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2022年1月24日 (月)

保阪正康氏が語る「半藤一利」~「声でつづる昭和人物史~半藤一利」

NHKラジオ第2で(月)夜に放送されている「カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「声でつづる昭和人物史」(ここ)を毎週愛聴している。
220124hosaka1 「2022年1月の放送は、1年前に亡くなったノンフィクション作家・半藤一利を5回にわたって紹介します。」とのこと。
ひとりを5回に亘って放送するのは、たぶんこの番組で初めてではないだろうか?
それほど、保阪正康さんにとって、半藤一利さんは重要な人なのだ。と思いつつ聞いた。
220124hosaka2 この5回のシリーズは、ぜひ残しておきたく(後々も聞きたく)、下記したい。
NHKのサイトには、それぞれこう解説がある。(ここより)

声でつづる昭和人物史~半藤一利」1(2022/01/10放送)
マイあさラジオ「米寿から10代へ」平成30年8月11日R1 聞き手:村島章惠アナ、ラジオ深夜便・オトナの生き方 平成25年10月27日R1聞き手:柴田祐規子アナ

半藤一利は令和3年1月12日に90歳で亡くなり、令和4年1月は一周忌です。代表作に「日本のいちばん長い日」や「昭和史」などがあり、多くの日本人が近現代史に目を向けるきっかけを作った作家です。亡くなる3年前の8月放送「マイあさラジオ」では、昭和史研究の原点となった東京大空襲体験を、また平成25年10月の「ラジオ深夜便・オトナの生き方」では、戦後ボートに明け暮れた青春や就職について語っています。」

<「声でつづる昭和人物史~半藤一利」1>

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声でつづる昭和人物史~半藤一利」2(2022/01/10放送)
ラジオ深夜便・オトナの生き方「昭和の語り部に聞く わが青春(後半)」 平成25年10月27日放送 ラジオ第1 聞き手:柴田祐規子アナウンサー

半藤一利は東京大学のボート部で青春を謳(おう)歌した後、文芸春秋社に入社し、雑誌の編集に携わりました。平成25年10月放送のラジオ深夜便・オトナの生き方「昭和の語り部に聞く わが青春(後半)」では、作家・坂口安吾の原稿を取りに行き、安吾から歴史の面白さを教えられたこと、その後、戦時中の軍人や政治家など28人の大座談会を企画し、「日本のいちばん長い日」と題して雑誌に掲載したことなどを語っています。」

<「声でつづる昭和人物史~半藤一利」2>

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声でつづる昭和人物史~半藤一利」3(2022/01/17放送)
ラジオ深夜便・新春インタビュー「戦後60年の日本人によせて 第1部」平成17年1月1日放送 ラジオ第1 聞き手:村田昭アナウンサー

半藤一利は35歳の時に「日本のいちばん長い日」を出版しました。その後70代で昭和の歴史をふかんした「昭和史 1926~1945」などを執筆します。平成17年1月にラジオ第1で放送された「ラジオ深夜便・新春インタビュー」では、通史としての昭和史を書くきっかけや、戦前の日本社会の精神主義について分析しています。その後、太平洋戦争に突き進んで行った原因について、日本人の特徴を5つあげて語っています。

<「声でつづる昭和人物史~半藤一利」3>

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声でつづる昭和人物史~半藤一利」4(2022/01/24放送)
ラジオ深夜便・新春インタビュー「戦後60年の日本人によせて 第2部」平成17年1月1日放送 ラジオ第1 聞き手:村田昭アナウンサー

半藤一利は76歳の時に、「昭和史1945~1989」を出版し、戦後日本の歩みを分析しました。その前年の平成17年1月にラジオ第1で放送された「ラジオ深夜便・新春インタビュー」では、近代日本の歩みが40年ごとに区切られる「40年周期説」を語っています。そして、自分の関心事以外に無関心な若い人たちに向けて、広い視野で日本のあるべき姿を考え、大きな理想を掲げて21世紀を切り開いていって欲しいと話します。」

<「声でつづる昭和人物史~半藤一利」4>

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声でつづる昭和人物史~半藤一利」5(2022/01/31放送)
ラジオ深夜便「母を語る」平成27年10月20日 聞き手:遠藤ふき子アナウンサー、ラジオ深夜便「わが心の人」令和3年8月31日 聞き手:迎康子アナウンサー

半藤一利は令和3年1月に90歳で永眠しました。さまざまな人との関わりで彩られた生涯で、母と妻からも大きな影響を受けました。平成27年10月に放送されたラジオ深夜便「母を語る」では幼い頃を振り返りながら、聡明で行動力のあった母親のことを語っています。また半藤が亡くなった後、妻で随筆家の半藤末利子は令和3年8月のラジオ深夜便「わが心の人」で、半藤が中国の思想家・墨子のことを遺言のように語ったと話します。

<「声でつづる昭和人物史~半藤一利」5>

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当サイトでも、上のNHKラジオ深夜便「【わが心の人 半藤一利】随筆家 半藤末利子」(2021/08/30放送)は(ここ)。NHKラジオ深夜便「【母を語る】作家 半藤一利」(2015/10/20放送)は(ここ)にアップしている。

220124handou 話は変わるが、先日(2022/01/14)の朝日新聞に半藤さんの新刊の広告が載っていた。そこに「没後一年を機に、生前のNHKラジオ番組での「語り」をもとに再構成して書籍化」とあるのにビックリ。
氏が執筆したものではなく、ラジオで語った言葉を拾って本にしたという。そして、解説が保阪正康さん。
それほど、半藤さんの言葉は重い。つまりひと言ひとことを、世に残しておく必要がある・・・ということ。

Amazonでこの本の解説を読んでみた。曰く、
日本人の宿題:歴史探偵、平和を謳う (NHK出版新書 668) 新書 – 2022/1/11
半藤 一利(著)、保阪 正康(解説)

「昭和史の語り部」が遺した、戦争を起こさないための5か条!

ベストセラー「昭和史」シリーズをはじめ、「昭和史の語り部」としてたくさんの戦争関連書を遺した半藤一利さん。「戦争というものは、本当に人間がやってはならない一番最大の悪です」。本書は、半藤さんが現代日本人に伝えようとした「大切なこと」を、没後一年を機に、生前のNHKラジオ番組での「語り」をもとに再構成して書籍化するものです。戦時中の少年期から戦後の青年期、文藝春秋の編集者時代、そして作家時代と、激動期を生きた半藤さんの一代記に、盟友・保阪正康氏の解説が加わることで、一人の日本人の私史が日本人全体の昭和史へと昇華していきます。

一、勝ったという経験は、人間を反省させないし、利口にもしません
二、教育によって国というのは立つんです。経済によっては立たない
三、大きく変革するときに、人間というものは正体を現すんですよ
四、残しておけば、あとの人が、真実に近づくことができます
五、歴史を自分で学んでいくことを積極的にやってください

半藤さん、そして保坂さんの著書は山のようにある。自分も、じっくりと腰を据えて読んでみようか・・・
毎日、チャンバラ小説にうつつを抜かす!?自分が、少々恥ずかしくなった。

それで早速、持っていなかった「世界史のなかの昭和史」と「B面昭和史 1926-1945」を購入した。
それと、古い単行本しか持っていなかった「昭和史 1926-1945」も、新しく文庫版を購入した。
改めて「昭和史4部作」をじっくりと読んでみることにした。

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(付録)~当サイトが持っている音源から、半藤さん関係の番組を置いておきます。

<特集・100年インタビュー(1)戦争体験と昭和史研究 作家 半藤一利>(2009/08/27放送)


<特集・100年インタビュー(2)戦争体験と昭和史研究 作家 半藤一利>(2009/08/28放送)


<戦争とわたし(1)作家 半藤一利>(2010/08/12放送)


<戦争とわたし(2)作家 半藤一利>(2010/08/13放送)


<【オトナの生き方】昭和の語り部に聞くわが青春(1) 作家 半藤一利>(2013/10/27放送)


<【オトナの生き方】昭和の語り部に聞くわが青春(2) 作家 半藤一利>(2013/10/27放送)


<【母を語る】作家 半藤一利>(2015/10/20放送)


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<【母を語る】エッセイスト 半藤末利子>(2010/11/16放送)


<生誕150年 孫娘が語る漱石一家 エッセイスト 半藤末利子>(2017/01/05放送)


<【わが心の人 半藤一利】随筆家 半藤末利子>(2021/08/31放送)

 

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コメント

半藤さんが亡くなられて早1年。
それでも、半藤さんが残してくれた著作や様々な発言は私たちに勇気を与えてくれます。直接的な発言でなくても、、、
1月24日東京新聞に半藤さんの東大の同級生ー万葉学者、中西 進さんの記事がありました。「一首のものがたり」です。中西さんについて、令和という年号の発案者と聞いた時「ああ、御用学者か?」と思いましたが半藤さんとのかかわりを聞きこの「一首ものがたり」で誤解と早とちりを恥ずかしくおもいました。文春に入った半藤さんと大学院に残り学者の道に進んだ中西さん。夜間定時制の教師となって詠んだのが「電燈の毀れてあれば一と処 暗きを避けて生徒(こ)らは席とる」  中西 進
70年前近く前の夜学の1年は「生涯の原点」だといわれます。
最近、「清張日記」をよんでいて半藤さんの名前を1か所見つけました。昭和56年5月16日の項。浜田山の清張邸に中国の3人の作家が訪れた時のこと、同席者のなかに文春の半藤一利とありました。清張さんは中国の文芸作品に対する事前検閲について問題提起をしています。半藤さんがどのように聞いていたのか色々と想像しています。
話が変わりますが、以前このブログで、エムズさんが半藤さん(だった?)の講演を聞きに三鷹市へ行かれたとか?実は2月20日と3月20日にある講演会が三鷹であります。三鷹の新参者である私は様子を覗きに行く感じですが、2人の講師の先生には放送大学の授業でお会いしていて気になる先生なのです。今日案内のパンフなどが届きました。
コロナ禍で施設が閉鎖されればもちろん、中止です。私のアドレスにご連絡いただければパンフレットなどをお送りいたします。ぶしつけな申し出で驚かせてすみません。

【エムズの片割れより】
ご親切にありがとうございます。
三鷹に聞きに行ってから12年になります。
それが今は、思ってもいなかったコロナ渦。
しばらく外出は自重しようかと・・
ありがとうございました。

投稿: todo | 2022年1月29日 (土) 22:25

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