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2020年7月12日 (日)

心房細動と心房粗動をカテーテルアブレーションで退治してきた話

2020年7月8日から11日まで、行き付けの大学病院に入院して、持病の心房細動と心房粗動をカテーテルアブレーションで手術してきたので、今日はその話。
たぶんこれで完治したはずなので、(自分の頭からこの言葉は消えることになるので、多分・・・)、自分への備忘録。

今回の心房細動(ここ)と心房粗動(ここ)ついては、横浜労災病院のサイトに詳しい解説があるので、ここでは省略。

そもそも自分が最初に心房細動を発症したのは、1984/7/2の36歳の時。会社の帰りにビールを飲み発症(脱水)。その時は、翌朝止まったので病院には行かなかった。
次にメモが残っているのが、2004/7/5の56歳の時、帰宅のバスの中で発症。この時も飲み会で紹興酒をしたたか飲み、暑い日だったので脱水。翌朝になっても止まらないので、近くに新しく出来た大学病院に行った。この時は、点滴を入れた途端に止まった。いやはや”薬の力はズゴイ”と感心したもの。そして医師に言われた。「発作性心房細動です。これが48時間以上続くと、長嶋さんと同じ脳梗塞を起こし易くなる。これからは、飲酒の時には必ずウーロン茶を1リッター位飲むつもりで、脱水症を避けて下さい」
そして今後発症したときの頓服として、シベノールという薬を貰った。

その後、2004年、2005年、2011年に1回ずつ発症したが、貰ったシベノールを飲んで止まった。
しかし2013年には、3回発症。12月末の3回目は、薬では止まらず、やはり翌朝大学病院に行って点滴で止まった。
そして2014年(66歳)に2度発症した時は、2度とも飲み薬では止まらず、それぞれ点滴と電気ショックでやっと止まった。この2014年の2度目の時に一緒に発症したのが心房粗動。以降病院に通って薬を飲み続けることになった。
考えてみると、発症のほとんどは暑い日の飲酒のとき。脱水が原因らしい。

シベノールを徐々に減らしながら飲み続けていたが、発症しないため、3年半後の2017年11月に、一度薬を止めてみることにした。
するとてきめん、半年後の2018年6月に再発。
「再発してしまいました」と言ったら主治医から「治っていないのだから再発もクソも無い。前から言っているように、手術しようよ」と言われて、薬を再開。
そして昨年の2019年の10月の発症では、薬で止まったものの、今年2020年5月18日の夜に、自宅で心房粗動が発症。血圧が下がり、余りに苦しいので、夜中に#7119に電話したら「冷や汗が出るのなら病院に行った方が良い」と言われ、19日の夜中2時半に、生まれて初めて救急車を呼んでしまった。
救急車の中で測ったら脈拍が204。今回は病院で点滴で薬を入れても簡単には下がらず、3時間かかってやっと120まで下がって、帰ることが出来た。そして決心した。「手術をしよう!」。
(心房細動は、まったく気にならない人が半分居るという。しかし自分の場合は、血圧が下がって苦しくなる)

昼になって、予約外で主治医の外来に行って、手術をお願い。コロナの影響で、検査等の病院内の機能が止まっているが、6月になれば再開出来るだろう。との見込みで、とりあえず手術は7月9日を予約。そのためのCT検査は、6月30日と決定。その時に、合わせてコロナのPCR検査もするが、陽性だったら手術は無しで、即隔離!とおどかされた。

それからの1ヶ月余の長かったこと。一番キライな手術が「待ち遠しい!」ナンテ言う経験は初めて。6月30日のCT検査は、造影剤を入れての検査。それをもとに作戦を練るらしい。また、心臓のどの部分を処置するかは、事前に心電図で分かるとのこと。自分の場合は、全てのデータが同じ病院にあるので最強。
(実は長男も、たまたま大田区の大学病院に他の病気で入院している時に、頻拍が発症。病名は上室性頻拍。36歳だったので、教授から「若いので強くカテーテル手術を勧める。そうすればこの病気を忘れることが出来る」と言われ、2012年11月にカテーテルアブレーション手術。この時は、2泊3日の入院。部分麻酔で手術時間が2時間。息子がやったのだから、自分が出来ないとは言えない。が今回手術を受けるきっかけ?遺伝としても、完治するのでラッキー!?)

7月8日予定通り入院。採血、心電図、レントゲン等の検査。翌日の手術予定は、8:45スタートとのこと。入院や手術は、コロナで押さえられていたが、今週のアブレーションは自分が3人目らしい。(この病院の前年2019年の心房細動の実績は165件とのこと)

7月9日未明のAM4:40、ふと目を覚ますと心房細動が発症していた。やはり苦しい。それから手術までの4時間が、長かったこと! 8:40に看護師さんの車椅子で手術室に出発。看護師さんは「心房細動が発症していた方が、かえって手術はやりやすいのでは?」とのこと。(発症していないと手術は出来ないので、いつもは薬で発症させて手術するらしい・・・)

手術室に入ると、スタッフの人数の多いこと。数十人?自分の手術だけでは無いのだろうが、あまりの人数の多さにビックリ。
200712syujyutu 最初にされたのが、食道への温度計の挿入。事前には言われていたが、これが痛いのなんのって。乱暴な主治医め!!涙がポロポロ・・・。
後で聞くと、手術は、リーダーの准教授を先頭に自分の主治医ともう一人の3人の医師チームがやってくれたらしい。(この病院の医師リストを見ると、アブレーションの専門医が4人居る)
数人がかりで、体中にセンサーをベタベタ。数十個か。寝かされて、口に当てるマスクの大きさを選んで「身体拘束をしますが、直ぐに眠くなりますから」と言われ、体の両側から締め付けられているな、下の毛をバリカンで刈っているな、と思うまもなく寐てしまった。よって尿管カテーテルを入れる痛さも分からなかった。

「**さん、分かりますか」の声で目を覚ますが、まて寐てしまった。後で聞くと、手術時間は、事前に主治医から聞かされていた1時間半が、「何も無く、すごくスムーズに65分で終わった」とのこと。しかし、部屋に戻ったときに目を覚まして、看護師さんに聞いた時刻は11時だった。つまり術後の1時間余は、ICUかどこかで寐ていたらしい。

これも後で部屋に来た医師に聞いたところでは、左右の鼠径部から入れたカテーテルは計5本。静脈2本の各2ヶ所と動脈1本から。それに右の首から1本。
心房細動は冷凍凝固アブレーション(冷凍焼灼術・クライオアブレーション)で、心房粗動はカテーテルアブレーション(高周波アブレーション)で処置したとのこと。
なお冷凍アブレーションは、日本では2015年から開始され、2019年には第4世代となっているという(ここ)。
(2014年の当初から、散々医者に手術を勧められていたが、6年間待った甲斐があった!?)

ここから、ツライ術後の一日がスタート。血液サラサラ薬を1か月前から飲まされていたこともあり、鼠径部からの出血が非常に怖く、上を向いたままの姿勢で翌朝まで。これがとにかくツラかった。だんだんと腰や背中や尻が痛くて参った。同じ手術をする人は、皆「治療より動けない方がツライ」と言ってるという。

体を動かせない以外はいつも通りなので、昼から食事も出た。寐たままで、食事介助をされて食べたのは初めて。ヨイヨイ?になったら、毎回こうなるのかな、と思いつつ・・・
昼は、ヘルパーさんのおばさん。そしてそのヘルパーさんが言う。「土曜の選択メニューはどうされます?」。聞くと、この病院では(水)と(土)は選択メニューで、七夕のような時は行事食が出るという。病院も色々考えてくれているようだ。でも徹底した減塩食。食事介助のときに左手に持たされるお握りも、塩がまったく付いていない。

しかし、入院・手術でも、ひとつ位は良いことがあるもの。夕食の食事介助は、何と、たまたまバイトで来ていた高校を出たばかりの看護実習生(看護の専門学校1年生)の女の子だった。自分も気分を良くして、色々と雑談。母親が看護師で、その母親から「取っておきな」と言われて看護師の資格を取ろうとしているとか。この病院には、学校が終わって6時から8時までのバイト。
「看護師資格は良いよ」と褒めたら、「本当は作業療法士などの方が、定時に帰れて、給料は同じなんですが」と言っていた。実習生として出来ることは、食事介助とオムツ交換だけとか。

話は飛ぶが、この1日の上を向いた“魔の時間”は、小の方は尿管カテーテルを挿入するが、大の方はオムツを当てたそのままで済ますという。ああ、大の方が出なくて良かった。こんな19歳の女の子に下の始末して貰うなんて、幾ら72歳のおじいさんでも、とても頼めなかった!?

夜の担当の看護師さんは若い男性だった。最初は、ハズレと思ったがどうしてどうして。
とにかく話し好きで、雑談が多かった。上にも書いたが、「1日上を向いて寐ているのは、治療よりもツライ」というのは、皆さんが言っている、とか。「学生時代に、自分も8時間上を向いて寐ることを体験させられたが、ツライですよね」とか・・・
そして、なぜ上を向いていないといけないかを説明してくれた。鼠径部からの出血が合併症としては最も怖いので、そうしている。寝返りで、横を向こうとすると、必ず鼠径部の関節が曲がり、せっかく圧迫しているのが解ける。それがダメ。よって、常に足を伸ばしている必要がある。もし横を向きたいのなら、看護師が手伝って、足を伸ばしたまま横になり、背中に硬い枕を当てる。そして、もし眠っていて、足を曲げているのを見付けたら、勝手に足をヒモで縛る。とまで言っていた。
その話を聞いて、横向きにして貰ったが、それはそれでツラかった。でもそのお陰で、朝方少し眠れたよう・・・

それと、血圧。これが目標110なのに、血圧を上げる点滴を入れても80台から90台で、110まで上がらず、1時間おきに看護師さんが血圧を測りに来た。手術の翌日も同じ。結局医師が言うには「手術をすると、そんな人も居るが、心配無いですよ」。案の定、退院して翌日には、平常の値に戻っていた。

とにかく翌朝8時過ぎの、下腹部の固定と尿管カテーテルを外すのが待ち遠しかったが、夜勤の担当医が、たまたま手術をしてくれた当人だったので、6時過ぎに外しに来てくれた。しかし尿管は看護師さんの仕事らしく、日勤に交代した後の9時過ぎだった。
「抜く時は、少し痛いですよ。抜いて良いですか?」・・・。若い女性看護師さんに、先をつままれて、管を抜く。イタタタ・・・。これが意外と痛い。でもこれでやっと動けるようになった。
最初のオシッコには赤い血が・・・。でも直ぐに普通のオシッコになったのでホッとした。

結局、血圧とオシッコの量に翻弄された術後の2日間だった。
しかし、医師から「色々な検査結果も悪くないので、予定通り明日退院して良いですよ」で、ヤレヤレ・・・

まとめると、この病院は色々と良く管理されていると思った。担当の看護師さんは、まだ1年目なので、点滴交換など、何をするにもベテラン看護師さんを呼んできて、一緒に確認して貰いながら(ダブルチェック)作業をしていた。それに、病院全体が、何をするにも「お名前と生年月日を言って下さい」である。それが配膳の時も同じなのである。医療過誤防止が徹底しているな、と感じた。

話が飛ぶが、自分は病院に行く時には、必ずICレコーダーで医師の話を(内緒で)録音することにしている。そして、必要な時には文字起こしをする。聞いただけでは、内容のほとんどを忘れてしまうからである。今回も、手術日は病室で録音していたが、後で見ると、17時間で、ICレコーダーがバッテリー切れで止まっていた。

むしろスマホで録音しておいた方が良かったなと反省。スマホは充電しながら「ボイスメモ」で録音し続けることができる。1GBで37時間も録音出来る。よって、充電コードをつないだままセットしておけば、何時間でも録音出来て良かった!?

今回の手術ではラッキーなことが重なった。まずコロナ。ずっと手術が出来ない状態だったらしいが、運良くコロナが下火の今、手術を受けられたことはラッキー。たぶん今後は、第二波の宣言が出て、また手術が止まるかも・・・
そして上にも書いたが、不整脈を止める薬を手術の4日前から止められてしまった。もしその間に発作が発症していたら、どうすれば良かったか・・・。運良く、手術の直前まで発症しなかったので、苦しさも短時間で済んだ。ラッキー!
そして、下の世話を看護師さんに頼まなくて済んだこともラッキー。幾ら何でも、まだ下の世話をされるのはイヤだよね。
もちろん、手術が短時間に終わったのも、トラブルが無かった証拠でラッキー!

そして大学病院といえども、それぞれ得意分野があるということが分かった。たまたま自宅近くのこの大学病院は、カテーテルアブレーションに特化していたのでラッキーだった。

再発しない確率は、この病院では85%だという。これで完治すれば良いが・・・。

罹った病気は、完治するものは人間、忘れてしまう。今回の自分の持病だった心房細動・心房粗動も、原理的には完治したはず。術中も術後も特に異常な状態にはなっていないため。
確かに体のあちこちに内出血があるが(どうして出来たのかは知らないが)、これらは時間とともに消えるだろう。
この2つの持病も、今日のこの記事を最後に、自分の頭から消えることを期待したい。

「何も無い」ことがどれほど幸せか・・・
お疲れさまでした!?


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コメント

そうでしたか、大変でしたね。
実は、私も2013年1月(65才)にカテーテルアブレーションで手術をしました。
私は、心房粗動だけでしたので、手術は思ったより簡単に終わりました。
発症は2012年12月7日で、次いで21日に起こり2回とも注射、点滴で止まらず、電気ショックでやっと止まりました。循環器内科の医師(凄い美人医師で大門未知子より美しい)が、手術(経皮的カテーテル心筋焼灼術)をした方が良いとの事で、行うことにしました。翌年の1月5日に入院し、7日に手術をしました。
部分麻酔でしたので意識がはっきりしていましたので、手術台の周りには40インチ位のモニター画面が10個位あり、X線画像で進行状態を見ることが出来ました。手術中は医師と対話をしながらでした。「カテーテルを挿入するよ」「もう少しで心臓だよ」「これから電極を入れるから」「治療の場所に電極が近づいたよ」「電流を流すから、ちょっとした痛みと熱さを感じるから、我慢してね」などとモニターを見ながら医師の説明を聞き手術が進行しました。約90分の手術でした。手術のお蔭で完治して、現在は日常の生活が出来ています。

【エムズの片割れより】
病院によって、部分麻酔と全身麻酔に分かれるようですね。
自分は気が弱いので、全身麻酔の方が良かった。
心房粗動は、電気が回っている部分がはっきりしているので、成功率は高いようですね。
しかし、発症、即手術とは素晴らしい!

投稿: camellia-02 | 2020年7月13日 (月) 22:35

先週 一時ブログが途絶えて、おやっ?と思ったことがありましたが・・手術 無事に終えてよかったですね。
今は、カテーテル技術も随分進歩して安心して任せられるようになりましたよね。

私も、13年前に不安定性狭心症でカテーテル手術を受け、今も冠状動脈に3本ステントが設置されていますが、おかげで何の異常もなく80才のくせして、いまだに六甲山頂上の山荘の管理人をしてます。(今年で8年目)
その前後、10年間で腰部脊柱管狭窄症で2回手術(ボルト2本設置)、膀胱癌で4回内視鏡手術(BCG挿入)と、10年間で7回入院手術をしましたが、なんだか嘘みたいに元気な人だと周囲の人から、よく言われます。
勿論、足腰の筋力はメロメロですが、なんとか持ちこたえています。はて?あとどれくらい元気でいれるものやら・・・?

不安解消されたエムズの片割れさんは、これからが、人生の旬!です。ますます頑張ってくださいね。

【エムズの片割れより】
ありがとうございます。
それにしても、幾多の苦境を乗り越えて、素晴らしいですね。
しかも、山の上に住んでいるとは・・・!!
自分も加齢で、これからも色々と部品に故障が出てくるでしょうね。
あこがれさんを見習って、向き合わねば!?

投稿: あこがれ | 2020年7月16日 (木) 15:47

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