合唱組曲「山に祈る」
先日、男声合唱「月光とピエロ」(ここ)を紹介したが、今日は、清水脩作曲の合唱組曲「山に祈る」の紹介である。1960年の作品で、1970年の録音である。
もし興味があったら、ひとつの物語として聞いてみて下さい。
<同志社グリークラブの合唱組曲「山に祈る」>
「山に祈る」
作詞・作曲:清水 脩
若杉弘:指揮/同志社グリークラブ
ビクター・フィルハーモニー・オーケストラ
語り:河内桃子
(前奏)
「山の歌」
山よ お前の ふところは
山の男のふるさとよ
うれしい時は山へ行く
さびしくなれば尾根歩き
山よ お前は 愉しそう
ピークで呼ぶヤッホーを
忘れずすぐにこだまして
山の仲間と呼びかわす
山よ お前の あで姿
岩場、草つき、雪渓も
みんなお前の肌の色
抱いてもみたい肌ざわり
山よ お前は もの言わぬ
けれど代りにぼくたちが
明日はいよいよアタックと
ヒュッテの便りしておこう
山よ お前か 隠しても
歯をむくようなガレ場なら
それかお前のしぶい顔
雪崩が残した爪の跡
山よ お前の 優しさは
テラスの空の星のように
テントの窓からしのぴこむ
小屋の窓から降ってくる
山よ お前の きびしさは
霧と雨との捲き返し
風と吹雪のうなり声
おそう白魔の大雪崩
山よ お前よ さようなら
たき火の煙 消えないで
林をぬけて頂上へ
別れの言葉 告げてくれ
山よ お前よ いつまでも
ぼくはお前を忘れまい
お前もぼくを忘れずに
お前もぼくを忘れずに
《間奏》
朗読――
誠!誠!
母さんの手のひらにしっかりと握っているのは、いつもお前が山へ持ってゆくお前の手帖です。お前の手垢でよごれ、お前の体臭がしみこみ、アルプスの雪にぬれてぼろぼろに なったお前の手帖です。右肩上りの、少しばかり乱暴な字。
《間奏》
朗読――
あれからもう一年経ちました。あの日、庭の梅の花が咲いて、春を告げていました。あと二日経てば、お前が山から帰ってくるはずなので、母さんは、お前の机の花びんに挿しておこうと、梅の一と枝を折りとっていました。お前の可愛がっていたコロ、お前に一番なついていたコロは。母さんの足もとでじゃれていました。
その時です。忘れもしません。ほんとうにその時でした。一通の電報が、母さんを地獄の底へ突き落してしまいました。手にした梅の枝をとり落したのにも気付かなかったのです。母さんの心の中のものを。何もかも一どきに変えてしまったのです。
遭難。お前が山で遭難したのです。
《間奏》
朗読――
(手帖を読む)3月2日。18時新宿駅集合。外の時は平気で遅れてくるヌーボー倉田も、 山となると時間厳守。
先発隊12名は3日前に出発しているので今は倉田と二人。いつもの事ながら二人とも重いリュックだ。
「リュック・サックの歌」
リュック・サック
リュック・サック
肩に食い込む重さでも
山の友だちと思えば軽い
背中にずっしりかからばかかれ
踏みしめ登る急坂も
リュックがあれば気がはずむ
A「お前のは重そうだな」(第1テノール)
B「うん、30キロはたっぷり」(第2テノール)
C「忘れものはないだろうな」(バリトン)
D「チョコレートならもっと持ちたいよ」(バス)
リュック・サック
リュック・サック
中味は何だときかれても
数え切れないこの重装備
背中にずっしりかからばかかれ
あの山この山 なつかしい
リュックにつめた思い出よ
朗読――
(手帖を読む)3月3日。快晴。桃の節句。ここ10日ばかり晴天つづきとのこと。順子はおひなさまを飾ってもらっている事だろう。
17時20分、中房温泉着。
《間奏》
朗読――
ヌーボー倉田は、中房へ着いて間もなく吐気をもよおし、二度ほど吐いた。明日は牛首コルの前進キャンプへ。20時就寝。
「山小屋の夜」
満天の星
凍る夜気
山々はくろぐろと
雪に埋もれた小屋を包む
カンテラの鈍い光
リュックを枕に、重い足を
長々と伸ばして眼をつむれば
沢で飲んだホのうまさ(第1テノール)
額を流れた汗の玉(第2テノール)
振り仰いだ空の青さ(バリトン)
銀色に輝やいた岩壁(バス)
元気づけてくれた友の声(バス)
あれも これも
まぶたの奥に
揺れるように映る。
明日も晴れてくれ。
朗読――
(手帖を読む)3月4日。昨日はあまりよく眠れなかった。
ヌーボー倉田はやはり具合か悪いのでゆくのをやめる。ぽく一人でみなの後を追う事にきめる。午前6時10分。中房出発。11時半燕山荘に着く。
あと4時間でみなに会える。ラジオでは天候がくずれるかも知れぬという。でも牛首コル までは慣れたルート。
「山を憶う」
なぜ 山を憶うのか
山は神秘だから。
なぜ 山を慕うのか
山は優しいから。
なぜ 山に挑むのか
山はきびしいから。
怒れば巨人となって
人間の智恵を打ち挫き
ほほえめば乙女となって
汚れない愛を降りそそぐ
《間奏》
朗読――
(手帖を読む)早くみなに会いたかった。大天井まで来る。キャンプは近い。吹雪でトレースわからず。16時、ビバーク地探す。山の天候のカンをあやまったようだ。きょうはビバークか。
なぜ 山へ登るのか
山がそこにあるから
「吹雪の歌」
吹雪
吹雪
吹雪
引き裂き うなり
噛み挫き のたうつ
白い悪魔の雄たけび
白い巨人の咆哮。
吹雪
吹雪
吹雪
逆まき 狂い
圧しつぶし 噴き上げる
白い悪魔のかちどき
白い巨人の怒号。
吹雪、それは(バス)
山の怒りにふれたアルピニストの
墓標のかげに立ち現われ、
牙をむいて雪崩の巣をつくり、
死の眠りを誘い、
誇らかに人間を嘲笑う。
吹雪
吹雪
吹雪
朗読――
(手帖を読む)3月5日。午前7時15分。依然として吹雪おさまらず。昨日の5時より14時間と15分たった。昨夜は6時間位眠ったが、場所かよくないので寝苦しかった。寒い。明け方から腹の方が体温でぬれてきた。今朝、ビタミン剤5ヶのむ。食欲はない。乾パン10枚あるから倹約して食うつもり。ハムはシラーフの下なので出せない。
《間奏》
朗読――
母さんは誠と心の中で呼んだだけで、もう胸が苦しく、悲しみに押しつぶされそうです。
大学の卒業を眼の前にして。就職も決ったというのに、誠は逝ってしまった。悪夢なら醒める事もありましょう。「お母さん、只今!」という元気な声が、今にも戸口から聞えてくるようです。お嫁さんや結婚式場のことまで想像して、母さんの胸は幸福にふくらんでいました。だのに、だのに……(泣き伏す)
《間奏》
朗読――
(手帖を読む)12時25分。依然。吹雪はげし。この吹雪は長くは続くまい。明日はよくなろう。寒い。がまんが大切。シラーフもシラーフカバーもぬれている。下半身ぬれて苦しい。
15時15分。吹雪おとろえず。視界きかず。なぜ一人で無理をしたのかー(問)-
下半身凍って動かない。-(間)-お母さんのことを思うとどうしても帰りたい。
「お母さん、ごめんなさい」
お母さん ごめんなさい
やさしいお母さん ごめんなさい
ゆたか、やすし、順子よ、すまぬ。
お母さんをたのむ
《間奏》
朗読――
(手帖を読む)手の指、凍傷で、思うことの千分の一も書けず。全身ふるえ。ねむい。
お母さん ごめんなさい
やさしいお母さん ごめんなさい
さきに死ぬのを許して下さい。
《間奏》
朗読――
(手帖を読む)(激して)山でうぬぼれず、つねに自重すること。(泣き伏す)
お母さん ごめんなさい
やさしいお母さん ごめんなさい
自分がこの作品を知ったのは、1970年のこと。入社半年後の時にこのLPを買った。清水脩指揮による、二期会合唱団の演奏だった。
リストを見たら、この時期、色々な合唱曲のLPを買っている。どうも当時、合唱曲に凝っていたらしい。
この作品について、CDの冊子にはこう解説がある。
「合唱組曲〈山に祈る〉
年に何回かの登山を試みていた壮年期の作曲者にとって、山岳の遭難事故は決してひとごととは思えなかった。 1960年、たまたまヴォーカル・アンサンブル「ダーク・ダックス」より新作の委嘱があったのを機会に、長野県警より出版されていた遭難者の手記<山に祈る>より、上智大学の学生の母親がよせた記録をもとに、清水自身がテクストを書き下ろして作曲したもの。したがって当初はピアノ伴奏による男声四重唱であったものが、後にそのまま男声合唱でうたわれるようになり、さらに混声合唱版も書かれ、オーケストラ伴奏のかたちにも編曲されている。そして清水は1979年1月にみずからの台本による室内オペラ〈山に祈る〉を完成しているが、内容は組曲とほぼ同じもので、作曲者のこの題材によせる愛着の深さを物語っている。彼の叙事的な合唱作品を代表するものである。」
元祖であるダーク・ダックスで一度聴いてみたいが、どうもその録音は無いようだ。
いつも言うグチだが、何でも最後は「お母さん」・・・。
人間、最期は「お父さん」は絶対に出て来なくて、必ず「お母さん」らしい。
久しぶりに聴いた「山に祈る」だった。
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