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2020年7月の9件の記事

2020年7月29日 (水)

「偽札で死んだ彼、助かった私」~白人特権と差別

先日の朝日新聞にこんな記事があった。人種差別の現実である。

偽札で死んだ彼、助かった私 同じ容疑でも「笑い話」、これが白人特権だった 黒人男性死亡から2カ月

 米ミネアポリスで黒人のジョージ・フロイドさん(46)が白人警官に首を圧迫されて死亡した事件から25日で2カ月が過ぎた。「自分には白人特権がある」。テキサス州に住むある大学准教授はいま、そう確信している。フロイドさんと同じ「20ドルの偽札使用」の疑いで逮捕された経験があるが、結果があまりに違ったからだ。事件を機に、人種差別を問い直す意識が全米で広がっている。

 「ある者には肌の色が有利になり、ある者には不利になる。これを認識することから、社会の変化は始まる」。南メソジスト大で准教授を務めるマーク・マッコイさん(44)は言う。「みんな、もっと正直に、もっとオープンに、この問題を話さないといけない」

200729sabetu1  捜査当局の記録によると、フロイドさんは5月25日、小売店で20ドル札を出し、たばこ1箱を買った。だが、それは偽札で、店が警察に通報。警官4人がフロイドさんをパトカーに乗せるのにてこずり、白人警官が10分弱、手錠をかけたままフロイドさんの首をひざで押さえて死亡させた。

200729sabetu2  20ドルの偽札使用容疑。マッコイさんも大学1年の時、全く同じ容疑で逮捕された。一人旅の途中、コンビニで20ドル札を使用。通報を受けた警官から偽札だと告げられた。ATMでおろし、偽札だとは知らなかった。フロイドさんも、故意に偽札を使ったのかは明らかになっていない。

 マッコイさんは手錠をかけられ留置所で一晩過ごした。警官は親切で「手錠は外せないけど」と言いつつ夕飯を口に運んでくれた。200ドルで保釈された。

 この経験は長らく「笑い話」だった。だが、フロイドさんの事件後、「面白い話」ではなくなった。

 結果があまりに違う。准教授を務め、12歳の娘と3歳の息子がいる自分。そして、殺されてしまったフロイドさん。先月1日、こうツイートした。

 《私と同じような年齢で、同じように子どももいるジョージ・フロイドにとって、それは死刑宣告だった。私にとっては、パーティーで時折話すようなストーリーだ。みんな、これが白人特権なんだ》

 このつぶやきは60万回以上リツイートされ、200万以上の「いいね」を得た。「多くの白人が私と同じように感じる一方、それを表現する言葉を持っていなかったんだと思う」

 フロイドさんの事件を機に、多くの米国人が「白人特権」を意識するようになった。2カ月経っても各地で続く抗議デモには白人の参加者が目立つ。25日にもニューヨーク市だけで、数十カ所でデモがあった。

 「ある物事を成し遂げたとしても、一生懸命やったからではなく、外見のおかげだということがある。なぜ、黒人の人間性が否定されているのか。問い続けなければいけない」(ニューヨーク=藤原学思)」(2020/07/27付「朝日新聞」p4より)

これは米国の話ではあるが、我々の周辺ではどうか?
日本人として思い当たるのは韓国との関係。

200729kankoku最近、こんなニュースも流れた。韓国北東部の江原道・平昌にある「韓国自生植物園」が慰安婦像にひざまずき謝罪する安倍晋三首相を模した像を設置したという話。(ここ

白人の黒人への偏見。そして日本人の犠牲になった韓国の人の日本人への憎しみ。
種類は違うものの、民族間の差別という点では同じかも知れない。

またまた話は飛ぶが、いままでコロナの感染者ゼロだった岩手県で、今日、初の感染者2人が出たという。ニュースによると、盛岡市の男性は、関東地方のキャンプ場に行ってコロナを貰ってきたらしい。宮古市の1名は、まだ発見されたばかりで、現在調査中だという。

岩手県のコロナと言えば、こんな笑い話?を前に聞いたことがある。
200729iwate 岩手県に住む父に、東京に住む息子が「そろそろ帰っていいかな」と軽く言ってみたところ、返事は「絶対に帰るな」「岩手1号はニュースだけではすまない」だったという。(ここより)

やはり共通なのは「差別」。
米国のデモや韓国の像よりも、つい岩手の感染者を心配してしまう・・・

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2020年7月27日 (月)

弘田三枝子が心不全で死去 73歳~「私が死んだら」

夕方、こんなニュースがサイトに載った。

弘田三枝子さんが死去 73歳「ヴァケーション」「夢みるシャンソン人形」など
 歌手の弘田三枝子さん(本名・竹永三枝子)が21日に亡くなったことが27日、分かった。73歳。心不全だった。
 所属事務所によると、弘田さんは20日に千葉県内の自宅で倒れ、病院に搬送。21日に亡くなったという。倒れる前日まで変わりなく元気だったといい、すでに親族で密葬を執り行った。
 弘田さんは61年11月に「子供ぢゃないの/悲しき片思い」でレコードデビュー。その後「ヴァケーション」「想い出の冬休み」「悲しきハート」などカバーポップスでヒット曲を連発した。
 62年に「第13回NHK紅白歌合戦」に出場し、9年連続で出場。その後も「夢みるシャンソン人形」、アニメ「ジャングル大帝」の「レオのうた」、「人形の家」など大ヒットを連発する。
 今年はデビュー60周年で、記念曲やコンサートなどを予定していたが、新型コロナウイルスの影響で延期されていた。」(2020/07/27付「デイリースポーツ」(ここ)より)

弘田三枝子の歌は、前に「人形の家」を採りあげたことがあった(ここ)。

wikiを覗いてみると、生まれは1947年2月5日。自分より半年上なだけ。まさに同世代。

自分の知っている歌手が亡くなると、ついその人の歌を挙げたくなる。自分の持っている弘田三枝子の音源を開くと「私が死んだら」という歌があったので、今日はそれを挙げてみる。(この歌をどう捉えるかは自由)

<弘田三枝子の「私が死んだら」>

「私が死んだら」
 作詞:なかにし礼
 作曲:川口真

もしも私が死んだら あなた
きっと涙を流して あなた
見えなくなった 私の眼も
涙を流すでしょう
 白い絹をまとい 白い花にだかれ
 ひとり眼る私だけれど
 誰よりもきれいと 誰よりもきれいと
 あなたに言われたいの

もしも私が死んだら あなた
やさしい唄をうたって あなた
冷たくなった 私の耳に
くちびるをよせながら
 あなただけを愛し あなただけに生きて
 そして死んだ私だけど
 可愛い女だと 可愛い女だと
 思ってくれるかしら

 あなたのうしろから 歩いてゆけなくて
 胸が痛む私だけど
 はなしはしないよと はなしはしないよと
 両手に抱きしめて

200727hirotamieko wikiによると、この歌は、1969年12月10日発売で、昭和44年度日本レコード大賞歌唱賞受賞曲だという。歌唱力も認められていた。

それにしても、まだ73歳なのに、心不全で倒れ、翌日には帰らぬ人となる。本人もまだ死は予期していなかったのでは無いか。
最近、救急車のサイレンの音を聞くと、「また心不全だな」とツイ思ってしまう。癌や脳の病気と違って、心臓の病気は、アッという間に死に至る事がある。
でも73歳はまだ早いと思うが、ある程度歳を取った後は、心不全で急に亡くなるのは、本人にとってラッキーかも知れない。

先日来、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う51歳の女性が京都で死亡した、いわゆる嘱託殺人が報じられている。医師二人が関与したという。
本人は死にたい。しかし自分では出来ない。だから誰かに頼む・・・。
自分がこの病気を知ったのは、もう13年も前のこと(ここ)。そんな病気があること自体がショックだった。
その後、何度かALSについて採りあげてきた(当サイト左下の検索欄で「ALS」で検索)。

前にNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」(ここ)を見たが、もし自分だったら、同じ道を選ぶかも知れない。

自分と同年代の弘田三枝子が亡くなった報を聞くと、我々にも、その時がいつ訪れてもおかしくない歳なんだな、と思う。
さーて、それでどうする??

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2020年7月22日 (水)

いまだにWIN7を使っている話

あまり大きな声では言えないが、実は、自分はいまだにWIN7を使っている。
理由は簡単。WIN10では動かない古いアプリがあるため。

最新のOSのシュアをググってみると、2020/07/03付のマイナビニュース(ここ)に載っていた。

200722oswin7 それによると、2020年6月のデスクトップOSのシェアは、WIN10が58.9%、WIN7が23.4%、Macが4.5%、WIN8.1が3.0%だそうだ。
WIN7 のサポートは、既に2020年1月14日に終了し、それからもう半年も経ったのに、2020年6月現在で、まだ4分の1近くの人が、WIN7 を使い続けているという。
つまりは、大きな声で「まだWIN7を使っているぞ!」と言っても恥ずかしくないようだ。

これについては、「活字人間のPC活用術」というサイトの「それでも、私はWindows 7 を使い続ける」ここ)という記事を見付け、それを読んで大いに自信を深めた!?

この方は、「Windows 7 のサポートは、2020年1月14日に終了しましたが、2020年5月現在でもまだ4分の1近くの人が、Windows 7 を使い続けているそうです。「Windows 7(特に32bit版)を、可能な限り使い続ける」という思いを新たにしました。 」と宣言されているが、まさに同感である。

この方の記事は実に理路整然。WIN7のシェアの推移が載っている。それによると、1年半前の2019年1月のWIN7のシェアは、37.2%、2019年11月には、26.9%、そしてサポート終了の2020年1月は25.6%、2020年5月は24.3%、そして上の記事にあるように、直近の2020年6月は23.4%、つまりWIN7のシェアはほとんど下がっていない。

そしてこの記事で面白かったのは、「WIN7サポート終了」キャンペーン(ここ)に対する氏の反論。

「サポート=電話相談だけじゃない 
 ← そもそも、この意味では、まともなサポートなどなかった 

更新プログラムなくなると、ウイルスやサイバー攻撃から無防備になる 
 ← 発売から10年以上経っているのにまだバグが残っているなら欠陥OSという外ない。その程度の技術力なら、Windows 10 も安心して使えない

使えるソフトウェアや周辺機器も少なくなる 
 ← これまでのソフトが使えなくなるのが問題。Windows 10 でしか使えないプリンターが発売されることは考えられない」ここより)

いやはやその通り。そもそもWIN7は発売が2009年10月というから、もうバグ潰しを10年以上やっている。自分も「まだあるのか?」と言いたい。

とは言え、日々刻々攻撃は続く。
200722essentials 一方、「Microsoft Security Essentials」は引き続きサポートされている。それも毎日のように。どうも2023年まではサポートされるようである。

「Microsoft Security Essentials の概要
Microsoft Security Essentials は 2020 年 1 月 14 日にサービスが終了し、ダウンロードできなくなりました。 Microsoft は 2023 年までは引き続き定義の更新 (エンジンを含む) をリリースし、Microsoft Security Essentials が現在実行されているシステムにサービスを提供いたします。・・・」ここより)

まあ2023年までは、安心して?使えそうだな・・・

再度、なぜ自分はWIN7にこだわるか? OSよりもPC本体にこだわりがある。
前に何度も書いているように、自分の愛機は、東芝の「dynabook k16」(ここ)。何と2006年11月発売の骨董品である。これを会社と自宅とで、使い続けた。理由は、キーボードと自分の手の相性。XP ⇒ WIN7 ⇒ WIN10とOSを替えて使い続けている。もちろんWIN10版のK16も用意はしてある。ただ、まだそちらに移行していないだけ。WIN7機が壊れたら、しかたなく交換?

現用のPCのK16、14年前の骨董品と言っても、SSDに換装すればサクサク動く。画面の解像度や色は不足気味だが、実用上はまったく困らない。
それに、電子納税(e-Tax)をはじめ、何をするにも、WIN7で今まで困った事は無い。
もちろん、使い慣れたアプリは全部動く。

世の中のOSの1/4がWIN7であるという現状に、今後もMicrosoftが無責任に放り出すことはしないだろう。もしWIN7のサポート終了が原因で、世界中が大混乱に陥った時、やはり責任はMicrosoftにも降り掛かってくる。

よって、上の氏と同様、自分も「Windows 7(特に32bit版)を、可能な限り使い続ける」という思いを新たにしたのであ~る。

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2020年7月17日 (金)

医者から難聴の治療を見放された話~メニエール病疑い??

3ヶ月通っていた大学病院の先生から、右耳の難聴の治療を見放されてしまった。改善は見込めないと・・・。
音楽やオーディオを趣味とする自分としてはガックリだが、自分への備忘録として、ここに経緯をまとめ、自分への心のけじめとしたい。

14年前(2006年11月2日)に「耳が壊れた(突発性難聴)話」(ここ)という記事を書いた。1998年7月に発症した右耳の突発性難聴の記事である。それから22年になる。
今回のは、同じ右耳の「メニエール病疑い」である。

22年前にやった突発性難聴で、右耳の聴力は、1KHz以下が35dB程度を保っているが、2KHz以上は60dB以下で、完全な高域難聴。それに対して正常な左耳は、今でも20dB~5dBで、何とか正常範囲を保っている。
昔の電話機の規格が、300~3400Hzの帯域だったことからも分かるように、人間の音声の帯域は、そんなもの。つまり音声帯域における自分の耳の左右差は、15dBほどだったので、音楽を聞いても、ボーカルの音声は、左右で同じように聞こえた。つまりヘッドホンで聴いてもボーカルの音声が中央に聞こえて、それほど違和感は無かった。
しかし、今度のは違う。今では、全帯域で70dBまで落ちてしまっている。これでは聞こえない。右chが聞こえないので、ステレオ感はゼロ。加えて、大きな音が、割れる。歪む。幾ら良い音で聞こうとしても、受ける耳の方が、これでは完全にお手上げ!

スマホに「聴力検査」という便利なアプリがある。多少の誤差はあるだろうが、少なくともトレンド(傾向)は分かる。
今回の発症は2020/3/6。低音の耳鳴りと聞こえが悪いのに気付いた(高音の耳鳴りは昔からあるが)。「聴力検査」で測ってみると、1KHz以下が従来より10dBほど下がっている。しかし翌日には戻った。その後も、少し聴力は変動していたが、3月30日頃からは更に悪化。4月1日に測ってみると1KHz以下が40~55dB。しかも音が割れている。これは完全な難聴だ。原因は加齢かと思って、病院に行く気にはなれなかった。

そして(2020年)4月8日の夜9時、うたた寝から目を覚ますと、回転性の目まい。2時間ほど続いた。
これで、勝手に判断。“これはメニエール病である。”
翌朝(2020/04/09)、近くの大学病院の耳鼻科に行く。聴力検査を受けてから、診察を待つ間、嬉しくなった。病院で嬉しくなったのは初めて。原因不明よりもメニエル病だと、治療の可能性がある。突発性と違って手遅れが多分無い。から・・・

聴力検査ではやはり1KHz以下で45~60dB(2KHz以上は、元々60dBの難聴なので評価しない)
病名は「メニエール病“疑い”」(回転性目まいが1度だけで、繰り返さない為)で、ステロイドとメニエール病の薬を貰う。昔飲んだことのある、イソバイドという不味い水薬も。
薬を飲み始めて5日~10日間ほどは、ステロイドの効果か、変動しながらも、聞こえは良くなったことがあった。しかし、それが最後のあがきだった!?
1週間後に病院に行ったが、「劇的に良くなっているわけでは無い。目まいの薬とステロイドは止める」との診断。(結果として、それから2ヶ月間、聞こえない状態が続いている)

1ヶ月後(2020/05/14)、聴力検査での結果は最悪。全ての帯域が70dB以下で、高度難聴の世界。1ヶ月後に、聴神経腫瘍のチェックのため、MRI検査をする事になる。

そして2020/06/12に、頭のMRI検査。これは20年前の突発性のときもやった。今回は造影剤も入れず、直ぐに終わった。そして診察。
「MRIは異常なし。聴力検査は前回同様。3ヶ月飲んで薬が効かないなら止めるか?」という話も出たが「薬はしばらく続けたい」と言った。
薬剤師に聞いたら半年も1年も続けている人も居るとか。徐々にだが、改善する例があるという。

近くの調剤薬局の女性の薬剤師さんも、「イソバイドはメニエール病の特効薬なので、時間はかかるが、必ず良くなりますから」と元気付けてくれる。
しかし、状態は変わらない。自分が大きな声を出すと、右耳にビンビン響く。

イソバイドを飲み始めて3ヶ月余・・・。昨夜考えた。そろそろ哲学(人生観)の世界!?
Netでイソバイド(メニエール病の水薬)をググっていたら、メニエール病の研究で最も進んでいるという北里大学の文献が見つかった(ここ)。

200717isobide そこに、症例報告として、4年間に亘ってイソバイドを、隔日、3日おきに服用して聴力が復活した、という報告が載っていた。
イソバイドは、とにかく不味くて飲みにくい水薬だ。20年前にも飲んだが、今はその時よりは改善されているが、長期間、1日3回飲んでいると、さすがにイヤになってくる。それに、症状が改善されるのなら我慢も出来る。しかし、今回は何も改善されないで3ヶ月間飲んでいる。
200717isobaido 自分も、上の薬剤師さんの話を聞いて、少なくても半年は飲んでみようかな、と思っていた。しかし、その決心?も最近グラついていた。反応がないので・・・
しかし、文献には4年も飲んだ人が居た、とある。これは目まいの症状のある人なら、それを避けるために飲むこともあろう。しかし、日常生活に支障が無い片耳だけの難聴の場合、4年間の我慢に匹敵する効果が今後得られるか? 確かに自分の場合は、両耳でステレオを聴きたい。という希望はある。しかし、あの不味い水薬を、良くなるという確証も無いまま、4年間も続けられるだろうか・・・。自問自答した。

色々考えたが、とりあえずあと1ヶ月は続けてみようと思って診察にのぞんだ。しかし今日(2020/07/17)の医師の言葉は、あっけなかった。
「今日の検査結果をみますと、残念ながら変わりないですね。いわゆる変動といって、動きがあるかどうか見ていたんだが、5月からは変わりないですね。ですから水薬を飲んで貰っているんですけど、特段良くなっている感じも無い。薬はいったん終わりです。まあ不自由だとは思うんですけど段々慣れて頂くしかないですね。次は3ヶ月位後に検査してどうか。というのがひとつの評価ポイントになる。
3ヶ月後も同じ聴力であれば、この先もその聴力で残る。悪くも良くもならずに。
次の結果が突然にもっと悪いとか、良いとかになると、話は変わってくる。だから経過としては、残念ながら治っているわけでは無いが、最初にちょっとステロイドも飲んで貰ったし、イソバイドの効果は感じられないので副作用とかの可能性も考えると、続けられない。
(今後飲み続けても期待は出来ない?)何とも言えないが、飲んでみないと分からない部分はあるが、副作用という懸念もある。もちろん副作用がでないかも知れない。ただこの3ヶ月で何らかの反応が欲しかった。続ける根拠として。我々(医師)としては。
逆に、止めたことでもっと悪くなることがあれば、また再開というのは、アリかも知れない。それはもちろん自覚すると思うので、変化があった時は来ていただいて検査して、悪くなっているようならもう一回再開というのも考えます。
今回の新たなポイントは、イソバイドを止めてみることでどうなるのか。変わらないのか、悪くなるのかを見たいと思います。」

確かに、薬を飲み続けていても症状に変化が無ければ止めるのは当然。それが3ヶ月かどうかは別にして、薬は体には良くない毒物なので・・・。

医師の話を聞いて、自分はただひと言。「残念!」

タイトルの「見放された」というも少々言い過ぎかも知れない。でも自分にとっては、ある意味、宣告だった。

前の突発性難聴のときに色々と教えて貰ったメニエール病の先輩である同期入社のT君の、最近もらった経験談を踏まえたメールの一部である。
「悪い左の耳がおかしくなった時は、すぐに市立病院に行って、そこで慶應大学病院を紹介してもらい受診しました。
その当時は(1986年)ステロイドという治療はなく、利尿剤や、血行を良くする薬で治療をしたと記憶しています。
でも、結局良くなったり悪くなったりして今は、聞こえないままです。
聴力検査でも、今は70~80dbのレベルで、殆ど聞こえません。
もうあきらめてから20年以上は経ちますね。

その当時は、片側が聞こえないとしても、単に6dB入力レベルが下がるだけと割り切りました。
音楽を聴くとなるとそうはいかないでしょうが。
なお、耳鳴りは、難聴になると避けられないようです。
今も、結構大きめの耳鳴りはしています。
(エムズ)さんは、左側が正常なので、右の治療の効果が無くてあきらめても、日常生活にはあまり問題ないでしょう。
年なので、それでよしとすることも一つの解決でしょうか。」

経験者として、なかなか含蓄のあるアドバイスである。

方丈記の冒頭は「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」

何でも、永遠に同じ状態でいることはできない。仏教で言う所の「生老病死」のプロセスでもある。
加齢で体は衰える。そして体の最も弱い部分が、病気として表に出てくる。自分の場合は耳だったということ。もしメニエール病だとしても、目まいの発作が1度だけ、というのは有り難い。難聴よりも回転性目まい発作の方が厳しい。どこにいても立っていられなくなる、という。

最近、よく遺伝のことを思う。お袋も、伯母も、兄貴も難聴だった。どちらかと言うと加齢性難聴だった。でも血統的に、やはり耳が弱いのでは無いか、と思ってしまう・・・
だから自分も難聴でも仕方が無いのかな・・・と思い込もうとする。

いずれにせよ、難聴の話は今日でオシマイ。先日は心臓の話はオシマイした。
今日は、趣味の矛先を、音楽(オーディオ)から読書に切り替えるけじめの日なのであ~る!!

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耳が壊れた(突発性難聴)話 

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2020年7月15日 (水)

岸田智史の「黄昏」

久しぶりに、改めて聞くとグッとくる曲がある。今日は、岸田智史の「黄昏」である。
この曲は、以前に原大輔の歌で紹介した事がある(ここ)。

今日は、オリジナルの岸田智史で聞いてみよう。

<岸田智史の「黄昏」>

「黄昏」
  作詞・作曲:岸田智史

枯葉散る 季節になって
靴音さえも 消えました
何故でしょうか…
淋し過ぎて 胸の震え止まらない

コート無しの 身体寄せて
歩く二人は 恋人なのに
追いかけても
今あなたの 心何処に遊んでいるの

いつも通りに あの角まで
送ってくれますか?
ふりむかないで お別れに
心が心が 乱れます…

黄昏の 街を行く
一人ぽっちの 長い影
離れてても
あなただけは 陽ざしの中歩いてほしい…

あなたをもっと 知りたかった
私をもっと 見せたかった
それも無理ね…
このままでは 思い出さえも壊れそうだもの

いつもどおりに あの角まで
送ってくれますか?
ふりむかないで お別れに
涙が涙がこぼれます…

黄昏の 街を行く
一人ぽっちの 長い影
離れてても
あなただけは 陽ざしの中歩いてほしい…

Netでググってみると、この曲は、1977年1月21日発売の「パーマネント・ブルー」というオリジナルファーストアルバムの収録曲。それが1977年6月にシングルカットされたらしい。
このオリジナルの音源は、長い全曲盤(5:11)と、エンディングの約40秒をカットしたバージョン(4:28)があるらしい。自分はエンディングの演奏が好きなので、「パーマネント・ブルー」の音源を挙げてみた。

そしてこの歌には、2016年10月5日に発売されたニューバージョンがある。
これも聞いてみよう。

<岸田智史の「黄昏」(ニューバージョン)>

新発売から40年後の再録盤である。
40年も経つと、声質が大きく変わる歌手がいる。自分からみると、井上陽水やさだまさしなどは、若い頃の声と今の声とは大きく異なって聞こえる。それに対して、この岸田智史の声や歌い方は、24歳と63歳の声があまり変わっていないのに驚く。

もちろん編曲(伴奏)は全く違う。まあ好みだが、自分は1977年盤の方が好きだな・・・
ちなみに、編曲は、編曲者のまったくの自由だそうだ。しかし、オリジナルの編曲(伴奏)を超えるセルフカバー盤は、自分はほとんど聞いたことが無い。まあ良くなったのは、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」のテイチク盤(ここ)くらいかな・・・

最近、難聴の右耳の調子が更に悪くなり、自分の音楽人世もそろそろ「黄昏」かな?と思っている今日この頃である。

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2020年7月12日 (日)

心房細動と心房粗動をカテーテルアブレーションで退治してきた話

2020年7月8日から11日まで、行き付けの大学病院に入院して、持病の心房細動と心房粗動をカテーテルアブレーションで手術してきたので、今日はその話。
たぶんこれで完治したはずなので、(自分の頭からこの言葉は消えることになるので、多分・・・)、自分への備忘録。

今回の心房細動(ここ)と心房粗動(ここ)ついては、横浜労災病院のサイトに詳しい解説があるので、ここでは省略。

そもそも自分が最初に心房細動を発症したのは、1984/7/2の36歳の時。会社の帰りにビールを飲み発症(脱水)。その時は、翌朝止まったので病院には行かなかった。
次にメモが残っているのが、2004/7/5の56歳の時、帰宅のバスの中で発症。この時も飲み会で紹興酒をしたたか飲み、暑い日だったので脱水。翌朝になっても止まらないので、近くに新しく出来た大学病院に行った。この時は、点滴を入れた途端に止まった。いやはや”薬の力はズゴイ”と感心したもの。そして医師に言われた。「発作性心房細動です。これが48時間以上続くと、長嶋さんと同じ脳梗塞を起こし易くなる。これからは、飲酒の時には必ずウーロン茶を1リッター位飲むつもりで、脱水症を避けて下さい」
そして今後発症したときの頓服として、シベノールという薬を貰った。

その後、2004年、2005年、2011年に1回ずつ発症したが、貰ったシベノールを飲んで止まった。
しかし2013年には、3回発症。12月末の3回目は、薬では止まらず、やはり翌朝大学病院に行って点滴で止まった。
そして2014年(66歳)に2度発症した時は、2度とも飲み薬では止まらず、それぞれ点滴と電気ショックでやっと止まった。この2014年の2度目の時に一緒に発症したのが心房粗動。以降病院に通って薬を飲み続けることになった。
考えてみると、発症のほとんどは暑い日の飲酒のとき。脱水が原因らしい。

シベノールを徐々に減らしながら飲み続けていたが、発症しないため、3年半後の2017年11月に、一度薬を止めてみることにした。
するとてきめん、半年後の2018年6月に再発。
「再発してしまいました」と言ったら主治医から「治っていないのだから再発もクソも無い。前から言っているように、手術しようよ」と言われて、薬を再開。
そして昨年の2019年の10月の発症では、薬で止まったものの、今年2020年5月18日の夜に、自宅で心房粗動が発症。血圧が下がり、余りに苦しいので、夜中に#7119に電話したら「冷や汗が出るのなら病院に行った方が良い」と言われ、19日の夜中2時半に、生まれて初めて救急車を呼んでしまった。
救急車の中で測ったら脈拍が204。今回は病院で点滴で薬を入れても簡単には下がらず、3時間かかってやっと120まで下がって、帰ることが出来た。そして決心した。「手術をしよう!」。
(心房細動は、まったく気にならない人が半分居るという。しかし自分の場合は、血圧が下がって苦しくなる)

昼になって、予約外で主治医の外来に行って、手術をお願い。コロナの影響で、検査等の病院内の機能が止まっているが、6月になれば再開出来るだろう。との見込みで、とりあえず手術は7月9日を予約。そのためのCT検査は、6月30日と決定。その時に、合わせてコロナのPCR検査もするが、陽性だったら手術は無しで、即隔離!とおどかされた。

それからの1ヶ月余の長かったこと。一番キライな手術が「待ち遠しい!」ナンテ言う経験は初めて。6月30日のCT検査は、造影剤を入れての検査。それをもとに作戦を練るらしい。また、心臓のどの部分を処置するかは、事前に心電図で分かるとのこと。自分の場合は、全てのデータが同じ病院にあるので最強。
(実は長男も、たまたま大田区の大学病院に他の病気で入院している時に、頻拍が発症。病名は上室性頻拍。36歳だったので、教授から「若いので強くカテーテル手術を勧める。そうすればこの病気を忘れることが出来る」と言われ、2012年11月にカテーテルアブレーション手術。この時は、2泊3日の入院。部分麻酔で手術時間が2時間。息子がやったのだから、自分が出来ないとは言えない。が今回手術を受けるきっかけ?遺伝としても、完治するのでラッキー!?)

7月8日予定通り入院。採血、心電図、レントゲン等の検査。翌日の手術予定は、8:45スタートとのこと。入院や手術は、コロナで押さえられていたが、今週のアブレーションは自分が3人目らしい。(この病院の前年2019年の心房細動の実績は165件とのこと)

7月9日未明のAM4:40、ふと目を覚ますと心房細動が発症していた。やはり苦しい。それから手術までの4時間が、長かったこと! 8:40に看護師さんの車椅子で手術室に出発。看護師さんは「心房細動が発症していた方が、かえって手術はやりやすいのでは?」とのこと。(発症していないと手術は出来ないので、いつもは薬で発症させて手術するらしい・・・)

手術室に入ると、スタッフの人数の多いこと。数十人?自分の手術だけでは無いのだろうが、あまりの人数の多さにビックリ。
200712syujyutu 最初にされたのが、食道への温度計の挿入。事前には言われていたが、これが痛いのなんのって。乱暴な主治医め!!涙がポロポロ・・・。
後で聞くと、手術は、リーダーの准教授を先頭に自分の主治医ともう一人の3人の医師チームがやってくれたらしい。(この病院の医師リストを見ると、アブレーションの専門医が4人居る)
数人がかりで、体中にセンサーをベタベタ。数十個か。寝かされて、口に当てるマスクの大きさを選んで「身体拘束をしますが、直ぐに眠くなりますから」と言われ、体の両側から締め付けられているな、下の毛をバリカンで刈っているな、と思うまもなく寐てしまった。よって尿管カテーテルを入れる痛さも分からなかった。

「**さん、分かりますか」の声で目を覚ますが、まて寐てしまった。後で聞くと、手術時間は、事前に主治医から聞かされていた1時間半が、「何も無く、すごくスムーズに65分で終わった」とのこと。しかし、部屋に戻ったときに目を覚まして、看護師さんに聞いた時刻は11時だった。つまり術後の1時間余は、ICUかどこかで寐ていたらしい。

これも後で部屋に来た医師に聞いたところでは、左右の鼠径部から入れたカテーテルは計5本。静脈2本の各2ヶ所と動脈1本から。それに右の首から1本。
心房細動は冷凍凝固アブレーション(冷凍焼灼術・クライオアブレーション)で、心房粗動はカテーテルアブレーション(高周波アブレーション)で処置したとのこと。
なお冷凍アブレーションは、日本では2015年から開始され、2019年には第4世代となっているという(ここ)。
(2014年の当初から、散々医者に手術を勧められていたが、6年間待った甲斐があった!?)

ここから、ツライ術後の一日がスタート。血液サラサラ薬を1か月前から飲まされていたこともあり、鼠径部からの出血が非常に怖く、上を向いたままの姿勢で翌朝まで。これがとにかくツラかった。だんだんと腰や背中や尻が痛くて参った。同じ手術をする人は、皆「治療より動けない方がツライ」と言ってるという。

体を動かせない以外はいつも通りなので、昼から食事も出た。寐たままで、食事介助をされて食べたのは初めて。ヨイヨイ?になったら、毎回こうなるのかな、と思いつつ・・・
昼は、ヘルパーさんのおばさん。そしてそのヘルパーさんが言う。「土曜の選択メニューはどうされます?」。聞くと、この病院では(水)と(土)は選択メニューで、七夕のような時は行事食が出るという。病院も色々考えてくれているようだ。でも徹底した減塩食。食事介助のときに左手に持たされるお握りも、塩がまったく付いていない。

しかし、入院・手術でも、ひとつ位は良いことがあるもの。夕食の食事介助は、何と、たまたまバイトで来ていた高校を出たばかりの看護実習生(看護の専門学校1年生)の女の子だった。自分も気分を良くして、色々と雑談。母親が看護師で、その母親から「取っておきな」と言われて看護師の資格を取ろうとしているとか。この病院には、学校が終わって6時から8時までのバイト。
「看護師資格は良いよ」と褒めたら、「本当は作業療法士などの方が、定時に帰れて、給料は同じなんですが」と言っていた。実習生として出来ることは、食事介助とオムツ交換だけとか。

話は飛ぶが、この1日の上を向いた“魔の時間”は、小の方は尿管カテーテルを挿入するが、大の方はオムツを当てたそのままで済ますという。ああ、大の方が出なくて良かった。こんな19歳の女の子に下の始末して貰うなんて、幾ら72歳のおじいさんでも、とても頼めなかった!?

夜の担当の看護師さんは若い男性だった。最初は、ハズレと思ったがどうしてどうして。
とにかく話し好きで、雑談が多かった。上にも書いたが、「1日上を向いて寐ているのは、治療よりもツライ」というのは、皆さんが言っている、とか。「学生時代に、自分も8時間上を向いて寐ることを体験させられたが、ツライですよね」とか・・・
そして、なぜ上を向いていないといけないかを説明してくれた。鼠径部からの出血が合併症としては最も怖いので、そうしている。寝返りで、横を向こうとすると、必ず鼠径部の関節が曲がり、せっかく圧迫しているのが解ける。それがダメ。よって、常に足を伸ばしている必要がある。もし横を向きたいのなら、看護師が手伝って、足を伸ばしたまま横になり、背中に硬い枕を当てる。そして、もし眠っていて、足を曲げているのを見付けたら、勝手に足をヒモで縛る。とまで言っていた。
その話を聞いて、横向きにして貰ったが、それはそれでツラかった。でもそのお陰で、朝方少し眠れたよう・・・

それと、血圧。これが目標110なのに、血圧を上げる点滴を入れても80台から90台で、110まで上がらず、1時間おきに看護師さんが血圧を測りに来た。手術の翌日も同じ。結局医師が言うには「手術をすると、そんな人も居るが、心配無いですよ」。案の定、退院して翌日には、平常の値に戻っていた。

とにかく翌朝8時過ぎの、下腹部の固定と尿管カテーテルを外すのが待ち遠しかったが、夜勤の担当医が、たまたま手術をしてくれた当人だったので、6時過ぎに外しに来てくれた。しかし尿管は看護師さんの仕事らしく、日勤に交代した後の9時過ぎだった。
「抜く時は、少し痛いですよ。抜いて良いですか?」・・・。若い女性看護師さんに、先をつままれて、管を抜く。イタタタ・・・。これが意外と痛い。でもこれでやっと動けるようになった。
最初のオシッコには赤い血が・・・。でも直ぐに普通のオシッコになったのでホッとした。

結局、血圧とオシッコの量に翻弄された術後の2日間だった。
しかし、医師から「色々な検査結果も悪くないので、予定通り明日退院して良いですよ」で、ヤレヤレ・・・

まとめると、この病院は色々と良く管理されていると思った。担当の看護師さんは、まだ1年目なので、点滴交換など、何をするにもベテラン看護師さんを呼んできて、一緒に確認して貰いながら(ダブルチェック)作業をしていた。それに、病院全体が、何をするにも「お名前と生年月日を言って下さい」である。それが配膳の時も同じなのである。医療過誤防止が徹底しているな、と感じた。

話が飛ぶが、自分は病院に行く時には、必ずICレコーダーで医師の話を(内緒で)録音することにしている。そして、必要な時には文字起こしをする。聞いただけでは、内容のほとんどを忘れてしまうからである。今回も、手術日は病室で録音していたが、後で見ると、17時間で、ICレコーダーがバッテリー切れで止まっていた。

むしろスマホで録音しておいた方が良かったなと反省。スマホは充電しながら「ボイスメモ」で録音し続けることができる。1GBで37時間も録音出来る。よって、充電コードをつないだままセットしておけば、何時間でも録音出来て良かった!?

今回の手術ではラッキーなことが重なった。まずコロナ。ずっと手術が出来ない状態だったらしいが、運良くコロナが下火の今、手術を受けられたことはラッキー。たぶん今後は、第二波の宣言が出て、また手術が止まるかも・・・
そして上にも書いたが、不整脈を止める薬を手術の4日前から止められてしまった。もしその間に発作が発症していたら、どうすれば良かったか・・・。運良く、手術の直前まで発症しなかったので、苦しさも短時間で済んだ。ラッキー!
そして、下の世話を看護師さんに頼まなくて済んだこともラッキー。幾ら何でも、まだ下の世話をされるのはイヤだよね。
もちろん、手術が短時間に終わったのも、トラブルが無かった証拠でラッキー!

そして大学病院といえども、それぞれ得意分野があるということが分かった。たまたま自宅近くのこの大学病院は、カテーテルアブレーションに特化していたのでラッキーだった。

再発しない確率は、この病院では85%だという。これで完治すれば良いが・・・。

罹った病気は、完治するものは人間、忘れてしまう。今回の自分の持病だった心房細動・心房粗動も、原理的には完治したはず。術中も術後も特に異常な状態にはなっていないため。
確かに体のあちこちに内出血があるが(どうして出来たのかは知らないが)、これらは時間とともに消えるだろう。
この2つの持病も、今日のこの記事を最後に、自分の頭から消えることを期待したい。

「何も無い」ことがどれほど幸せか・・・
お疲れさまでした!?

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2020年7月11日 (土)

山崎ハコの「橋向こうの家」~ギタリスト安田裕美さん死去

先日、こんなニュースが飛び込んだ。

山崎ハコの夫でギタリストの安田裕美さん死去 72歳、大腸がん
 シンガー・ソングライター、山崎ハコ(63)の夫でギタリストの安田裕美(やすだ・ひろみ)さんが6日午後2時33分、大腸がんのため死去したことが7日、分かった。72歳。北海道小樽市出身。山崎の所属レコード会社であるテイチクエンタテインメントから発表された。本人の遺志により、通夜・葬儀は行わない。お別れの会を開催する予定。
200711yasudahiromi_yamazakihako  安田さんは獨協大中退。小室等らのグループ「六文銭」の初期メンバーで、井上陽水(アンドレ・カンドレ)のデビューシングルのスタジオ録音でプロデビュー。陽水、小椋佳、山崎らのレコーディングや松山千春、中村雅俊、アリス、海援隊、堀内孝雄、石川さゆりらのアレンジなどで知られ、日本を代表するスタジオミュージシャンの1人だった。
 2001年1月に山崎と結婚している。

 山崎のコメント全文は次の通り。
  ◇  ◇
 大変な事ばかりの中、心苦しいのですが、山崎ハコよりお知らせさせて下さい。
 私の夫でギタリストの安田裕美が7月6日、午後2時33分 永眠いたしました。
 大腸癌、72歳でした。
 音楽業界の皆様には、50年以上もの間、スタジオミュージシャンとして、時には編曲家としてレコーディング等に呼んでいただき、沢山お仕事をさせてもらえました事、心より感謝申し上げます。
 又、数々のコンサート等で演奏させて頂きました事、関係者の皆様にお礼を申し上げます。長い間、お世話になりました。本当に有り難うございました。
 そして、彼のギターを沢山聴いて下さった安田裕美ファンの皆様、ありがとうごさいました。
 コロナ感染が収束していませんので、今は通夜、葬儀・告別式は行わない事を、慎んでお知らせいたします。
 「お別れの会」としましては、いつか 音楽溢れる、最初で最後の「安田裕美の会」をやりたいとは思っていますので、可能な道が見つかりましたら、必ずお伝え致します。
 私も今は悲し過ぎて 色々な事を考えられませんが、かけがえのない命、皆様のお健やかな事とご自愛を、心よりお祈り申し上げます。
 2020、7、7 山崎ハコ  」(2020/07/07付「デイリースポーツ」ここより)

実は、自分は安田裕美のファンだった。あの柔らかなギターの音。編曲も実に自然。
非常に優秀なギタリストとして様々なレコーディングに参加している。
そして山崎ハコの夫として二人の共演はあまりに有名。

1曲聞いてみよう。「橋向こうの家」の新しい方の録音である。

<山崎ハコの「橋向こうの家」>

「橋向こうの家」
 作詞・作曲 山崎ハコ
 編曲:安田裕美

淋しかったら いつでも 来てね
私と いっしょなら あんたは幸せ
まずい酒しかないよ 陽当りも悪いよ
でも 淋しかったら おいで

八つ当りでもすりゃ 気分も晴れるわ
ガブ飲みはだめよ おしゃくをするわ
空かんの灰皿 うるさい電車の音
そう こんな部屋だけど 又ね

身の上話は 聞かない約束
私が いくつでも かまわないこと
うすい布団の上で お国自慢でもしてよ
ほら たばこの煙も 踊るわ

私は いつでも ここに居るから
昼でも 夜でも ここに居るから
あの橋を渡り 川沿いの この家

ねえ 淋しかったら おいで
淋しかったら 来てね

自分と数か月しか違わない72歳。あまりにも早い。
しかし、我々も、そんな年代になってきたと言うこと。
とにかくご冥福を祈る。

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2020年7月 4日 (土)

「睡眠中に起きていること」~藤田紘一郎氏の話

先日、こんな放送を聞いて、またまた「ヘエ~」と思った。
2020/06/21にNHKラジオ第2で放送された「こころをよむ 腸内細菌のチカラ~心と体を健やかに「睡眠中に起きていること」」である。

NHKのサイトにはこう解説がある。
「こころをよむ 腸内細菌のチカラ~心と体を健やかに「睡眠中に起きていること」
   東京医科歯科大学名誉教授…藤田紘一郎
200704chounaisaikinnnochikara 最近、睡眠の変化が腸内細菌の組成や機能に影響を与え、また腸内細菌自体が宿主の体内時計に影響を与えることがわかってきました。一方、テレビやスマートフォンの画面から発するブルーライトは体内時計が調節している睡眠と覚醒のリズムを乱すこともわかっています。多様な生活様式をとる現代人が健康を維持するためにも大切な睡眠について、腸内細菌やホルモンとの関係も踏まえながら考えます。」(NHKのここより)

<腸内細菌のチカラ~心と体を健やかに「睡眠中に起きていること」藤田紘一郎>

今回は、4月からのシリーズの第12回。今までは、腸内細菌の話を、何となく聞いてきたが、今回の睡眠のテーマは、なかなか“目が覚める”「ヘエ~」だった。

本来なら、この講義のエッセンスを抜き書きする所だが、止めておく。体内時計の話など、なかなか興味深い講義なので、ぜひオリジナルを聞いて下さい!
この12回を聞いて、にわかにテキストが欲しくなり、NHK出版に注文してしまった。ネットでググっても、全て売り切れだったが、さすがに出版元ではまだ売っていた。
12回の分を(ここ)に置いておくので、良かったら見て下さい。

人間の体内時計の周期は24時間10分で、これは地球の自転との関係で、少しずつずれていくので、それを地球のリズムに合わせるためにリセットするのが睡眠の役割とか。そのリセットの朝日を浴びることの重要性。
また子どもの時は、時間の流れを長く感じるが、年を取ると時間の流れが短く感じられるのは、体内時計の劣化が原因とか・・・
滑舌が少々惜しいが、なかなか面白い話なので、40分ぜひ聞いてみて下さい。

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2020年7月 1日 (水)

「カビが生えた食べ物、大丈夫?」+牛乳の賞味期限

雨が降り続く梅雨。ふとこんな記事が目に付いた。

「カビが生えた食べ物、大丈夫?」
 じめじめした季節。朝食はパンと決めているインコさんは、まとめ買いしておいたパンを焼こうとしましたが、よく見ると…

Q  パンにカビが生えたけど、そこだけ取り除いて食べちゃおう。

ヨミドック  何ですって? カビが見えない部分にも菌糸が広がっている可能性があります。カビが生えた食べ物には、カビ以外の細菌も繁殖していることがありますよ。

Q  大腸菌のような細菌は食中毒を起こすんでしょ。カビも体に毒なの?

200701kabi  病原体になり得る微生物は主に、細菌、真菌、ウイルス、原虫の四つがあります。カビは真菌です。細胞構造が異なる細菌とは別の生物ですが、アレルギーや食中毒を起こしたり、長期間とり続けるとがんになるものもあります。
 ジャムなど糖分を好むタイプ、卵、魚や肉などたんぱく質を好むタイプ、チーズやバターの脂質を分解するタイプのカビがいます。

Q  カビの生えたお餅、食べた記憶があるんだ……。

 食べても症状が出ないことが多いのです。もし腹痛や下痢などの症状が出たら、スポーツドリンクなどで水分を補給して休むこと。症状が重い場合は、医療機関を受診した方が良いでしょう。

Q  カビって悪いヤツだね。

 細菌を攻撃する抗菌薬の原料や、植物の成長を促す物質はカビから生み出されました。お酒やパン作りなどに欠かせない酵母やキノコもカビの仲間。役に立っています。

Q  いつの間にか生えている。どうやって増えるの?

 空中に漂うカビの胞子が食べ物などに付くと、それを栄養に芽を出し、菌糸を伸ばして増えます。成長すると胞子を飛ばして、他の食べ物などに付きます。温度が20~30度、湿度が80~100%の高温多湿を好みます。梅雨時はカビの天国です。

Q  カビを防ぐには?

 温度が10度以下、湿度が60%以下で繁殖を抑えられますが、死滅させられるわけではありません。焼いても安心できませんよ。カビは熱で死滅しますが、毒素が残ってしまうこともあります。

食べ物は、冷蔵庫で長期に保管するよりも早めに食べる方が良いでしょう。

(原隆也/取材協力=高鳥美奈子・NPO法人カビ相談センター主幹、川島彰人・新百合ヶ丘総合病院総合診療科部長)
     ◇
 ヨミドックは読売新聞の医療サイト・ヨミドクターのお医者さんキャラクターです。」(2020/06/20付「読売新聞」ここより)

今どきは、もちろんカビの生えた食べ物など口にしないが、思い出すと、子どものころ、カビの生えたお餅は、当たり前のように食べていた。もちろんその部分は削って・・・
昭和30年代。自分が小学校の低学年の頃、自分の家では餅をつくことは無かったが、近所で一緒について貰うことはあった。四角の平べったいお餅が冷えると、包丁で小さな四角に切った。それを保管しておくのだが、いつの間にかカビが生えた。
青いカビは大丈夫だが、赤いカビはダメ。ということを聞いていた。
それらを包丁で取って、いつも食べていた。それで中毒にかかった記憶も無い。
しかし、それはお餅だけのことで、それ以外はやはりヤバイらしい。

今のお餅は、スーパーで包装された物が売っているため、カビの心配は無い。もちろん自宅でつくことも無くなった。

それにしても、今は全ての食品に、賞味期限やら消費期限が書いてあるため、分かり易い。

前に「賞味期限切れ~いつまで食べられる?」(ここ)という記事を書いた。
それ以外にも、「賞味期限切れだって食べられる」(ここ)や「賞味期限切れ、「すぐ捨てる」派は7%」(ここ)という記事も書いた。

当サイトは、このテーマには興味が湧くようだ。

しかし、最近疑問なのは、牛乳の期限。今、冷蔵庫を見に行くと、牛乳には「賞味期限」と書かれていた。
Netでググると、こんな記事があった。
「牛乳は賞味期限が切れても飲めるの?未開封と開封後で期限が違う!?」ここより)
それによると「未開封なら賞味期限プラス1週間程度まで、消費期限の場合は期限内、そして開封後なら2日目程度までかどうかで、飲めるか否かのざっくりとした見当がつけられます。」とのこと。

「牛乳はパッケージにも記載されている通り、食品衛生法により保存基準が10℃以下と定められています。賞味期限とは、この10℃以下で「未開封のまま」冷蔵保存している場合に、その「年月日」までは「品質が変わらずにおいしく飲める期限」ですと保証する目安を示しています。」

「賞味期限が記された牛乳なら期限から1週間程度までは飲んでも問題ありません。そして消費期限が記された牛乳は、臭いや見た目に問題なく見えても、期限が切れたら飲まないことが推奨されています。
また一度容器を開けた場合は、空気中の細菌などが入ってきてしまうため、消費期限、賞味期限ともに日付は無効になります。
開封後からは消費期限、賞味期限にかかわらず、2〜3日以内(メーカーによっては2日間とするところも)で飲みきるか料理に使いましょう。」

今まで、開封しても「賞味期限」を目安に使っていた。それが、正解は開封後2~3日を過ぎたら、加熱した方が無難とは・・・

この記事を書くにあたって、カビだけにしておけば良かった・・・。なまじ牛乳を思い出してググったのが悪かった!?
これからは使い切れるように小さいパックだけを、スーパーで毎回買う事になるのかな・・・!?

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