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2020年12月11日 (金)

愛犬・メイ子が死んだ~18歳

我が家の愛犬・ヨークシャーテリア(ヨーキー)のメイ子(正式名:メイリー=中国語で“美麗”=キレイの意)が一昨日(2020/12/09)の未明(夜中の2時頃)亡くなった。たぶん老衰で。
20121100 ちょっと時系列的にメモしてみる。

目も見えず、耳も聞こえなくなったメイ子だが、それでも最近までは、エサはガツガツと食べていた。それは生きる意欲の表れ。
変調を来したのは、11月24日だった。夜中にメイ子が枯れた声で鳴く。今まで聞いたことの無い、枯れた鳴き声。午前1時だというのに、カミさんが起きて抱いている。オムツを外すと下痢でオムツはぐちゃぐちゃ。風呂場に連れて行って洗ってオムツを替えたらメイ子の機嫌が直り、鳴き声も無く寐た。
当然それからは、エサはカロリーエースの流動食で、いつもの下痢止めの薬(ここ)を飲ませる。この症状はいつものことだが、25日朝も下痢。
そして、26日にはペット用ヒーターのカバーに吐いて、カミさんはその始末で大変。

いつも居間に一人で寐ているメイ子。しかし、今年の冬は、少し様子がおかしい。昨年までは、いつもペット用ヒーターの上で寐ていたが、嗅覚も鈍ってきたのか、水飲み場から自分のヒーターの場所までたどり着かない。それで「ま、ここでいいや」と、自分のベッドと水飲み場の間で寐てしまう。
我々が気が付いた時は、その寝姿のまま、ヒーターの側に連れて行ってあげるが、今までと違った行動を取りだしたのが、12月5日。何と毛布で壁を作っていたのに、それを乗り越え、カミさんが横になる座布団の上に侵入!
そして翌6日には、何とコタツの中で寐ていた。しかも大下痢をしていて、またお風呂場で洗う。ここ数日、エサを流動食から元のエサに戻したのが無理だった様子。

下痢の時のエサは流動食とヨーグルトだが、薬が効いてウンチは固くなってきたが、茶色のウンチの周囲が黒いウンチ。黒いのは、若しかしたら腸で出血している??
そしてエサの量も段々と少なくなっている。もう正常なエサは取れないのでは?と心配し出したのがこの6日。

そして12月7日は、午後3時頃にオムツを替えたら、ウンチは固かったが小さな茶色と黒のまだら模様。ほとんど食べていないので、ウンチの量も少ない。
20121101 午後、また枯れた声で時々鳴く。たまたまカミさんに来客があったので、自分の部屋にメイ子を預かったが、午後3時から5時過ぎまで、部屋の中をウロウロと歩き回っていた。時々鳴きながら。その姿はまるでメイ子“ルンバ”。この時は、2時間歩き回るだけの体力は残っていたようだ。
しかし食欲は無く、とうとう水も飲まなくなってきた。そしてこの日の夜11時頃のオムツ替えをした時はビックリ。オムツが軽い。オムツを替えてから9時間ほど経っていたが、たぶんオシッコは1回ほどしかしていない? そして、いつもはオムツを替える時はしっかりと目を覚まし、後ろ足で立つのだが、この時の後ろ足はフラフラ。尿の量が減るのはヤバイ、と思った。

12月8日の未明0:45頃、メイ子の声に気が付き、行ってみると水飲み場で鳴いている。そのままヒーターの上に戻したら、そのまま寐た。戻れないので鳴いていたらしい。
そして午後3時頃がらまた枯れた声で歩きながら鳴き出した。そしてとうとう動けなくなったのが夕方。6時頃には、自分の寝床で、前足を伸ばし、頭をのけぞったような姿で、ゼイゼイという呼吸と共にキャンキャンと鳴く。人間と同じ亡くなる前の下顎呼吸のようだ。
夜、隣家に電話した。「犬が危篤らしく、吠えるので、もし鳴き声が気になったら言ってくれ。何らかの処置をするので」

そしてその数時間後、12月9日の0:15。見に行くともはや鳴く力が無いのか、浅い息をしていた。そして3時過ぎに目が覚めたときに見に行くと、口を開けて亡くなっていた。硬直していたので、1時から2時頃に亡くなったと思われる。
享年17歳と11ヶ月。あと2週間で満18歳というのに、届かなかった。
カミさんがNetで死後のケアの方法を見て、体を拭き、下痢をしていたお尻をキレイにする。そして段ボールにベッドを作って寝かせ、保冷剤を入れた。

朝になってNetで調べ、昔住んでいた団地近くのペット霊園に電話。14時の予約が取れた。お骨を入れる布袋を豪華にしたので、火葬代は21,000円+1,000円=22,000円だった。
20121102_20201211234401 炉に入れる時に生花を用意してくれていたので、それを体の周りに置いた。自分たちはバタバタしていてそこまで気が回らなかったが、少しでも生花で飾れたのは良かった。
40分ほどでメイ子はお骨になった。人間の時と同じく、二人で一番大きな足の骨を拾い、骨壺の中に。霊園の女性が、小さなお骨群を、ここが頭で、ここがシッポの骨・・・。と解説してくれる。焼き上がったお骨は、病気で悪い所は黒くなるそうで、メイ201211meichan2 子の場合、心臓か腎臓辺りが少し黒かった。逆に足はしっかりしており、最後まで歩けていたので納得。
そして骨壺を手に帰宅した。全部で1時間半ほどだった。

メイ子の人(犬)生を振り返ってみる。
2002年12月23日生まれ。父ビアン、母べべ。2度目の出産で、3つ子の次女。
実家のAさん(奥さん)から自分宛にメールが届いたのが2003年1月21日。ぜひ1匹もらってくれと言う。3ヶ月は母親のところで育てるので、渡すのはその後だという。
聞くと、3匹の内、1匹の鼻が切れていて(三ツ口?)、その子はAさん宅で育て、他の2匹をウチとOさんに貰ってもらうつもりだったとのこと。そして、Oさんとカミさんの二人でその3匹を見に行った時、その鼻が切れている子が、一番先にカミさんのヒザに寄って来たのだという。それでその子を我が家で貰うことにしたとか。そして名付けたのが、その頃、カミさんが中国語を習っていた関係で、「メイリー」(=中国語で美麗=キレイの意)。
その後、ほとんどはメイ子と呼んでいたが・・・

20121104 そして我が家に初めて借りてきたのが2月1日だった。自分は初めて見たが、ちっちゃい。3時間の面接だったが、ぶるぶる体を震わせていたが、自分の所では静かにしていたので面接合格!!
そして正式に我が家に来たのが2003年3月16日。その贈呈式?の写真がこれ。
それからが活発。4月7日には、ついに柵を乗り越えた!

20121105 20121106 20121107

そして2003年7月25日に、勧められて獣医さんのところで、子宮・卵巣の摘出手術。
お腹の開腹手術だったので、痛々しかった。

211211meiko11sai その後は、我が家のマスコット。特に散歩には良く行くようになった。2003年10月30日には、メイ子を連れて高尾山にも登った。

そして病気もした。2005年11月27日には、頬が破れ、獣医さんに手術で3日間の入院が必要、とまで言われたことがあった。

その後は順調で、休日になると1時間をかけて散歩するのが日課となった。広場では、投げたボールを走って拾ってくるのが得意だった。我が家で気に入っている写真を2枚。2011年4月29日(8歳)の、自宅玄関前での写真と、2016年11月14日(13歳)の時の、トリマーさんがトリミングの後に撮ってくれた写真である。

20121108 20121109 

その後は特に事件も無かった。しかし衰えを感じたのが、2014年11月6日だった。12歳だったが、歩くのがオタオタしてきたので、1時間の大回りの散歩道は無理か・・・と、衰えを感じた。(人間で言うと66歳)
2015年1月26日にはウンチに血が混じり、獣医さんは急性腸炎と。2015年11月8日には、ウンチが部屋の中に撒き散らされるので、部屋の隅に柵でかこって閉じ込めたら、夜泣きをして、人間の方が降参。3キロほどあった体重も2.4キロに減った。流動食は何とか食べるが、軟便で、赤い粘液も混じる。しかし放すと、階段を元気に駆け上がる。13歳は、人間で言うと69歳とか。まさにシニア犬だ。
2016年10月30日には蓼科に車でメイ子を連れて行ったが、何とか大丈夫だった。そして2016年12月16日(14歳)の大洗に行った時が、それがメイ子との最後の旅行になった。

あれから、4年。まさに高齢犬となって、段々と体力も落ち、それまで駆け上がっていた階段も上れなくなり、居間の段差も、ペット用の階段を使って行き来するようになった。

当blogにもメイ子については何度か書いている。
2017年4月1日には「愛犬・メイ子の「突発性前庭疾患」~老犬病の始まり!?」(ここ
2018年1月31日には「カミさんの「メイリーの犬心」(ここ
2018年9月19日「愛犬・メイ子の“おしめ”に挫折した日」(ここ
2019年2月22日「幸せの黄色いチョーク~犬のフンの撲滅法」(ここ
そしてとうとうオムツを始めたのが、2019年10月24日「愛犬・メイ子がオムツをした日」(ここ)だった。

最初は、ウンチがオシメから外れてオシッコシートに堂々と鎮座していたが、その後、昔買って、大き過ぎで放ったあったSSサイズのオムツをシッポの部分をセロテープで止め、ウンチ脱落防止にSSSの上に二重にさせているので、ウンチの脱落はなくなった。メイ子にしては、シッポが自由に動かせないが、これは我慢して貰うしか無かった。以来1年。ウンチが床の上に落ちていることは無くなった。

そしてとうとう散歩に行けなくなったのが2019年12月26日(17歳)(ここ)。

いつ頃からだったか、歩き方が斜対歩から側対歩に変わった。そして、いつもの定位置の出窓に飛び上がる事が出来なくなり、ソファーの上に、そしてそれも出来なくなり床にベッドの置き場所が変わった。そして最期には体重は1.4キロまで痩せた。あばら骨が浮き出て、ガリガリ。エサはよく食べていたので、栄養分を吸収する力が段々と衰えていったのだろう。

201211yoki 1年半前から獣医さんも止めた。それまでは、高額な心臓の薬を貰って飲んでいた。この薬を飲んでいるから、何とか生きているんだと言われていたが、何の事は無い、メイ子も毎朝毎晩、薬を飲まされるストレスから解放されて?元気。飲む方も飲まされる方も、薬がどれだけストレスだったか・・・
結局、獣医さんの言っていた心臓で亡くなることは無かった。
完全な老衰。ヨーキーの18歳は、人間で言うと88歳だそうだ。
何より、痛みが無かったことは良かった。もしガンなどで痛みがあったら、たぶん鳴くだろう。しかもずっと。それが無かった。高齢になってからは、いつもおとなしく寐ていた。

考えてみると、自分になついていたかというと、自信が無い。気にくわないのが、次男が帰ってくるとぴょんぴょんと足にまとわりついていたこと。そして2階の次男の部屋の前で、ドアをガリガリ。部屋に入れてくれないと、イジワルでドアの前でオシッコ。だから2階の廊下のカーペットには、そのオシッコの跡が無数に付いている。なぜ自分が帰ってくると、喜ばなかった???

でも、総合的には良い子だった。我々も老年。
色々と聞くと、老犬になって亡くなるまで、数か月間寝たきりになって、吠えて周りの家に迷惑をかけることもあるという。しかしメイ子の場合、危篤になって吠えていたのは、ほんの6時間ほど。
飼い主の我々老人に、ほとんど労力を使わせること無く逝った。これには感謝。

前に「愛犬を亡くした人への詩「虹の橋」」(ここ)という記事を書いた。
動物が死ぬと「虹の橋」のたもとで飼い主を待っており、飼い主が死ぬと、一緒にその「虹の橋」を渡っていくのだという。

でも、自分が死んだ時に、メイ子が「虹の橋」で待っている自信は無い。たぶんカミさんを待っているのだと思う。まあ18年間も世話をしてきたのはカミさん。それは仕方が無い。

ペットは家族、とはよく言う。まだ亡くなってから2日。まだいつもの場所にメイ子が居るような気がしてならない。自分はともかく、カミさんに、本当の哀しみが襲ってくる日が怖い。

(関連記事)
愛犬・メイ子の遺骨を庭に埋めた話


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