号令は、“位置について、用意ッ・・・ドーン”と正式に決まっています。このドーンはピストルの音です。分かりましたね」と先生にこんこんと教えられた記憶がある。いらい、何の不忠議もなく「ヨーイ、ドン」でやってきたが、あのとき、先生がこと改めて「正式に決まっています」といった理由が急に気になったことがあった。それで十五年ほど前に調べてみた。
結果は、「ヨーイ、ドン」がスタートの合図として正式に採用されたのが三年五月二十六日。この日、明治神宮競技場で第一回全日本学生陸上競技大会かひらかれ、そのときに決められたとわかる。わたくしが小学生になる十年ほど前で、そんなに昔ではなかったのである。
ついでに調べてみた。明治十六年(一八八三)の東大の陸上運動会では「いいか、ひ、ふ、み」。大正二年(一九一三)の第一回全国陸上競技会では「支度して、用意」であった。なかには「よろしゅうごわすか、用意」なんて時代もあったらしい。知っていても何の役にもたたないことながら、昭和改元とともにはしまったことか多いのにびっくりさせられる。」
昭和5年生まれの半藤さんが、ものごころついて、小学校、中学校時代の半藤さん扮する「悪ガキ」の大活躍には、つい笑みがこぼれる。
途中は飛ばすが、昭和20年3月10日の東京大空襲。死者10万人、罹災者100万人、焼失家屋26万戸。こんな話もあったらしい。
<昭和20年 人道無視の無差別爆撃>p536より
「三月、五日間で攻略できるであろうと予定されていた硫黄島の激戦がなおつづいているとき、マリアナ諸島の米第20空軍司令部の不満は、爆発点に達しようとしていた。本土爆撃開始いらいすでに四ヵ月に及んでいるのに、日本上空の強い偏西風に影響されて回数22回、のべ2148機の出撃、五千トンの投弾によっても、優先的に設定された主目的11のどれ一つとして壊滅し得なかったからである。隊の士気の日ましに落ちていくのに業をにやしたカーチス・ルメイ少将は、ついに決断を下した。それまで守られてきた“爆撃の騎士道”をかなぐり捨てたのである。
―、日本の主要都市にたいし夜間の焼夷弾攻撃に主力をそそぐこと。
二、爆撃高度を五千~八千フートとす。
三、各機は個々に攻撃を行うこととす。(以下略)
作戦の根幹は焼夷弾による低空からの市街地への無差別攻撃である。
「日本の一般家屋は木と紙だ。超低空からの焼夷弾攻撃で十分効果があげられる」
とルメイは自信たっぷりに言った。
この新戦術によるB29の大群の無差別絨毯爆撃が開始されたのが三月十日未明。それは東京の下町にたいする猛火と黒煙とによる包囲焼尽作戦であった。」
・・・・・
「いずれにしても、じつに情けないことに、その悪魔の使者ごときルメイどのに、昭和三十九年十二月にわが日本国は勲一等旭日大綬章を授与している。これを知らされたときのわたくしの怒髪が天をついたのは、いかがであろうか、無理はないことと読者は思われぬか。同時に、日本人の人の好さにホトホト愛想をつかした、いや感服したことも事実である。」
何度も出てくるが、日本人の変わり身の早さ、素直というか、お人好しさ・・・。
そしてこの本に繰り返し出てくる「民草」という言葉も初めて聞いた。
広辞苑によると、
たみ‐くさ【民草】
民のふえるさまを草にたとえていう語。たみ。人民。青人草あおひとくさ。胆大小心録「心を殊にかなへたらんには、いやしき―たりとも、よき歌よむべし」
〇民の草葉
人民を草にたとえた語。民草。拾遺愚草下「治まれる―を見せがほになびく田面の秋の初風」
そう、まさに民草からみた戦争への歩みが、“半藤節”で書かれている。昭和を生きた人以外はちょっと遠いことかも知れないが、「歴史は繰り返す」のだ。
そして、最後に半藤さんは言う。
<「あとがき」より>p592
「過去の戦争は決して指導者だけでやったものではなく、わたくしたち民草がその気になったのです。総力戦の掛け声に率先して乗ったのです。それゆえに実際に何があったのか、誰が何をしたのか、それをくり返し考え知ることが大事だと思います。無念の死をとげた人びとのことを忘れないこと、それはふたたび同じことをくり返さないことに通じるからです。少々疲れる努力ですが。本書か少しでもその役に立てばありかたいと本気で願っています。」
半藤さんが逝って1年余。
亡くなる前に「昭和史(戦後編)1945~1989」に対する「B面昭和史 1945~1989」も書き残して欲しかったと思った。
さて、では「世界史のなかの昭和史」を読み始めるかな・・・
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