(喪の旅)言葉をたどる、妻がどんどん近くなる 歌人・永田和宏さん
先日の朝日新聞に「喪の旅」として、歌人の永田和宏さんの記事があった。
「(喪の旅)言葉をたどる、妻がどんどん近くなる 歌人・細胞生物学者、永田和宏さん
竹林が茂る京都市左京区の自宅1階。鎮痛剤のモルヒネがきいて、しばらく眠っていた妻が目を覚ました。2010年8月11日のことだ。
不思議そうに家族を見まわす妻。口元がかすかに動き、何かをつぶやき始めた。
傍らにいた夫の永田和宏さん(73)は見逃さなかった。「歌だ」。すぐさま原稿用紙に書きとめた。10分ほどで数首ができあがり、おしまいはこの歌だった。
《手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が》
その翌日に妻は逝った。戦後を代表する歌人の河野裕子(かわのゆうこ)。00年に乳がんが見つかり、再発、転移に見舞われた。闘病は10年に及んだ。
死へ近づく時間の残酷さ、残していく家族への思い……。妻は薬袋やティッシュペーパーの箱にまで薄い鉛筆で歌を残した。最後まで歌人を貫いた、64年の生涯だった。
*
ふたりは学生の歌会で知り合った。妻は在学中に新人の登竜門、角川短歌賞を受賞して華々しく活躍。1972年に結婚した。永田さんは塔短歌会の主宰として、夫婦で短歌界をリード。長男と長女も歌人になり、「歌壇のサザエさん一家」と呼ばれる仲のよさだった。
歌人であり、細胞生物学者でもある永田さん。正月から大学の研究室につめ、ほぼ休みのない生活を続けていた。それでも永田さんが家に帰ると、ふたりでよくしゃべった。ささいなことでも、妻は身をよじってコロコロと笑った。
感情をぶつけあってけんかもした。でも永田さんの仕事が一段落つくと、「飲もうか」と夜明けまで酒盛りになった。仕事の構想も話すほどに盛り上がった。「あなたの話、どんどん大きくなるわね」。おだて上手な妻。いっしょにいると自信がわいた。
お互いを歌の対象にした相聞歌はそれぞれ500首にもなる。永田さんの創作欲は妻亡き後も変わらなかった。
《あほやなあと笑ひのけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがゐない》
朝起きてきて、ひとりテーブルにつく。あ、いつも自分の右斜め前に座っていた彼女がいない。台所に一番近い椅子はからっぽ。こみあげる喪失感をこの歌にこめた。
時間が忘れさせてくれる。まわりの励ましには違和感を覚えた。
《わたくしは死んではいけないわたくしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ》
「忘れないで、何度でも思い出してやらんと。生きていてやらんといかん。河野のことを僕以上に知っている人間はいないんだから」
永田さんはその後、講談社エッセイ賞や現代短歌大賞を受賞する。「すごいわね!」と、妻がいたらどんなにほめてくれただろう。見てもらえないのが悔しかった。
そのひとの前だと自分のいいところが出てくる。それがひとを愛することなんだ。妻がいなくなり、しばらくして気づいた。「そのひとを失うと、輝いていた自分もなくなってしまうようで悲しいんだ」
《ゐてほしいとおもふのはもうゐないとき 鍵をまはして戸を開けるなり》
*
昨年から、新潮社の月刊PR誌「波」に「あなたと出会って、それから……」を連載している。妻の実家に残されていた10冊以上の日記と、交際していた5年間にかわした300通余りの手紙から妻の言葉をたどる。妻の中に入っていく作業。不思議なことに妻がどんどん近くなる感じがしている。
伴侶とは時間を共有するひとだろう。妻と「今」は共有できない。でも、妻が残した言葉をかみしめながら、記憶のかなたの時間をいっしょに生きることはできる。そんな自負がうまれた。
本当におれでよかったのか。聞いてみたい。
きれいやなあ。もっと言ってやればよかった。
「やってやれなかった分を何かで返したい。それが今の自分を生かしている」
《書くことでからうじて乗り越えてきたのだらうきみの死なによりわが寂しさを》
昨年12月19日、京都産業大で名誉教授として最終講義をオンラインで開いた。おしまいに映し出したスライドは、着物姿で笑う妻の写真と生前最後に詠んだ、あの歌だった。やわらかい声でしめくくった。
「私の人生は河野裕子に出会ったことがすべてでした。本当に幸せな人生だった」 (河合真美江)
◇10年余、喪の旅をしてきた永田さんに今回話をうかがいました。たとえひとり旅でも妻の残した短歌という道連れがあり、いまも歌で語り合う夫婦旅のようでした。亡きひとへの思いを深める旅。ご一緒しませんか。」(2021/01/13付「朝日新聞」p19より)
当blogでは、永田和宏さん、河野裕子さんについて、何度か採りあげている。当サイトの左上の検索で「永田和宏」と打ってみると、11の記事が検出される。「河野裕子」では14の記事だ。
最初の記事は2008年9月17日(ここ)。ラジオ深夜便で初めて永田さんを知った。河野さんが亡くなる2年前。
それから何度か、ご夫妻の話題を書いてきたが、上の記事はご夫婦の総括的な話のような気がする。
一歩引いて眺めると、結婚、人生、家族・・・。短歌という天性の才能に恵まれていたとは言え、なかなかここまでの家族にはなれない。
最近、コロナ渦もあり、自分の人世を俯瞰することが多い。18年生きた愛犬も亡くなり、この26日には四十九日を迎える。
お骨は庭に埋めて、犬の置物を置くとカミさんは言っている。
多くの家で、ペットも家族。幾らペットと言え、亡くなるのは悲しい。前にも書いたが、我が家の愛犬「メイ子」の晩年は、一般的な犬に比べて、手間を掛けなかった。その点は感謝。
コロナ渦では、検査で陽性と判定され、病院に連れて行かれて、帰ってきたときはお骨。という話も聞く。それではあまりに悲しい。
人間に限らず、生き物には必ず死による別れが訪れる。そんな事は百も承知。
だが、今さらながら、生き死にが身近に感じられるこの頃である。
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