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2021年5月29日 (土)

五輪「真の責任者」は?強烈な「無責任」に向き合う

昨日(2021/05/28)の朝日新聞の記事である。

「(月刊安心新聞plus)五輪「真の責任者」は 強烈な「無責任」に向き合う 神里達博
 ステイホームもいつの間にか日常となり、液晶画面の前で過ごす時間が増えている方も多いのではないだろうか。私は昔からテレビドラマが好きなのだが、今クール、最も注目しているのはNHK「土曜ドラマ」の「今ここにある危機とぼくの好感度について」(全5回)である。
 主役は松坂桃李が演じる大学の広報担当・神崎である。以前は好感度の高い「イケメン・アナウンサー」だったが、最近はすっかり落ち目だ。それもそのはず、彼の信条は「何かを言っているが、意味があることは何も言わないのが一番」というもの。要するに「ことなかれ主義」を地で行く人物で、だから彼が語ることにはいつも中身がない。
210529gorin  物語は、「有名国立大学」の総長となった神崎の恩師が、彼を母校の広報マンにスカウトするところから始まる。着任早々、神崎は厄介な事件に巻き込まれていく。スター教授の研究不正疑惑、表現の自由と安全確保のトレードオフ、さらに大学の研究者が危険な蚊を環境に流出させた可能性までもが浮上する。神崎自身も怪しい蚊に刺されて苦しみながらも、その事実を隠蔽(いんぺい)しようとする学内の勢力と対峙(たいじ)する羽目となる。
 大学というところは、こんなにトラブルばかりが続く場所ではないし、デフォルメし過ぎの嫌いはある。それでも、ディテールに既視感を覚えるのはなぜだろうか。それは、若手研究者の処遇問題、予算削減による大学の困窮、研究や表現の自由のあり方、政府と大学の関係など、近年の「大学の変容」に伴うさまざまな論点を縦横無尽に織り込みながら、風刺の利いたストーリーに組み立てられているからだろう。
    *
 さて、このドラマの登場人物はいずれも癖が強いが、その多くに共通してあてはまる特徴がある。それは、何らかの意味で、無責任なのである。しかも、無責任であることの隠蔽を試み、時には自分自身すらもだましてしまおうとするほどの、タチの悪い無責任なのだ。
 しかし不思議なことに、それぞれの人物に、つい親近感のようなものを感じてしまう。おそらく、その一人一人が、私たちが日常的に関わる「あの人」や、さらには自分自身にさえ、どこか似ているからだろう。
 つまり、このドラマが描こうとしているのは、決して大学だけではない。この社会全体なのだ。その意味で、これがまさに今月放送されることになったのは、期せずして、最も効果的な「演出」となっているのかもしれない。
 というのも、私たちのリアルな「生」は今まさに、強烈な「無責任」と向き合っているからだ。
 そう、東京五輪のことである。
 連日、さまざまなことが報じられているが、予定通り行うにしても、中止するにしても、結局、誰にその最終的な決断の責任があるのかが、よく分からないのだ。
 そもそも、オリンピックは誰の責任で開催するものなのか。「開催都市」というのだから、「東京都」なのだろうと思っていた。だが、よく調べてみると五輪は国際オリンピック委員会=IOCが主催するものであるらしい。だから、中止を決めることができるのはIOCだけだ、という記事も見かけた。
 だが、IOCはただのNPOに過ぎない。国連の機関でもない。そんな組織に、責任がとれるのだろうか。実際、IOCは、日本政府が開催できると言っているから大丈夫と判断しているようにも見える。どこまで行っても、「真の責任者」が見えてこないのである。
 そんな状況で、テレビを眺めていると、SF映画でも見ているような妙な気分になる。というのも、NHK総合の報道番組で「関係者」が五輪について語る言葉、そして、同じチャンネルの「ドラマ」の枠で登場する架空の人物の言葉、両者があまりにも似ていて、頭のなかで混線してしまうからである。
    *
 意味のあることを言えば、責任が生じる。しかし意味が無いことを言い続けていれば、きっと責任は負わないで済むだろう――。物語の主人公・神崎のこの「哲学」は、実は私たちの社会に慢性的に広がっている、一種の毒素なのかもしれない。
 だとすれば私たちは今、この問題の「責任」について、根本から考え直す必要があるのではないか。
 もちろん、東京五輪を開催する上で、さまざまなリスクに備えた契約が結ばれている。だからそれらをきちんと読み直せば、個々の形式的な責任の範囲は分かるだろう。
 だが一般に、因果関係が明確ではないことについての責任は、問われない。一方で、コロナ禍のような「想定外」の事態が起きれば、五輪のごとき巨大なプロジェクトは、開催しても中止しても、複雑な余波が生じる。不幸にしてそれに巻き込まれる人々もいるだろう。しかし、そのことに対して誰が責任をとるのだろうか、いや、とれるのだろうか。
 歴史をひもとけば、似たようなことが繰り返されてきたことに気づかされる。だからこそ「無責任な責任者」が後を絶たないのだ。
 ゆえに私たちは、今度こそ学ぶべきだろう。すなわち、何か想定外のことが起きた場合に、責任を誰もとりきれないような「大き過ぎるプロジェクト」は、そもそも始めるべきではない、ということだ。
 だがそれでも、すでに「今ここにある危機」には誰かが対処しなければならない。だからもう一度、伺いたい。で、この件は、誰が本当の責任者なのですか、と。
    ◇
 かみさとたつひろ 1967年生まれ。千葉大学大学院教授。本社客員論説委員。専門は科学史、科学技術社会論。著書に「リスクの正体」など」(2021/05/28付「朝日新聞」p13より)

前から言っているように、自分はミーハー。よって、タイムシフトで、早速、NHK「土曜ドラマ 今ここにある危機とぼくの好感度について」(ここ)を検索した。でも、4月末のスタートだったので、既放送分のタイムシフトでの1回から3回までの録画は無かった。しかし「まだ間にあう!・・・」という番組が見付かったので、前編のストーリーは分かった。(今晩が最終回だが)

それにしても、NHKにしては、なかなか時宜を得たドラマ。よくもNHK内の検閲?を通って、放送までこぎ着けられたもの。
安倍政権以来の「無責任な責任者」の続出は、国会答弁が代表。あらゆる政治家、大組織のトップも同じだ。
それをあざ笑うかごとくのドラマ。いちシーン毎に、現実のアピソードが目に浮かぶ。こんなエスプリの効いたドラマは、NHKにしては珍しい。

相変わらず、我が家のテレビは、自動スキップが効いている。前は安倍首相や二階幹事長がスキップの対象だったが、最近は、首相、官房長官、五輪関係トップ等に広がっている。
まあ、ニュースを見ながら、これらの画面が出ると、30秒スキップボタンを押して飛ばすだけだが・・・
それにしても、話を聞くだけの価値がない日本の政治家たちの発言。時間のムダ。

ワクチンの予約騒動にしても、よくもまあ暴動が起きない物だと、日本人のガマンさに感心する。
このドラマで印象に残った言葉。学長の外国特派員協会での記者会見での、外国記者の質問。
「ドクター三芳(学長)が安全確保を第一だとお考えであることは十分分かりました。それ以外のお答えをなさるつもりがないことも。(笑い)けれども諦めずに質問してみようと思います。なぜならこうした努力を続けることが、世界を少しでも良くしてゆくために必要だと思うからです。黒人解放の指導者であったキング牧師はこんな言葉を残しています。「最大の悲劇は悪人の暴挙ではなく善人の沈黙である」。私がとても残念に思うのは、先生のその沈黙です。」

連日、ミャンマーでのデモの軍事政権による弾圧の様子が流されている。それに引き換え、日本のニュースで流される国民の声は、何とおとなしいことか。
それにあぐらをかき、言いたい放題のIOCに何の反論もしない日本のトップ。
「ワクチン」と「五輪」。このふたつのキーワードがしばらくは続く。それに対して、我々国民は何をするべきか・・・
先ずは、このドラマで今まで国内で起こったことを思い出すことからか??

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