半藤一利の「聖断-昭和天皇と鈴木貫太郎」を読む
半藤さんの本の話ばかりで恐縮だが、やっぱりこれはメモしておきたい。
半藤一利著「聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎」を読んだ。(ここ)に書いたが、この本は、半藤さんが「一番好きな作品」として真っ先に挙げた作品だという。
それで読んでみたのだが、実に面白かった。もちろんこの作品は小説では無い。ドキュメンタリー作品である。しかし、読み始めるとまさに小説のように引き込まれる。小説を読んでいて、この先がどうなるかと、寐るのも忘れて読み終えてしまったことがあるが、それに似ている。
作品は、鈴木貫太郎という終戦時の首相の一代記と、昭和天皇と歩んだ終戦までの道のりを書いている。自分は鈴木貫太郎という人は、名前だけしか知らなかったが、その人の人生が良く分かった。
言うまでも無く、終戦の8月15日までの、たった130日間の首相である。しかし残る終をやり遂げた業績は、昭和天皇をして「鈴木、ご苦労をかけた。本当によくやってくれた」「本当によくやってくれたね」と言わしめた男(P523)。
二・二六事件で瀕死の重傷を負いながら、79歳で昭和天皇から首相への就任に「頼むから、どうか、まげて承知してもらいたい」と頼まれた鈴木。耳は遠いながら体力はあったという。その源泉はよく食べ、良く眠ること。特に睡眠については、特技とも言える技があったらしい。
(脱線:中学の頃?授業で当てられて自分が立って答えた。「二“てん”二六事件」。先生は「“てん”は要りません」と言った。その光景をいまだに覚えている)
半藤さんは太平洋戦争や終戦については、たくさんの作品を書いている。よって、読んでいて「またか・・・」という話があるのではと危惧していたが、それは無かった。他の作品で書いたことはスッと過ぎて、新鮮なままで読み通せた。(「日本のいちばん長い日」のプロローグは、「聖断」と完全にダブっているが・・・)
可笑しいことをひとつ見付けた。
8月15日の正午に玉音放送があったが、その直前まで大本営発表の放送があったというのだ。
「午前十時三十分、大本営は発表した。開戦いらい八百四十六回目の最後の大本営発表であった。
「わが航空部隊は八月十三日午後、鹿島灘東方二十五浬において航空母艦四隻を基幹とする敵機動部隊の一群を捕捉攻撃し、航空母艦一隻を大破炎上せしめたり」
国民のなかにはこの発表に奇異なものを感じたものも多かっか。朝からラジオは「畏きあたりにおかせられましては、このたび詔書を渙発せられます……畏くも天皇陛下におかせられましては、本日正午おんみずからご放送あそばされます」と荘重な口調で、予告をいいつづけていたからである。」(P515より)
「十一時五十五分、東部防衛司令部、横須賀鎮守府司令部の戦況発表をラジオは告げた。
「―、敵艦上機は三波にわかれ、二時間にわたり、主として飛行場、一部交通機関に対し攻撃を加えたり。 二、十一時までに判明せる戦果、撃墜九機、撃破二機なり」
宮中、防空壕内の枢密院会議を一時中断し、首相と顧問官たちは細い回廊に一列にならんだ。天皇は、会議室のとなり控室の御座所にあって、小型ラジオを前にした。みすがらの重大放送を聴こうというのである。
ラジオは最後の情報を流した。
「……目下、千葉、茨城の上空に敵機を認めず」
十一時五十九分をまわっていた。つづいて正午の時報がコツ、コツと刻みはじめた。
「天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、畏くもおんみずから大詔を宣わせ給うことになりました。これより謹みて玉音をお送り申します」
つづいて「君が代」が流れた。一億の日本国民がいまや偉大な葬儀に列するのである。天皇が喪主であったといえる。」(P517より)
ウソで固められた「大本営発表」の、最後の断末魔であったろうか。
2日前から始まったロシア軍によるウクライナ侵攻。CNNの報道では今(2022/02/26夕)、首都キエフで市街戦になっているという。 『戦争だけは絶対にはじめてはいけない』と言い残して亡くなった半藤さん。
国外のこととは言え、それがいとも簡単に破られる。ひとりの独裁者によって、数え切れない人の命が失われる。それが現実。
こんな理不尽な戦争を、もし存命なら、半藤さんは何と言うか?
75年前に終わった戦争。非戦の誓いは、日々新たにしていないと怖い世の中であると再認識した。
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