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2020年9月24日 (木)

守屋浩が81歳で死去~「僕は泣いちっち」

今朝の新聞の訃報欄に、守屋浩さんが亡くなった、とあった。
もう少し詳しい記事はないかとググったら、スポニチの記事が詳しかった。

「僕は泣いちっち」の守屋浩さん 前立腺がんで死去 81歳 引退後は榊原郁恵ら発掘

 「僕は泣いちっち」などのヒット曲で知られる歌手の守屋浩(もりや・ひろし、本名・守屋邦彦=くにひこ)さんが19日午後7時ごろ、静岡県内の施設で前立腺がんのため死去した。81歳。千葉県出身。大手芸能事務所ホリプロの第1号タレントで、1960年からNHK紅白歌合戦に4年連続で出場。76年の引退後はホリプロの社員となり「ホリプロタレントスカウトキャラバン」を発案。榊原郁恵(61)ら多くのアイドルを輩出した。

200924moriyahirosi  守屋さんは2年ほど前から前立腺がんと闘っていた。関係者によると、約1カ月前に静岡県内の施設に入り、19日夜に家族にみとられて静かに息を引き取った。翌20日は82歳の誕生日だった。22日に同県伊東市内で家族葬が営まれ、荼毘(だび)に付された。

 守屋さんのデビューはホリプロの歴史でもある。1957年、ロカビリーバンド「スウィング・ウエスト」にバンドボーイとして入ったが、翌58年にボーカルが退団。リーダーの堀威夫氏(87)が代役として日劇ウエスタンカーニバルのステージに立たせたところ、女性客から大歓声を浴び、一気に正式メンバーとなった。

 59年にソロデビューし、翌60年に堀氏が設立した堀プロダクション(現ホリプロ)の第1号タレントとなった。芸名の「守屋浩」は堀氏の提案。当時、井上ひろし、水原弘と「ひろし」が活躍していたためで、後に「3人ひろし」と呼ばれるようになった。

200924bokuhanaichicchi  長い脚の爽やかなルックスに独特のハスキーボイス。代表曲は「僕は泣いちっち」(59年発売)。上京した恋人への思いを、♪僕の恋人 東京へ行っちっち――とユニークな表現で歌い大ヒット。昭和を代表する作詞作曲家の浜口庫之助さんの出世作にもなった。翌60年には映画化され、80年代後半になっても志村けんさん(今年3月他界)がフジテレビ「志村けんのだいじょうぶだぁ」で替え歌を披露するなど、長く愛されている名曲だ。

 NHK紅白歌合戦には4年連続で出場。守屋さんは歌手が芝居をする草分けでもあり、59年のフジテレビ開局ドラマ「陽のあたる坂道」をはじめ、映画も計25作出演した。

 76年、芸能活動に見切りをつけ、37歳で引退してホリプロに入社。スカウト担当として今も続くオーディション「ホリプロタレントスカウトキャラバン」を発案し、榊原や堀ちえみ(53)らを発掘した。

 86年に勤続10年で退社。歌手活動を再開し、その後は伊東市に移り住み、カラオケ教室を開いていた。10年以上前に脳梗塞で倒れたが、リハビリを経て復帰。後遺症にも負けず、テレビの音楽番組ではイスに座って歌うなど活動を続けた。

 ◆守屋 浩(もりや・ひろし)本名守屋邦彦。1938年(昭13)9月20日生まれ、千葉県出身。63年に島倉千代子さんとのデュエット曲「星空に両手を」が70万枚を売り上げた。引退後はホリプロで宣伝部長、文化事業部長などを歴任。私生活では67年に歌手の本間千代子と結婚。75年離婚。76年に一般女性と再婚し1男1女をもうけた。」(スポニチのここより)

代表曲の「僕は泣いちっち」を聞いてみよう。

<守屋浩の「僕は泣いちっち」>

「僕は泣いちっち」
  作詞・作曲:浜口庫之助

僕の恋人東京へ行っちっち
僕の気持を知りながら
なんでなんでなんでどうしてどうしてどうして
東京がそんなにいいんだろう
僕は泣いちっち横向いて泣いちっち
淋しい夜はいやだよ
僕も行こうあの娘の住んでる東京へ

祭の太鼓がテンテケテンと鳴っちっち
みんな浮き浮き踊るのに
なんでなんでなんでどうしてどうしてどうして
僕だけションボリみそっかす
涙がホロリひとりで出っちっち
お祭なんかいやだよ
僕は思う遠い東京のことばかり

上りの急行がシュッシュラシュッと行っちっち
いやな噂をふりまいて
せめてせめてせめて遠い遠い東京の
空に飛んでけちぎれ雲
汽笛がなっちっち遠くでなっちっち
夜汽車の笛はいやだよ
早く行こうあの娘の住んでる東京へ

この歌は1959年(昭和34年)発売のヒット曲だという。守屋浩、当時21歳。
守屋浩は、歌手を止めてからプロダクションの幹部として、永く活躍したと認識していたが、上の記事を読むと、勤続10年で退社したという。

最近も、岸部四郎さんや渡哲也さんなど、自分でさえ名前を知っている人の訃報が多い。
もちろん人間は100%死ぬ。そのとき、結局そばに居るのは家族だけ。

話は変わるが、昭和34年と言えば、自分が小学校6年生の時。この歌を聞くと必ず思い出す事がある。
クラスにはいわゆるワルが一人位居るもの。自分のクラスにも、ワルは居た。そのワルが、「ぼーくのこいびと・・・ちっち」と休み時間に歌うのである。その旋律が、実に分かり易く、皆がまねした。すると先生が来て「そんな歌を歌うのは止めなさい」と注意する。
でも先生がいなくなるとまた「・・・ちっち!」・・・

何ともほろ苦い「僕は泣いちっち」ではある。


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コメント

こんちは、いつも興味深く読ませて(聴き)頂いております。
守屋さん81歳で死去すか・・・・。
また一人昭和を代表する歌手が鬼門にふせられましたね。
小生は、妙にだじゃれと意味不明な歌詞の「ありがたや節」が気に入ってました。(笑)
ご冥福を祈ります。

【エムズの片割れより】
そうそう、そんな歌もありました。
「夜空の笛」や「月のエレジー」も好きです。

投稿: 杉ちゃん | 2020年9月28日 (月) 12:46

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