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2019年11月17日 (日)

「ひとりの最期」~孤独死をどう考える?

だいぶん前の記事だが、朝日新聞に載っていた孤独死についての話。
(声 どう思いますか)ひとりの最期
  看護師・女性
 家族や親しい人たちだれにもみとられずに死ぬ。「孤独死」と称されることもある「ひとりの最期」。しかし、一人暮らしの人などが一人きりで最期を迎えることは、果たして「孤独」なことなのでしょうか。

 投稿を募ったところ、肯定否定双方の意見や体験談が寄せられました。多くの終末期の患者のみとりに立ち会い、著書に「後悔しない死の迎え方」がある看護師の後閑愛実(ごかんめぐみ)さんのお話とともに紹介します。療養病棟で勤務する後閑さんは、みとりの体験をもとに、人生の最期への向き合い方について執筆や講演活動をしています。だれにでも訪れる命の終わり。あなたの理想はどんな最期ですか。

 ■何より残念、悲しむ人いない死
   事務員 男性(千葉県 81)
 定年退職後、近くの病院で急患の受け付け業務をしています。
 近くの老人ホームから、入所者の症状が急変したので診てほしいと治療の依頼を受けることがあります。医師に診察が可能かを聞き、可能な場合は患者様に来て頂きます。
 一緒に家族も来院される場合もあれば、付き添いが施設の人だけの場合もあります。だいたいの方は治療が終わると帰られますが、治療ではなく、医師の死亡診断書発行のみとなる時もあります。
 その方が一人だったり、身元引受人もいらっしゃらなかったりすると、私はやりきれない思いになります。悲しむ家族がいない死ほど残念なものはありません。この方にも、一人になる前には家族もおられたでしょう。理由があって一人になったのだと思われるのです。
 私は一人暮らしですが、このような最期にならないよう、親戚、知人などにお願いし孤独な死を避けたいと思います。

 ■姉に学んだ、死に方より生き方
   主婦(埼玉県 70)
 ずっと「お一人様」だった姉は一流の着付け師でした。一昨年の1月、70歳で亡くなりました。
 亡くなる2年くらい前から病気が重なり、仕事ができなくなりました。私は通院に付き添ったり、メールや電話で毎日十数回連絡を取ったりしました。しかし、亡くなった時、姉は自宅で一人でした。
 俗にいう「孤独死」です。かわいそうで涙が止まりませんでした。前日までずっと姉に寄り添っていたのです。孤独死とは、思いたくありませんでした。
 でも、姉が生前いつも言っていたことを思い出しました。「私の人生は輝いていた。好きなことをやり、両親の介護もでき、幸せだった」。かわいそうだと思うことは、姉の生き様を否定していることになると気づきました。
 どんな死に方をしたのかではなく、どのように生きたかが大事だと、姉に教えてもらった気がします。

 ■できるなら孤独死を選びたい
 無職 女性(兵庫県 89)
 30年ほど前に、同級生の一人が孤独死されていたことを風の便りに聞き、心底お気の毒にと思った。戦中戦後をともに高等女学校で4年間過ごした友人だ。
 当時は、まだ若くして亡くなったことをかわいそうに思った。だが現在、90歳を目前に控え、ふっとその同級生がうらやましいと思うようになった。周囲に惜しまれて逝かれただろうからだ。
 家族にみとられながら自宅で最期を迎えることは、昔なら当たり前であったが、現在ではぜいたくで結構なことだと言われている。私も夫が亡くなった後、自宅を処分し、今は高齢者施設に独りで住んでいる。
 人は独りで生まれ、独りで死んでいく厳然たる事実は昔とまったく変わらない。誰にも知られないよう、こっそりと死にたい。いまわの苦しさ、もがきを家族にさらさずに死にたい。そんなわがままは許されそうにないが、できることなら孤独死を私は迷わず選びたい。

 ■穏やかに迎えられれば悪くない
   無職 女性(茨城県 74)
 夫の突然の死で一人暮らしになり2年が過ぎた。様々な手続きも済み、これから片付けが待っている。これは手ごわいためなかなか進まず、ため息をついている。
 一人暮らしだから「ひとりの最期」を迎える可能性はある。「ひとりの最期」は文字通り一人きりで死ぬことだ。でも私は「ひとりの最期」=孤独ではないと思う。
 誰もが体力、気力が尽きる日が必ずやってくる。その日までにできることをやり、穏やかに生活できるなら、一人で永遠の眠りにつくのは悪くはない。
 死後しばらくしてから発見されるのは避けたい。そのために家族とコミュニケーションをとり、友人や地域の方とのふれあいを大切にしていきたい。
 このように考えるのは、今自由に動くことができるからかもしれない。自分のこれからを知る由もないが、感謝を忘れずに毎日を過ごしたいと思う。

 ◆人生は物語、死はほんの一場面
 看護師・後閑愛実さん
 先日、勤務している療養病棟で男性患者さんが亡くなりました。末期の肝臓がんの方でした。一人暮らしで、生活保護を受けていたそうです。入院中、お見舞いに訪れる人はいませんでした。
 腹水がたまり、呼吸がさらに苦しくなってきた日、ふと聞いてみました。「○○さんの人生って、どんな人生でしたか」。絶え絶えの声が間髪入れずに返ってきました。「最高。人に恵まれた」
 これまでの日々が走馬灯のように巡ったのでしょうか。1時間半後、亡くなりました。最後の言葉に心の奥が温かくなりました。
 家族などにみとられない死。ここだけ切り取ると、寂しく映るかもしれません。でも、人生は生まれてから死ぬまでが積み重なった物語です。最後の一場面だけで周りの人が物語を評価できるものではないのではと考えます。
 入院患者さんが透析を断り、強引に一人暮らしの自宅での最期を選んだ例もあります。住み慣れた場所での安心できる最期。心からの孤独は感じていなかったのではと思っています。」(2019/11/06付「朝日新聞」P12より)

Z1_01_08 内閣府の資料(ここ)によると、2017年の65歳以上の者のいる世帯は全体の47.2%であり、夫婦だけの世帯は、その内の32.5%、単独世帯は26.4%だという。
つまり、全世帯の15%が65歳以上の夫婦世帯、12%が独居老人世帯ということになる。
Z1_01_09 そして2015年は、65歳以上人口に占める一人暮らしの割合は、男性13.3%、女性21.1%となっているという。

来月、お袋の七回忌がある。6年前に92歳で亡くなったお袋は、75歳の時に父が亡くなってから15年間、一人暮らしだった。玄関先で転んで大腿骨転子部骨折となり、病院から老人ホームに移ったが、たまたま転んだのが玄関だったので、大声を出し、近所の人が来てくれた。
後で考えると、ラッキーだった。一人暮らしは、このような突発的な時に厳しい。

もっとも、結婚していなければ、原理的にずっと一人暮らし。
先日、友人宅のテラスで“ひなたぼっこ”をしながら?コーヒーを楽しむ「コーヒー会」があった。同期の5人が、たまに集まっての雑談会。そこにいつもコーヒーメーカーを持って現れるH君は、同期で唯一の独身者。
我々も72~73歳になり、健康寿命を超える歳になってきた。それで孤独死についても話が出る。
H君に聞く。「突然、体調が悪くなったらどうする?孤独死になる可能性もあるのでは?」「前は、無断欠勤することで異常を見付けてくれるかな?とアルバイトを続けていたが、もう辞めてしまった。」「で?」「今は気にしていない。(幹事役の)Y君がメールの返事が無いって気が付いてくれるのでは?」「でもマンションにカギが無いので入れないのでは?」「そうだな。でも死んだ後は、自分に意識が無いので、どうなっても良い」・・・

確かに、誰に迷惑が行くかは分からないが、自分が死んでしまった後は、「知らん!」と開き直る手もあるのかも・・・

でも、やはり孤独に死んだとしても、早く誰かに見付けて欲しい気はする。
そう言えば、若い時に、外注の会社の若い人が孤独死したことがあった。月曜、火曜と無断欠席したので、同僚が寮に行ってみると、コタツの中で亡くなっていたという。老人に限らず、まだ20代の若者が、突然亡くなることもある。

こんな場合、友人は無力。今までの関係がどうであれ、家族がその役に当たるしかない。
老人の一人暮らしでは、やはり息子に頼るしかないかも。お袋の時も、携帯電話を持たせたり、毎日元気なことを確認する手段を兄弟で色々と考えたが、結局、時間と供に緊張感が薄くなった。
よって、突然死は仕方が無いとして、一人暮らしでの孤独死を避けるには、やはり老人ホームしか無いのかも・・・ね。

「人生は生まれてから死ぬまでが積み重なった物語です。最後の一場面だけで周りの人が物語を評価できるものではないのではと考えます。」という言葉が心に沁みる秋の夜長ではある。


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コメント

うちのマンションでも高齢者の1人住まいがあります。対策を検討しましたが、結論は「倒れるときは倒れる。同居家族が居ても同じ」となりました。問題は、倒れた後、いつ発見してもらえるか、だと。

それで打ち出したことは、
 日頃から相互に気配を伺う仲間を持つ。
 数日にわたり部屋を留守にするときは管理人に声を掛ける、でした。
これしか考えられませんでした。

ただ、これを広報したことで、誰さんがどうしたという話がしやすくなりました。
以前だったら、(心ない)噂話扱いされたのではないかと思いますが、
高齢者同時、これまでつきあいがあろうとなかろうと、気配は感じ合おうという空気が出来ました。

【エムズの片割れより】
先日、(我々よりも年上の)老夫婦で暮らしている隣家から電話があって、「明日から1泊2日で諏訪の方に旅行に行って留守にするのでよろしく」。そして帰ってきた翌日にお土産を持って挨拶に来ました。
我が家は今まで、留守にする時も隣家に言ったことはありませんが、そろそろ、気配を感じてくれる隣家との付き合い方も、変えて行く必要があるかな、と感じました。気配を感じてくれるのは、隣家しかありませんので。

投稿: Tamakist | 2019年11月18日 (月) 17:35

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