「菅首相「別人格」発言が示す権力者の“無自覚”」
テレビや新聞に流れる政治のニュースを見ていると、毎日、目を覆いたくなる状況が続いている。ここまで日本はダメになったかと・・・
こんな記事を見付けた。
「菅首相「別人格」発言が示す権力者の“無自覚” 専門家「まともな説明をしない責任内閣制に変質」〈AERA〉
別人格──。不適切な身内の行為に、そう言葉を吐き出した。権力の恐ろしさを知らない権力者の振る舞いを、私たちはどう受け止めればいいのか。AERA 2021年3月8日号で、権力者の振る舞いについて考えた。
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権力を持つ者がいれば、それを利用しようとする者も出てくる。権力者はどう振る舞うべきか。こんなエピソードから始めてみたい。
1958年、鳥取県出身の官僚だった石破二朗は、同県知事に就任するにあたって、自身の地元の町長や町議会議長を呼んでこんな話をしたという。
「わしが知事になったからには、我が町の陳情ごとは後回しだ。悪く思わないでほしい」
同じように、県庁に勤めていた複数の親戚を呼んでこうも告げていた。
「わしが知事になったからには、あなたたちの出世はないものと思え」
自民党元幹事長、石破茂氏には、父のそんな態度が伝えられている。半世紀以上も昔の話のためここで実態を断定するのも難しいが、少なくともこうは言うことができそうだ。手にした権力が不適切に利用されることはもちろん、その疑いさえ持たれることを避けたいという考えが二朗氏にはあったはずだ。
「たしなみだったんでしょうな」
こう振り返る石破氏には、父の権力に家庭でどう向き合ってきたかが想像される思い出が、他にもある。
中学生のときだった。自身と同じように県知事の父を持っていた母・和子から突然、こう言われた。
「知事の息子が県立高校に行くものでは、絶対にありません」
■そこにある公正らしさ
父親が卒業した県立高校への進学を考えていたという石破氏。だが、父も母に同意し、これがきっかけとなって進路は変えざるを得なくなった。石破氏はその後、一人で上京して慶応義塾高校に進学する。県立の女学校で学び、恐らく、様々な特別扱いを受けたであろう、母の強い信念だった。
小学校低学年のころの記憶も。ある日、知事公舎に出入りする県職員にぞんざいな態度をとったところ、母親の逆鱗に触れた。雪の降る中、何時間も家の外に放り出された。
「公私混同は絶対に許さない両親でした」(石破氏)
翻って、菅義偉首相の長男が勤める放送関連会社「東北新社」が繰り返し総務官僚を接待していた問題はどう考えればよいだろうか。首相は、こうした逸話をどう受け止めるだろうか。2月24日に行われた幹部らの処分で幕引きを図りたいところだろうが、単なる国家公務員倫理規程違反を超えた闇の深さがそこにありそうだ。
元参議院議長の江田五月氏は、その闇深さを明快に指摘してくれた。
「公正さというものは、実質が公正であることはもちろん必要なのですが、それは歴史の審判を待たなければならないことが多々あります。ですから、今そこにある公正『らしさ』も、同時にとても大切にしなければならないのです」
今回、実際に行政がゆがんだかどうかはなお取材が必要だが、利害関係者の会食はもちろん、菅首相の威光をどう利用したかなど、公正「らしさ」がないがしろにされているのは確かだろう。
■「家族の問題」で疑惑に
父は日本社会党書記長を務めた国会議員だった江田氏。自身も裁判官から衆参の国会議員となり、「三権の長」の一つ、参院議長も務め、「権力」や「公正」には神経をとがらせてきた。この間、知人から公正さそのものがゆがめられる依頼を受けたこともあったが、その都度、拒絶してきたという。今回の菅親子の問題を受けて、あらためてこう思う。
「権力の恐ろしさを知らない人間が権力を振るうことほど恐ろしいことはありません」(江田氏)
菅親子がどこまで考えて行動したのか、あるいはしなかったのかは分からないが、評論家の塩田潮氏は今回のような疑惑に、特殊な事情を感じる。著書『辞める首相 辞めない首相』(日本経済新聞出版)で、1972年に首相に就いた田中角栄氏以降の日本の総理大臣がどのような辞め方をしているかについてつぶさに検討を加えた塩田氏は、こう指摘する。
「総理大臣が家族の問題で疑惑を指摘されて、それが進退に及ぶかもしれないという形にまで発展したのは、私が調べた田中元首相以降では、最近の安倍(晋三)前首相と菅首相の2人だけではないでしょうか」
ここで言及された安倍前首相の「家族の問題」というのはもちろん、妻の昭恵氏が関与したとされる森友学園問題だ。
財務省近畿財務局は2016年、小学校の開校を計画する森友学園に、鑑定価格から地中ごみの撤去費用8億1900万円などを値引きして国有地を売却した。昭恵氏が小学校の名誉校長に一時就いていたことから、官僚側による忖度が指摘されている。この問題では、財務省は昭恵氏らの名前を削除するなどの文書の改ざんを認めている。指示されて改ざんを行った職員は、自殺した。
■権力者本人の「無自覚」
塩田氏は、過去の何人かの首相経験者の家族と、取材を通じて交流を持ってきたという。そうした人たちから聞いている話として、最高権力を手に入れた、あるいは手に入れようとしている政治家を夫や父親に持つ家族は、かつては自制を心がけるなど、生き方や生活には大きな制限があった、と述べる。
「ところが今は夫婦のあり方も人それぞれ、親子も独立すればそれぞれで、権力を預かって公的な仕事をする人間を家族全体で支えるという価値観が希薄で、奔放に振る舞うケースが多くなっているのでは」
権力者本人の“無自覚”はどう評価するべきだろうか。今回、菅首相は長男とは「別人格」として批判をかわす構えだ。
自覚が足りない──。あらゆる不適切な権力の利用を排除する目的で、当事者たちをそう批判することもできなくはなさそうだ。しかし、政治学の考え方では必ずしもそう単純な批判が通用するものではないという。
新潟国際情報大学の越智敏夫教授(政治学)が指摘する。
「政治学では、権力に良識を求めることはしませんし、まして総理大臣のような巨大な権力を握ろうなどと考える人物に良識を期待することは極めて難しいと考えられています。マキャベリが『政治学の始祖』といわれるのは、この点を明確に認めたことにあります」
元も子もない話ではあるが、そういえば最近もジェンダー意識に難を抱えた元首相が注目されていた。マキャベリは一方で、権力者に求められるものがあると主張していた。「徳」だ。
■「三権分立」のバランス
越智教授によれば、ここで使われている「徳」とは、人徳のようなものではなく、将来を見通す能力と、見通したうえで的確な判断をする能力のことだという。ただ、良識を求められないからといって、能力があれば権力者が何をしても構わないわけではなく、別の手段で権力をどう制御するかが大切になってくる。「三権分立」のように、権力を集中させないことだ。
それにしても、塩田氏が指摘するように、なぜ安倍政権と菅政権の下で公正らしさが失われ、家族の問題が噴出したのだろうか。越智教授は、権力を分散させる近代国家の仕組みが現在、日本でうまく機能していないとみている。
「行政府と立法府を分けて、立法府の最大グループが行政府を兼務し、立法府に対して責任を負うのが責任内閣制です。ところが、安倍政権以降、まともな説明をしない責任内閣制に変質しました。こうして権力を抑制するための責任内閣制の『責任』の部分が機能しなくなった一方で、忖度の政治を作り上げることには成功しました。立法府で与党が圧倒的に多くの議席を占めていると、行政府も含めて権力は暴走するということです」
その結果、象徴的に起きた現象が、今回の菅親子の問題や、安倍政権時代の数々の疑惑なのだろう。
越智教授はこう続ける。
「ただの腐敗で済めばまだマシです。権力の暴走は、人が死に、国が滅びます。新型コロナウイルスの問題一つとってみても、理解してもらえると思います」
暴走を止めるのか、止めないのか。それは主権者の判断だ。(編集部・小田健司)
※AERA 2021年3月8日号」(ここより)
こんな記事の最後のひと言は、いつも「暴走を止めるのか、止めないのか。それは主権者の判断だ。」
今動いているのは、広い意味で、我々が選んだ結果としての政治。我々の責任。
それを変えようとするかどうかも、我々自身。
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コメント
安倍前首相とは違った菅首相を期待した庶民を最後まで裏切らないでほしい。
あなたとは正反対な生き方をした最高裁判事を新聞で知りました。紹介します。
「お気の毒な弁護士」貫く マチ弁から最高裁判事、再びマチ弁に 市民のため収入度外視
毎日新聞 2021/3/2 東京夕刊
街角の小さな法律事務所で市民の悩み事を解決する「マチ弁」を約30年続けた後、最高裁判事を務めた山浦善樹弁護士(74)=東京弁護士会=が、その半生を1冊にまとめた。法律判断が中心の最高裁判事でありながら、当事者の思いに寄り添い、事実の確認にこだわるマチ弁時代のスタイルを貫いてきた。本のタイトル「お気の毒な弁護士」(弘文堂、3850円)は、理想の法律家の姿だという。
約450ページの全編が、会話形式の「オーラルヒストリー(口述記録)」で記されている。幼少期や学生時代の苦労話も盛り込まれ、最高裁判事の回想録というよりは自伝に近い。独特の挿絵も自ら描いた。
山浦弁護士は、かつて生糸産業で日本を支えた長野県丸子町(現・上田市)で生まれ、3人兄妹の長男として育った。父親は墓石の採掘場で住み込みで働き、いつも不在。天井裏をネズミが走り回る長屋で暮らし、小学校の給食費が払えないこともあった。
高校時代は、近くの寺の本堂に通った。住職が勉強場所として貸してくれたからだ。模試で「合格可能性5%」とされた一橋大法学部に合格。出版社、製本屋、アイスクリーム工場、米軍基地内の運送会社――とアルバイトに明け暮れた。卒業後は大手銀行に就職するも目標が見いだせず、1年で退職した。
書店で資格試験の本をめくり、実務経験がなくても受かる可能性があると考えたのが当時、合格率3%の司法試験だった。大学を卒業した年に結婚した妻と、「1年限りの挑戦」と約束し、猛勉強の末に合格。大喜びで帰省し、世話になった住職に報告すると、予想外の言葉が返ってきた。
「それは……お気の毒に」。住職はそれ以上、言葉を継がず、さっぱり意味が分からないまま帰京した。
先輩の事務所で経験を積み、37歳で東京・池袋に個人事務所を開設した。大企業から高額報酬の仕事の依頼が舞い込む大手事務所とは違い、マチ弁の主な顧客は地域住民だ。
民家の庭にボールを拾いに行った5歳の子どもが、飼われていた秋田犬にかみ殺され、飼い主に賠償請求したいと両親から相談を受けた。飼い主側の「他人の敷地に入ろうとした子どもに問題がある」との主張に対し、動物園や警察犬訓練所、盲導犬協会を巡って犬の生態や性格を詳しく研究した。洋犬より気性が荒い和犬を指示に従わせるには厳しい訓練が欠かせないと反論し、事故時は飼い主の家族が全員不在で犬が極度な不安に陥っていたとも指摘。庭で放し飼いにしていた「落ち度」を立証して和解にこぎ着けた。
アパート大家の夫婦からは、昼間から酒浸りで家賃滞納を続ける高齢男性を追い出してほしいと相談された。すぐに強制的に排除する手続きもできたが、男性のその後がどうなるか気になって部屋を訪ねた。すると、生き別れになった息子がいることを打ち明けられた。都内を駆け回って弁当屋で働く息子を突き止め、同居してもらうことで解決に導いた。
自分の周りには法律という武器を持たず、悩みを抱え、不安な日々を送っている人が大勢いる――。「法律家になるということは、そういう人々のために身を粉にして働き続ける人生を送るということなのか」。国内最難関の試験に合格して有頂天になっていた自分に、住職が「お気の毒」と声を掛けてきた理由が分かった。
徹底して調べ、収入に結びつかない部分にまで首を突っ込む姿は、周囲から「変わった弁護士」と目を丸くされた。ただ、そうした丁寧な仕事ぶりが評価され、若手を育てる最高裁司法研修所の教官や司法試験の委員を歴任。マチ弁の傍ら、日本の司法機構の中心で経験を重ねた。筑波大法科大学院で教壇に立っていた2011年、弁護士会の推薦枠で最高裁判事に立候補し、12年に就任した。弁護士会の役員を経験せずに登用される異色の人事だった。「コツコツと仕事を重ねた自負はあった」と振り返る。
黒塗りの車で送迎される生活は慣れなかったが、マチ弁で培った調査力は、最高裁でも発揮された。その一つが、女性だけに6カ月間の再婚禁止期間を設けた民法の規定を違憲とした15年12月の大法廷判決だ。
判決に当たって、再婚禁止期間が制定された明治期の議論はもちろん、海外の離婚事情や、聖母マリアの受胎告知を描いた絵画の背景事情に至るまでを調べ上げ、女性の立場に思いを巡らせた。妊娠の可能性を疑い、結婚式前に女性を産婦人科に行かせるようなルールは、DNA型鑑定で正確な親子判定が可能になった現代でも必要なのか。そう問い掛ける中で、「規定はセクハラとしか言いようがない」と確信した。
多数意見は、再婚禁止期間のうち100日を超える部分を違憲としたが、山浦弁護士は、規定そのものを女性に対する差別で違憲だとする、ただ一人の反対意見を示した。およそ5年後の21年2月、法相の諮問機関である法制審議会は、再婚禁止期間の規定を撤廃する試案を発表した。
最高裁判事として働いた4年4カ月で、1万4500件余りの事件に携わった。16年7月に退官した後は、東京・丸の内にある司法修習同期の弁護士事務所で仕事を手伝った。「最高裁で燃え尽きるだろうと想像していた。シャバには戻らないと決めていた」つもりだったが、かつての依頼者が一人、また一人と顔を出すようになった。「以前のように気軽に立ち寄れる事務所で相談に乗ってほしい」。そんな声に背中を押され、17年12月、東京・神田に個人事務所を開設した。
再び始まったマチ弁としての日々。「長い間、『お気の毒な弁護士』を目標にしてきたが、なかなか届かない。法の神がリングにタオルを投げ入れるまで働き続ける」と意欲的だ。【近松仁太郎】
【エムズの片割れより】
なかなか為になるお話をありがとうございました。
2年前に亡くなった兄も、サラリーマンを辞めて1年半で司法試験に合格しましたが、弁護士スタンスはだいぶ違う・・・
それに、弁護士会長の経験もないらしいのに、それでよく最高裁判事に任命されました。
こんな弁護士さんが増えると、日本も良くなりますね。
投稿: かうかう | 2021年3月 3日 (水) 22:54
私の毎朝の好きなラジオは、TBSニュース番組「森本毅郎・スタンバイ」です。特に、最後の8:20~30は、その時、関心がある1つのテーマに対する、リスナーの意見が紹介されます。今朝は、オリンピック開催の是非・開催方法についてでした。1時間前の7:30頃に、その日のテーマが示されます。自分もメモ用紙に意見をまとめ、1時間後に皆さんの意見を聞きます。聞けなかったときは、レコーダーまたはradikoで聞きます。いろいろな意見が聞けて、面白い、参考になります。ちなみに今朝の皆さんの意見の81%は開催中止・延期でした。
【エムズの片割れより】
そんな番組があるんですね。
radikoでその部分を聞いてみました。
色々な意見があるようですが、自分は結局中止になる思っています。
招致の時もそうでしたが、国民は五輪を必ずしも歓迎していない。
政治の具と化している気がします。
投稿: かうかう | 2021年3月 4日 (木) 10:04