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2021年8月 4日 (水)

今ごろ三浦綾子の「氷点」を読む

実は今ごろ三浦綾子の「氷点」を読んでいる。昨夜、「氷点(下)」を読み終わったが、たまたまさっき、朝日新聞の夕刊を開いたら、「氷点」の記事があったので、少し記す気になった。

「(時代の栞)「氷点」 1965年刊・三浦綾子 メディアミックスの先駆け

 ■原罪問う作品群、テレビ化を意識
 1963年元日、朝日新聞の1面に「新聞小説募集 入選作に一千万円」という見出しが躍った。応募資格は「既成の作家、無名の新人を問わない」。社の記念事業として、読者の中から「うずもれた才能を発見、紹介」しようという企画である。大学卒の国家公務員の初任給が1万7千円前後だった時代の話だ。
21084hyoutenn  そして翌64年7月、応募作731編の中から選ばれたのが当時、北海道旭川市で雑貨店を営んでいた三浦綾子(1922~99)の「氷点」だった。綾子の夫・光世のエッセー「小説『氷点』に思う」によれば、氷点というタイトルは光世の発案らしい。それを告げたところ、綾子は「あら、素敵ね。さすがは光世さんね」と語ったとされる。
 原稿が書き上がったのは63年12月31日の午前2時ごろだった。応募要項には同日付けの消印まで有効とあったので郵便局へ急いだという。
 氷点は本作のキーワードでもある。登場人物の陽子が「自分の中に罪の可能性を見出(みいだ)した私は、生きる望みを失いました。(略)陽子は思います。一途に精いっぱい生きて来た陽子の心にも、氷点があったのだということを。私の心は凍えてしまいました。陽子の氷点は〈おまえは罪人の子だ〉というところにあったのです」と遺書で述懐するくだりでも使われている。
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 「氷点」は北海道旭川市を舞台に、医師・辻口啓造とその家族が織りなす愛憎劇だ。
 64年12月に新聞連載が始まると、一気に読者の人気を集め、陽子の服毒自殺の場面では、読者から「ヨウコハシンデハナラナイ」という電報が届いたほどだった。単行本は連載終了の翌日から売り出されて増刷を重ね、NET(現・テレビ朝日)制作のドラマは関東でのテレビ占拠率が66.6%にのぼった。
 三浦綾子記念文学館館長で、北海学園大学教授(日本近現代文学)の田中綾さん(51)は「出版が1960年代というテレビの普及期に重なったこともあり、メディアミックスの先駆けといえる作品ではないか」と評する。
 同館の難波真実事務局長(48)によると、三浦自身もテレビを強く意識していたようで、『氷点』以外にもテレビ受けのする作品を数多く残した。
 クリスチャンだった三浦は生前、「私は伝道のために執筆している」と繰り返し語っていたようだ。「しかし生み出す作品はいずれも平易で、読者をひきつけるストーリーテラーとしての能力に秀でていた。活躍の場もえり好みせず、本当の意味での大衆作家だった」と難波さん。
 三浦の著作は『氷点』『塩狩峠』『泥流地帯』などが、今も角川文庫や新潮文庫に収録されている。「50年以上前の大衆小説が今も親しまれ、絶版になっていないのは珍しい」という。
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 なぜ「氷点」は今も読まれているのか。大学3~4年生と授業で『氷点』を読んでいるという田中教授は「学生には『氷点の登場人物イコール全員が罪人』というキャッチフレーズで教えているのですが、彼らの多くは『だれかが心から陽子はかけがえのない存在だよといってくれたら』と語る陽子の、自己承認欲求に共感するところが大きいようです」と話す。
 デビュー作の『氷点』以降、三浦は100冊を超える著作を世に送り出したが、常に「人はどう生きるべきか」を問い続けた。難波さんは「三浦文学では一生懸命に生きる人たちが描かれるが、何かを契機に営みが間違った方向に向かった時、悲劇が起きる。そのきっかけになるものこそ、三浦さんが『氷点』で示した罪の意識であり、原罪なのではないか」とみる。
 来年は三浦の生誕100年とあって、著作などの映像化計画が進行中だ。そのうちの1作「泥流地帯」を手がけるZipang社取締役の猪狩淳一さん(53)は「作品を映像化することで、舞台となった地域の人々が誇りを持ち、三浦文学の普遍的なテーマと地域の魅力が世界へと発信されることになる」と話す。(編集委員・宮代栄一)

 ■メモ 医師辻口啓造の妻・夏枝は青年医師と密会した際、外に出した娘のルリ子を殺されてしまう。啓造は復讐(しゅう)のため、殺人犯の娘とみられる子を引き取り、陽子と名づけた。夏枝から自分が殺人犯の娘と知らされた陽子は遺書を残して自殺を試みる。」(2021/08/04付「朝日新聞」夕刊p3より)

自分が初めて「氷点」を読んだのは、たぶん大学時代だったと思う。当時、氷点ブームがあり、自分も読んでみた。そして「塩狩峠」など三浦文学を何冊か読んだ。
ドラマでは、母親の夏枝役の新玉三千代が頭に残っている。陽子役は内藤洋子。(ここ

wikiで見てみると、このTVドラマは1966年1月~4月の放送だという。まさに自分の受験の時期。とてもTVを見ていたとは思えない。しかし、確かにこのドラマは見たことがある。どう見たのか、今ではまったく思い出せない。

今回読んだ本は、前に兄貴から事務所整理で送って来た本の中にあった(ここ)。
古い文庫本で、昭和60年発行の角川文庫。もう40年近い昔の本だが、黄ばんでいる割に読む事は出来た。
それでつい、今日は図書館で「続・氷点」を借りてきてしまった。
昔読んだ本は、今さら買って読む気はしないが、借りてでも読んでみると、何か懐かしい。
今日の新聞記事によると、「氷点」は今でも絶版になっていないという。確かにAmazonでは角川文庫で現役。

石川達三の「青春の蹉跌」など、自分が学生時代に読んだ本が、いまだに現役な物も多い。
コロナ渦の今の時代、学生時代に凝った本を、もう一度読み直すもの、一興かもね。

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