保阪正康氏が語る「半藤一利という『歴史館』」
毎回半藤さんの話で恐縮!?
引き続き?「文春ムック 永久保存版 半藤一利の昭和史」を読んでみた。 2021年1月12日発行の、90歳で亡くなった半藤さんを追悼する、文藝春秋特別編集のムックである。
その中に、「半藤さんから受けとったもの」という何人かの著名人の寄稿があり、保阪正康さんの一文が、まさに“半藤一利さんワールド”を的確に語っているので、紹介したい。
「半藤一利という『歴史館』
ノンフィクション作家 保阪正康
半藤さんの訃報を聞いてから、二、三日はボーツとしてしまい、仕事が手につかなかった。これまで二人で五十回以上の対談を行い、十七冊の対談本などを共に作ってきた。特にこの二十年は、半藤さんと時間を共にしてきた印象が強い。プライベートでも勉強会での付き合いが深く、ある人に私を紹介するときに「保阪君は身内だから」と言ってくれたことを今でも忘れてはいない。
しかし、ここでは敢えてプライベートの交遊よりも昭和史研究者としての側面について、書きたいと思う。私は、訃報を聞いてから、半藤さんが、どのように昭和史と向き合ってきたのか、自分なりにまとめてみようと考えてきた。
半藤さんの歴史観は、一つの家に例えることができる。歴史観ならぬ「歴史館」といっていい。この家には、三本の大きな柱が立ち、四本のしっかりとした梁があった。
一つ目の柱になるのが、史料や証言を丁寧に分析する実証主義だ。歴史を皇国史観や唯物史観などの思想をベースに見るのではなく、史料や証言を集め、自分の手で一つ一つ検証していくものだった。多くの軍人たちに直接インタビューをしたり、史料の発掘に立ち会ったことはこれにあたる。いまでも読み継がれる『日本のいちばん長い日』や『聖断』などの著作は、まさにこの成果といっていいだろう。
次の柱が、一市民、国民の目線であることを大事にしていた点だ。権力者の側に立たず、常に一般の庶民としての目線を忘れなかった。それは半藤さん自身が、昭和二十年三月十日の東京大空襲の体験者であることと大きなかかわりがある。地獄ともいうべき火の海の中を逃げた少年時代の記憶は、権力者や有力者の視点で歴史を語ることを許さなかった。
最後に挙げたいのが歴史の連続性だ。歴史をぶつ切りではなく、親の世代から子や孫の世代まで、長きにわたって受け継がれていくものであると考えていた。半藤さんは、七十歳を過ぎてからそれまで公にしてこなかった空襲体験を語り始めた。高齢化による記憶の風化を不安に感じてのことだという。これこそ、「伝え、繋げなければならない」という使命感の表れだったのだろう。
では、四つの梁とは何か。それは、ヒューマニズム、アンチミリタリズム、インテリジェンス、ポピュリスムを指す。
半藤的ヒューマニズムとは、人間が平和な時代に生まれ安らかに亡くなっていくことを政治こそが保障すべきという考え方だ。アンチミリタリズムは、言うまでもないことだが、軍国主義的な事象への反対する姿勢である。
次に挙げたインテリジェンスとは、知識や情報をベースにして物事を論理的に考える姿勢のことである。ここを失うと、歴史を自分の都合のいいように捻じ曲げてしまう。それは、かつて唯物史観と呼ばれるものであったし、近年では日本を極端に礼賛する歴史観だ。半藤さんはそのような歴史観とは距離を置いていた。
ある時、半藤さんからこう言われた「オレもキミもネットの世界では、極左だの反日だのと言われてるらしいぞ」。我々は、皇室擁護の立場だし、そもそも共産主義とは相容れない。半藤さんは「昔は、右翼だの反動だのと言われて、今は左翼扱い。こっちは何も変わっていないのに」と憮然とするのだった。
最後に敢えてポピュリスムという言葉を使った。これは大衆迎合という意ではなく、人々に分かりやすい平易なことばで伝えることを指す。半藤話術ともいうべき語り囗や独特の文体は、「歴史書」を読むことのハードルを下げ、昭和史を親しみやすいものとした。昭和史が大衆化したのは、その力によるところが大きい。
今になって思うと、半藤さんは出会ったころから変わらなかった。私がノンフィクション作家になった四十年ほど前、「君の書いた『東條英機と天皇の時代』を読んだよ。開戦前夜、東條が首相官邸でただ一人泣いていたという証言を、奥さんから聞き出したのは素晴らしい」と褒められたことを昨日のことのように思い出す。半藤さんは歴史の中に「人間」を見ることに重点を置いていた。人間を描くことが、時代を理解するのに最適であると考えていたのだろう。本稿で挙げた柱にも梁にも「人間」が描かれているのだ。これこそが、「半藤昭和史」最大の特徴になるのだろう。
私は、この数十年、昭和史を中心に歴史を調べてきたが、そこにはすでに「半藤一利」という大きな道があった。私は、その道を後から歩いて行くことができた。半藤さんが亡くなった今、微力ではあるがその道が行き止まりにならない様に切り開いていこうと決意している。それが、「保阪君は身内だから」とまで言ってくれた半藤さんへの何よりの恩返
しになると思うからだ。」(「文春ムック 永久保存版 半藤一利の昭和史」P154より)
保阪正康さん現在82歳。
最後の「半藤さんが亡くなった今、微力ではあるがその道が行き止まりにならない様に切り開いていこうと決意している。」という一文に期待したい。
このムックの最後に「決定版 半藤さんの90冊 ジャンル別ガイドブック」という90歳にちなんだ90冊の紹介がある。
「一番好きな作品は?」の問いに、半藤さんがまっさきに挙げたのが「聖断-昭和天皇と鈴木貫太郎」だったという。そして挙げたのが「ソ連が満洲に侵攻した夏」「それからの海舟」と、『やっぱりこれが一番かな』と挙げたのが「漱石先生ぞな、もし」だったという。
自分も漱石の長編は全部読んだので(ここ)、「漱石先生ぞな、もし」に少し興味を覚え、廃刊になっているので図書館で古い本を借りてはみたが、挫折した。
そして「聖断」も読んでみようかと手配した。ついでに、東大教授の加藤陽子さんが寄稿で挙げていた「日本の一番ながい日」も、2つの映画は見たが、小説は読んでいない。
これも読んでみようか・・・
読む姿勢が悪いせいか、枕が合っていないせいか、毎晩寐ると夜中に肩が凝る。数年来だ。
老体にむち打って?最近は音楽よりも読書に励むコロナ渦の老人ではある。
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