感情がみえる新聞~「産経」と「日刊ゲンダイ」
「桜」が狂い咲きした臨時国会が、本日(2019/12/09)閉会したという。
前に、スマホで遊んでいたら「感情がみえる新聞」という言葉があって、面白いな~と思った。最近、その記事が気になり、ググってみたら、見付かった。
「「桜を見る会」は“小事”か“天下の一大事”か問題 ヒントは11月13日の“あっさり中止”にあった 桜の木の下には何が埋まっている? - プチ鹿島
桜を見る会は「小さなこと」なのだろうか。
私は新聞なのに感情がみえる新聞を読むのが大好きだ。たとえば「産経新聞」と「日刊ゲンダイ」はその両巨頭だと思っている。
怒りの対象は産経が韓国と野党なら、ゲンダイは安倍政権。対照的だが擬人化すると“いつも怒ってるおじさん”というのは共通している。
その産経師匠は最近ますますイライラしている。「いつまで桜を見る会なんてやっているんだ」と。
「産経抄」は小言が全開
11月25日の一面コラム「産経抄」は小言が全開で目を引いた。
《「桜を見る会」をめぐって、小事を天下の一大事のように騒ぎ立てる野党の手法》
《国民は冷めている。》
そして《国会は、もっと大所高所から論議をすべきだ、なんて野暮は言わない。》と言いつつ、
《国会議員のみなさんも花見にうつつを抜かさないで、せめて本のひとつも読んではいかがかな。》
やはり産経師匠は天下国家のことを語れ! とご立腹なのだ。
ただ、神は細部に宿るとも言う。「小事」と言うが「大事」につながっていることはないか。小事での態度や振る舞いこそが「天下の一大事」にも同様に出ちゃっていることは。
では桜から目を離し、日米貿易交渉をみてみよう。
「本当にウィンウィンだったのか?」
今しきりに言われているのは「本当にウィンウィンだったのか?」である。
「日米貿易協定 日本不利な可能性」とご丁寧に試算までしたのは朝日新聞だ(11月17日)。独自試算で出た関税削減額は「政府試算にはほど遠く」「日本の負けが際立つ試算結果だ」という。ま、まさか……。
ここまで言われたなら具体的にどんな言葉で約束したかを公開すればいいと思うのだが都合悪いデータの「開示を拒んでいる」と書かれている。天敵・朝日にここまで言わせておいてよいのか。それとも本当にウィンウィンではなかったのだろうか。
なら、保守派の新聞こそ政権に説明を求めるべきだ。
なんせ国益に関することなのである。天下国家の一大事なのである。桜の説明ができないのにトランプ相手に交渉できるわけがない、桜を見る会の説明からやり直せ! と叱ればよいのである。これは保守派の新聞だからこそできることだ。
リベラル派と言われる新聞にも問いたい。数年前からあなた達がしきりに警戒していたものが「桜を見る会」で実践されているが、まさかお忘れか。
「政府の恣意的な判断」を危惧していた朝日
ためしに次の社説をあげる。「『安保法』訴訟 あぜんとする国の主張」(朝日新聞デジタル・2018年2月3日)
安全保障関連法をめぐる訴訟について書いたものだ。
《首相が当初、象徴的な事例としてあげたホルムズ海峡の機雷除去も、審議の終盤には「現実問題として具体的に想定していない」と発言を一変させた。》
《存立危機自体の認定が、時の政府の恣意的な判断に委ねられている現状の危うさである。》
権力を持つ側の「恣意的な判断」を危惧していた。
「共謀罪」も「そのターゲットを決める時点で」
続いてこちらの記事は「共謀罪」について書いたもの。
「『恣意的な運用は日常茶飯事』 亀石弁護士が語る共謀罪」(朝日・2017年5月6日)
「共謀罪」の趣旨を含む組織的犯罪処罰法の改正案が成立した場合、捜査権限の拡大に歯止めは効くのかと書き、弁護士に尋ねている記事だ。
記者は「政府は具体的な準備行為がなければ強制捜査はできず、乱用の心配はないとも説明しています。」
その答えが、
《準備段階の行為を把握しようとする以上、そのターゲットを決める時点で恣意が働かざるを得ない。》(亀石氏)
安保法でも、共謀罪でも、どちらにも懸念されてきた「力を持つ側の恣意的な判断」。
筋が悪いと判断するや、来年はあっさり中止
一方で、権力にはここまで疑り深くならないといけないのかとあのとき思った人もいるだろう。しかし今回見事に出たではないか。何が? 恣意的な判断が。
「桜を見る会」中止である。
筋が悪いと判断するや、来年はあっさり中止。吉田茂首相時代から続く歴史と伝統を一瞬で断絶。
たかが桜と油断していたのだろうか。その分、力を持つ人の恣意的な判断がまざまざとリアルタイムで披露された。疑問に思われていることをほぼ説明せず、実行した。
共謀罪も安保法も桜を見る会も同じに考えたほうがいい。態度や振る舞いはすべてつながっている。そこに「小事」も「大事」も関係ない。
新聞はこれについてなぜもっと驚かないのだろう。不安視してきたことが眼前でおこなわれたではないか。
「シュレッダー」というパワーワードが
そして今回も出た公文書廃棄。逃げ続けた結果、「シュレッダー」というパワーワードが出てきて取り返しのつかないことになっている。三谷幸喜のコメディみたいだ。最後は「記憶にございません!」だろうか。
よく、桜の木の下には屍体が埋まっていると言うが、桜を見る会にはここ数年の「あったものがなかった」がすべて埋まっている。総決算なのである。
決して小さなことではないと思う。(プチ鹿島)」(文春オンライン2019年11月29日ここより)
「プチ鹿島」のwikiに「新聞を13紙購読し、読み比べをしている。(2019年10月25日放送のNHKによる紹介より。)」とある。なるほど、ここまで喝破できるのは、ちゃんと読み比べをしているからなのだ。
言葉が勇まくて面白いので、たまに覗く「日刊ゲンダイ」(ここ)。
今日の記事は、
「憲法も入試改革も頓挫 大風呂敷を広げるだけの安倍首相
山積みの疑惑を何ひとつ晴らさないまま、安倍首相はまたも逃げ切ろうとしている。「桜」が狂い咲きした臨時国会は9日、閉会。首相主催の「桜を見る会」をめぐる疑惑は次から次へと噴出しているが、臭いモノにはフタをして、年末年始のドサクサに紛れて世間の関心が薄れるのを待つつもりなのだろう。…」
ふと、2015年のフランスの風刺週刊誌の「シャルリー・エブド襲撃事件」を思い出した。神までも風刺するフランス。日本の風刺はここまでは行っていないが、それを良いことに?国民の風化を待つ公私混同の権力者。
誰もが言っているように、首相の思惑通り「過去のこと」にするかどうかは、我々国民の意識の問題。
国の政治を説く中学・高校の社会科の教科書の内容と、あまりにかけ離れた今の日本の政治の世界ではある。
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