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2021年3月の7件の記事

2021年3月30日 (火)

新型コロナのワクチン接種クーポン券が来た

多分今日(2021/03/30)着くだろうと思っていたワクチン接種クーポン券が、ちゃんと今日届いた。
都では、世田谷区と八王子市からスタートだとは聞いていた。

東京都 高齢者接種のワクチン 世田谷と八王子から配布へ

東京都で高齢者を対象にした接種に向けて、区市町村にワクチンが届きはじめるスケジュールの概要がわかりました。国から都に最初に配分される4箱のワクチンは、来月5日の週に世田谷区と八王子市に配布される方向です。都内のすべての高齢者が接種するためには6400箱が必要ですが、すべてのワクチンがいつ区市町村に行き届くのかはまだ決まっていません。

高齢者向けのワクチンについて、国は区市町村が来月12日から接種を開始できるよう各都道府県に配分することにしています。

東京都には来月5日の週に最初となる4箱、1950人分が届く予定で、都はどの区市町村に配布するか検討を進めていました。

210330vaccine2 関係者によりますと、この4箱は23区では世田谷区に2箱、市町村では八王子市に2箱、それぞれ配布する方向で調整されています。

世田谷区と八王子市は、65歳以上の高齢者の人口が23区と市町村で、それぞれ最も多いことが理由です。

都は来月12日の週の2回目以降の配布も高齢者の人口が多い順に行い、来月19日の週までには22の区と市に44箱が届く計画です。

210330vaccine1 このうち2回目になる来月12日の週は
▽足立区 ▽大田区 ▽練馬区 ▽江戸川区 ▽板橋区 ▽杉並区 ▽町田市 ▽府中市 ▽調布市 ▽西東京市の10の市と区に
それぞれ2箱ずつ合わせて9750人分が届けられる見通しです。

また、3回目の来月19日の週は
▽葛飾区 ▽江東区 ▽北区 ▽品川区 ▽中野区 ▽新宿区 ▽墨田区 ▽日野市 ▽立川市 ▽小平市の10の区と市にそれぞれ2箱ずつ合わせて9750人分が届けられる予定です。

3回目までの44箱は、合わせて2万1450人分で、都内の高齢者およそ312万人の0.7%分です。

一方、このほかの40の区市町村には、来月26日以降にそれぞれ1箱ずつが配布される予定です。

都内のすべての高齢者が接種するためには6400箱のワクチンが必要で、国はことし6月末までに高齢者向けのワクチンを、全国に配送するという見通しを示していますが、すべてのワクチンがいつ区市町村に行き届くのかはまだ決まっていません。」(2021/03/05付NHK(ここ)より)

また、朝日新聞の多摩版にも記事があり、5日に手紙が着いて、4月5日から予約開始ということは知っていた。その記事では、八王子の65歳以上の希望者全員が終わるのは8月末までかかるだろうと書いてあった。
つまりは、希望者は8月までには全員に打たれるという事・・・。ちょっと安心だが、また、ホントかなと心配。

今日来た八王子市からの手紙によると、「4・5月は国から供給されるワクチン量が少ないため、予約が取りにくい状況が続くが、6月以降はワクチン量も増え、他社のワクチンも承認される予定なので安心しろ」とあった。

今回のワクチンはファイザー製。2回打つ必要がある。クーポン券もそうなっている。
夫婦では計4回。もし予約日が夫婦で異なった場合、4日行く事になる。これは高齢者には負担。
それで、市の問合せ窓口に、「高齢者向けのコロナワクチンの予約が、4月5日からと発表されましたが、高齢者夫婦の世帯では、夫婦二人同時に予約出来るように、ぜひお願いしたい。夫婦がバラバラに予約すると、4回も会場に行かなければならないので、負担が大きいため。」という意見をメールしたら、こんな返事が来た。

「新型コロナワクチン接種については、市から郵送する通知に個別の予約番号を付しており、予約する際にその番号が必要となるため、1人ずつの予約が必要です。
ただし、接種会場に空きがあれば、ご夫婦で同じ時間に予約を取ることは可能です。
なお、4・5月は国から配布されるワクチンの量が少ないため、予約が取りにくくなることが予想されますが、ワクチンの供給量に応じて、順次予約枠を増やしていく予定ですので、安心してお待ちください。」
とのこと。

また「八王子経済新聞」ここ)によると、
「ワクチンの接種対象となるのは、2021年度中に65歳以上となる市民約16万人。4月5日の週に配布されるワクチンは、1箱975回相当分のものが2箱で、1瓶辺り5回分として換算し1950回分。同月26日の週にはさらに1箱が配布される見込み。以降については、国より順次配布され、6月末までに全ての高齢者向けワクチンが配布される予定という。
 八王子での接種は4月12日から始める。接種の対象となった人には、今月29日から案内通知とクーポン券を発送するとしており、4月5日9時からネットやコールセンターへの電話で接種の予約を受け付ける。先着順で回数分に達し次第、終了する。会場に出向いて接種を受ける「集団接種」で、接種日と会場は自分の都合に合わせて選ぶことができる。・・・」(2021/03/23付「八王子経済新聞」より)

市からの通知によると、4月の募集は、延べ8日間の接種で1900人とのこと。つまりは1.2%!!
先着順だが、どのような混雑状況になるのか・・・

我が家では、なるべく早く接種しようと思っている。他社より、やはりファイザーがいい気がしているので・・・

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2021年3月23日 (火)

夏目漱石の長編を全部読んだ

何とか夏目漱石の中長編小説を全部読み終えた。いやはや、正直、手こずった。
「「漱石」読破にチャレンジ中」(ここ)という記事を書いたのが、2020年10月31日だった。
途中で、他の本も読んだにせよ、5ヶ月近くもかかってしまった。読んだのは、中・長編小説の「吾輩は猫である(1905年)」「坊っちゃん210323souseki (1906年)」「草枕(1906年)」「二百十日(1906年)」「野分(1907年)」「虞美人草(1907年)」「坑夫(1908年)」「三四郎(1908年)」「それから(1909年)」「門(1910年)」「彼岸過迄(1912年)」「行人(1912年)」「こゝろ(1914年)」「道草(1915年)」「明暗(1916年)」。
そして短編集の「文鳥(1908年)夢十夜(1908年)」の15冊。

広辞苑で「文豪」を引くと「ぶん‐ごう【文豪】‥ガウ  文章・文学にぬきんでている人。文章・文学の大家。「明治の―」 」とある。
自分的には、まず思い浮かべるのが夏目漱石だが、Netでググると、位置付ける人によって、ありとあらゆる作家が文豪として名が挙がっている。
その中で、自分的には幸田露伴、森鴎外、夏目漱石、谷崎潤一郎、三島由紀夫の5人を位置付けた人が、まあ自分に近いかな・・・

それにしても、漱石は新聞作家。毎日読者を「次の日」の新聞をワクワクさせて待たせねばならない。ところが、改めて読んだものも含めて15冊で、一気読みをしたのは「坊ちゃん」くらいなもの。読み進めるのが苦痛になる位、面白くない小説が多かった。
でも誰もが認める明治の文豪なのである・・・。

なぜ面白くないのか?ストーリー展開があまりに遅いのである。ツツーとストーリーが進むときは、読む方も早く読める。しかし、すぐ脇道にそれ、哲学的かどうかは知らぬが、くどくどと筆で遊ぶ。それが耐えられない。
佐伯泰英などは、2日で1冊ペースで読んでいたが、漱石で読むのに長くかかった作品では「吾輩は猫である」が18日、「明暗」が15日、「坑夫」と「文鳥・夢十夜」が12日もかかってしまった。これは毎日読んでいたわけでは無い。本をしばらく開かなかった日も含めてである。つまりは、本を開くのに「意志」が要ったと言うこと。

「今夜は、明暗の続きを読むぞ」と言うと、カミさんが「本なんて、読みたい時に読みたい本を読めば良いので、何も面白くない小説を“全作品を読む”なんて意味が無い」とのたまう。自分は、「自己満足の達成感」と反論する。つまり「オレは漱石の中長編を全部読んだぞ」という自己満足のため。

話は飛ぶが、石坂浩二が2021/02/23のNHKラジオ深夜便で、アナの「いかがお過ごしですか?」に対し、「コロナ渦、家の中でやる趣味が多い」と言っていた。石坂浩二さんの言う趣味は「趣味で“読書”と、色々な人がプロファイルで書いているが、何かを熱心に読むとか、誰かの作品を全部読んでみるとか、そういうことをやって、はじめて趣味と言える。何かこだわりが無いと趣味っぽく無い。」と言っていた。
「誰かの作品を全部読んでみる」という読み方もあるんだ、と心強く思った。

自分が読むのは、ほとんどが新潮文庫だが、実は芥川龍之介の文庫も、既に6冊全部買ってしまった。芥川龍之介も文豪と称される一人だが、作品は文庫でたった6冊しかない。
さて、カミさんにバカにされながらも、次は芥川龍之介と行くか・・・

(2021/04/13追)
KeiichiKodaさんから教えた貰った、水村美苗の「続 明暗」を読んだ。漱石の「明暗」には読むのに手こずったが、”続”はなかなか面白く、3日で読んだ。あとがきで筆者も「”面白い読み物”になるように試みた」「筋の展開というものを劇的にしようとした」「心理描写を少なくした」と述べているように、漱石のホンモノの“難”を自分と同様に感じていたようで、よほど面白く出来上がっていた。お勧めである。

(関連記事)
「漱石」読破にチャレンジ中 

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2021年3月16日 (火)

小椋佳の「白い一日」~NHK 4K「もういいかい 小椋佳ファイナル」を見て

先日、NHKのBS4Kで放送された「もういいかい 小椋佳ファイナル~歌作り50年 青春に帰る~」(2021/03/14放送)を見た。
NHKのサイトには解説が無いが、(ここ)に載っていた。

それによると、
もういいかい 小椋佳ファイナル ~歌作り50年 青春に帰る~
210316ogurakei 小椋佳さんは今年喜寿を迎え、全国を回るファイナルツアーを行い公演活動をやめます。
銀行員でありながら創作活動を続けた小椋佳さん。
ラストアルバムのタイトルは「もういいかい 」自身の人生を語った曲です。
デビューから50年、小椋さんは何を考え2000を超える曲を作ってきたのでしょう。
活動の集大成としての番組を、スペシャルライブ、ドキュメント、関係者のインタビュー、過去映像などでお届けします。」ここより)

番組は、1976年10月7日のNHKホールでの初コンサートの模様かは始まり、小椋佳の50年の音楽人生を追っていて圧巻だった。小椋佳、初コンサート時32歳。そして現在77歳。

自分の小椋佳との出会いについては、前にも書いた(ここ)。
入社4年目の1974年8月末の事だった。出張で九州に行ったとき、ひとつ年下の営業マンが自宅に呼んでくれた。その新婚宅で紹介されたのが「彷徨」というLPであった。帰京後直ぐに買った。
この番組でも、その当時の歌が演奏されたが、特に「白い一日」が印象に残った。
自分がその直前に買った井上陽水の「氷の世界」というLPに小椋佳作詞の「白い一日」が入っていた。
小椋佳が歌ったのが1974年7月発売の「残された憧憬」というアルバムだった。
この30歳の時の歌声と、現在77歳の歌声である。

<小椋佳の「白い一日」(残された憧憬)>

<77歳の小椋佳の「白い一日」>


「白い一日」

作詞:小椋 佳
作曲:井上 陽水

まっ白な陶磁器をながめては飽きもせず
かと言って触れもせず そんなふうに君のまわりで
僕の一日が過ぎてゆく

目の前の紙くずは古くさい手紙だし
自分でもおかしいし やぶりすてて寝ころがれば
僕の一日が過ぎてゆく

ある日踏切の向こう君がいて
通り過ぎる汽車を待つ
遮断機が上がり ふり向いた君は
もう大人の顔をしてるだろう

この腕をさしのべて その肩を抱きしめて
ありふれた幸せにもちこめればいいのだけれど
今日も一日が過ぎてゆく

まっ白な陶磁器をながめては飽きもせず
かと言って触れもせず そんなふうに君のまわりで
僕の一日が過ぎてゆく

作曲者の井上陽水の歌も聞いてみよう。これは「氷の世界」を録音したときの別テイクだという。

<井上陽水の「白い一日」別テイク>


このNHKの番組では、小椋佳は主に作詞家として追っていた。どのようにして、あんな日本語で使われないような言葉が紡ぎ出されるのか・・・。「愛燦燦」にしても・・・

しかし現実は厳しい。喜寿といっても、小椋佳の体は体力的に結構弱っているようだ。特に足が悪い。ちゃんと歩けいない。録音するときも、バーに寄りかかって歌う。
しかし音楽には厳しい。そして小椋佳のマネジメント会社の社長をしている長男の「小椋さん」と呼びかけているのも面白い。歌作りはまさにビジネスなのだ。

色々な苦労を乗り越えて達した喜寿の小椋佳。「もういいかい」というのも良く分かる。
4歳年上の小椋佳だが、番組を見ながら、自分のたどってきた人生と対比しながら見ている自分が、そこにいた。

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2021年3月10日 (水)

愛犬・メイ子の遺骨を庭に埋めた話

 先日(2021/03/04)、昨年(2020年)12月9日に18歳で亡くなった(ここ)愛犬・メイリー(メイ子)の遺骨を庭に埋めた。
人間流に四十九日とすると、1月26日だったが、1か月以上ずれ込んでしまった。どこに埋めよう?墓標はどうする?とか考えて、少し遅れた。

カミさんが、遺骨の一部をペンダントに置いておきたいというので、ペットショップでペンダントを買った。そして骨壺の一番上に置いてあった喉仏を、ペンダントに納めた。
他の骨は、なるべく細かく砕いて粉状にしてから埋めないと土に還りづらいと、ペット霊園の人に言われていたので、新聞紙の間に入れて砕く。

210310meiko01210310meiko02 

210310meiko03 さて自分は孔掘り係。シャベルで掘っても良いのだが、広範囲の孔掘りとなってしまう。庭には一面白い石を敷き詰めているので、孔は最少にしたい。そこでAmazonで見付けたのが「アースドリル 園芸用」という代物。電動ドリルに取り付けることによって、直径5センチの孔を40センチほど掘ることが出来るという。1回しか使わないが1800円也。まあいいか、と注文してしまった。

ウチの庭は、半分をコンクリートを敷き、残りは、昔は木を植えていたが、メンテが大変なので、数年前に、防草シートを敷き、その上に白い石を敷き詰めている。
その一部に、防草シートを避けてドリルで垂直に孔をあけた。
これが簡単では無い。薄い土の下に粘土層。それで、ドリルが空回りをして、回らない。それでも、ドリルに絡まった粘土を取りながら、何とか40~50センチの孔を開けた。

210310meiko04 210310meiko05 210310meiko06

その孔に、カミさんが遺骨を入れる。そして埋め戻し、新しく買ってきたまだ真っ白な石で、小山を作り、その上に墓標の代わりにリスの置物を置いた。
これがメイ子のお墓・・・

210310meiko07 210310meiko08 210310meiko09

大きな犬の場合は、お骨も大きいため、庭に埋めるのは無理なのだろう。しかしメイ子は亡くなるときは1キロ弱まで小さくなってしまった。よって、埋めたお骨もほんの少し。

散歩に行くと、ついメイ子を思い出す。ここでは何をしたっけ・・・。
下水処理場の屋上の庭。ボールを投げると、必死に追いかけて行って、くわえて帰ってくる。それを繰り返したっけ・・・。
そのせいか、足は強かったようで、無くなる数時間前まで歩いていた。本当に、晩年は近所の犬と違って、手間の掛からない犬だった。
亡くなって3ヶ月。居間にいると、まだそこにメイ子がウロウロしているような気がする。
210310meiko10 人間もそうだが、こうして、亡くなったものは、心の中に生き続ける。
カミさんは、自分が死んだら、自分の骨壺の中に、ペンダントのメイ子のお骨も混ぜてくれといっているがさてどうだろう。
18年寄り添った、愛犬の一生ではある。(もっとも自分にはなつかなかった・・・トホホ)

(関連記事)
愛犬・メイ子が死んだ~18歳

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2021年3月 7日 (日)

「三水の里」のりんごジュースを飲んで~濃縮還元ジュースとの違い

古い・古~い友人が、りんごジュースを送ってくれた。もう50年近くの年賀ハガキだけの付き合いだが、今年の年賀状で、昨年は色々な病気で体がボロボロだったと書いたので、その陣中見舞いだろ。(そう言えば、自分が幼少の頃、病気になると必ずお袋がりんごを買ってきて、すりおろしたりんごや、りんごジュースを作ってくれたっけ・・・)
サンプルという建前だが、1リットル瓶が6本入った箱が送られてきた。信州の「三水の里(さみずのさと)」(ここ)という農家で作られた物だという。
「三水の里」のHP(ここ)を開くと、「あるとき、長野県主催の農業イベントで三水の農家のりんごを試食したところ、そのおいしさに感動!「こんなおいしいりんごを作りたい!」と、思い切ってお願いしたところ、りんご作りを教えてもらえることになりました。こうして、三水のりんごに惚れ込んで、この村に移り住むことになりました。・・・」「2004年春、消費者から生産者になった私たち。・・・」とある。

いわゆる東京からの「脱サラ農家さん」らしい。なかなか成功するのは難しいと聞くが、2004年からというから、もう18年。ここまで来ると農家としてもベテランの域。

210307samizunosato さっそく、1本を開けて飲んでみた。なるほど、りんごジュースだ(そりゃそうだ!)。冷蔵庫にしまおうと「プラスチックのキャップは無かったっけ?」とカミさんに聞くが、見つからない。仕方なくラップでビンのフタを塞いで冷蔵庫へ。でも、普通は栓を抜いたときに、プラスチックのキャップも付いているよな・・・と思って、捨てたプラスチックのカバーを良く見ると、キャプがちゃんと付いていた。失礼しました・・・

だいたい自分の味覚などは、いい加減。比べてみるに限る。それで、たまたま買ってあった「Dole(ドーレ)」のりんごジュースと飲み比べてみた。
この「雪印メグミルク」の「Dole」シリーズのジュースは、手軽であり、夏など風呂から出て冷たい物が欲しいときは非常に便利。

「Dole」のハコに刺したのストローから一口飲む。「三水の里」を飲む。そして再び「Dole」。
なるほど、完全に違う。「Dole」は水っぽい。水で薄めたジュースのようだ。もちろん「三水の里」はホンモノ。比べようが無い。
「Dole」には「濃縮還元ジュース」との表示がある。何が違うのだろう?

「ストレートジュース」と「濃縮還元ジュース」との違いがCOOP(ここ)に載っていた。それによると、
「「濃縮還元」ジュースとは、果物からしぼった果汁を加熱などで水分を少なくして保存し、容器につめる前に水分を加えて元の果汁の水分に戻したものです。
水分を少なくすることを「濃縮」といい、水を加えて元の果汁の水分と同じようにすることを「還元」といいます。「濃縮」した果汁を「還元」したものなので「濃縮還元」ジュースといいます。果汁を濃縮することによって、保管や輸送をするときの場所が少なくてすみますし、保管・輸送にかかる経費を抑えることができます。

「ストレート」ジュースとは、果物から果汁をしぼったままの果汁をそのままつめたものです。「ストレート」ジュースの原料は果実からしぼったままの状態で冷蔵や冷凍で保管や輸送をするため、「濃縮」した果汁よりも広い場所が必要ですし、経費もかかります。

「濃縮還元」ジュースも「ストレート」ジュースも、どちらも「果汁100%」と表示できることになっています。果汁に元々含まれていた糖分以外に、あとから糖類は加えた場合には「加糖」と表示することになっています。」ここより)

210307samizunosato1 おっと、箱の中にも「ストレートジュースと濃縮還元ジュースとの違い」の説明書があった。

なるほど。これでは味も違うが、値段が大きく違うはず。
Netでググると、りんご1個あたり、150CCほどのジュースが取れるそうだ。よって、1リットルだと6~7個のりんごが必要。すると、やはりストレートジュースだと1リットルで1000円ほどはするようだ。

HPを見ると、どうやら1軒の農家が、自ブランドで販売までしているらしい。りんごの種類は10種類もあるという。
HPには「オンラインストア」(ここ)があり、ここで直売しているようだ。
ついでに、Amazonや楽天、Yahoo!ショッピングで検索したが出て来ない。小規模の産地直送らしい。
このようなシンプルな製品は、ヘタに大企業の手に掛からない方が、かえって安全なのかも。

不思議なことがひとつ見つかった。HPの写真を見ると、仲良さそうなご夫婦の写真が載っている。しかし、「山本順子」と「原田康博」という名がある。
どうもご夫婦では無いらしい。でも東京からの脱サラ農家は、夫婦でないと無理だろう。
ま、HPを見て、ちょっと深入り過ぎたようだ。
賞味期限が11月と、8ヶ月もあるので、ゆっくり飲めそう。でも、相手はジュース。飲む気になれば、アッという間に無くなる。
1本1000円と思って、有り難く頂くことにしよう。数本は知人に配るとしても・・・

話は飛ぶが、我が家は「船橋屋」の「くず餅」が好き。本店に行ったこともある(ここ)。たまたま立川に船橋屋の出店があるので、通勤の帰りにたまに寄って買ったことがあった。でも最近は行かない。
先日、スーパーで、くず餅のパックを見付けた。何度か見ているが、一度試してみようと買ってみた。しかし食べたところ、味が全く違う。
wikiにこんな記述がある。
「手作りだと、おいしく食べられる期間は2日ほどである。スーパーマーケットなどで安く出回っているものは、寒天やゲル化剤(増粘多糖類)、砂糖が大量に入っており、長く保存できるような加工がされているため、かなり日持ちが良い。ただし、食感は手作り品と異なる。」

なるほど。船橋屋では賞味期限をうるさく言われるが、スーパーのは、いわゆる“もどき”らしい。
今日、たまたま立川に行ったカミさんが、船橋屋のあんみつを買ってきた。やはりうまい。
そう先の少ない人生。高価でもホンモノを食べようと話した。

上に書いたりんごジュースも、この先ストレートのホンモノを飲み続けられるかどうかは分からないが、通じる話ではある。
(いま自分が困っている「機能性ディスペプシア」が治ったら、このジュースを送ってくれた「古~い友人」に、快気祝い!に何かお返しせねば・・・?)

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2021年3月 5日 (金)

2人暮らしで1月の電気代が、何と32,310円!

我が家は、年金生活者の老人夫婦であり、コロナ渦もあり、ほとんど家に居るが、2021年1月の電気代が、1,376.3KWで何と32,310円!
前月の2020年12月の電気代も1,151.9KWで27,651円なのでビックリしたが、その上を行ったので、さすがにヤバイと、原因調査をしてみた。ちなみに、エアコン以外では1日7.5KWであった。(旅行に行っていたときのデータ)よって、ほぼエアコン3台だけで925KW。

1年前の冬と大きく違うのは、昨年12月9日に愛犬・メイ子が亡くなり、12畳の居間のエアコン(MSZ-GE5617S)を、今まで22度程度で点けっぱなしにしていたのを、カミさんが自室に入る午後9時には消すようにしたことだ。
でも、朝はカミさんが4~5時には起きるので、午前3時にエアコンのリモコンを自動ONで23度に設定していた。つまりエアコンが止まっているのは21時~3時の6時間、
それと、昨年までは、午前5時からの1時間、石油のファンヒーターを自動で点けるようにしていた。それを今年から止めた。その二つが原因だろう。

エアコンの消費電力を評価するのは結構難しい。時々刻々と気温が変化し、それにエアコンが追従するから、同じ条件で比較することは原理的に出来ない。
そこで、夜間電力(22時~翌朝8時)だけを、その日の最低気温が同じような日で比べてみた。

210305aircon 2020年と2021年の1月を比べてみると、当八王子市は、最低気温が氷点下を下回った日が、20年1月は11日間だったのに対し、21年1月は25日間で、明らかに21年1月は寒かった。最低気温の平均は20年1月が+1.1度で452.8KWに対し、21年1月は-1.9度で714.4KWだった。
20年と21年の1月で、同じような最低気温を記録した日の8日間で、夜間電力量を比べてみると、21年は20年に対して1日平均3.8KW多かった。

同様に2020年と2021年の2月を比べてみると、同じく八王子市は、最低気温が氷点下を下回った日が、20年2月は14日間だったのに対し、21年2月は15日間で、ほとんど変わらなかった。そして、最低気温の平均は20年2月が+0.9度、406.6KWに対し、21年2月は-0.0度、546.3KWだった。2月も21年は寒かったようだ。
20年と21年の2月で、同じような最低気温を記録した日の11日間で、夜間電力量を比べてみると、21年は20年に対して1日平均5.3KW多かった。

石油ファンヒーターは、稼働していた1時間は電力量が2KW減っているので、それを加味すると、21年の1月は1日平均1.8KW、2月は3.3KW多いと言うことになる。
つまり、これが居間のエアコンの点けっぱなしと、夜間6時間止めていた差で、「点けっぱなしが良い」という結果が出た。

Netでググると、ダイキンが同じような実験をしていた(ここ)。

「結論 全ての時間帯で、30分間隔で「こまめに入り切り」するよりも「つけっぱなし」にした方が消費電力量は小さく、電気代が安くなりました。」

「結論 長時間の外出や就寝時は「つけっぱなし」よりも「こまめに入り切り」がお得!
1日(24時間)で比較しても、「こまめに入り切り」の方が消費電力量は小さいが、わずかな電気代の差で一日中温かい部屋で快適に過ごせることも!」
「しかし、スケジュール運転は1日(24時間)の半分以上、13時間もの停止時間があるにもかかわらず、24時間「つけっぱなし」にした場合と比べて電気代換算で約30円しか安くなっていません。」

なお、冷房ではこうある。
「日中は、35分までの外出であれば、エアコンを「つけっぱなし」の方が安い。
夜は、18分までの外出であれば、エアコンを「つけっぱなし」の方が安い。」ここより)

「電気代が高いのは、たった2キロのメイ子のために、12畳の居間のエアコンを24時間点けぱなにしているせいだ」と思っていたが、とんだ濡れ衣だったわけ。

謝ろうにも、もうメイ子はこの世に居ない・・・

それにしても、使い過ぎ!?の我が家の電気代である。

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2021年3月 3日 (水)

「菅首相「別人格」発言が示す権力者の“無自覚”」

テレビや新聞に流れる政治のニュースを見ていると、毎日、目を覆いたくなる状況が続いている。ここまで日本はダメになったかと・・・
こんな記事を見付けた。

菅首相「別人格」発言が示す権力者の“無自覚” 専門家「まともな説明をしない責任内閣制に変質」〈AERA〉

 別人格──。不適切な身内の行為に、そう言葉を吐き出した。権力の恐ろしさを知らない権力者の振る舞いを、私たちはどう受け止めればいいのか。AERA 2021年3月8日号で、権力者の振る舞いについて考えた。
*  *  *
 権力を持つ者がいれば、それを利用しようとする者も出てくる。権力者はどう振る舞うべきか。こんなエピソードから始めてみたい。

 1958年、鳥取県出身の官僚だった石破二朗は、同県知事に就任するにあたって、自身の地元の町長や町議会議長を呼んでこんな話をしたという。

「わしが知事になったからには、我が町の陳情ごとは後回しだ。悪く思わないでほしい」

 同じように、県庁に勤めていた複数の親戚を呼んでこうも告げていた。

「わしが知事になったからには、あなたたちの出世はないものと思え」

 自民党元幹事長、石破茂氏には、父のそんな態度が伝えられている。半世紀以上も昔の話のためここで実態を断定するのも難しいが、少なくともこうは言うことができそうだ。手にした権力が不適切に利用されることはもちろん、その疑いさえ持たれることを避けたいという考えが二朗氏にはあったはずだ。

「たしなみだったんでしょうな」

 こう振り返る石破氏には、父の権力に家庭でどう向き合ってきたかが想像される思い出が、他にもある。

 中学生のときだった。自身と同じように県知事の父を持っていた母・和子から突然、こう言われた。

「知事の息子が県立高校に行くものでは、絶対にありません」

■そこにある公正らしさ

 父親が卒業した県立高校への進学を考えていたという石破氏。だが、父も母に同意し、これがきっかけとなって進路は変えざるを得なくなった。石破氏はその後、一人で上京して慶応義塾高校に進学する。県立の女学校で学び、恐らく、様々な特別扱いを受けたであろう、母の強い信念だった。

 小学校低学年のころの記憶も。ある日、知事公舎に出入りする県職員にぞんざいな態度をとったところ、母親の逆鱗に触れた。雪の降る中、何時間も家の外に放り出された。

「公私混同は絶対に許さない両親でした」(石破氏)

 翻って、菅義偉首相の長男が勤める放送関連会社「東北新社」が繰り返し総務官僚を接待していた問題はどう考えればよいだろうか。首相は、こうした逸話をどう受け止めるだろうか。2月24日に行われた幹部らの処分で幕引きを図りたいところだろうが、単なる国家公務員倫理規程違反を超えた闇の深さがそこにありそうだ。

 元参議院議長の江田五月氏は、その闇深さを明快に指摘してくれた。

「公正さというものは、実質が公正であることはもちろん必要なのですが、それは歴史の審判を待たなければならないことが多々あります。ですから、今そこにある公正『らしさ』も、同時にとても大切にしなければならないのです」

 今回、実際に行政がゆがんだかどうかはなお取材が必要だが、利害関係者の会食はもちろん、菅首相の威光をどう利用したかなど、公正「らしさ」がないがしろにされているのは確かだろう。

■「家族の問題」で疑惑に

 父は日本社会党書記長を務めた国会議員だった江田氏。自身も裁判官から衆参の国会議員となり、「三権の長」の一つ、参院議長も務め、「権力」や「公正」には神経をとがらせてきた。この間、知人から公正さそのものがゆがめられる依頼を受けたこともあったが、その都度、拒絶してきたという。今回の菅親子の問題を受けて、あらためてこう思う。

「権力の恐ろしさを知らない人間が権力を振るうことほど恐ろしいことはありません」(江田氏)

 菅親子がどこまで考えて行動したのか、あるいはしなかったのかは分からないが、評論家の塩田潮氏は今回のような疑惑に、特殊な事情を感じる。著書『辞める首相 辞めない首相』(日本経済新聞出版)で、1972年に首相に就いた田中角栄氏以降の日本の総理大臣がどのような辞め方をしているかについてつぶさに検討を加えた塩田氏は、こう指摘する。

「総理大臣が家族の問題で疑惑を指摘されて、それが進退に及ぶかもしれないという形にまで発展したのは、私が調べた田中元首相以降では、最近の安倍(晋三)前首相と菅首相の2人だけではないでしょうか」
 ここで言及された安倍前首相の「家族の問題」というのはもちろん、妻の昭恵氏が関与したとされる森友学園問題だ。

 財務省近畿財務局は2016年、小学校の開校を計画する森友学園に、鑑定価格から地中ごみの撤去費用8億1900万円などを値引きして国有地を売却した。昭恵氏が小学校の名誉校長に一時就いていたことから、官僚側による忖度が指摘されている。この問題では、財務省は昭恵氏らの名前を削除するなどの文書の改ざんを認めている。指示されて改ざんを行った職員は、自殺した。

■権力者本人の「無自覚」

 塩田氏は、過去の何人かの首相経験者の家族と、取材を通じて交流を持ってきたという。そうした人たちから聞いている話として、最高権力を手に入れた、あるいは手に入れようとしている政治家を夫や父親に持つ家族は、かつては自制を心がけるなど、生き方や生活には大きな制限があった、と述べる。

「ところが今は夫婦のあり方も人それぞれ、親子も独立すればそれぞれで、権力を預かって公的な仕事をする人間を家族全体で支えるという価値観が希薄で、奔放に振る舞うケースが多くなっているのでは」

210303seiji  権力者本人の“無自覚”はどう評価するべきだろうか。今回、菅首相は長男とは「別人格」として批判をかわす構えだ。

 自覚が足りない──。あらゆる不適切な権力の利用を排除する目的で、当事者たちをそう批判することもできなくはなさそうだ。しかし、政治学の考え方では必ずしもそう単純な批判が通用するものではないという。

 新潟国際情報大学の越智敏夫教授(政治学)が指摘する。

「政治学では、権力に良識を求めることはしませんし、まして総理大臣のような巨大な権力を握ろうなどと考える人物に良識を期待することは極めて難しいと考えられています。マキャベリが『政治学の始祖』といわれるのは、この点を明確に認めたことにあります」

 元も子もない話ではあるが、そういえば最近もジェンダー意識に難を抱えた元首相が注目されていた。マキャベリは一方で、権力者に求められるものがあると主張していた。「徳」だ。

■「三権分立」のバランス

 越智教授によれば、ここで使われている「徳」とは、人徳のようなものではなく、将来を見通す能力と、見通したうえで的確な判断をする能力のことだという。ただ、良識を求められないからといって、能力があれば権力者が何をしても構わないわけではなく、別の手段で権力をどう制御するかが大切になってくる。「三権分立」のように、権力を集中させないことだ。

 それにしても、塩田氏が指摘するように、なぜ安倍政権と菅政権の下で公正らしさが失われ、家族の問題が噴出したのだろうか。越智教授は、権力を分散させる近代国家の仕組みが現在、日本でうまく機能していないとみている。

「行政府と立法府を分けて、立法府の最大グループが行政府を兼務し、立法府に対して責任を負うのが責任内閣制です。ところが、安倍政権以降、まともな説明をしない責任内閣制に変質しました。こうして権力を抑制するための責任内閣制の『責任』の部分が機能しなくなった一方で、忖度の政治を作り上げることには成功しました。立法府で与党が圧倒的に多くの議席を占めていると、行政府も含めて権力は暴走するということです」

 その結果、象徴的に起きた現象が、今回の菅親子の問題や、安倍政権時代の数々の疑惑なのだろう。

 越智教授はこう続ける。

「ただの腐敗で済めばまだマシです。権力の暴走は、人が死に、国が滅びます。新型コロナウイルスの問題一つとってみても、理解してもらえると思います」

 暴走を止めるのか、止めないのか。それは主権者の判断だ。(編集部・小田健司)

※AERA 2021年3月8日号」ここより)

こんな記事の最後のひと言は、いつも「暴走を止めるのか、止めないのか。それは主権者の判断だ。」
今動いているのは、広い意味で、我々が選んだ結果としての政治。我々の責任。
それを変えようとするかどうかも、我々自身。

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