佐伯泰英の「吉原裏同心」全36冊を読んだ
佐伯泰英の「吉原裏同心」25冊(ここ)、「吉原裏同心抄」6冊、「新・吉原裏同心抄」4冊、そして最新の「吉原裏同心36」の36冊に加え、「吉原裏同心 読本」の合計37冊を読み終えた。
以前の「佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙」を読み終えた」(ここ)のが2019年3月23日だった。読み始めたのが2018年10月11日 だったので、ペースを考えると163日で59冊。1冊あたり2.76日。
今回は、途中で数冊他の本もあったが、111日で37冊。1冊当たりちょど3日。
そうか、ちょっとペースが落ちていたか・・・
この小説のあらすじは「幼なじみで、人の妻となっていた汀女と駆け落ちした神守幹次郎は、追っ手を避けながら流れ着いた江戸で、吉原遊郭四郎兵衛会所の用心棒、裏同心として雇われる。幹次郎は、遊女たちに俳句などを教えることになった汀女や会所の面々と共に、吉原に起こる様々な事件を解決していく。」というもの。
別に、吉原に興味があったわけでは無いが、この小説も読み出したら止まらなくなった。
しかし異説もある。Amazonの書評はかなり厳しいものが多い。これらに自分も納得。
そもそも「吉原裏同心」は、25巻で終結した物語。そこまではスッキリして良かった。しかし、その後に「吉原裏同心抄」「新・吉原裏同心抄」と続いたのが、結果として頂けなかった。
この続編に対して、「吉原裏同心抄」第1巻の「あとがき」に、著者はこう書いている。
「あとがき
吉原裏同心(二十五巻)『流鶯』を書き終えたとき、このシリーズは終わったと思った。
だが、完結と打てないまま迷いに迷った。
物語は終わっていた。
だが、紙の本が売れない時代少しでも力になれば、と余計なことを考えた。そして、二十六巻)に着手して、「これはやはり違う」 と改めて思い知らされた。
そこでシリーズを改め、吉原裏同心抄としてリセットとし、新たな出立をすることにした。
小説の主人公たちも幾多の喜怒哀楽の体験をして己の考えも変われば、他人への温情や 思いやりも生じてくる。それはまま世間の常識や考えと異なることかもしれない。
神守幹次郎、汀女、そして加門麻の三人の男女を主軸に虚構ならでは許されるはずの新たな物語を書き続けて行こうと决めた。
私の時代小説は、二百年以上も前の江戸を舞台にしながらも、現代を反映した物語と常々主張してきた。吉原裹同心抄もまた激動する現代を反映しながら、「こんな夢舞台があればいいのに」という読み物に過ぎない。
吉原裹同心抄『旅立ちぬ』第一巻をお届けする。
ともあれ読者諸氏には混乱を来すことになった。改めてお詫び申し上げるとともに、今後ともご愛読のほど伏してお願い申し上げます。
平成二十九年元旦 熱海にて」
やはり延長戦に入ったことに無理があったようだ。
これを読んだ方はお分かりと思うが、途中の巻から読み始めた人向けだろうか、これまでのスジの説明の反復が多く、続けて読んでいる者にとては煩わしく、スジそのものの矛盾もチラホラ。
そして、いわば「妻妾同居」という設定の違和感。「新・吉原裏同心抄」では、舞台が京都と江戸に分かれる、という必然性の無い設定の違和感。
そして、京都の時代背景などの、説明の冗長。(これらは飛ばして読んだが・・・)
何より、主役級の登場人物が、コロッと死んでしまったり、4冊に亘って描いてきた吉原乗っ取りの“謎”が、アッという間に「殺して解決」、という違和感。
やはり、25巻で終わっていれば良かったのに、無理をして延長線に入ったのが無理の始まりだったかも・・・
しかし、物語の舞台の吉原会所が消えるという設定のドタバタには、ビックリしたが、考えてみると、当たり前だった環境が、ある日突然消え去る、ということは、現代では有り得ること。つまり勤め先が倒産、など夢にも思わなくて組んだ30年ローンが、アッという間に崩壊!の現実。
そんな意味では、許される設定かも。しかし、読んでいる方から見ると、25巻までの“次々に起こる事件と解決”の方が安心して読んでいられた。
佐伯泰英の小説は、“読み飛ばし”の本。一度読んだら捨てる。の繰り返し。作者もそれを狙って”書き飛ばし”ているらしい。
つまりは、各所に矛盾があるので、決定版とか完本とか称して、加筆修正を繰り返さざるを得ない。
氏もそろそろ80歳。ネタの限界かも知れない。これからは、新刊書は避けて、読むとしても、昔発行の本を読んでいこう。
時間潰しの軽い本としては、まだまだ棄てがたいので・・・
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