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2020年6月の9件の記事

2020年6月28日 (日)

「令和落首考 2020年前半」

もう半年経った。例の落首考である。今朝の朝日新聞の記事である。
令和落首考 2020年前半 西木空人
 「トランプのさらなる狂気舞う年初」。朝日川柳の本年最初の句です(1月7日1句目)。イラン革命防衛隊司令官を米軍が殺害。両国関係はいっそう緊張しました。

 「まださほどトイレは近くないと見え」は翌8日掲載。カルロス・ゴーン被告の逃亡が露見。箱に隠れてレバノンにと伝えられ、我ら唖然(あぜん)としましたね。
      × × ×
 本欄に初めてコロナ関連句が登場したのは1月22日でした。「おかしいと言われて増える感染者」

 翌日、いま思えば純情な2句目が載ります。「来るなとも言えずにそっとマスクする」。中国から春節の観光客が大挙押し寄せておりました。あちらでは「言論の次は武漢を封じ込め」。都市封鎖に踏み切っていたのですが。

 2月6日「妻が言うやはり近場の温泉で」。クルーズ船絡みの句。前後して各地に感染が急拡大します。「大船に乗ってる気分じゃありません」

 3月、WHO(世界保健機関)が、「パンデミック(世界的大流行)の脅威がまさに現実となった」と認めましたが、実感として遅すぎたのではないか。「認定を聞くまでもなくそう思い」
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 パンデミックはギリシャ語語源の言葉で、「すべての人びとの病気」といった意味。響きから私は、ギリシャ神話に登場する女性パンドラ(「すべての贈り物」)を、ふっと連想しました。

 彼女は、好奇心を抑えきれず禁断の箱のふたを開けてしまう。中から疾病、悲嘆、欠乏、犯罪などの災厄が飛び出し、人間世界に拡散するのです。「集うこと許さぬ星に成り果てぬ」「看取(みと)りさえ叶(かな)わぬことを見せられる」

 安倍晋三首相は3月2日からの全国一斉臨時休校を要請。先立って、コロナ禍関連で初めての会見に臨みました。「丸投げを断腸と言う能天気」「怖いのはプロンプターの故障なり」
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 五輪の延期。緊急事態宣言。それにもまして志村けんさんの訃報(ふほう)はコロナの怖さを知らしめました。「追悼の番組なのに爆笑し」。やっぱり天才。

 「瀬戸際と言って検査もしない国」「病院減らせ職員減らせのツケがくる」。検査への不満は今に続きます。

 残念ながらデマも蔓延(まんえん)。「自粛警察」などと新語も流布されました。「人の目が監視カメラになる世かな」

 小さな発見もあった。「人生でいちばんきれい我が両手」「いまさらに手はあれこれとよく触り」
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 「日銭にてやってる店の多いこと」。なのに「スピードを上げるじゃなくてスピード感」。「大抵は『まったく当たらぬ』当たってる」「『なのだろう』と他人事(ひとごと)みたいに言う首相」。この政権の言語感覚は異様といっていい。「『丁寧に』首相言霊(ことだま)穢(けが)しけり」

 「賭けマージャンまさかという坂転げ落ち」。黒川弘務・東京高検検事長(当時)とのマージャンには朝日新聞の記者(元)も加わっていました。

 「賭けるなら記者魂を距離保ち」。読者からの叱責(しっせき)句が、いくつも。

 「経産省トリクルダウンと胸を張り」「話作って記録作らず」「政商と癒着持続化給付金」。政商とは〈政府や政治家と特殊な関係をもって、利権を得ている商人〉(広辞苑)のこと。

 検察庁法改正案を巡り、首相は野党に火事場泥棒と呼ばれました。6月17日国会閉会。「長居は無用と火事場泥棒」「これで総理も夜の会食」

 安倍首相はすぐに自粛を解きます。「お二階のご機嫌をとる大家さん」
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 「おしどりに別れもさせぬ冷酷さ」(岡江久美子さん)、「持病持つ者に恐怖の力士の死」(勝武士〈しょうぶし〉さん)。

 コロナ禍とは別ですが、ほかにも、多くの人が亡くなりました。たとえば「早撃ちを真似(まね)て得意の幼き日」(宍戸錠さん)、「令和まで続く昭和の子守唄」(梓みちよさん)、「名女房 良き女房待つ天国へ」(野村克也さん)、「尾道の坂にそぼ降る涙雨」(大林宣彦さん)、「浮浪雲(はぐれぐも)我が身を重ね懐かしむ」(ジョージ秋山さん)、「花の種蒔(ま)いて蒔いても花咲かず」(横田滋さん)。ご冥福を祈ります。
      × × ×
 パンドラは開けたふたをあわてて閉じました。箱には一つだけ、「希望」が残ったと神話は伝えます。

 「畑仕事マスク着けずに出来る幸」
 (「朝日川柳」選者)」(2020/06/28付「朝日新聞」p8より)

まあ、今年の前半は何から何までひどかった。世界もそうだし、日本の政界も、もちろんコロナも・・・

それにしても、ボルトン氏によるトランプ暴露本の話は面白い。ほとんどが真実なのだろう。
昨日、本屋に行ったら、「女帝 小池百合子」という本がたくさん平置きされていた。
もちろん読んではいないが、残念なことに「安倍晋三」の暴露本が無い。
そんな本を書けば、干されるのが分かっているので書けないのだろうが、誰かがボルトン流で書いたら、さぞ面白かろう。

一方、コロナ禍は、一過性で無いのが怖い。時間が経てば終わる、という物でもないらしい。半年後、「令和落首考 2020年後半」で、それがどのように歌われているのか・・・

とにかく、めったに体験出来ない相手なので、人類がどのようにコロナと対峙し、退治するのか、じっくりと見極めよう。そして半年後に、川柳で笑い飛ばしていることを期待しよう・・・!

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2020年6月25日 (木)

「1万本超のビデオテープ」~趣味の行き着く先

先日、朝日新聞の夕刊の記事を見てビックリ。片山杜秀氏のビデオ録画のものすごいこと・・・。こんな人も居るんだ~と。

「(魂のサプリメント)1万本超のビデオテープ 番組録画、45年間の日課
 始まりは、俳優の平田昭彦(ひらたあきひこ)さんでした。1954年公開の映画「ゴジラ」第1作で芹沢博士を演じた方です。

 平田さんに心を奪われた幼い私は、彼がテレビに出る場面を何とか残したかった。画面を8ミリカメラで撮ったり、カセットテープで録音したり、試行錯誤していました。

 75年、わが家にやって来たのが、発売されたばかりのソニー「ベータマックス」。以来、録画という私の日課が途切れずに続いています。

200625video  ひいきの役者が出るドラマや、気になる脚本家が書いた映画などを確認し、タイマーをセットする。昔のビデオテープは高価だったから、無駄遣いはできません。60分のうち3分とか、残したいシーンだけを編集して、あとは上書きしていました。中学、高校時代は毎日深夜まで、そんな作業をしていましたね。

 今はDVDに変わりましたが、1日平均12時間分くらいは録画しています。すぐハードディスクの容量がいっぱいになるので、夜更けや明け方、原稿執筆の合間にDVDへダビングをしています。

 録画生活も、もう45年になりますか。ビデオテープは1万数千本、DVDも入れたら数えきれません。よく「こんなに録(と)って、全部見られるのか」と聞かれますが、見られる訳がないです。なのになぜ録画するのかと問われたら、「日課だから」としか答えようがありません。私にとっては、水を飲む、物を食べる、というのと同じで、ないと落ち着かないんですね。90%は無意味です。でも、そのムダがないと、残りの10%が生きてこないのでしょうね。
     *
 片山杜秀 かたやま・もりひで 1963年生まれ。政治思想史研究者、音楽評論家。慶応大学教授。著書に『未完のファシズム』(司馬遼太郎賞)など多数。近著に『皇国史観』。(聞き手・山本悠理)」(2020/06/22付「朝日新聞」夕刊P2から)

この「90%は無意味です」という潔さ。(たぶん100%無意味だと思うけど・・・)
片山杜秀氏という名。どこかで目にしたな・・・と思ったら、慶應義塾大学法学部教授と同時に音楽評論家だという。かつては雑誌「レコード芸術」にも執筆し、今は朝日新聞に記事を書いているという。なるほど・・・

この人の録画は、見るための録画では無く、録画そのものが趣味なんだな。
自分も心当たりがある。自分の場合は、音楽の音源を集めるのが趣味!?
大学時代は、FM放送を録音していた。録音は、オープンテープの時代を経て、カセットやMDそしてMP3からWAVへ。
そして近年は、CDのWAV音源からハイレゾ音源を集めていたっけ。(過去形なのが謎!?)

特にFM放送からの音源集めでは、MP3ファイル作りで膨大な時間を費やしたと思う。そのMP3音源は既に時代遅れになって、ほとんど削除してしまった。
今のWAV音源も含めて、聞く時間よりも、はるかに作る・集める時間の方が余計にかかっている。
でも氏と同じように「集めるのが趣味」と割り切れば、そんなもの・・・

自分も、ビデオテープも、まだ取ってある。Excelで番号を付けて整理しているが、VHSテープが約200本。既に再生機の無いβカセットも50本近くある。それにDVDとBDがそれぞれ100枚程度。
音楽では、昔のLPは200枚ほど。CDはコピーを含めて700枚ほどある。それに、いまだに捨てられないカセットテープも100本以上。LDも。
最近始めた4K録画のBDは、4K放送が再放送が主なので、ほとんど録っていない。

でも、そろそろ潮時。見ないもの、聞かないものは処分していかなければ・・・
そういえば、D-VHSは、60本ほどあったが、再生機が壊れたのを機に、全部捨てた。EDベータも同じく捨てた。しかしLDは購入品のためか、再生機が無いのに、まだ捨てていない。ベータのテープも、何か愛着があって、捨て切れていない。

氏の1万本は論外だが、死んだ後はそれを整理する遺族が困るだろうな・・・。
しかし、もしこれらがキチンと整理されていれば、放送局にも存在しない貴重なライブラリーになるかも知れない。
自分も、昔NHKで放送された喜多郎のライブなど、今でも見たい番組はある。でも、氏の好みと違うので、まあ無いだろう。

“捨てる”と言えば、20数年前に親父が亡くなった時、(親父は本を集めるのが趣味だったので!?←本当に全部読んでいたとは思えないので・・・)それを捨てるのにお袋が大変だったと聞いた。
特に専門の経理関係の古い本は、毎週、本を捨てる日に、せっせと近所の廃棄場所に運んだという。

こんな記事を読んで、もし“趣味の塊”を残されたら、残されたそれらの遺品を処理する家族は大変だろうな・・・と、つい心配してしまった。
他山の石とせねば!??

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2020年6月21日 (日)

「童謡の歌詞、4分の1に山、桜、蛍…」~「おべんとうばこのうた」

先日の「朝日新聞」夕刊のトップ記事にびっくり。童謡・唱歌の“研究”の記事なのである。13,000曲の冒頭の一節を分析して、どんな自然や生き物があるかを調べたという。

歌えば広がる原風景 童謡の歌詞、4分の1に山、桜、蛍… 農研機構、1.3万曲を分析

 心に響く歌の豊かさには、日本の自然が大きな役割を果たしていた――。国内の研究チームが、童謡や唱歌約1万3千曲の冒頭の一節を調べたところ、山や森、桜、蛍など身近な自然や生き物が、全体の4分の1以上に含まれ、文化的な創作活動に影響していたことがわかった。(杉浦奈実)

200621douyou  「ゆうやけこやけの あかとんぼ」(三木露風作詞「赤とんぼ」)、「うさぎおいし かのやま」(高野辰之作詞「故郷(ふるさと)」)、「さくらさくら やよひのそらは」(日本童謡「さくらさくら」)……。学校で子どもに歌い継がれてきた童謡・唱歌には、自然豊かな日本の原風景のイメージがたびたび現れる。

 そんな歌に注目した農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)の研究チームが5月、研究成果を生態系に関する国際学術誌エコシステムサービスに発表した。

 チームは国立(くにたち)音楽大学付属図書館の「童謡・唱歌索引」で調べられる、1万2550の童謡・唱歌の冒頭の一節を分析。ほとんどの歌は、義務教育が始まった1872年から、終戦の1945年までに作られたとみられる。

 歌詞に、海、森、農地といった日本の主な生態系や、生き物に関わる単語が含まれているかどうかを調べた。例えば、森であれば、「モリ」のほか、「ハヤシ」「ヤマ」といった単語があらわれた場合にカウントした。

 生き物は、植物、虫、鳥といった区分のほか、「バラ科」など、科別にも集計した。「故郷」の1節目であれば、「ウサギ」と「ヤマ」が登場するので、「森」「哺乳類・ウサギ科」に数えるといった具合だ。

 すると、生態系、生き物にかかわる単語がそれぞれ1315曲(10.5%)、2331曲(18.6%)で見つかった。全体の25%以上の曲にはいずれかが入っていた。うち、生態系では森が43.1%と多く、海(24.6%)、湖と川(9.3%)が続いた。生き物では、植物が54.7%と最多で、次いで鳥(26.0%)、昆虫(10.0%)だった。

 「索引」で調べた歌詞には植物は58科、鳥が27科と、様々な生き物が含まれていた。身近な生き物や、見た目や音が目立つ生き物が多かった。植物ではサクラ、ウメが含まれるバラ科が多く、鳥ではスズメ、虫ではホタルが最多。鳥では、スズメやカラスなど農地や都市など身近な場所にすむ種が多かった。

 サクラなどバラ科が多いことについては、古くから日本にお花見の習慣があることの影響がありそうだ。戦争に関する歌にサクラが登場することも、数を増やした要因とみられる。

 また、鳥に次いで虫の歌が多かったことについては、虫取りが子どもに人気の遊びで、虫をめでる文化があることが要因として考えられるという。

 だが虫でもカブトムシは見つからなかった。デパートなどで昭和中期からペットとして売られるようになる前は、子どもに人気のある生き物ではなかったのかもしれない。

 研究チームの農研機構・農業環境変動研究センターの片山直樹主任研究員は、「日本の自然は作詞家など、芸術家の創作活動に多大な影響を与えていたと考えられる。当時の暮らしが今より自然に近かったことに加え、歌が教育的な意味を持っており、身近な自然を尊ぶ気持ちを育むために生態系や動植物が登場しやすかった側面もあるだろう」と話す。

 ■登場する自然、危ぶむ声も メダカは絶滅危惧/減る松林
 歌詞には、今では少なくなってしまった動植物や風景も多く登場する。ノウサギやホタルは地域によっては絶滅が危ぶまれており、魚で最も多く登場したメダカは環境省のレッドリストで絶滅危惧2類に分類されている。植物で3番目に多く取り上げられた「マツ」は松林について歌ったものが多かったが、外来種の線虫「マツノザイセンチュウ」の被害や開発で、地域によっては面積を大きく減らしている。

 「唱歌『ふるさと』の生態学」の著書がある高槻成紀・元麻布大学教授は「ある時代に日本人がどう自然をとらえていたかを調べることは重要。歌詞を材料に、生物を分析する手法がユニークだ。原生的な自然ではなく、日本人の大半が農業や漁業に携わっていた時代に誰でも目にしたような身近なものがよく取り上げられており、曲にも自然観が投影されているのだろう」と話す。

 一方で、高槻さんは歌詞に登場する自然を危ぶむ。「今は、農業のやり方や土地の利用の仕方の変化で、ウサギがいるススキ原も失われ、同じような場所にいた鳥や虫も減った。曲の景色を『懐かしい』と理解できる世代がいなくなった時、次の世代まで歌い継がれるのか、わからない時代に来ていると感じる」(2020/06/17付「朝日新聞」夕刊P1より)

何をきっかけに調べたかは知らないが、「ほとんどの歌は、義務教育が始まった1872年から、終戦の1945年までに作られたとみられる。」とのこと。
つまり、我々シニア世代が知っている童謡・唱歌は、やはり戦前までの作らしい。

我が家では?と思い出すと、もっぱら子門真人の「およげ たいやきくん」(ここ)の旋律が頭に浮かぶ。

息子がいつも歌っていたのが「まいにち まいにちぼくらは てっぱんの うえでやかれて いやになっちゃうよ・・・」。しかも全部覚えていないで、この節しか歌わない。
それを繰り返すのだから、聞いている方は、まさに「イヤになっちゃうよ!」

自分たちの世代は上の記事にある童謡・唱歌で育った。同じように、息子たちに教えようとしたが、何一つ教えられなかった。感覚が違ったのだろうか。
カミさんは「おべんとうばこのうた」を良く歌って聞かせていたっけ。

ついでなので、載せておこうか・・・

<こおろぎ'73の「おべんとうばこのうた」>

「おべんとうばこのうた」
  作詞:香山美子
  作曲:小森昭宏

いただきます
★これっくらいの おべんとう箱に
 おにぎり おにぎり ちょいとつめて
 きざみショウガに ゴマふりかけて
 ニンジンさん さんしょうさん
 しいたけさん ごぼうさん

 穴のあいた レンコンさん
 すじの通った フーキ

ぞうのせなかに ありがおっこちた
山だと思って 旅をした
はなの先まで あるいたが
もとの山に もどっていた
それでおひる
★くりかえし(小さい声で)

わにのせなかに ぞうがのっかった
ふねだと思って のっていた
岸についたと 思ったが
別のわにに 乗っていた
それでおひる
★くりかえし(大きい声で)

さるのしっぽに わにがくいついた
しめたと思って ひっぱった
さるもまけずに ひっぱった
どっちもつれたと おもっていた
それでおひる
★くりかえし(速くなる)

ごちそうさま

上の音源は1978年だという。40数年前がこんな調子の歌なので、今の幼児は、どんな歌を歌っているのか?
いずれにせよ、戦前の唱歌と現代の唱歌とは、世界がだいぶ違う。それは歌謡曲の世界も同じ。Jポップに取って代わられ、シニア世代はギブアップ!
でも今後孫娘に会ったら、こんな歌もあるぞ!と、「おべんとうばこのうた」を一度教えてみようかな・・・

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2020年6月18日 (木)

「腸チフスのメアリー」

先日の朝日新聞の天声人語に、こんな記事があった。

「(天声人語)腸チフスのメアリー
 いまから100年ほど前、ニューヨークに「チフスのメアリー」と呼ばれた女性がいた。本人に自覚症状のないまま、周囲に腸チフスの感染者を増やす。一説に計47人、うち3人が亡くなったとされる▼家政婦メアリー・マローン。料理の腕にすぐれ、子どもの面倒見もよかった。だがある夏、雇われた先の銀行家の別荘で家族6人が発症、疑いの目を向けられる。衛生専門家が採血や採尿を求めるとフォークを振り回して抵抗したという▼『病魔という悪の物語』(金森修著)によれば、彼女は無理やり隔離されるが、無症状ゆえに納得できない。3年後に解放されると、名を偽って病院に勤め、集団感染を招いた。当時は効果的な治療法がなく、新聞は「無垢(むく)の殺人者」「米国で最も危険な女」と書き立てた。2度目の隔離は亡くなるまで23年に及んだという▼国立保健医療科学院の逢見(おおみ)憲一さん(54)によると、メアリーの名は今日なお公衆衛生史に残る。「感染を抑えこみたいという公共の福祉と、むやみに隔離すべきではないという個人の自由のせめぎ合いを考える上で、重要な事案です」▼現下のコロナ禍でも無症状の感染者対策が欠かせない。当方も感染防止に注意を払い症状はないものの、電車に乗るたび、きまって不安にかられる。自分はすでに無自覚の感染者ではないか、隣の乗客はどうかと▼メアリーに対する「毒婦」呼ばわりは死後も続いたという。その悲運の生涯はいまを生きる私たちに重い問いを投げかける。」(2020/06/16付「朝日新聞」「天声人語」より)

症状が出ない感染症が、如何に怖ろしいか・・・。
そして同じく先日の「日刊ゲンダイ」の隠れコロナ死の記事。。

4月の「超過死亡」激増 東京1056人“隠れコロナ死”の可能性
「圧倒的に少なく抑え込むことができている」――。新型コロナウイルスの感染者数と死者数について、先月25日の会見で安倍首相は胸を張った。死者数は940人超。ただし、4月の「超過死亡」のデータから、何倍ものコロナ死が隠れている可能性が出てきた。

発表数は氷山の一角
 超過死亡とは過去の同月の平均死亡者数と比べて、超過した人数のこと。東京都が11日、発表した4月の死者数は1万107人。過去4年間の平均死者数は9052人で、超過死亡はナント1056人。11.7%も増えている。都発表の4月のコロナによる死者数は104人に過ぎない。

200618corona 「超過死亡の大部分はコロナによるものです。今年はインフルエンザの流行が全くなく、自殺者も少ない。超過死亡が大幅に増えた要因は、コロナの感染拡大以外に考えられません。急変して死亡するケースが多く、PCR検査に至らず、死因を心不全などとする例は少なくありません。コロナ関連死として発表されているのは、ごくごく氷山の一角なのです」(医療ガバナンス研究所理事長・上昌広氏)
 超過死亡には、医療体制の逼迫もあり、PCR検査を受けずに急死した陽性者が含まれていると考えられるのだ。

日本モデルはミスリード
 超過死亡の大幅増は都に限らない。別表の通り、4月の超過死亡は7都府県が過去4年平均比10%超増えている。感染が多い地域ばかりだ。超過死亡は4月の数値だけでも、コロナの累計死亡者数と比べてかなり多い。

「感染症は、超過死亡をベースに検証するというのが、世界の医学界のコンセンサスです。日本の場合は、超過死亡ではなく、コロナと診断された死亡者の少なさを強調し、『PCR検査を抑えて成功した』『日本モデル』などと語られ、突っ込んだ検証、反省が行われていません。第2波、第3波でしっぺ返しを食らうことになるでしょう」(上昌広氏)

 三段目力士・勝武士(享年28)の死去から1カ月が過ぎ、日刊ゲンダイの指摘にも、厚労省は「20代のコロナ死ゼロ」と“誤報”を改めない。実態から目をそらす政権下では、お先真っ暗だ。」(2020/06/16付「日刊ゲンダイ」ここより)

北朝鮮の「国内の感染者はゼロ」という主張もそうだが、権力者の、ある思惑により、データがゆがめられて作られ、ゆがめられて解釈されて誇大広告される。
コロナ感染者や死者もそうだが、コロナ対策費について、現政権は、自分たちに都合の良いように作られた数字によって自画自賛している。
「事業規模は230兆円を超えるものとなります。GDPの4割に上る、世界最大の対策によって、この100年に一度の危機から、日本経済を守り抜いてまいります」という首相の誇大広告も「“58兆円真水”すら張り子の虎の懸念」ここ)との指摘も・・・

話は変わるが、昨夜の河野防衛大臣による「イージス・アショア配備計画停止」の発表は、最近に無く痛快な話だった。
辺野古の話も、同じでは無いか?
「工事再開の辺野古はイージス・アショア以上の壮大なムダ」(「日刊ゲンダイ」ここ)にも指摘されているように、同じ文脈なら、こちらの方も、即停止とすべき。

恣意的な検察官の定年延長の撤回など、官邸の横暴が最近はブレーキがかかってきたようだ。早々に日本のトップが代わって、コロナ関係の発表の数字を含め、ウソの無い、普通の常識の通る日本に戻したいものである。

●メモ:カウント~1280万

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2020年6月15日 (月)

実は・・・現在とは違う「君が代」があった

最近凝っているBS-TBSの「関口宏のもう一度!近現代史」(ここ)。

2019年12月21日放送の第10回「明治11年~琉球処分・コレラ大流行ほか 」で、「ヘエー!」と思った音源を聞いた。
明治13年に作曲された今の「君が代」の前に、明治2年に作曲された別の「君が代」があったという。

<「関口宏のもう一度!近現代史」⑩より~明治2年版「君が代」>

「君が代」
 君が代は
 千代に八千代に
 さざれ石の
 いわおとなりて
 苔のむすまで

200615kimigayo1 200615kimigayo2 200615kimigayo3

TVのパネルによると、明治2年版は、イギリス皇太子の来日に合わせて、薩摩郡 軍事顧問フェントンが作曲。明治13年版は、宮内省で作曲を検討。雅楽師 林廣守の曲が採用され(実際は長男と部下が作ったメロディを林が曲に起こした)、11月3日の天長節に宮中で初演奏されたという。

今さら「君が代」について、ここで論ずるつもりも無いが、とにかく歴史は奥が深い。

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2020年6月12日 (金)

BS1スペシャル「山中伸弥が聞く 新型コロナ ~3人の科学者+1人の医師との対話~」を見た

昨夜放送された、BS1スペシャル「山中伸弥が聞く 新型コロナ ~3人の科学者+1人の医師との対話~」(2020/06/11 21:00~21:50  BS1//再放送は2020/06/20 22:00~22:50 BS1)(ここ)を見た
朝の各社の情報番組と違って、アカデミックな情報であり、聞いていて納得が出来た。

この番組について、Yahoo!ニュースではこう紹介があった。
山中伸弥が知りたい新型コロナ、4人の専門家らとトーク特番
「京都大学iPS細胞研究所」所長の山中伸弥教授が、新型コロナウイルスに関して疑問に感じていることを専門家らと議論するスペシャル番組が、6月11日にBS1で放送される。
2012年のノーベル生理学・医学賞を共同受賞した山中教授。3月には「幹細胞の研究者です。感染症や公衆衛生の専門家ではありません。しかし、人類への脅威となった新型コロナウイルスに対し、医学研究者として何かできないかと考え、情報発信を始めることにしました」と、個人でWEBサイトを立ち上げて情報を発信し続けている。

今回はそんな山中教授が、どうしても聞きたかったという12の質問を専門家らとトーク。「ウイルスはどうやって生まれた?」「薬は効いている?」「ワクチンはいつできる?」「感染収束のシナリオは?」など、誰もが知りたい疑問を掘り下げる。

山中教授が科学的に掘り下げた問いに答えるのは、国際医療研究センター病院の大曲貴夫センター長、東京大学医科学研究所の河岡義裕教授、京都大学ウイルス・再生医科学研究所の朝長啓造教授、大阪大学の宮坂昌之名誉教授の4人。

分野を越えた知恵の交換がビデオ通話によって重ねられていくさまは、リアルな日本の今を映し出す貴重な映像記録となったという。この模様を収録したBS1スペシャル『山中伸弥が聞く 新型コロナ~3人の科学者+1人の医師との対話~』は、6月11日・夜9時からBS1で放送。」(2020/06/10付(ここ)より)

NHKオンデマンドでは、この番組が無料で公開されていた(ここ)。7月11日までの公開なので、もし良かったら見て下さい。ただし、無料会員登録が必要。再放送は2020/06/20 22:00~22:50です。

音声だけですが、下に挙げておきます。

<BS1スペシャル「山中伸弥が聞く 新型コロナ ~3人の科学者+1人の医師との対話~」>

200612yamanaka1 200612yamanaka2 200612yamanaka3

さて自分にとって、歴史についての半藤一利さんや保阪正康さんもそうだが、今回の新型コロナについて、どの視点からの議論が的を射ているか、自分が聞く人を選ぶのは重要である。
前は良く見ていたが、TV朝日の「羽鳥慎一のモーニングショー」も、最近は全く見なくなった。理由は、出演者のコメントが臭くなってきた。自分勝手な思い込みでの発言が鼻に付いてきた。だから見なくなった。
それに引き換え、山中さんが問題提起する視点は、さすがに素直に聞ける。
NHKスペシャルの番組など、ちょっと出過ぎでは?と思う山中さんだが、iPS細胞のことは部下に任せ、今は啓蒙がメインテーマになっているのかも知れない。
ともあれ、朝から晩までコロナコロナ・・・でほとんど関連番組を見なかった自分だが、唯一?マジメに見た番組であった。

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2020年6月 9日 (火)

知的好奇心を満足させるBS-TBSの「関口宏のもう一度!近現代史」

BS-TBSの「関口宏のもう一度!近現代史」(毎週土曜 ひる12:00〜12:54)(ここ)は、なかなか知的好奇心を満足させる番組である。
この番組を見付けたのは、2020/02/07付「朝日新聞」の番組表での「次回8日は、日清戦争が始まる・・・」という紹介記事。直ぐに予約をした。
16~18回は見て直ぐに削除したいたが、この番組は取っておく価値があると思って、19回以降は録画を消さないでいる。

番組の紹介にはこうある。
200609sekiguchi 「関口宏のもう一度!近現代史」
番組内容

関口宏が「日本近現代史」をテーマに、近現代史研究の第一線にたつ保阪正康氏をパートナーに迎え、歴史的テーマを取り上げる歴史番組。
時代は令和に代わり、ニュースでは国際関係が連日取り上げられている。めまぐるしく変化する現代社会を理解するための力強いツール、それが「日本近現代史」。
教科書で習った年表の一行。当時の空気や、日本人の思いを汲み取り、現代日本の足元を見つめなおすきっかけになるに違いない――。」ここより)

<これまでの放送>
第1回 大政奉還から始まる「時代の節目」 2019年10月12日(土)放送
第2回 明治元年(1868年)の1年間 2019年10月19日(土)放送
第3回 「明治2~3年」 2019年10月26日(土)放送
第4回 明治4年 明治維新最大の改革 2019年11月2日(土)放送
第5回 明治5年、岩倉使節団・文明開化の波 2019年11月9日(土)放送
第6回 明治6年、徴兵令・地租改正 2019年11月23日(土)放送
第7回 明治6年の政変と自由民権運動のはじまり 2019年11月30日(土)放送
第8回 明治8年~9年、国会開設の準備・廃刀令 2019年12月7日(土)放送
第9回 明治10年、西郷隆盛・最後の1年 2019年12月14日(土)放送
第10回 明治11年~琉球処分・コレラ大流行ほか 2019年12月21日(土)放送
第11回 明治14年~国会開設の勅諭・日本銀行設立 2019年12月28日(土)放送
第12回 明治16年~秩父事件・伊藤博文が初代総理 2020年1月11日(土)放送
第13回 明治19年~ノルマントン号沈没・大日本帝国憲法 2020年1月18日(土)放送
第14回 明治22年~日本初の総選挙・帝国議会 2020年1月25日(土)放送
第15回 明治24年~大津事件・朝鮮内乱ほか 2020年2月1日(土)放送
第16回 明治27年~日清戦争 開戦 2020年2月8日(土)放送
第17回 明治28年~日清戦争後のアジアとロシア南下の脅威 2020年2月15日(土)放送
第18回 明治31年~明治維新の清算・緊迫の大陸 2020年2月22日(土)放送
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第19回 明治33年~日露戦争開戦前夜に迫る! 2020年2月29日(土)放送
第20回 明治37年~日露戦争 開戦 2020年3月7日(土)放送
第21回 明治38年~日露戦争「日本海海戦」 2020年3月14日(土)放送
第22回 明治38年~満州・朝鮮半島進出の足掛かり 2020年3月21日(土)放送
第23回 明治42年~伊藤博文の死と韓国併合 2020年3月28日(土)放送
第24回 明治45年~時代は「明治」から「大正」へ 2020年4月4日(土)放送
第25回 明治時代とは…特別編 2020年4月11日(土)放送
第26回 明治時代とは…特別編「近代化」 2020年4月18日(土)放送
第27回 近代国家の幕開け~江戸幕府の最後 2020年4月25日(土)放送
第28回 明治維新三傑「西郷隆盛」 2020年5月2日(土)放送
第29回 明治時代の第二世代「伊藤博文」 2020年5月9日(土)放送
第30回 日清戦争 2020年5月16日(土)放送
第31回「日露戦争」 2020年5月23日(土)放送
第32回「明治天皇」 2020年5月30日(土)放送
第33回「近代日本の帝国主義の歩み①」 2020年6月6日(土)放送
第34回「近代日本の帝国主義の歩み➁」 2020年6月13日(土)放送
・・・

前にBSテレ東で「池上彰の現代史講義」(ここ)を放送していたが、それに続く面白さ。

自分のキライだった歴史を親切に分かり易く解説してくれる。
残念だったのは、最初から見ることが出来なかった事。BS-TBSには、再放送のリクエストをしているが、さてどうだろう?

自分はそもそも半藤一利さんが好きだった。半藤さんの言うことは信じた。よって半藤さんの番組は、見付けると見ていた。しかし、半藤さんも御年90歳。なかなか表に出なくなってきている。それに代わって注目したのが保阪正康さん。保坂さんは“まだ”80歳。

この番組は、大正、昭和と、まだまだ先が長い。
歴史の好きな方も、復習の意味でこの番組はよろしいかと・・・

(2022/04/05追)
この番組も123回をもって終了しました。
第19回~第123回までの101回分(数回抜け)の録画があります。
もしご覧になりたい方が居られましたら、メールで!

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2020年6月 6日 (土)

岩崎宏美の「恋待草」

先日、こんな優しい歌を見付けた。岩崎宏美の「恋待草」という歌である。

<岩崎宏美の「恋待草」>

「恋待草」
 作詞:伊達 歩
 作曲:小林 亜星

もしも私が 紫の
春行く風に なれるなら
旅に迷うと 書き留めた
あなたの胸に 忍びたい
もしもあたなが 月になり
私の窓を 叩くなら
今宵紅さし 髪を解き
この黒髪を 乱したい
あふれるほどの優しさで
白き乳房を真紅に
あふれるほどの恋しさで
逢えますか 逢えますか
春は紫 恋は真紅

できるものなら 花になり
草を枕の 旅人へ
紫草のひとしずく
口に吸われて しまいたい
肩にこぼれた 黒髪を
逢えれば束ね その腕に
二度と別離が ないように
強くからめて つなぎたい
あふれるほどの優しさで
白き乳房を真紅に
あふれるほどの恋しさで
できますか できますか
春は紫 恋は真紅

200606koimachigusa wikiによると、この曲は、1981年3月にリリースされた岩崎宏美の24枚目のシングルだという。40年も前の曲である。
なぜこの歌が気になったかというと、前半の部分が、何か非常に不安定な感じがしたから。
この不安定な感じは、伊東ゆかりの「愛は限りなく」(ここ)に似ている。

しかし、さすがに岩崎宏美は歌唱力抜群。当サイトでは、「すみれ色の涙」(ここ)に続く2曲目だが、これからも挙げていこう。

コロナの非常事態宣言もとりあえず取れて、街に繰り出す人の数も増えているらしい。
しかし、以前の普通の生活はまだまだ先。第2波、第3波が来ることは確実らしい。
はやくワクチンが出来ないと怖い。
特に我々老人は、おとなしく家にこもって、昔のこんな歌でも聞いて気を紛らわすことにしよう。

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2020年6月 2日 (火)

中島信子著「八月のひかり」を読む

先日、「児童文学作家・中島信子さんの話「"心の痛み"と生きる」」(ここ)という記事を書いた。

この番組で紹介されていた中島信子さんの「八月のひかり」を、珍しく読む気になって通販に注文していた。それが届いたので、早速読んでみた。これはその感想である。

Amazonの紹介にはこうある。
「八月、夏休み。
五年生の美貴は、働くお母さんのかわりに料理や洗たくをして、毎日を家ですごしていた。
美貴には、夏休みに遊ぶような仲良しの友達はいない。学校でも、だれとも友達になりたくないと思っていた。
それには理由があって……。
現代の子どもを取り巻く問題と、子ども自身の繊細な気持ちを深く描き出した、傑作児童文学。」

そして、昨年の8月に朝日新聞にも紹介があったようだ。
貧しい母子家庭、給食のない夏休みをどう過ごす? 中島信子さんの児童文学「八月のひかり」

 8月6日に始まり、14日に終わる物語だ。テーマは戦争ではない。中島信子さんの『八月のひかり』(汐文社)は、現代の貧しい母子家庭の夏休みを描く、異色の児童文学だ。
200602hachigatsunohikari  小学2年生の勇希は水道代を節約し、お風呂の代わりに学校のプールのシャワーで体を洗う。5年生の姉・美貴は、母がスーパーに出勤して不在の昼、焼きそばを1玉だけ調理し、弟と分け合う。
 子どもの7人にひとりが貧困状態といわれる。「今でも学校給食で生きている子がいっぱいいる。空腹との戦いという意味では戦中戦後と変わらない」と1947年生まれの中島さん。
 ただ、現代ならではの子どものつらさに目を向けた。「私たちは、みんな当たり前に貧しかったけれど、お金さえあればなんでも手に入る世の中で、何も買えない子どもはいったいどうすればいいのか」
 執筆にあたり、学校給食のない期間、ひとり親家庭を支援するフードバンクに取材を重ねた。「見せない貧困」という言葉が印象に残った。貧しいといじめにあう。だから「普通」のふりをしなければいけない。美貴は、学校には「会いたくない友達」しかいない。
 弱い体にむち打って働く母親の代わりに、美貴は懸命に家事をこなす。支え合う家族はあくまで美しく、ひたむきに描かれる。だからこそ、かなしい。
 「日本は一見平和で、東京五輪に向かって突き進んでいるけれど、悩みを抱えた子どもたちがたくさんいる。それを大人にわかってほしいんです」(興野優平)=朝日新聞2019年8月14日掲載」ここより)

本の最後のページに、この一文が慄然と立っていた。
「現代の日本では、十七歳以下の子どもの七人に一人、およそ270万人が貧困状態にあります。」

話は変わるが先日(2020/05/29)の朝日新聞にこんな記事があった。
離婚に「クーリングオフ」導入 衝動的なけんか別れ、法で防止へ 中国
 中国の全国人民代表大会で28日、「離婚のクーリングオフ制度」の導入が決まった。離婚率が上昇を続けるなか、けんかなどに伴う衝動的な別れを防ぐのが目的だ。関連の規定は、この日成立した民事関連の法令集に盛り込まれており、来年から離婚届の提出後60日以内なら取り消しが可能になる。

 中国では、夫婦双方の合意があれば役所に届けるだけで離婚が成立する。新設の制度はこうした合意のある離婚が対象だ。離婚届の提出後30日以内なら、夫婦の一方の意思で取り下げられる。さらに、60日以内に夫婦双方が役場を訪ねて離婚証明書の発行を申請しなければ、離婚が取り消されるとしている。

 中国民政省によると、1千人当たりの離婚件数を表す「離婚率」は過去20年で3倍以上に伸びている。2018年は3.2件で、同年の日本の約2倍の高さだった。

 制度導入に向けた議論では、近年の傾向として、ささいなけんかを機に衝動的に別れる「閃(ひらめ)き離婚」の割合の高さが指摘された。12年から離婚の届け出に、1週間前の「事前予約」を求めている浙江省慈渓市では、予約した夫婦の4割が届け出の当日までに予約を取り消しているという。(武漢=平井良和)」(2020/05/29付「朝日新聞」p9より)

言うまでも無く、片親で子どもを育てるのは大変だ。死別、離婚を問わず、片親家庭の貧困は、子どもの不幸を招く。それが、子どもの7人に1人が貧困にあえいでいるとは・・・。

上の、中国の“離婚のクーリングオフ”とは面白い。衝撃的に離婚届を出してしまって後悔する例は、日本ではどの位あるのだろう・・・
その裏には、子どもの不幸な人生が横たわっているというのに・・・

とにかく、両親には子どもをちゃんと育てる義務がある。それには、キチンとした家庭を維持することが責務。
それには家族全員の健康維持もあるだろうし、精神的なつながりも当然ある。それに対して、どれだけ努力しているか。子どもさえ居なければ、夫婦は勝手にすれば良い。自業自得なので。しかし、子どもが居た時には、子どもに対する責任を最優先に考えるべきだろう。
この物語には、放蕩の父親が出てくる。そんな父親を、母親が結婚前に見抜けなかった責任もある。
とにかく子どもたちを飢えさせないため、子どもが出来たら、離婚などもってのほか。両親は生んだ子どものために、家庭円満を必死に心掛けるべきであろう思った。

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