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2020年12月25日 (金)

石川さゆりの「風の盆恋歌」~なかにし礼さん死去

昨日の中村泰士さんに続く訃報であるある。
今日(2020/12/25)は、作詞家・なかにし礼さんが亡くなったとニュースで流れた。

作詞家&直木賞作家、なかにし礼さん死去 82歳「北酒場」「石狩挽歌」昭和の歌謡界支えた巨星

 「北酒場」「石狩挽歌」など数多くのヒット曲を手掛けた日本歌謡界を代表する作詞家で直木賞作家のなかにし礼(なかにし・れい、本名中西禮三=なかにし・れいぞう)さんが23日、東京都内の病院で死去した。82歳。死因は明らかにされていないが、1カ月ほど前に持病の心疾患で入院していた。10月に作曲家の筒美京平さん(享年80)が他界したことに続く、衝撃的な悲報。日本の音楽界はまた一人、大きな星を失った。
201225nakanisirei  数々のヒット曲を作詞した昭和を代表するヒットメーカーで、映画やオペラの製作でも活躍。時の政権を厳しく批判する辛口のテレビコメンテーターとしても、お茶の間に愛された人だった。

 関係者によると、1カ月ほど前に持病の心臓病が悪化。都内の病院に入院していた。

 波瀾(はらん)万丈のなかにしさんの人生で、この10年は病気との闘い。2012年に食道がんを克服し、3年後に再発するも、それも克服。心臓病は92年からの持病で、16年に除細動器とペースメーカーを埋め込み、劇的に改善していただけに周囲のショックは大きい。

 68年の黛ジュン「天使の誘惑」、70年菅原洋一「今日でお別れ」、82年細川たかし「北酒場」で日本レコード大賞を3度受賞。00年には「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞。翌年、満州からの引き揚げ体験を描いた「赤い月」は100万部近いベストセラーとなり、戯曲を含めた旺盛な執筆活動とマルチな活躍からスーパー作詞家と呼ばれた。

 大学時代にシャンソンの訳詞を手掛けたのを機に作詞を始め、63年に当時の大スター、石原裕次郎さんから声を掛けられたのが歌謡界に進むきっかけとなった。

 65年に発表した菅原洋一「知りたくないの」が最初のヒット。その後、ザ・ピーナッツ、ザ・タイガースらスター歌手の曲をはじめ、昭和の歌謡曲全盛時代を支えた。

 手掛けた作品は4000曲。それまで流行歌も軍歌も「七五調」が主流だった中、「自分は絶対に七五調は使わない」というのが作詞の鉄則。「破調のリズムで日本人の心を動かしたい」という思いは、旧満州で祖国に捨てられた戦争体験が根底にあった。

 執筆活動のもう一つの原点が幼少期からの赤貧体験。破滅的な兄への複雑な思いと原体験を歌にしたのが、75年の北原ミレイ「石狩挽歌」(作曲浜圭介)。

 ♪ごめがなくから にしんがくると あかいつっぽのやんしゅがさわぐ――。

 兄が大金をつぎ込み失敗したニシン漁の情景を描き、その重い世界観は歌謡曲ファンを圧倒。そんな兄との葛藤を描いたのが最初の直木賞候補作「兄弟」だった。

 あらゆる作品に通ずるのが「反戦」への思い。何度も死線をさまよいながらも、とどまらない創作意欲について、4年前のスポニチ本紙のインタビューでも「戦争体験をしっかり残したいんだ」と熱く語っていた。

 ◆なかにし 礼(なかにし・れい、本名中西禮三=なかにし・れいぞう)1938年(昭13)9月2日生まれ、旧満州(現中国東北部)出身。91年に映画「動天」の製作を指揮。93年には神奈川・鎌倉芸術館の開館記念作としてオペラ「静と義経」を制作した。同作は昨年、26年の時を経て再演された。また、01年から14年間、テレビ朝日「ワイド!スクランブル」のコメンテーターを務め、お茶の間にもよく知られた存在だった。」(2020/12/25付「スポニチ」ここより)

なかにし礼については、当サイトでも色々採りあげている。サイト左上の検索窓に「なかにし礼」と入れて検索すると、14曲ほどヒットする。それほど、世に、そして自分にも影響が大きかった大作詞家。特に(ここ)に挙げた氏の話を聞いて、著書「赤い月」も読んだもの・・・

例によって、追悼を込めて、自分の好きな歌でまだ挙げていない、石川さゆりの「風の盆恋歌」を挙げてみる。

<石川さゆりの「風の盆恋歌」>

「風の盆恋歌」
 作詞:なかにし礼
 作曲:三木たかし

蚊帳の中から 花を見る
咲いてはかない 酔芙容
若い日の 美しい
私を抱いて ほしかった
しのび逢う恋 風の盆

私あなたの 腕の中
跳ねてはじけて 鮎になる
この命 ほしいなら
いつでも死んで みせますわ
夜に泣いてる 三味の音

生きて添えない 二人なら
旅に出ましょう 幻の
遅すぎた 恋だから
命をかけて くつがえす
おわら恋唄 道連れに

この歌の録音は2つ持っている。上の録音はコロムビアから1993年にポニーキャニオンに移ったあとに録音したもの。
オリジナルのコロムビア盤でも聞いてみよう。

<石川さゆりの「風の盆恋歌」(コロムビア盤)>

風の盆をテーマにした歌では、他に菅原洋一の「風の盆」(ここ)を挙げている。
菅原洋一の「風の盆」が1989年6月発売で、石川さゆりの「風の盆恋歌」も同じ1989年6月。「風の盆」は作詞・作曲共になかにし礼。「風の盆恋歌」は、作詞は同じくなかにし礼だが、作曲は三木たかし。この頃、越中八尾の風の盆が流行っていたらしい。
そして、この石川さゆりの「風の盆恋歌」が1989年の日本レコード大賞最優秀歌唱賞と日本作詞大賞大賞を取ったというので、この2曲、軍配はどうも石川さゆりの方に上がったようだ。

それにしても、まさに「日本の音楽界はまた一人、大きな星を失った。」
昭和が遠くなる年の瀬である。

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