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2020年12月の11件の記事

2020年12月31日 (木)

「100歳人生はこう歩く」~お茶の水女子大学名誉教授・外山滋比古氏の話

先日、NHKラジオ深夜便で、「「100歳人生はこう歩く」お茶の水女子大学名誉教授 外山滋比古(2018/11/15放送)」(2020/12/22再放送)を聞いた。18年の再放送なので、前にも聞いたと思うが、改めて聞いて新鮮だった。

<「100歳人生はこう歩く」~外山滋比古氏の話>

例によって、このお話の内容は(ここ)に載っている。

自分は知らなかったが、氏の著作は、国語の教科書や入試問題に多数引用されているとか・・・
しかし、当時95歳で、このかくしゃくたる言葉の力強さ。人間の生き方次第で、幾ら年を取っても精神は若く居られる事がよく分かる。

お話の中で、3人以上で、いわゆるダベリングをすると良いという話に、なるほどと思った。

今日は、2020年の大晦日。今年はコロナに始まってコロナに終わった。しかも、今日(2020/12/31)は東京で1337人の陽性者が出たという。今までの最高946人を大幅に更新。
よって、みんな家に巣ごもり。
それで無くても、老人は会話が少ない。家にこもれば、なおさらである。
我が家でも、夫婦で生活しているからこそ、会話が出来る。それが政府の悪口であろうと、お互い声が出る。しかし、コロナに感染すれば即入院。その会話は遮断される。もちろん、病気等で連れ合いと分かれても、会話は遮断される。

女性は良い。幾らでも友人と話せる。しかし男はダメ。ひとり自分の殻に閉じこもる。
前に、テレビで欧米の老人ホームの番組を見たが、やはり男は誰とも話さず、ぽつんぽつんと立っているだけ。日本だけでは無いのだ。
声を出さないと、声は枯れる。急に話そうとしても声が出なくなる。
自分も、もし一人になったらそうなるな・・・。

コロナに限らず、“夫婦で元気に”が、どれほど重要かを、改めて感じた。

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2020年12月29日 (火)

「政治の話を身近な人としますか?」

だいぶん前だが、朝日新聞にこんな記事があった。

「(be between 読者とつくる)政治の話を身近な人としますか?
 バイデンかトランプか。先の大統領選で、米国では政治的分断が深まったといわれますが、有権者の政治意識の高さに圧倒された人も多いのでは。かたや日本。オープンに政治的な発言や議論はしづらい、政治の話はタブーと考える人も多いようです。アンケートでも「身近な人以外とは話さない」という声が届きました。

 ■職場では話せない
 家族など身近な人と政治の話をしていると答えた人は約7割。理由で最も多かったのは「政治に関心がある」。beモニターの皆さんの政治的意識の高さがうかがえる。
 「主婦のおしゃべりでも政治がかなり話題になります。それだけ今の政治に不満があるということです」(千葉、79歳女性)、「コロナ禍で在宅時間が増え、顔つきあわせて暮らすなか毎日、尽きることのない政治の話で盛り上がっています」(東京、69歳女性)。
201229seiji  ただ、話す相手は、身近な人といっても、夫や妻など、ごく限られた人だけ、と答えた人は少なくない。
 「職場の同僚と政治の話をして考え方が違い、気まずくなった。それ以来、家の外では政治の話はしない」(兵庫、57歳女性)、「話ができるのは夫だけです。政治の話がしにくい風土ができあがっている気がする」(静岡、71歳女性)。
 なぜ話しづらいのか。東京の女性(65)は「職場の雰囲気を壊しそうだし、意識高い系なんて言われそうでイヤだ」と打ち明ける。愛知の教職員の男性(62)も「政治的信条を述べると仲間外れになるのではと思ってしまいます」。
 愛知の元公務員の男性(67)は新人の頃、職場で選挙の話をしたときの空気が忘れられない。「あまりにも鈍い反応と嫌悪感のある白けた視線。政治に関心がある=『左翼』のレッテルが貼られ、上司から『君は出世に興味がないのかね』と揶揄(やゆ)されたりする」
 「政治と宗教の話はしない」という声も。「経験的法則です。正解がないので議論しても疲れるだけ」(神奈川、79歳男性)
 一方、政治は広く語られるべきだと考える人も多い。
 「政治的な立場の違いを議論でき、いろいろな意見が尊重されてこそ民主主義だ」(東京、70歳男性)
 先の米大統領選の様子を見て、改めて日本の状況を考えたという声も届いた。
 「米国は分断されているかもしれないけれど、政権に反対するのも自然なこと。日本の状況よりも希望を感じた」(千葉、39歳女性)。「職場での政治的な会話は海外では当たり前、政治的信条を持っていないと馬鹿にされる」(神奈川、57歳男性)。「日本では分断が起こるほど、政治に関心がある人は多くない」(神奈川、39歳女性)
 政治的な議論が学校の授業でもされる欧米とは違い、日本人は議論が下手、「思想信条の異なる人への不寛容はひどい。おそらく日本の権力者はそれを望んでいる」(和歌山、57歳男性)という指摘も。では、どうすれば政治の話ができるようになるのか。
「国会や憲法だけが政治ではなく、野菜の値段や食事のメニューでも日々の生活の話をすることがそのまま政治の話になっていると思う。今なら『Go To』かな」(福岡、64歳男性)、「生活に直結することをもっとフランクに語る。たとえば子どものいる人なら教育問題など」(神奈川、56歳女性)。「政のあるべき姿を議論する。『百年の計』を議論するなら家庭や職場でも対立は起きにくい」(東京、53歳男性)
 若い世代の政治的無関心を嘆く声もあったが、10代からはこんな声が届いた。
 「政治を授業で習って周りが話している政治の内容やニュースがなんとなくわかるようになった」(茨城、15歳男性)、「学校でも政治の話をします」(三重、16歳その他)。
 偏見をもたず、相手の話によく耳を傾けることも大事なことだ。(林るみ)」(2020/12/12付「朝日新聞」b10より)

「政治の話を身近な人としますか?」という問いに対して、自分の答えは「NO」。
政治の話題は、非常に微妙なアイテム。飲み会でも、決して政治の話は、少なくても自分からはしない。話題が出ても、自分の意見は言わず、ただただ生返事をするだけ。
これが生活の知恵。

理由は簡単。その人の政治信条を聞いて、もし自分と異なっていた場合、その人の存在が遠くなってしまうので。つまりは、その友人を失いかねないので聞きたくない。
「君子危うきに近寄らず」である。

しかし夫婦間では違う。我が家の場合、夫婦間の会話のうち、半分以上が政治の話かも・・・。
それだけ、日本の政治はメチャクチャ。目も当てられない。首相が替わって、まさか益々ひどくなるとは思わなかった。何より、日本のメディアがひどい。
その点、海外の記者の目は正しい。その意見を安心して聞いていられる。

今日の「日刊ゲンダイ」にこんな記事があった。

仏記者が酷評「菅首相は本当の記者会見をしたことがない」

 菅政権発足から100日超。25日には3回目の首相会見を実施したが、これまでの会見は海外メディアには、どう映っているのか――。日本駐在歴23年、仏リベラシオン紙のカリン西村記者(50)に聞いた。
  ◇  ◇  ◇
 ――首相会見をどう見ていますか。
 8年近くの官房長官時代、菅氏は文書を読み上げ、即答できない質問には官僚がメモを渡していた。総理になっても同じ。本当の記者会見をしたことがないのだなと思います。

201229francekisya  ――会見と呼べるものではない、と。
 自分の言葉で語っていません。記者が事前に質問を伝えて、官僚が作った回答の原稿を読み上げているだけです。それを記者は一生懸命、カチャカチャとタイピングする。ならば、原稿を配ればいい。厳しい質問には少し自分の言葉で切り出すが、後はメモを読むのみ。安倍前首相よりひどいと思う。

 ――フランスのトップの会見はどうなのですか。
 大統領は数多く会見をしているわけではありません。一方的に話をすることも時々あります。しかし、大統領の会見は多いときには200人超の記者が参加し、事前の質問通告はなく、メモを読み上げることもない。挙手する記者全員の質問が尽きるまで、自分の言葉で答えます。それは、政治家の仕事の一部なのです。

■再質問禁止は報道の自由の侵害
 ――首相会見では、不十分な回答に対しての再質問ができない。25日の会見でも、記者の再質問を司会が止めていた。

 本当にうんざりしています。真正面から答えない側の逃げ得を許すことになる。記者の「知る権利」を閉ざすもので、再質問禁止は報道の自由を侵害しています。ただ、記者側にも問題があります。

 ――といいますと。
 首相の答えが不十分だった場合、次の記者が突っ込めばいい。ちゃんと答えるまで、記者が繰り返し問えば、逃げられない。記者も準備通りの質問に終始し、アドリブがない。首相も記者も台本通りという印象です。

 ――報じ方にも問題がありますか。
 一番印象に残っているのは、私が別室で音声のみ傍聴した2回目のグループインタビューです。日本学術会議問題が主題でしたが、菅首相は10回以上、繰り返し事前に用意したメモを読みました。質問に窮して、答えられなかったのです。異様な光景でした。この場面が最大のハイライトなのに、ほとんどのメディアは、発言内容を伝えるだけで、首相の困惑ぶりを報じなかった。

 ――まっとうな会見にするためには何が必要ですか。
 棒読みで済ませられる菅首相は楽ですよ。首相に自分の言葉で語らせる会見にするには、メディアが不満を持ち、もっと求めないといけません。事前に質問を伝えることをやめ、再質問も要求する。メディア次第で仏大統領のような会見は日本でもできるはずです。
(聞き手=生田修平/日刊ゲンダイ)

カリン西村 1970年、フランス・ブルゴーニュ生まれ。パリ第8大卒業後、ラジオ、テレビ局を経て、97年に来日。AFP通信東京特派員を15年間務め、今年から仏リベラシオン紙、ラジオフランスの特派員。日本社会についてのエッセー多数。」(2020/12/29付「日刊ゲンダイ」ここより)

どんなにバッシングされようが、日本のメディアは動こうとしない。政治もメディアも持ちつ持たれつのぬるま湯に浸かっているだけ。しかし新型コロナは容赦しない。
危険にさらされるのは、国民の命。

国のトップがヌケヌケと国会でウソを言い続け、それが結果として許されてしまう日本。誰が見てもウソなのを、選挙でお灸をすえることも出来ない日本。
次の内閣支持率を、そして次の衆院選での安倍前総理の得票率を楽しみに!?
(でも山口4区では、安倍前総理は7割を超える得票率。何があっても、トランプのように岩盤支持層があるんだろうな・・・)

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2020年12月27日 (日)

「令和落首考 2020年後半」

恒例の朝日新聞「令和落首考 2020年後半」。今年はこう嘆く!?

令和落首考 2020年後半 西木空人
 「踏み出した足引っ込める百と聞き」。第1波を体験したあとの7月初め、思えば私たちは可憐(かれん)でした。「三歳児自分の意思でマスク着け」

 秋、少なからぬ人びとの心情が様変わりしたようです。「医師会に耳を貸さない人出かな」「GoToと騒いで浸(つ)かる茹(ゆ)で蛙(がえる)」

 そしていま、感染急拡大、医療は崩壊目前。川柳子はすでに7月半ば「ただの風邪のはずがなかろうこの惨状」と鋭く予見していたのですが。

 「朝日川柳」掲載句を読み返しつつ、この半年を振り返ります。
      × × ×
 GoToは、いまや普通名詞化しました。1年前は存在しなかったこの言葉を私たちは日常、口にします。

 「コロナ禍で政府は、国民を動かそうとする多くの耳慣れない言葉を使ってきた」と指摘するのは認知科学専攻の鈴木宏昭・青山学院大教授です(「朝日新聞アピタル」から)。GoToトラベルは「直訳すると『旅行促進・推進事業』。多くの人から『こんな状況に何を!』と反論も出るであろうところを英語を使うことで、なんとなくあいまいに緩和する効果があった」。

 なるほど。たとえば「GoTo代 GoToしない人も出し」「遊ぶ人私の税金で助けてる」。同じ趣旨ながら、GoToの方がやわらかい。

 言葉の奸知(かんち)、いえ手品なんですね、政府演出の。
      × × ×
 「土砂降りの中へ促すピクニック」。政府がGoToトラベル事業を始めたのは7月22日。

 「朝ドラを見とらんのかね菅ちゃんは」。掲載はNHKの「エール」が放送されていた10月中旬。この週は、インパール作戦が舞台でした。

 インパールはミャンマー国境に近いインドの都市。第2次大戦中の1944年、日本軍が侵攻しようとしたが、大敗北した。「史上最悪の作戦」とされ、戦没者7万人超ともいわれます。

 「失敗の本質」(1984年刊)は、あの戦争における日本軍の「戦い方」「敗(ま)け方」を研究者6人が考察した本です。インパール作戦については「人間関係を過度に重視する情緒主義や強烈な使命感を抱く個人の突出を許容するシステム」の存在が失敗の要因と看破しました。

 GoToは「首相案件」なのだとか。右の視点に、菅義偉政権の軌跡を重ねると不思議に符合します。「相容(い)れぬ人に目に物見せる癖」「オレ様は偉いんだぞと勘違い」

 同書の指摘をさらに引きます。やれば何とかなるという楽天主義▽情報の重要性を認識せず▽戦力の逐次投入▽ダメージ・コントロールの不備……。

 「考えていませんでした昨日まで」「遅かりし菅之助殿停止令」「メルケルは熱弁 こちら『ガースー』と」
      × × ×
 「それぞれの文字の貼り紙店じまい」。選者が愛した地方都市の豆腐店も11月に店を閉めました。売り上げは7割まで戻ったが、家業を継ぎ手作りに誇りを持っていた72歳の弟が急死し、心を決めたそうです。兄(78)は言いました。「権力(政権)は権力(大企業)と組むんだね。中小は眼中にないんだ」「街が街でなくなった。自分の周りは非正規の人ばかりだよ」

 「GoToを横目で見ながら職探し」「列島のどこ吹く風が身に沁(し)みる」
      × × ×
 8年近く君臨した安倍晋三前首相の2度目の退陣にも触れなければ。「引き出しのマスクと共に名は残り」。悪名、かしら。

 11月、サクラ国会答弁虚偽発覚。「国民を百十八回虚仮(こけ)にする」。結果不起訴。「花の下 腹を切らずに尻尾切る」。国会で釈明・謝罪するも「冠(かんむり)が取れても人は変わらない」。

 目を転じます。「二制度の約束土足で踏みつぶし」。香港無残。「ロシアではお茶も飲めない反体制」。毒殺未遂事件。「地球儀ややたらに増える独裁者」。「応援すテニスコートの一人デモ」。黒マスクの大坂なおみ選手。「バイデンに少し希望を持ってみる」
      × × ×
 コロナ禍で世界中の暮らしは激変しました。けれど人間お互いの信頼は、ぜひとも保ちたい。自分自身に精いっぱい誠実でありたい。そう思います。

 今月4日は中村哲医師の死去1年でした。「滔々(とうとう)と用水流れ哲さん忌」
 (「朝日川柳」選者)」(2020/12/27付「朝日新聞」p6より)

半年前の「令和落首考 2020年前半」で、「コロナ禍は、一過性で無いのが怖い。時間が経てば終わる、という物でもないらしい。半年後、「令和落首考 2020年後半」で、それがどのように歌われているのか・・・
とにかく、めったに体験出来ない相手なので、人類がどのようにコロナと対峙し、退治するのか、じっくりと見極めよう。そして半年後に、川柳で笑い飛ばしていることを期待しよう・・・!」(ここ)と書いたが、半年経った現在、治まるどころか、拡大する一方。

一方、コロナ渦における倒産・失業は、とても笑い飛ばせる話ではない。先日の「日刊ゲンダイ」にこんな記事があった。

葬儀社倒産と出産減 コロナ禍が揺さぶる日本人の“生と死”
 コロナ禍が日本人の「生と死」にも影響を及ぼしている。東京商工リサーチの調査によると、今年のコロナ関連破綻は22日までに累計855件に到達。

 業種別のワーストは「飲食業」の138件、「ホテル、旅館」の60件と続くが、葬儀業も3件報告されている。葬儀業は優良企業の印象が強いが、実はコロナ禍で打撃を受けていた。同社調査部の後藤賢治課長が解説する。

「全ては『密』を避けるためです。亡くなった方の多くは高齢者で、参列する友人も大半は高齢者。感染させたくないとの配慮から葬儀が延期され、やがて家葬を行う人や葬儀そのものを取りやめる人が急増したのです。最初の倒産は『式典さがみの』で3月30日。当時から既に『参列者が集まらない』という声が上がっていました」・・・」(2020/12/24付「日刊ゲンダイ」ここより)

自分の身近な所でも、飲食店の変化は起きている。前によく行った八王子道の駅近くのパン屋が閉店したのは、半年前の2020年6月末だった(ここ)。

そして先日、車で走っていたら、近くのマクドナルドが足場を組んで工事を始めていた。改修工事かな?と思っていたら、次の日に、囲みシートに「移転して生まれ変わります!」の看板。つまりこの店は閉店したようだ。聞くと、2020/12/20に閉店して、開店してから19年の歴史だったという。
それにしても、近くの店が閉店していくのは寂しい。これらが、すべてコロナのせいかどうかは分からないが、あらゆる所にコロナ渦が悪影響を与えている。
半年経っても・・・だ。

来年はオリンピックの年だという。しかし国民はほとんど感心が無い。誰もが、オリンピックが日本で開かれるとは思っていない。頼りはワクチンだという。
さて、このワクチン。4月頃には高齢者への接種が始まるらしい。そのとき、自分たちが受けるかどうか・・・。
半年後の「令和落首考 2021年前半」で、コロナ渦を笑い飛ばしていることを祈ろうか・・・。

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2020年12月25日 (金)

石川さゆりの「風の盆恋歌」~なかにし礼さん死去

昨日の中村泰士さんに続く訃報であるある。
今日(2020/12/25)は、作詞家・なかにし礼さんが亡くなったとニュースで流れた。

作詞家&直木賞作家、なかにし礼さん死去 82歳「北酒場」「石狩挽歌」昭和の歌謡界支えた巨星

 「北酒場」「石狩挽歌」など数多くのヒット曲を手掛けた日本歌謡界を代表する作詞家で直木賞作家のなかにし礼(なかにし・れい、本名中西禮三=なかにし・れいぞう)さんが23日、東京都内の病院で死去した。82歳。死因は明らかにされていないが、1カ月ほど前に持病の心疾患で入院していた。10月に作曲家の筒美京平さん(享年80)が他界したことに続く、衝撃的な悲報。日本の音楽界はまた一人、大きな星を失った。
201225nakanisirei  数々のヒット曲を作詞した昭和を代表するヒットメーカーで、映画やオペラの製作でも活躍。時の政権を厳しく批判する辛口のテレビコメンテーターとしても、お茶の間に愛された人だった。

 関係者によると、1カ月ほど前に持病の心臓病が悪化。都内の病院に入院していた。

 波瀾(はらん)万丈のなかにしさんの人生で、この10年は病気との闘い。2012年に食道がんを克服し、3年後に再発するも、それも克服。心臓病は92年からの持病で、16年に除細動器とペースメーカーを埋め込み、劇的に改善していただけに周囲のショックは大きい。

 68年の黛ジュン「天使の誘惑」、70年菅原洋一「今日でお別れ」、82年細川たかし「北酒場」で日本レコード大賞を3度受賞。00年には「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞。翌年、満州からの引き揚げ体験を描いた「赤い月」は100万部近いベストセラーとなり、戯曲を含めた旺盛な執筆活動とマルチな活躍からスーパー作詞家と呼ばれた。

 大学時代にシャンソンの訳詞を手掛けたのを機に作詞を始め、63年に当時の大スター、石原裕次郎さんから声を掛けられたのが歌謡界に進むきっかけとなった。

 65年に発表した菅原洋一「知りたくないの」が最初のヒット。その後、ザ・ピーナッツ、ザ・タイガースらスター歌手の曲をはじめ、昭和の歌謡曲全盛時代を支えた。

 手掛けた作品は4000曲。それまで流行歌も軍歌も「七五調」が主流だった中、「自分は絶対に七五調は使わない」というのが作詞の鉄則。「破調のリズムで日本人の心を動かしたい」という思いは、旧満州で祖国に捨てられた戦争体験が根底にあった。

 執筆活動のもう一つの原点が幼少期からの赤貧体験。破滅的な兄への複雑な思いと原体験を歌にしたのが、75年の北原ミレイ「石狩挽歌」(作曲浜圭介)。

 ♪ごめがなくから にしんがくると あかいつっぽのやんしゅがさわぐ――。

 兄が大金をつぎ込み失敗したニシン漁の情景を描き、その重い世界観は歌謡曲ファンを圧倒。そんな兄との葛藤を描いたのが最初の直木賞候補作「兄弟」だった。

 あらゆる作品に通ずるのが「反戦」への思い。何度も死線をさまよいながらも、とどまらない創作意欲について、4年前のスポニチ本紙のインタビューでも「戦争体験をしっかり残したいんだ」と熱く語っていた。

 ◆なかにし 礼(なかにし・れい、本名中西禮三=なかにし・れいぞう)1938年(昭13)9月2日生まれ、旧満州(現中国東北部)出身。91年に映画「動天」の製作を指揮。93年には神奈川・鎌倉芸術館の開館記念作としてオペラ「静と義経」を制作した。同作は昨年、26年の時を経て再演された。また、01年から14年間、テレビ朝日「ワイド!スクランブル」のコメンテーターを務め、お茶の間にもよく知られた存在だった。」(2020/12/25付「スポニチ」ここより)

なかにし礼については、当サイトでも色々採りあげている。サイト左上の検索窓に「なかにし礼」と入れて検索すると、14曲ほどヒットする。それほど、世に、そして自分にも影響が大きかった大作詞家。特に(ここ)に挙げた氏の話を聞いて、著書「赤い月」も読んだもの・・・

例によって、追悼を込めて、自分の好きな歌でまだ挙げていない、石川さゆりの「風の盆恋歌」を挙げてみる。

<石川さゆりの「風の盆恋歌」>

「風の盆恋歌」
 作詞:なかにし礼
 作曲:三木たかし

蚊帳の中から 花を見る
咲いてはかない 酔芙容
若い日の 美しい
私を抱いて ほしかった
しのび逢う恋 風の盆

私あなたの 腕の中
跳ねてはじけて 鮎になる
この命 ほしいなら
いつでも死んで みせますわ
夜に泣いてる 三味の音

生きて添えない 二人なら
旅に出ましょう 幻の
遅すぎた 恋だから
命をかけて くつがえす
おわら恋唄 道連れに

この歌の録音は2つ持っている。上の録音はコロムビアから1993年にポニーキャニオンに移ったあとに録音したもの。
オリジナルのコロムビア盤でも聞いてみよう。

<石川さゆりの「風の盆恋歌」(コロムビア盤)>

風の盆をテーマにした歌では、他に菅原洋一の「風の盆」(ここ)を挙げている。
菅原洋一の「風の盆」が1989年6月発売で、石川さゆりの「風の盆恋歌」も同じ1989年6月。「風の盆」は作詞・作曲共になかにし礼。「風の盆恋歌」は、作詞は同じくなかにし礼だが、作曲は三木たかし。この頃、越中八尾の風の盆が流行っていたらしい。
そして、この石川さゆりの「風の盆恋歌」が1989年の日本レコード大賞最優秀歌唱賞と日本作詞大賞大賞を取ったというので、この2曲、軍配はどうも石川さゆりの方に上がったようだ。

それにしても、まさに「日本の音楽界はまた一人、大きな星を失った。」
昭和が遠くなる年の瀬である。

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2020年12月24日 (木)

クールファイブと前川清の「悲恋」~中村泰士さん死去 81歳

今日(2020/12/24)のニュースで、こんな記事が流れた。

中村泰士さん死去 81歳 「喝采」「北酒場」で日本レコード大賞を受賞
 楽曲「喝采」「北酒場」で日本レコード大賞を受賞した、作詞作曲家で歌手の中村泰士さんが20日午後11時50分、肝臓がんのため死去した。81歳。本人の遺志により、コロナ禍において葬儀は身内のみにて大阪市内の寺院で執り行われた。
 中村さんは1939年5月21日生まれ、奈良県出身。歌手としてデビューした後、1968年に佐川満男の「今は幸せかい」で作曲家デビュー。ちあきなおみ「喝采」、細川たかし「北酒場」「心のこり」、桜田淳子「わたしの青い鳥」、いしだあゆみ「砂漠のような東京で」など、数多くの作品を手掛けた。
 所属事務所は先月、中村さんが9月末ごろ体調不良を訴え、10月初旬に大阪市立大学医学部附属病院で検査を受けたところ肝臓に腫瘍があることが判明したと発表。入院し抗がん剤による治療を受け、転移はなく、経過は良好と明かしていた。
 その後、11月14日にビルボードライブ大阪でワンマンライブ、12月5日には客船内でライブステージに立ったが、これが最後のステージとなった。後日、中村さんの伝えたかった音楽を聴くための会を、30~50代の一般の方を招待し、大阪市内で開催する予定。」(2020/12/24付「Yahoo!ニュース」ここより)

例によって、知っている人が亡くなると、追悼の意味も含めて、ここに採りあげたくなる。
wikiで中村泰士氏を見ると、非常に多くの曲を作曲している事が分かる。
今日は、そのうち、自分の大好きな内山田洋とクールファイブの「悲恋」(1971/11/25発売)を挙げてみる。

<内山田洋とクールファイブの「悲恋」>

「悲恋」
 作詞:川内康範
 作曲:中村泰士

ああ いまさら どうにもならないわ
どうにもならぬと 知りながら
心が疼いて 泣き出して
裸足で駈けたい 恋ごころ
どこにいるの どこにいるの
あなたはいない
恋といっしょに 恋といっしょに
消えてしまったの

ああ いまさら どうにもならないわ
どうにもならぬと 知らされて
うろたえながらも 意地を張り
涙を枯らして 気がついた
どこにいるの どこにいるの
あなたはいない
恋といっしょに 恋といっしょに
消えてしまったの

どこにいるの どこにいるの
あなたはいない
恋といっしょに 恋といっしょに
消えてしまったの

この歌については、前に「内山田洋が亡くなった・・・(音の良い歌謡曲)」(ここ)で少し書いた。
もう14年も前の記事である。しかし当時の素晴らしい録音は今も生きている。

その後、前川清が独立してから録音したものも聞いてみよう。

<前川清の「悲恋」>

自分がよく聞いた頃の歌手や作曲家が、次々と亡くなっていく。中村泰士さんも81歳という年齢から仕方が無い事かも知れない。
確かに、この歌も自分の独身時代の歌。半世紀も前である。そう考えると、ゾッとする!?

wikiを見ると、桜田淳子の歌もたくさん作っている。そのうち、桜田淳子の可愛い歌もここに挙げてみようかな・・・。

クールファイブ・前川清の歌は大好きで、ハイレゾ音源の発売を渇望していたが、耳が壊れてしまった老年の今となっては、もう音質を追求しても仕方が無いのかも知れない。
時代の流れを改めて認識した今日のニュースではある。

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2020年12月22日 (火)

「創作四字熟語」2020

今日(2020/12/22)の朝日新聞にこんな記事があった。

今年をあらわす四字熟語は「医師奮診」 住友生命が発表
 住友生命保険は22日、今年の世相をあらわした「創作四字熟語」の入選作品を発表した。最優秀作品には、新型コロナウイルスの対応に奮闘201222sousakuyoji する医療従事者への感謝を込めた「医師奮診(いしふんしん)」が選ばれた。審査員を務めた歌人の俵万智さんは「皆さんの頑張りが、どうか実ってコロナ禍を乗り越えていけますように、と改めて願う次第です」とコメントした。
 今年は過去最多となる2万2377編の応募があり、やはり新型コロナに関する作品が目立った。優秀作品には、マスクの着用が定着したことを示す「全面口覆(ぜんめんこうふく)」や、疫病よけの妖怪アマビエに感染収束を願ったことを振り返る「妖姿願霊(ようしがんれい)」などが選ばれた。
 この日は私立上宮高校(大阪市)の生徒12人が、優秀作品を書道パフォーマンスで披露した。大杉乃愛(のあ)さん(2年)は「今年はコロナで多くの催しが中止になった。きょうパフォーマンスできたことに感謝したい」と話した。

<優秀作品に選ばれた創作四字熟語>
◎医師奮診(いしふんしん)(コロナ禍で医療従事者が奮闘)

収束渇望(しゅうそくかつぼう)(コロナの感染収束を渇望)

妖姿願霊(ようしがんれい)(妖怪アマビエに疫病退散を願う)

全面口覆(ぜんめんこうふく)(誰もがマスクをするように)

出発振興(しゅっぱつしんこう)(「Go To トラベル」が話題に)

薬家争鳴(やっかそうめい)(製薬会社がワクチン開発競争)

王棋聖聡(おうきせいそう)(藤井聡太棋士が史上最年少で二冠)

自由香望(じゆうほんぼう)(自由を求める香港の混乱は続く)

父継三冠(ふけいさんかん)(コントレイル、父を継いで三冠馬に)

頻出鬼滅(ひんしゅつきめつ)(「鬼滅の刃」が大ヒット)

※◎は最優秀作品」(2020/12/22付「朝日新聞」ここより)

いよいよ、あと10日あまりで今年も暮れる。今年も住友生命の「創作四字熟語」が発表された(ここ)。
それにしても、新型コロナの猛威は止まる所を知らず・・・

コロナも段々と身近に迫ってきた。
さっき、長男から電話があり、正月の帰省は止めると言ってきた。聞くと、数日前に友人2人と会食したが、そのメンバーの一人が勤めている介護施設で、入居者と介助者のコロナの陽性が分かり、今日、会食したその友人も今日PCR検査をしたという。
明日か明後日には結果が分かるが、例え陰性でも、大事を取って止めるとか。
まあ、「君主危うきに近寄らず」というから仕方が無いね・・・と。

それにしても、2020年は歴史に残る年になりそうだ。春の学校の一斉休校(3/2~)で、小学校の入学は6月にずれ込み、大学1年生は、せっかく合格した大学の構内にも入れないという。
世界中の何から何までが非常事態。

でもそれらの苦難を、笑い飛ばすのもひとつの方法。
上の秀作を味わいながら、なるほど・・・と、うなるのもひとつかもね。

(2020/12/24追)
(天声人語)四字熟語で振り返る
 春先、首相の会見で慌ただしく始まった臨時休校。「児宅待機(じたくたいき)」で子どもも、仕事を休めぬ親もとまどった。コロナ、コロナで明け暮れた1年を、住友生命が募った「創作四字熟語」で振り返る▼31回目の今年は過去最多の2万2千編が寄せられた。照る日も降る日もマスクなしでは外出しづらい「全面口覆(ぜんめんこうふく)」が日常に。没個性の口元に飽き、趣向を凝らした「創意口布(そういくふ)」を楽しむ人も増えた▼巣ごもり生活を少しでも快適にしようと、だれもが「巣居工夫(そういくふう)」に努めた。出かけた先でも平熱を確かめ、「検温無事(けんおんぶじ)」でホッとする毎日。かたや、楽しみにしていた祭りや催しが津々浦々で中止される「多止祭催(たしさいさい)」には寂しさも覚える▼飲食業界は営業自粛の波でいまも四苦八苦が続く。隣の席とは2メートルの間隔を空ける「一席二長(いっせきにちょう)」が奨励された。代わりに広まったのが「画伝飲酔(がでんいんすい)」ことオンライン飲み会。人と人との接し方が一変した年だった▼コロナ以外のできごとも多々。政界では前首相が在職歴代最長の「記録更晋(きろくこうしん)」のすぐ後に退陣し、後任は臥薪嘗胆(がしんしょうたん)ならぬ「菅新相誕(すがしんしょうたん)」。漫画から映画までどこへ行っても「鬼滅の刃(やいば)」を見ない日はなく、まさに「頻出鬼滅(ひんしゅつきめつ)」だった▼不安と疲労に耐えて治療の最前線に立ち続ける医療従事者のみなさんの「医心献身(いしんけんしん)」には、どれだけ感謝しても足りない。製薬大手がワクチン開発にしのぎを削る「薬家争鳴(やっかそうめい)」のさなか、日本での接種はいつ始まるのか。どうか来年は心穏やかに過ごせますように。」(2020/12/24付「朝日新聞」「天声人語」より)

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2020年12月15日 (火)

コロナ渦~メルケル首相に比べ、あまりに情けない菅総理

コロナ渦における、ドイツのメルケル首相の演説が評判だ。この“歴史に残る”演説について、下記の記事に詳しい。

拳振り上げ感情爆発「メルケル首相」厳戒ロックダウンの成否

 ドイツのアンゲラ・メルケル首相が12月9日に連邦議会で行った演説は、歴史に残るだろう。普段は冷静沈着なメルケル首相が、珍しく感情を露わにして国民に対しコロナ対策への協力を求めたからだ。普段のポーカーフェースを脱ぎ捨てた、彼女らしからぬ演説は、今日のドイツの事態の異常さを際立たせた。

「努力は不十分だった」
 この演説のテーマは、2021年の予算案だった。メルケル政権はパンデミックによって経済界が受けつつある打撃を緩和するために、あえて巨額の借金を行って市民や企業を支援している。例外的に財政赤字が急増するが、その必要性を国民に説明するのが狙いだった。

 だが演説の後半で、メルケル首相はドイツがパンデミック第2波で苦戦している現状について、苦言を呈した。まず、

201215merkel 「我々がこの予算案を最初に議会で審議した9月29日には、1日あたりの新規感染者数は1827人、集中治療室(ICU)で治療を受けていた重症者は352人、この日の死者は12人でした。しかし12月8日には、新規感染者数が2万815人に達しました。ICUで治療されている重症者は4257人。1日で590人が亡くなりました」

 と具体的な数字によって、パンデミックによる被害が、約2カ月半でいかに深刻化しているかを示した。そして、

「これらの数字は、市民の間の接触が多すぎることを示しています。これまで我々が行ってきた、市民の接触を減らそうとする努力は不十分だったのです」

 と結論付けた。この時メルケル首相は、元科学者らしい一面をのぞかせた。

「私は科学による啓蒙(Aufklärung)の力を信じています。啓蒙主義は、今日のヨーロッパ文明の基礎です。私は社会主義時代の東ドイツで物理学を専攻しました。その理由は、社会主義政権がいくら政治的な出来事や歴史上の事実を捻じ曲げることができても、重力や光の速度などに関する事実や法則を歪曲できないと思ったからです」

 つまり、感染拡大の防止策について懐疑的な市民たちに対し、「新規感染者数や死者数の激増を示す数字を直視しなさい」と訴えたのだ。

新規感染者数が2万人を突破
 ドイツでは10月下旬から新規感染者数が急増し、毎日1万人を超える陽性者が見つかるようになった。このため、メルケル政権は11月2日に「部分的ロックダウン」を発令し、レストラン、喫茶店、劇場、映画館、フィットネスジムなどの営業を禁止するとともに、出張以外の国内旅行を禁じた。

「部分的」と呼ばれた理由は、政府が学校や託児所、商店については閉鎖を命じなかったからだ。特に政権が重視したのは、学校での授業の継続だった。今年3月から5月までのロックダウンでは、学校を休校させたために勉強が大幅に遅れ、両親が子どもたちの自習を助けられない家庭では、一部の生徒たちの学力が低下したからだ。

 しかし、新型コロナウイルスの感染は政府の努力を嘲笑うかのように拡大し続け、11月上旬には初めて新規感染者数が2万人を突破。その数は減る傾向を示さなかった。

 特に深刻なのは、医療資源が逼迫し始めたことだ。今年5月22日には全国の病院のICU約3万2000床の内62%が使用され、38%が空いていたが、12月8日には、空いている比率は18%に減っていた。1日に500人を超える市民が命を落としていた。

 メルケル首相は、

「これらの数字から、連邦政府と州政府が力を合わせて、より抜本的な対策を取らなくてはならないことは明らかです」

 と語った。ドイツ政府の諮問機関「レオポルディーナ」の科学者たちは、12月8日に発表した提言の中で、

「12月14日から学校を休校にし、企業には原則としてテレワークを行うよう要請するとともに、12月24日以降は食料品店や薬局などを除く全ての商店を閉鎖するべきだ」

 と訴えていた。

クリスマスまでわずか2週間
 クリスマスは、ドイツ人にとって1年で最も重要な祭日で、日本人にとっての正月並みの重要性を持っている。12月25日から26日が公式の祭日だが、大半の企業は24日から社員を休ませる。コロナ禍が起きるまでは、家族・親類が集まってプレゼントを交換したり、食卓を囲んだりするのが普通だった。

 だが、ウイルス学者たちからは、

「クリスマスに家族や親類が集まることによって、新規感染者数がさらに増える危険がある」

 という指摘が出ていた。

 新型コロナに感染しても、直ちに症状が出るとは限らない。しかも、症状が出る2~3日前から感染力があることがわかっている。特に若者や子どもの間では、無症状の感染者がしばしば見られる。米国のメディアは、

「11月26日のサンクスギビング(収穫感謝祭)の祝日で人々が会食をしたり旅行したりした後に、各地で感染者が急増した」

 と報じている。

 メルケル首相は、

「私はレオポルディーナの提言に賛成です。クリスマスに家族が集えるようにするには、その前から接触を大幅に減らさなくてはなりません。我々は、直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数を、50人未満に抑える必要があります」

 と述べた。12月8日の直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数は、147人に達していた。彼女は、この数を50人未満に減らさない限り、保健所が感染経路を突き止めることは不可能だと見ている。制御不能に陥っているウイルスの拡大を、再びコントロールすることを目指しているのだ。

 そして演説の終盤に、突然メルケル首相が感情的になった。

201215merkel1 「私が非常に心配しているのは、ドイツの1日あたりの新規感染者数が1週間ごとに約3500人ずつ増えていることです。以前は感染者数が少なかったザクセン州など旧東ドイツの州でも、数が急激に増えています。しかもクリスマスまであと2週間しかありません。わずか2週間です! 我々は感染者数の爆発的な増加を防ぐためには、あらゆる手段を取らなくてはなりません」

「レオポルディーナの科学者たちは、クリスマスの休暇に、市民の接触を必要最小限のレベルまで減らすべきだと提言しています。私はこれがいかに難しいかを知っています。クリスマスの風物詩であるホットワインやワッフルの露店が町の広場で準備されていた時に、政府から『食べ物を屋外で食べてはならず、家に持ち帰らなくてはならない』と命じられることが、人々にとっていかにつらく不愉快であるか、私は理解できます。申し訳ありません。私は心から申し訳なく思います。しかし接触が減らない場合、我々は毎日590人の命が失われるという代償を払わなくてはなりません。これは、私の考えでは絶対に受け入れられません。したがって、我々は今行動しなくてはならないのです」

「科学者たちは、クリスマス直前の時期を、市民の接触を大幅に減らすために使うべきだと訴えています。子どもたちの就学義務を一時的に廃止して、冬休みを早めることを批判する人もいるでしょう。しかし我々はパンデミックという100年に1度の災厄に襲われている今、オンライン授業など緊急的な解決手段を見つけるべきです。もしも我々がクリスマス前にロックダウンを始めず、人々と接触し続けることで、今年が祖父母との最後のクリスマスになったとしたら、我々は重大な間違いを犯すことになるでしょう。そうした事態は絶対に避けなくてはなりません」

 メルケル首相は、無症状感染者がクリスマスを祝う晩餐会に参加して、高齢者にウイルスを感染させ、クリスマス後に重症者や死者が増えることを懸念しているのだ。

もどかしさと焦り
 メルケル首相はこれらの言葉を語る際に、拳を振り上げ、声を高ぶらせた。時には、身体の前で手を合わせて、懇願するような素振りもあった。表情をゆがめて、今にも泣き出しそうな表情すら見せた。

 ときおり拳で演壇を叩いたので、マイクに「ドンドンドン」という雑音が入った。しかし首相は用意した原稿に視線を落とさず、議員たちを鋭い視線で見つめ、自分の言葉で訴えていた。メルケル首相の真剣さ、真摯さが、ひしひしと伝わってきた。

 私は彼女が2005年に首相に就任して以来、幾たびも演説を聞いてきたが、これほど感情を露わにしたのを見たことは1度もなかった。

 元科学者であるメルケル首相は、これまで感情を表に出さない政治家として知られてきた。前向きに言えば沈着冷静、悪く言えば鉄面皮である。英国のマーガレット・サッチャー元首相になぞらえて「欧州の新たな鉄の女」と呼ばれたこともある。

 そのため演説のトーンは、しばしば一本調子で感情を含まないので、「機械の取扱説明書でも読んでいるかのようだ」と、メディアから指摘されることもあった。

 だがメルケル首相は、コロナ禍をめぐる戦況が日に日に悪化する中、ポーカーフェースの仮面をかなぐり捨てた。私の知人の中には、この演説を聞いて「えッ、これがメルケル首相?」と驚いた人もいた。ドイツのメディアも「突然首相が極めて感情的になった」と評した。

 私はこの演説を聞いて、首相の危機感がいかに強まっているかを感じた。

 メルケル首相はこれまでもウイルス学者たちの意見を重視し、厳しい感染防止策に賛成してきたが、16の州政府の首相の中には、経済への悪影響に対する懸念から、5月以降感染対策の緩和を求める者もいた。

 新型コロナによって重症に陥る人の中には高齢者や基礎疾患を持つ人が多く、若年層では感染しても軽症で終わる場合が多い。このため、若者の間には公共交通機関や商店でのマスク着用や、1.5メートルの最低限の距離に関する義務をおろそかにする者も少なくなかった。

 感情をむき出しにしたメルケル首相の演説には、科学的な知見に基づく政府の指示を軽視する市民への強い苛立ちと失望感も感じられた。「自分のメッセージが十分に州政府や国民たちに伝わっていない、私は人々に理解されていない」というもどかしさと焦りが、言葉の端々に滲み出ていた。

 連邦議会選挙が行われる2021年の秋には、メルケル首相は政界を引退する。16年にわたる任期の幕切れに、「パンデミック対策でしくじり、国民の間に多数の犠牲者を出した政治家」という烙印を押されるのを恐れているのだろう。すでにドイツのメディアからは、

「3~5月には他の欧州諸国に比べて死者数を少なく抑えることに成功したのに、秋から冬にかけて本格的なロックダウンを実施するのが遅れて、死者数を増やした。ドイツ政府は、2020年春に『欧州のコロナ対策優等生』だった優位性を十分に生かすことに失敗した」

 という批判の声が出始めている。

 12月13日、メルケル首相は州政府首相たちとのオンライン会議の後、

「今年3月から5月まで行われたのと同じ、厳しいロックダウンに踏み切る」

 と宣言した。具体的には、12月16日から1月10日まで、現在すでに営業を禁じられているレストランや喫茶店に加えて、生活必需品を売る店を除く商店や理髪店などの営業も禁止する。

 この時期には学校も休校となり、託児所や幼稚園も閉鎖される。自宅でクリスマスを祝う会食は禁止されないが、政府は参加者の数を、14歳以下の子どもを除いて最高5人に制限するよう要請する方針だ。

 今年秋には、「ロックダウンは経済的な打撃が大きいので、メルケル政権は第1波で行ったような厳しいロックダウンを繰り返さないだろう」という楽観論が強かった。特にドイツ政府は、前述したように学校の授業を平常通りに行い、学力低下を防ぐことを最も重視していたからだ。だがメルケル政権は、今や大きく方向転換をして、医療崩壊を食い止めることを最優先の政策目標とし、再び厳しいロックダウンに踏み切らざるを得なかった。

 ドイツの苦悩は、コロナ・パンデミックという自然の猛威の前には、人間の叡智にも限界があることを如実に示している。(執筆者:熊谷徹)

熊谷徹
1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人』(SB新書)、『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)。」(2020/12/15付「新潮社・フォーサイト」(ここ)より)

そしてもう一つ。
Newsweekの記事は、ストレートだ。

メルケル演説が示した知性と「ガースー」の知性の欠如

<新型コロナ危機のなか珍しく情に訴えたメルケルは、ウイルスというファクトから目を背けることはできないと言い、菅は「こんにちは、ガースーです」と言った>

ドイツのメルケル首相の演説がこの演説では、コロナウイルス対策として12月中旬からの部分的なロックダウンおよびそれに対する財政支援なども説明されている。また、来年から始まるワクチン接種についてのロードマップの概要も首相は示した。

「私は啓蒙の力を信じている」
コロナの危機を訴える演説の途中で、メルケル首相にヤジが飛んだ。「(コロナの死者数が増えるという予測は)まったく証明されてないんだ!」ヤジを飛ばしたのは極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)の議員で、同政党はコロナ禍における移動や経済活動の制限について全面的に反対している。世界各国の極右ポピュリズム運動・政党はコロナの危機を過小評価する傾向にあるが、それはドイツでも例外ではない。

メルケルは普段はヤジに反応することはないのだが、この日は違った。彼女は、以下のように応答したのだ。

「私は啓蒙の力を信じている。今日のヨーロッパが、まさにここに、このようにあるのは、啓蒙と科学的知見への信仰のおかげなのだ。科学的知見とは実在するのであって、人はもっとそれを大切にするべきだ。私は東ドイツで物理学を志した。しかし私が旧連邦共和国(=西ドイツ)出身だったならば、その選択はしなかったかもしれない。東ドイツで物理学を志したのは、私には確信があったからだ。人は多くのことを無力化することができるが、重力を無力化することはできない。光速も無力化することはできない。そして他のあらゆるファクトも無力化することはできない、という確信が。そして、それはまた今日の事態においても引き続き当てはまるのだ」。

メルケルは、反知性主義的なヤジに対して「啓蒙の力を信じている」と返した。人々の自由が政治によって弾圧されていた東ドイツにあって、いかなる政治も干渉することができない自由な領域が、彼女にとっては物理学の世界だった。自分自身の経験を通して、メルケルはこの社会における科学的知見の重要性を語るのだ。

通俗的な反近代主義者やポスト近代主義者は、啓蒙主義の精神を批判しがちである。しかし、彼らがそれに代わって社会が拠って立つべき指針を示すことはほとんどない。

メルケルが見せた知性への誇り
前例のないパンデミックで国家が常態ではいられなくなったとき、問われるのは国家のアイデンティティだ。メルケル首相は、演説の中でドイツについて「強い経済」と「強い市民社会」をもった「民主主義」国家だと定義している。そして彼女にとって、そのような国家のアイデンティティの前提にあるのが啓蒙の精神、すなわち知を愛することなのだ。演説の中でも、教育や学術への支援を首相は強く訴えていた。

ヨーロッパは東アジアに比べてコロナの流行が激しい。そうした状況下にあって、ドイツの取り組みも他のヨーロッパ諸国と比べると優等生ながら、必ずしもすべての政策が上手くいっているわけではない。しかし、メルケルが知性に拠って立ち、議会において市民に対してコロナの流行と「戦う」気概を示したことは、国家の首班としてふさわしい振舞いだった。

私権の制限を伴うロックダウンは、自由で民主的な体制と必ず衝突する。もしロックダウンを行うのであれば、いかにそれが公正に行われるかを、政府はオープンな議論のもとで市民に示す必要がある。いかにパンデミックのような緊急事態であろうと、政府がアカウンタビリティ(説明責任)を果たそうとせず、強権的な政治を行うのならば、それは独裁への道だ。

「こんにちは、ガースーです」

11月中旬以降、日本でも新型コロナウイルスの「第三波」が到来している。比較的感染者数が少ない東アジアにあって、現時点での日本は感染者数が多い劣等生の部類に入る。北海道や大阪ではすでに医療崩壊が起こっている。そして東京の感染者数が初めて600人を超えた12月11日、201215suga 菅義偉首相は「ニコニコ動画」の生放送に出演し、「こんにちは、ガースーです」と笑顔をみせた。コロナ対策に関して、人々の移動を促し、感染拡大の要因のひとつと指摘されている「GoToキャンペーン」について尋ねられると、一時停止は「まだ考えていない」と述べた。
この菅首相の振る舞いは、9日のメルケル演説と対比され、SNSで話題を呼んでいる。メルケルの情熱的に市民に訴えかける振る舞いに対して、菅首相の姿勢はパンデミックの危機にあってあまりにも不誠実にみえるというのだ。

知性に対する態度の落差
もちろん、首相は演説が上手ければよいというものではない。いかにその言葉に真心がこもっているようにみえようと、それ自体はひとつのパフォーマンス以上のものではない。しかしここで再度強調したいのは、メルケルの「情熱的な」の中に込められた知性への誇りについてだ。啓蒙の精神を土台とした政策決定を行っていく姿勢をみせることは、単なるレトリックではない。そのような言明を首相がすることによって、科学的なものに裏打ちされた公正な政策について議論可能な土壌が、政治的につくられるのだ。

「こんにちは、ガースーです」の第一声のもとニコニコ動画に出演した菅首相に、そうした知性に基づいた政治を行う気概はあるのだろうか。政策決定の公正さについて、アカウンタビリティを果たす責任感はあるのだろうか。残念ながら、これについては悲観的にならざるをえない。菅政権発足直後に発生した日本学術会議に対する介入をみると、この政権が知性に対してどのような立場を取っているかを推察することができる。

なるほどメルケルが言う通り、人は多くのことを無力化することができる。学問の自由もその一つである。医療崩壊の渦中にある人々の悲鳴や、「GoToキャンペーン」を停止すべきだとする専門家の意見も、無力化することができる。しかしこれもまたメルケルが言う通り、残念ながらファクトは無力化することはできない。新型コロナウイルスの脅威もその一つだ。

<執筆者>藤崎剛人 北海道生まれ。東京大学大学院単位取得退学。埼玉工業大学非常勤講師。専門はドイツ思想史。特にカール・シュミットの公法思想を研究。『ハーバー・ビジネス・オンライン』でも連載中で、人文知に基づいた時事評論や映画・アニメ批評まで幅広く執筆」(2020/12/15付「Newsweek ここより)

特にNewsweekの記事には動画が付いているので分かり易い。

ドイツと日本のリーダーの、あまりの違いに、涙が出る。

前川さんのツイッターの言葉「「ガースーです」で受けを狙う首相。言葉遊びにうつつを抜かす都知事。この人たちを選んだのは誰だ?」が重い。
201215maekawa

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2020年12月14日 (月)

森田童子の「ひとり遊び」と「海が死んでもいいョって鳴いている」

森田童子の「ひとり遊び」と「海が死んでもいいョって鳴いている」

森田童子の記事が掲載されるのは珍しい。
先日、「日刊ゲンダイ」に「ロフト」創業者の平野悠氏の記事があった。

ロフト創業者が見たライブハウス50年

フラッと現れた森田童子の暗くて沈んだ歌声に恋心を抱いた
 新型コロナに翻弄された2020年も12月を迎えた。ライブは<密>を避けて<配信>というスタイルに変わり、演者とファンとの間に存在していた<濃密なつながり>は分断され、音楽を熱く実体験することができなくなった。コロナ禍はいつ収束するのか? 先が見えない。夜中に一人で酒を飲みながら、森田童子の悲しい調べに身を委ねる。青春時代の思い出が走馬灯のようによぎる。あれは……本気の恋だったのだろうか?
 1973年の秋というよりも、夏の終わりと言った方がいいかもしれない。その年の6月に西荻窪ロフトが北口商店街の一角にオープンした。秋口に入っても残暑が厳しく、店前の(東京)女子大通りの打ち水が、キラキラと光り輝いていた。
 森田童子がふらっと現れて「すいません、私もここで歌えますか?」と聞いてきた。彼女のトレードマークとなったサングラスも掛けてなかったし、クルクルのカーリーヘアでもなかった。まるで少女のようだった。
201214moritagoodbye  売れていない歌い手が売り込みに行く際、さすがに真っ黒のサングラスはないだろう――ということだろうが、彼女の素顔を見たのは、この時が最初で最後だったような気がしてならない。
 手渡された一本のテープを聞いた瞬間、大きな衝撃が脳天を突き抜けるように走った。「なんて暗い歌なんだ!」。そう思いながら、じっくり歌詞を読み込むと<あの政治の季節>が、まざまざと思い出された。私たちが遮二無二に闘ってきた「大学闘争時代の挫折」をこれでもか! これでもか! と突き付けられた。「どうして彼女は挫折した者にしか分からない心情を歌詞にして歌えるのか?」。不思議でしょうがなかった。同時に大きな好奇心が芽生えた。
 学園紛争で高校を中退し、72年の友人の死をきっかけに自作自演で歌い始めたというが、それにしても<革命を叫びながら機動隊にやみくもに突撃していった>私自身の全共闘運動時代の原風景を想起させる歌に「この少女の過去に何があったのだろうか?」と思わないではいられなかった。
 暗くて、そして沈んだ歌声。そう言われていたが、個人的にはちょっと違う。あくまで<あの独特の雰囲気>が、そう思わせたのだろう。後で知ったが、恋人が学生運動中に自殺したという。
 彼女は、いつもロフトのステージの上で涙を流しながら歌っていた。
 私は、森田童子に恋心を抱いていた。(2020/12/07付「日刊ゲンダイ」ここより)

森田童子の引退10年後「ぼくたちの失敗」がミリオンセラー
 1973年に西荻窪ロフトでライブハウスデビューを果たした森田童子は、10年後の83年12月に新宿ロフトのステージに立ち、これを最後に引退した。さらに10年後。彼女の旧作「ぼくたちの失敗(76年)」のCDが、100万枚に迫る大ヒットを記録した。TBS系の金曜ドラマ「高校教師」(93年1~3月放映)の主題歌に採用されたのだ。
 当時のテレビドラマの主題歌は、大半がレコード会社とのタイアップだった。
 ところが「高校教師」の脚本を書いた野島伸司さんはタイアップを断固拒否。一部狂信的ファンはいたが、まだ無名の存在でしかなかった歌い手の曲を採用した。
201214moritadouji  新たにベスト盤が発売され、オリジナルアルバム7枚がCDで再発売された。森田童子の再デビューを期待する声が湧き上がり、中には「古巣のロフトで彼女のライブが実現したら凄いことになりますね」と言ってくる人もいた。が、彼女はかたくなに再デビューに背を向け、その素顔をさらすことはなかった。
 彼女は、私が恋心さえ抱いた最初で最後の女性ミュージシャンだった。
 ロフトのステージで森田童子は、決して上手じゃなかったギターを弾きながら、ボロボロと涙を流しながら歌っていた。
 客席には小汚いジーパンをはき、ヨレヨレのコートの襟を立て、小脇に文庫本を抱える<孤独でネクラな雰囲気を醸し出している男>ばかり。
 ライブ中、いつも会場はシーンとしていた。
 あの狂おしい政治の季節が終わり、世間は<可愛らしい夢><小さな幸せ><素晴らしき人生>を渇望していた。彼女は<憂鬱><絶望><孤独><自殺>といったキーワードを掲げた曲を愚直に歌い続けた。挫折感に打ちひしがれ、時代に置いていかれる焦燥感にさいなまれた<学生運動崩れ>の男性ファンは、森田童子の世界観にグイグイ引きずり込まれた。
 暗くて沈んだ歌声と評されるが、か細くて透明感のある歌声だったと私自身は思っている。
 67年の羽田闘争で京大生・山崎博昭さんが命を落としたことを契機に高校生だった彼女は学生運動に深入りし、そして恋人だった大学生のO氏が自殺してしまう……。
 80年代に入るとメッセージソングは絶滅危惧種となり、ロフトのブッキング担当者に「森田童子なんか入れたら業界の笑いものになります」と言われ、絶句したことを鮮明に思い出す。
 ♪地下のジャズ喫茶 変われないぼくたちがいた 悪い夢のように時がなぜてゆく だめになったぼくを見て 君もびっくりしただろう 春のこもれ陽の中で 君のやさしさに埋もれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ♪」(2020/12/14付「日刊ゲンダイ」ここより)

「ワラシ」森田童子の引退ライブは葬式のように静かだった
 1983年12月。森田童子は新宿ロフトでのライブを最後に引退した。その10年前の73年。彼女は西荻窪ロフトで初めてライブハウスのステージに立った。今でもファンたちは、西荻窪ロフトを「聖地」と呼んでいると聞いた。私が、デビューから引退までを見届けた唯一のミュージシャンとなった彼女は2018年4月、静かに65歳の生涯を閉じた。
 私が「ワラシ」と呼んだ森田童子は、とても不思議な女性だった。リハーサルを終え、本番までの間に西荻窪ロフトの隣の喫茶店に行き、2人でおしゃべりすることがあった。
201214mothersky   一緒にアルコールを飲んだことは一度もないから……飲めなかったのだろう。定かではないが。
 いつも彼女にこう問うた。「君の歌を聴いているとそれなりに想像はつくが、君の過去に一体何があったんだ?」。いつもニコニコするばかりでワラシは、何も答えようとはしなかった。政治的な話もしなかった。彼女の心情は、ステージから類推するしかなかった。
 それでも少しずつ、口を開いてくれるようになった。マネジャーの話題になったことがある。
 後に彼女のダンナとなるマネジャーのMさんとレコード会社は「明るくて万人受けする曲」を作ってメジャーの仲間入りを狙っていたが、ワラシはかたくなだった。
 新宿ロフトでの引退ライブ。初期の曲をメインに選び、いつものように客席は静かだった。
 彼女が「この曲を最後に歌手生活に終わりを告げることにします」と話しても、店内はまるで葬式のようにシーンとしていた。選曲自体、最後のこだわりだったと思う。
 ライブの後、いつものようにレコード即売会を開いた。ファンの差し出すレコードすべてに長いメッセージを丁寧に書き込んでいた。これも見慣れた光景だった。
 亡くなる前年の17年のころから体調を崩し、入退院を繰り返していたと聞いた。76年リリースの「ぼくたちの失敗」が93年にテレビドラマのテーマ曲に採用され、瞬く間に100万枚の大ヒットになっても、ワラシは素顔も本名も明かさず、ひっそりと生きていた。
  森田童子の歌声はか細く、柔らかく、幻想的だった。彼女がステージで流す涙が、あまり話題にならなかったのは、ステージの暗く落とした照明のせいだったのか……。」(2020/12/21付「日刊ゲンダイ」ここより)

平野悠「ロフト」創業者
1944年8月10日、東京都生まれ。71年の「烏山ロフト」を皮切りに西荻、荻窪、下北沢、新宿にロフトをオープン。95年に世界初のトークライブ「ロフトプラスワン」を創設した。6月、ピースボート世界一周航海で経験した「身も心も焦がすような恋」(平野氏)を描いた「セルロイドの海」(世界書院)を刊行。作家デビューを果たした。 」
(追:2020/12/14付「日刊ゲンダイ」ここより)

上の記事の「♪地下のジャズ喫茶 変われないぼくたちがいた・・・」は「ぼくたちの失敗」(ここ)の歌詞である。

改めてwikiの森田童子の項を読んでみると、こんな記載があった。
「2003年1月、10年ぶりにドラマ『高校教師』の新作が放送され、再び『ぼくたちの失敗』が主題歌として使用された。
これにともない発売された2003年版のベスト盤『ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション』に、「海が死んでもいいョって鳴いている」(アルバム『ラスト・ワルツ』収録)の歌詞を一部変更して、新規に歌唱・録音された「ひとり遊び」が収録され、それが最後の作品となった。「ひとり遊び」は森田の自宅で、自らのピアノ、ギター、ハーモニカの演奏で20年ぶりに録音された。」

「ひとり遊び」は全曲集めたはずの自分の音源集に入っていない。思い出した。2003年盤はCCCDであり、リッピングが出来なかったのだ。その後、このアルバムは2016年に復刻された。

<森田童子の「ひとり遊び」>

「ひとり遊び」
  作詞・作曲:森田童子

チィチィよ
ハァハァよ
あなたのいい子で
いられなかったぼくを
許して下さい
ぼくはひとりで
生きてゆきます

声を出さずに
笑うくせ
悲しきくせは
下唇をかむ
窓にうつした
ぼくの顔

初めてタバコを
吸いました
悲しき嘘も
知りました
夕べあなたの
夢を見ました

ぼくの声に
驚いて 
目を覚ましました
僕は夢の中で
泣いていたようです

海がぼくと死んでも
いいヨって呼んでます
すさんでゆくぼくの
ほほが冷たい
誰かぼくに話しかけて
下さい

チィチィよ
ハァハァよ
あなたのいい子で
いられなかったぼくを
許して下さい
ぼくはひとりで
生きてゆきます

20年ぶりの録音。前にこのCDを聞いたとき、とにかく残念だった。そもそも20年も現役を離れていて、現役時代と同様の声が出るわけがない。しかも自宅での録音とかで、まともな音質で録音出来るわけも無く・・・
こんな企画を立てたレコード会社を恨めしく思ったもの。よって、この録音は忘れることにしていた。
でも、森田童子も2年半前に亡くなった。それで改めて聞いてみた、というわけ。

上のwikiにもある通り、この「ひとり遊び」は、アルバム「ラスト・ワルツ」の収録曲「海が死んでもいいョって鳴いている」が原曲である。
それも聞いてみよう。

<森田童子の「海が死んでもいいョって鳴いている」>

「海が死んでもいいョって鳴いている」
  作詞・作曲:森田童子

チィチィよ
ハァハァよ
あなたのいい子で
いられなかったぼくを
許して下さい
ぼくはひとりで
生きてゆきます

初めてタバコを
吸いました
悲しき嘘も
知りました
夕べあなたの
夢を見ました

声を出さずに
笑うくせ
悲しきくせは
下唇をかむ
窓にうつした
ぼくの顔

ぼくの声に
驚いて 
目を覚ましました
僕は夢の中で
泣いていたようです

海が死んでも
いいョって鳴いてます
すさんでゆくぼくの
ほほが冷たい
誰かぼくに話しかけて
下さい

チィチィよ
ハァハァよ
あなたのいい子で
いられなかったぼくを
許して下さい
ぼくはひとりで
生きてゆきます

とにかく森田童子の歌は暗い。悲しい・・・。

wikiによると、
「イラストレーターとしても活躍したマネージャーだった前田亜土と結婚」「夫の前田亜土は2010年に没している」
「2018年4月24日未明、心不全のため自宅で死去。65歳没。同年6月1日発行の日本音楽著作権協会(JASRAC)会報に訃報が掲載されたことで死去が明らかになった。音楽活動休止後は主婦として暮らしていたが、音楽関係者の話として体調を崩して2017年から入退院を繰り返し、退院後間もなくして逝去したという。」

森田童子の音楽はごく一部のファンしか聞かないだろうが、たぶん、自分も含めた“その一部の人”によって、長く聞き継がれるであろう森田童子の歌である。

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2020年12月11日 (金)

愛犬・メイ子が死んだ~18歳

我が家の愛犬・ヨークシャーテリア(ヨーキー)のメイ子(正式名:メイリー=中国語で“美麗”=キレイの意)が一昨日(2020/12/09)の未明(夜中の2時頃)亡くなった。たぶん老衰で。
20121100 ちょっと時系列的にメモしてみる。

目も見えず、耳も聞こえなくなったメイ子だが、それでも最近までは、エサはガツガツと食べていた。それは生きる意欲の表れ。
変調を来したのは、11月24日だった。夜中にメイ子が枯れた声で鳴く。今まで聞いたことの無い、枯れた鳴き声。午前1時だというのに、カミさんが起きて抱いている。オムツを外すと下痢でオムツはぐちゃぐちゃ。風呂場に連れて行って洗ってオムツを替えたらメイ子の機嫌が直り、鳴き声も無く寐た。
当然それからは、エサはカロリーエースの流動食で、いつもの下痢止めの薬(ここ)を飲ませる。この症状はいつものことだが、25日朝も下痢。
そして、26日にはペット用ヒーターのカバーに吐いて、カミさんはその始末で大変。

いつも居間に一人で寐ているメイ子。しかし、今年の冬は、少し様子がおかしい。昨年までは、いつもペット用ヒーターの上で寐ていたが、嗅覚も鈍ってきたのか、水飲み場から自分のヒーターの場所までたどり着かない。それで「ま、ここでいいや」と、自分のベッドと水飲み場の間で寐てしまう。
我々が気が付いた時は、その寝姿のまま、ヒーターの側に連れて行ってあげるが、今までと違った行動を取りだしたのが、12月5日。何と毛布で壁を作っていたのに、それを乗り越え、カミさんが横になる座布団の上に侵入!
そして翌6日には、何とコタツの中で寐ていた。しかも大下痢をしていて、またお風呂場で洗う。ここ数日、エサを流動食から元のエサに戻したのが無理だった様子。

下痢の時のエサは流動食とヨーグルトだが、薬が効いてウンチは固くなってきたが、茶色のウンチの周囲が黒いウンチ。黒いのは、若しかしたら腸で出血している??
そしてエサの量も段々と少なくなっている。もう正常なエサは取れないのでは?と心配し出したのがこの6日。

そして12月7日は、午後3時頃にオムツを替えたら、ウンチは固かったが小さな茶色と黒のまだら模様。ほとんど食べていないので、ウンチの量も少ない。
20121101 午後、また枯れた声で時々鳴く。たまたまカミさんに来客があったので、自分の部屋にメイ子を預かったが、午後3時から5時過ぎまで、部屋の中をウロウロと歩き回っていた。時々鳴きながら。その姿はまるでメイ子“ルンバ”。この時は、2時間歩き回るだけの体力は残っていたようだ。
しかし食欲は無く、とうとう水も飲まなくなってきた。そしてこの日の夜11時頃のオムツ替えをした時はビックリ。オムツが軽い。オムツを替えてから9時間ほど経っていたが、たぶんオシッコは1回ほどしかしていない? そして、いつもはオムツを替える時はしっかりと目を覚まし、後ろ足で立つのだが、この時の後ろ足はフラフラ。尿の量が減るのはヤバイ、と思った。

12月8日の未明0:45頃、メイ子の声に気が付き、行ってみると水飲み場で鳴いている。そのままヒーターの上に戻したら、そのまま寐た。戻れないので鳴いていたらしい。
そして午後3時頃がらまた枯れた声で歩きながら鳴き出した。そしてとうとう動けなくなったのが夕方。6時頃には、自分の寝床で、前足を伸ばし、頭をのけぞったような姿で、ゼイゼイという呼吸と共にキャンキャンと鳴く。人間と同じ亡くなる前の下顎呼吸のようだ。
夜、隣家に電話した。「犬が危篤らしく、吠えるので、もし鳴き声が気になったら言ってくれ。何らかの処置をするので」

そしてその数時間後、12月9日の0:15。見に行くともはや鳴く力が無いのか、浅い息をしていた。そして3時過ぎに目が覚めたときに見に行くと、口を開けて亡くなっていた。硬直していたので、1時から2時頃に亡くなったと思われる。
享年17歳と11ヶ月。あと2週間で満18歳というのに、届かなかった。
カミさんがNetで死後のケアの方法を見て、体を拭き、下痢をしていたお尻をキレイにする。そして段ボールにベッドを作って寝かせ、保冷剤を入れた。

朝になってNetで調べ、昔住んでいた団地近くのペット霊園に電話。14時の予約が取れた。お骨を入れる布袋を豪華にしたので、火葬代は21,000円+1,000円=22,000円だった。
20121102_20201211234401 炉に入れる時に生花を用意してくれていたので、それを体の周りに置いた。自分たちはバタバタしていてそこまで気が回らなかったが、少しでも生花で飾れたのは良かった。
40分ほどでメイ子はお骨になった。人間の時と同じく、二人で一番大きな足の骨を拾い、骨壺の中に。霊園の女性が、小さなお骨群を、ここが頭で、ここがシッポの骨・・・。と解説してくれる。焼き上がったお骨は、病気で悪い所は黒くなるそうで、メイ201211meichan2 子の場合、心臓か腎臓辺りが少し黒かった。逆に足はしっかりしており、最後まで歩けていたので納得。
そして骨壺を手に帰宅した。全部で1時間半ほどだった。

メイ子の人(犬)生を振り返ってみる。
2002年12月23日生まれ。父ビアン、母べべ。2度目の出産で、3つ子の次女。
実家のAさん(奥さん)から自分宛にメールが届いたのが2003年1月21日。ぜひ1匹もらってくれと言う。3ヶ月は母親のところで育てるので、渡すのはその後だという。
聞くと、3匹の内、1匹の鼻が切れていて(三ツ口?)、その子はAさん宅で育て、他の2匹をウチとOさんに貰ってもらうつもりだったとのこと。そして、Oさんとカミさんの二人でその3匹を見に行った時、その鼻が切れている子が、一番先にカミさんのヒザに寄って来たのだという。それでその子を我が家で貰うことにしたとか。そして名付けたのが、その頃、カミさんが中国語を習っていた関係で、「メイリー」(=中国語で美麗=キレイの意)。
その後、ほとんどはメイ子と呼んでいたが・・・

20121104 そして我が家に初めて借りてきたのが2月1日だった。自分は初めて見たが、ちっちゃい。3時間の面接だったが、ぶるぶる体を震わせていたが、自分の所では静かにしていたので面接合格!!
そして正式に我が家に来たのが2003年3月16日。その贈呈式?の写真がこれ。
それからが活発。4月7日には、ついに柵を乗り越えた!

20121105 20121106 20121107

そして2003年7月25日に、勧められて獣医さんのところで、子宮・卵巣の摘出手術。
お腹の開腹手術だったので、痛々しかった。

211211meiko11sai その後は、我が家のマスコット。特に散歩には良く行くようになった。2003年10月30日には、メイ子を連れて高尾山にも登った。

そして病気もした。2005年11月27日には、頬が破れ、獣医さんに手術で3日間の入院が必要、とまで言われたことがあった。

その後は順調で、休日になると1時間をかけて散歩するのが日課となった。広場では、投げたボールを走って拾ってくるのが得意だった。我が家で気に入っている写真を2枚。2011年4月29日(8歳)の、自宅玄関前での写真と、2016年11月14日(13歳)の時の、トリマーさんがトリミングの後に撮ってくれた写真である。

20121108 20121109 

その後は特に事件も無かった。しかし衰えを感じたのが、2014年11月6日だった。12歳だったが、歩くのがオタオタしてきたので、1時間の大回りの散歩道は無理か・・・と、衰えを感じた。(人間で言うと66歳)
2015年1月26日にはウンチに血が混じり、獣医さんは急性腸炎と。2015年11月8日には、ウンチが部屋の中に撒き散らされるので、部屋の隅に柵でかこって閉じ込めたら、夜泣きをして、人間の方が降参。3キロほどあった体重も2.4キロに減った。流動食は何とか食べるが、軟便で、赤い粘液も混じる。しかし放すと、階段を元気に駆け上がる。13歳は、人間で言うと69歳とか。まさにシニア犬だ。
2016年10月30日には蓼科に車でメイ子を連れて行ったが、何とか大丈夫だった。そして2016年12月16日(14歳)の大洗に行った時が、それがメイ子との最後の旅行になった。

あれから、4年。まさに高齢犬となって、段々と体力も落ち、それまで駆け上がっていた階段も上れなくなり、居間の段差も、ペット用の階段を使って行き来するようになった。

当blogにもメイ子については何度か書いている。
2017年4月1日には「愛犬・メイ子の「突発性前庭疾患」~老犬病の始まり!?」(ここ
2018年1月31日には「カミさんの「メイリーの犬心」(ここ
2018年9月19日「愛犬・メイ子の“おしめ”に挫折した日」(ここ
2019年2月22日「幸せの黄色いチョーク~犬のフンの撲滅法」(ここ
そしてとうとうオムツを始めたのが、2019年10月24日「愛犬・メイ子がオムツをした日」(ここ)だった。

最初は、ウンチがオシメから外れてオシッコシートに堂々と鎮座していたが、その後、昔買って、大き過ぎで放ったあったSSサイズのオムツをシッポの部分をセロテープで止め、ウンチ脱落防止にSSSの上に二重にさせているので、ウンチの脱落はなくなった。メイ子にしては、シッポが自由に動かせないが、これは我慢して貰うしか無かった。以来1年。ウンチが床の上に落ちていることは無くなった。

そしてとうとう散歩に行けなくなったのが2019年12月26日(17歳)(ここ)。

いつ頃からだったか、歩き方が斜対歩から側対歩に変わった。そして、いつもの定位置の出窓に飛び上がる事が出来なくなり、ソファーの上に、そしてそれも出来なくなり床にベッドの置き場所が変わった。そして最期には体重は1.4キロまで痩せた。あばら骨が浮き出て、ガリガリ。エサはよく食べていたので、栄養分を吸収する力が段々と衰えていったのだろう。

201211yoki 1年半前から獣医さんも止めた。それまでは、高額な心臓の薬を貰って飲んでいた。この薬を飲んでいるから、何とか生きているんだと言われていたが、何の事は無い、メイ子も毎朝毎晩、薬を飲まされるストレスから解放されて?元気。飲む方も飲まされる方も、薬がどれだけストレスだったか・・・
結局、獣医さんの言っていた心臓で亡くなることは無かった。
完全な老衰。ヨーキーの18歳は、人間で言うと88歳だそうだ。
何より、痛みが無かったことは良かった。もしガンなどで痛みがあったら、たぶん鳴くだろう。しかもずっと。それが無かった。高齢になってからは、いつもおとなしく寐ていた。

考えてみると、自分になついていたかというと、自信が無い。気にくわないのが、次男が帰ってくるとぴょんぴょんと足にまとわりついていたこと。そして2階の次男の部屋の前で、ドアをガリガリ。部屋に入れてくれないと、イジワルでドアの前でオシッコ。だから2階の廊下のカーペットには、そのオシッコの跡が無数に付いている。なぜ自分が帰ってくると、喜ばなかった???

でも、総合的には良い子だった。我々も老年。
色々と聞くと、老犬になって亡くなるまで、数か月間寝たきりになって、吠えて周りの家に迷惑をかけることもあるという。しかしメイ子の場合、危篤になって吠えていたのは、ほんの6時間ほど。
飼い主の我々老人に、ほとんど労力を使わせること無く逝った。これには感謝。

前に「愛犬を亡くした人への詩「虹の橋」」(ここ)という記事を書いた。
動物が死ぬと「虹の橋」のたもとで飼い主を待っており、飼い主が死ぬと、一緒にその「虹の橋」を渡っていくのだという。

でも、自分が死んだ時に、メイ子が「虹の橋」で待っている自信は無い。たぶんカミさんを待っているのだと思う。まあ18年間も世話をしてきたのはカミさん。それは仕方が無い。

ペットは家族、とはよく言う。まだ亡くなってから2日。まだいつもの場所にメイ子が居るような気がしてならない。自分はともかく、カミさんに、本当の哀しみが襲ってくる日が怖い。

(関連記事)
愛犬・メイ子の遺骨を庭に埋めた話


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2020年12月 6日 (日)

喜多郎の「ダンス・オブ・サラスバティ」

久しぶりに喜多郎を聞いてみよう。
愛機HAP-Z1ES(HDDオーディオプレヤー)にリッピングした喜多郎のアルバムを、この頃、毎夜ベッドの中で発売順に聞いている。
何度か書いているが、NHKの「シルクロード」で知った喜多郎の音楽は、当初夢中になって聞いていたが、アルバムが新しくなるにつれ、段々と付いて行けなくなった。よって、1990年の「古事記」以降のCDはあまり聞いていない。

久しぶりに聞いた1994年の「マンダラ」というアルバムで、「ダンス・オブ・サラスバティ」という曲を聞いて、ちょっとはまった。

<喜多郎の「ダンス・オブ・サラスバティ」>


201206kitaro 強烈なリズムの中で、四小節?の音楽が繰り返される。
「第九」の四楽章と同じく、メインの旋律は単純。しかし、形を変えて繰り返される。
ところで「サラスバティ」とは、「サラスヴァティー(サンスクリット語:Sarasvati)は、芸術・学問などの知を司るヒンドゥー教の女神である。」とのこと。

改めてwikiで喜多郎の項を読んでみると、1985年頃からは世界に羽ばたき、1990年からはアメリカで暮らしているという。
1995年発売の「an enchanted evening 〜天空への響き」というアメリカでのライブアルバムにも、この曲が入っているので、これも聞いてみよう。

<喜多郎の「ダンス・オブ・サラスバティ」ライブ盤>


1980年代の始め、NHKでよく喜多郎のドキュメンタリーが放送された。1981年12月26日放送の「喜多郎&秀星コンサート -透明な宇宙を求めて-」は、βのVTRに録画して何度見たことか・・・。それ以外でも、長野の喜多郎の家を秀星が訪ねて行ったドキュメンタリー番組があったが、テープは残っていない。
そのドキュメンタリー番組で印象に残っているのが、喜多郎の音楽の作り方。絵を描いて、そのイメージで演奏するのだそうだ。だから楽譜は無い。
上の2つの盤も、そんな事で演奏時間が異なるのだろう。

自分のNAC-Z1ESのカテゴリには、特に「ピンク・フロイド」と「喜多郎」は独立して置いている。「歌」とか「洋楽」とかのジャンル別とは別格で。
それだけ、この二つの音楽は自分にとって大きな存在。
しかし、それぞれ多くの楽曲・アルバムがあるが、自分にフィットして聞いているのは、その中のごく少数の音楽だけ。
音楽にも相性はあるので仕方が無いが、まあなかなか難しい喜多郎の音楽とのお付き合いではある。

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2020年12月 2日 (水)

菅氏は「輝きのない首相」

前は安倍首相の顔をTVで見たくなかったが、この頃はそれが菅首相に代わった。何とも頼りの無い日本のリーダーである。
そんな首相をメディアが色々と伝えている。最近、気になった記事をコピペしてみる。

菅氏は「輝きのない首相」 独紙が批判的論評
 【ベルリン時事】30日付のドイツ高級紙・南ドイツ新聞は、菅義偉首相について「輝きのない首相」と題する記事を掲載した。前政権の保守路線を継続する以外に「ほとんど野心がないように見える」などと批判的に論じている。
 記事は、菅氏が二酸化炭素(CO2)排出量を2050年までに実質ゼロにする目標を表明した際には輝いたが、「それ以外には何があるだろうか」と指摘。日本学術会議会員候補の任命拒否問題でつまずき、観光支援事業「Go Toトラベル」では国民から疑問の声が出ているとした。
 菅氏が電話会談でバイデン次期米大統領に北朝鮮による拉致問題解決への助力を要請したことに関しても、気候変動や国際紛争などが焦点となっている世界情勢下では「優先順位は落ちる」と主張。韓国への姿勢を含め、「日本第一主義的な見解」に固執し行き詰まっているのではないかと論評した。」(2020/12/01付「時事通信」ここより)

海外からも、首相としての資質について、疑問が出ているようだ。

そして超ベテランの共産党委員長からの辛口評。
共産・志位和夫委員長 「首相 答弁は自助でお願い」
 共産・志位和夫委員長「首相答弁は自助で」(菅義偉首相の国会答弁について)あれだけ答弁ができないのは、ちょっと驚きだ。一枚一枚紙を読んでいるのだから。首相は「自助・共助・公助」と言うが、答弁は自助でお願いします。まず答弁は自分でやってみる、公助に頼らないでくださいと言いたい。日本学術会議の問題も「桜を見る会」の問題も答えない。あそこまで国民に対して説明する能力も意思もないのは、これまでの方(安倍晋三前首相)よりさらに進んだと思う。
 新型コロナウイルス感染拡大がこれだけひどいのに、記者会見を1回もやっていないのも、どういうことなのか。不安が国民に広がっているのに、政治のリーダーから責任ある声が聞こえてこないのは異常なことだ。(26日、国会での記者会見で)」(2020/11/26付「朝日新聞」ここより)

テレビでも、菅首相の自分の言葉を聞いたことがない。国会での答弁も、すべてが朗読首相。まさに委員長の指摘通り。
記者会見を開けないのも、記者との丁々発止のやりとりが、能力的に出来ないのだろう。それは下記の記事にもある通り、記者とのぶら下がりの発言すら出来レースのごとくメモを見ながらしている姿から、よく分かる。

自分が愛読している朝日新聞・高橋純子さんの「多事争論」。今朝のはこんな具合・・・
(多事奏論)首相のメッセージ 「来賓のあいさつ」いつまで 高橋純子
 ひと月半ほど前、ランチが安くておいしいとの評判を聞き、古い雑居ビルにある、10人も入れば満杯のすし店に行った。
 若い店主はコロナで客が減って大変だとひとしきり嘆いたあと、「菅総理には期待してるんです」。へえ。どうして? 「たたき上げの苦労人と言われてるし、庶民の感覚っていうか、僕たちみたいなののことをわかってくれるんじゃないかと」。そうかもねとそうだったらいいねとそうじゃないと思うよが胸の内で交錯する。小ぶりのウニの軍艦巻きを頬張る。うまい。甘い。
 ごちそうさま。会計を済ませて席を立つ。ぜひまた来てください、助けてくださいよと、店主は笑顔で繰り返した。
     *
 新型コロナウイルス感染拡大、第3波。だが菅義偉首相はこの間まともに記者会見を開いてこなかった。官邸のエントランスで手元の紙に目を落としつつ、一方的にご託宣を授けるばかりなり。「静かなマスク会食をぜひお願いしたい」。この感じ、何かに似ている。そうだ。子どものころに運動会や卒業式で聞いた、来賓あいさつだ。
 地元の名士らによる文字通りに型通りのあいさつ。子どもたちに特段の思い入れがあるわけではないから、自分なりのメッセージを届けようという意欲や工夫は見られず、「みなさん頑張ってください」なんて基本的には他人事、子どもの側にも「このおじさん、なんか偉いんだな」ということしか残らない、あれ。あれあれ。
 国会ではお答えを差し控え、自ら語り出せば来賓あいさつ。「実務家」だからそれでいい? 違う。もちろん能弁でありさえすればいいわけではないし、ましてや誰かさんのようにウソをつく雄弁家は最悪だが、でも。それでも。たどたどしくとも言葉でもって民と組み合う意志と覚悟を持たない者は、政治リーダーたり得ない。
 そばにいる。見捨てない。
 これが、政治リーダーが発すべき何よりのメッセージだと私は思う。政策を縦糸とするなら、国会や記者会見で説明し、疑問や質問に答えることは横糸。糸を吟味し、丁寧に織り上げられた布は丈夫であたたかく、寒さと不安に立ちすくんでしまった人たちに「大丈夫だ」という安心と希望をもたらし、再び歩き出す力を与えるはずだ。
 私たちは遠慮せずに、この糸でこんな布を織ってほしい、織れるはずだと求めてよいのだ。職人の腕は「わがまま」に応えていくなかで磨かれる。目の粗いちっちゃな布を「菅謹製」のハンコが押してあるからとありがたがっているようでは腕は落ちる一方。互いにとって不幸である。
     *
 世襲、経験、情熱、知性……。腕のいい職人と凡なる者を分かつ「何か」はありやなしや。わからん。煮え煮えの思考に差し水をすべく、日本一のハンコ産地、山梨県の長崎幸太郎知事を訪ねた。河野太郎行政改革相が「押印廃止」の印章と印影をツイッターに投稿したのに対し、「あたかも、薄ら笑いを浮かべながら土足で戦場の死体を踏み付ける残虐シーンの映画を見ているが如(ごと)き」とツイートし、話題になった。
 「印章業界は血を流す。ですがデジタル化には反対していません。ただ、生きる希望が欲しいと求めている。そこへのケアがあまりにも欠けていませんか?」「ひとことかけてくれればいいんです。みなさんのことを気にかけている、政府としてサポートしたいと。ハンコをデジタル化に組み込む策はこちらで考え、要望しますから」
 河野氏には面会を求めたが、会ってもらえていないという。押し合いへし合いしながら大きくまとめていくのがかつての自民党政治。弱いものを踏み潰してハイ終わり、で本当にいいんですか?――敬意と想像力、そして惻隠(そくいん)の情。政治を行う上ではそれらが欠かせないと言うその人は、東京生まれの東京育ち、元財務官僚。「たたき上げ」ではないのだった。(編集委員)」(2020/12/02付「朝日新聞」P15より)

前に「誰でも良いので安倍首相から代わってくれー!」とここに書いた。しかし、「答弁をさし控えます」しか言わない首相になるとは・・・

我々日本国民は、ウソを付く首相か、無能な首相の、どちらかしか与えられないのだろうか・・・!?
せめて米大統領選のように、自分で投票して選んだ首相なら、少しはあきらめも付くが・・・

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