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2021年10月29日 (金)

落語家・柳家小三治さんの話~奥深い人生

先日、NHKラジオ深夜便で「【柳家小三治さんをしのんで】言葉より、心ありき 落語家 柳家小三治(2009.6.1)」(2021/10/21放送)を聞いた。
小三治さんは、今月7日に、心不全のために81歳で亡くなったという。この放送は、12年前の69歳の時のお話である。

<NHKラジオ深夜便 落語家・柳家小三治さんの話>

このお話では、父親や家族との葛藤が興味深かった。氏の経歴について、wikiにはこうある。
「教師・教育者(小学校校長)の5人の子のうち唯一の男子として厳格に育てられる。テストでは常に満点を求められ、100点満点中95点を取る211029kosanji ことすら許されなかった。その反発として遊芸、それも落語に熱中する。東京都立青山高等学校に進学。高校時代にラジオ東京の『しろうと寄席』で15回連続合格を果たす。この頃から語り口は流麗で、かなりのネタ数を誇った。卒業後、教員育成大学である東京学芸大学への入試に失敗し、学業を断念。落語家を志し、5代目柳家小さんに入門した。」

学校の先生の家系で、父親の影響で姉妹も教師だという。父親は、自分が田舎の代用教員をして、こんなことで終わりたくないと上京し、こつこつと勉強して師範学校を出た、たたき上げの人生だったこともあり、小三治さんに「東大以外は大学ではない」という考え方だったという。そして、母親と子どもたちとの不和・・・。
この話を聞いて、改めて家族というものについて、そして家族が子供に与える影響について考えてしまった。

自分の思い出話をすると、自分の父親も大学を出なかった。昔の巣鴨高商(その後発展して、千葉商科大学)。自分が会社で学歴のため苦労したので、息子の大学進学は当然だった。
親父は経理屋だったが、学歴のハンディを挽回するためか、税理士の資格を持っていた。そして公認会計士に挑み、果たせなかった。
うろ覚えだが、何科目かの試験があり、いくつかは合格したものの、資格取得までには至らなかった。しかし晩年も、持っていた税理士の資格で、自宅に「**税理会計事務所」の看板を掲げ、市内の商店の申告書などを作っていたようだ。たまに帰省すると、車でそれらのお得意さんに親父を連れて行ったもの。葬儀の時も、市内のたくさんの税理士仲間が来てくれた。
そう言えば、自分が確定申告するようになったのも、長男が生まれたとき、医療費控除があるので、確定申告しろと親父に言われたのがきっかけ。当時、そんな言葉も知らなかったが、税理士から見れば当然の動き。

話は変わるが、このお話の中で、宇田川清江アナが「落語 青菜」を絶賛していた。それでつい、夜中だったがYoutubeで小三治さんの「青菜」(ここ)を聞いてしまった。

宇田川アナが言っていたのが、夫婦の何気ない夫婦愛と心遣い。それに対し、小三治さん家族の母親との葛藤・・・

落語といえば、昔、兄貴にホンモノの落語を聞きに、寄席に連れて行ってもらった事がある。周囲は笑う。しかし自分はどうしてもその話の世界に入り込むことが出来ず、まったく面白くなかった。子どもの頃、落語に凝ったこともあったのに・・・
それは自分が小学校5~6年生のころ。鉱石ラジオを作って、ひとり自分の机で、イヤホンで聞いていた。その時に凝ったのが落語だった。でも今はほとんど聞かない。

話があっちこっちに行ったが、家族というものを考えさせられた小三治さんのお話であった。

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