西郷輝彦さん逝く~「桜花のとき」
西郷輝彦さんが亡くなったという。自分より半年だけ年長。同世代の人の訃報が聞かれるようになってきた・・・。
「西郷輝彦さん死去 75歳 放射線、抗がん剤治療など14回…壮絶がん闘病11年
橋幸夫(78)、舟木一夫(77)とともに「御三家」と称され、人気を集めた歌手で俳優の西郷輝彦(本名・今川盛揮=いまがわ・せいき)さんが20日午前9時41分、前立腺がんのため都内の病院で死去した。75歳。「星のフラメンコ」など数々のヒット曲で一世を風靡(ふうび)し、俳優としてもTBS系ドラマ「江戸を斬る」などで活躍した。2011年に前立腺がんと診断され、オーストラリアで日本未承認の治療を受けるなど、仕事復帰を目指していた。葬儀は近親者で行う。
「御三家」として、昭和歌謡界を席巻した西郷さんが、長い闘病の末、静かに逝った。関係者によると、90年に再婚した妻や娘に見守られ、天国に旅立った。
西郷さんは11年に前立腺がんが判明。「周囲に迷惑をかけたくない」との意向で事務所関係者にも伝えず、前立腺の全摘出手術を受けた。17年にがんが再発。深刻な体調不良でも単独ライブに立ち続けたが、医師と相談した上で同年11月30日に治療を最優先するために活動を一時休止した。
ホルモン治療、放射線、抗がん剤治療を14回受けるなど治療を続けたが、コロナ禍に受けた検査で前立腺がんのマーカーが上昇。21年5月、ステージ4の去勢抵抗性前立腺がんと公表し、シドニーの病院で先端治療を受けるために妻と渡豪した。
同時期にYouTubeを開設。病状を報告し「後がないんだ」と吐露。「まだやりたいことがたくさんある。願いはただ一つ。もう少しだけ好きな仕事をさせてほしい」と語っていた。昨年8月には、日本テレビ系「24時間テレビ」にオーストラリアから中継で出演。「元気ですよ」と笑顔を見せ、「がんが消えた画像をこの目で見た。奇跡は起こります」と経過を明かした。
西郷さんは、9歳と15歳の頃に2人の兄が他界。鹿児島県の実家の跡取りとして期待されたが、歌手を目指して家出。高校中退後の64年、17歳で「君だけを」でデビュー。彫りの深いマスクと渋みのある歌声で、ヒットを連発。「[おんぷ]好きなんだけど~」の後、「チャチャチャ」と合いの手が入る「星のフラメンコ」は50万枚を超える大ヒットとなり、代表曲となった。
NHK紅白歌合戦に10年連続で出場。橋、舟木と「御三家」としてアイドル的な人気を博し“クラウンの救世主”と言われた。65年に地元・鹿児島で開催したチャリティーショーには、1万人超の観客が殺到。会場周辺の混乱により死傷事故が起こるほどだった。
役者としても73年、フジテレビ系ドラマ「どてらい男(ヤツ)」に主演し、3年半にわたる人気シリーズに。75~81年のTBS系「江戸を斬る」では遠山金四郎役で親しまれるなど、俳優としての地位を確立。87年にNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」で政宗の側近役を務め、時代劇や刑事もので引っ張りだこになった。86年に舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」に出演し、90年には菊田一夫演劇賞を受賞した。
プライベートでは、人気絶頂だった72年、歌手・辺見マリと軽井沢で極秘挙式。ミュージシャンの辺見鑑孝(48)、タレントの辺見えみり(45)が誕生したが、81年、性格の不一致を理由に離婚。90年、19歳年下の元秘書の女性と再婚し、女優の今川宇宙(うちゅう、25)ら3人の子どもに恵まれた。
◆西郷 輝彦(さいごう・てるひこ)1947年2月5日、鹿児島県生まれ。64年「君だけを」で歌手デビュー。NHK紅白歌合戦に初出場。「十七才のこの胸に」「星娘」など青春歌謡が相次いでヒット。俳優としても活躍。主な出演作は、NHK大河ドラマ「毛利元就」(97年)、TBS系ドラマ「ノーサイド・ゲーム」(19年)など。我修院健吾のペンネームで雑誌「明星」に連載小説を執筆したこともある。」(2022/02/22付「スポーツ報知」ここより)
例によって、何か歌を挙げたいと思って自分の音源を見たら、こんな歌を紹介したくなった。あまりメジャーではないが「桜花(はな)のとき」という歌である。
まさに演歌調で、しんみりした歌。自分はこんな曲調の歌が好きだ。
<西郷輝彦の「桜花のとき」>
「桜花のとき」
作詞:荒木とよひさ
作曲:中川博之
桜の花の 花のひとひらが
倖せ薄い お前の肩に
春よ春よ このまま
春よ春よ 散らずに
ふたりを見捨てて 逃げないで
この世が夢の 夢の途中なら
川辺に遊ぶ 遊ぶ子供たち
大人になるな 悲しいだけの
春よ春よ このまま
春よ春よ あしたも
小指をつないだ ぬくもりを
この世が夢の 夢の続きなら
涙がもしも もしもこぼれたら
昨日のどこか 捨てればいいさ
春よ春よ このまま 春よ春よ 心の
ちいさな陽だまり 消さないで
この世が夢の 夢の桜ならば
wikiを見ると、西郷輝彦は2013年までにシングルを93作品も発表している。こんなに永く歌手として現役を張っていたとは知らなかった。
「桜花のとき」は、そのうち87作品目で1999年2月の発表だという。
話は変わるが、昨日は3回目のコロナワクチンの接種の副反応で一日ダウンしていた。
2月20日の夕方に接種を受け、翌朝発熱していなかったので、ラッキー!と思っていたら、段々と体がツラくなり、微熱と関節痛で、バッファリンを飲んだが、37.4度まで上がってしまった。まさに2回目と同じ副反応。
副反応が出るのは過去2回接種したワクチンの効果がまだ保たれている証拠。ともいう。
ワクチンの副反応にブツブツ言っている自分と、11年も前立腺がんと戦っていたという西郷輝彦。
同世代として、心が痛む訃報ではある。
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コメント
西郷輝彦さんは私より2才下。御三家の中で一番下ですね。
海外の治療が良いと書かれていたのに、
書き込みが途絶えたので何故かなと思っていました。
東北地震があった秋に、舟木 西郷 三田トリオのコンサートへ行った時、
15曲入ったったアルバムと、CD☆ボックス5枚組を買いました。
好きな歌は沢山ありますが静かな歌が好きです。
また舟木さん達と一緒にコンサートをされる予定だったのに残念ですね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/62cef21a6628db7a4e01de8873f07140dfd26558
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202202220000695.html
信じられなくて、ご冥福を・・とは書けない昨今です。
投稿: なち | 2022年2月23日 (水) 13:32
75歳で鬼門にですかぁ・・・(私より3つ年上)。
「星のフラメンコ」しか記憶に無い方でしたが
太い眉毛が印象的な方でした。ご冥福をお祈りします。
投稿: 杉ちゃん | 2022年3月 2日 (水) 11:11
しっとりとした良い曲ですね、
今まで知らなかった。
実は西郷さんが主演された
どてらい男のモデルになった会社に
そのとき勤務していました。
一度だけ大阪の会社にこられた姿を拝見。
謹んでお悔やみ申し上げます。
【エムズの片割れより】
そうですか・・・
実物!とお会いになられましたか・・・
有名人といえば、亡くなった木内みどりさんから前にコメントを頂いたことがありました。
https://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-569d.html#comment-124541477
自分も、いつなんどき訃報が届くか(を届けるか)分からない世代になりました。
投稿: 清水直喜 | 2022年3月 6日 (日) 11:04