梯久美子著「散るぞ悲しき」-硫黄島総指揮官・栗林忠道-を読む
先日、「「新しい時代に、今、伝えたいこと」~ノンフィクション作家・梯久美子氏の話」(ここ)という記事を書いたが、その時に買った梯(かけはし)久美子著「散るぞ悲しき」を読んだ。
ノンフィクションでありながら、小説的な進行とリアリティに、読んでいてワクワクしながらも深い感動を覚えた。
本の解説で柳田邦男氏が、「何と深い教訓を」という題で解説文を書いていた。ここに書かれたいたことが、自分の感想にピッタリだった。
この柳田邦男氏の解説から、この本の要について書かれていた部分を抜き書きしてみる。
「本土防衛のために、米軍の進撃を少しでも遅らせよという命を受けた硫黄島守備隊は、敗戦の約五力月前の昭和二十年三月、凄絶な地上戦の末に玉砕を遂げるのだが、大本営宛に最期を告げる悲痛な訣別電報の神髄にかかわる部分が、当時改変されて新聞に発表されていたというのだ。梯さんは、そのことを、栗林中将の遺族が保存していた電報の原文と、当時の新聞に掲載された発表文とを照合することによって発見し、検証していた。さらに、訣別電報の本文に添えて打電されてきた辞世の短歌三首のうち、栗林中将の心情を率直に吐露している第一首までが改竄されていたのだ。
最も重要な点のみを比べると、次のようになっている。
〔原文〕は「敵来攻以来、麾下(きか)将兵の敢闘は真に鬼神を哭(なか)しむるものあり。特に想像を越えたる物量的優勢を以てする陸海空よりの攻撃に対し、宛然徒手空拳(えんぜんとしゅくうけん)を以て克(よ)く健闘を続けたるは……」となっているのに、〔発表文〕では、傍線を付した「宛然徒手空拳を以て」という表現が削除されている。
つまり、米軍は制空権・制海権を完全に握って空爆と艦砲射撃で徹底的に島内の陣地を破壊したうえに、上陸した海兵隊は重火器を駆使して、日本軍の地下壕や洞窟を次々に焼き尽してきている。これに対し日本軍は、兵器も食糧も補給されず、わずかばかりの機関銃と小銃で地下壕や洞窟からのゲリラ的抗戦をするだけだった。それは圧倒的な物量を誇る米国対資源の枯渇した日本の、非情な戦争を象徴するものだった。
栗林中将は、「徒手空拳」という一語に、部下二万の将兵をむざむざ死に追いこまざるを得ない悲痛な心情とせめてもの贐(はなむけ)の気持ちとを凝縮させて表明していた。だが、大本営はそんな無力感を漂わせた表現、いわば「泣き言」では、国民の志気高揚を阻害すると判断して、削除したに違いない。しかも原文にはなかった「皇国の必勝と安泰とを祈念しつヽ全員壮烈なる総攻撃を敢行す」の文をはじめのほうに書き加えていた。
さらに辞世の歌第一首については、次のように書き変えられていた。
〔原文〕 国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
〔発表文〕国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ口惜し
「悲しき」が「口惜し」に置き換えられているのだ。これによって歌の意味は全く違ったものになってしまう。「かなし」は、日本古来の文化の中で、意味が多様で深みのある言葉として大事にされてきたキーワードだ。人間がこの世に生まれて人生を生きていく中では、様々な波乱があり、非情な運命にも遭遇する。人はそういう「かなしみ」を内に秘めて生きている。文人肌と言われた軍人だった。ジャーナリストになろうかと思った時期もあった。その栗林中将が、「散るぞ悲しき」という表現を使ったのは、人間の運命や人生の不条理に対する深い哀感を表現したものであったろう。ところが、「散るぞ口惜し」となると、「勝利をおさめられなくて悔しい」といった、極めて表面的で通俗的な意味になってしまう。
遺族の手許に残されたその電報の原文を見ると、辞世の歌第一首の「悲しき」の文字が黒い墨の線で消され、横に「口惜し」と書き直した文字があり、歌の頭のところには、朱書きで二重丸が記してあるという。鮮やかな朱色と生々しい黒の線。梯さんの文章は、随所でこのようにイメージが鮮やかで、時代を超えて伝わってくるリアリティがある。」(梯久美子著「散るぞ悲しき」解説p292より)
この本についてのコメントはない。ここまで緻密なドキュメントに対して、畏れ多くてとてもコメントなど出来ない。それにしても、この本を書いたのが当時43歳だった女性だということに驚く。しかも氏の第1作目。
改めて、解説の柳田邦男氏の言葉を借りて、なるほとと思った言葉を記してみる。
「《二万の将兵の一人々々を大事にして、全部下と一体になって「生と死」の道を歩んだこと。》
わずかばかりの食糧しかない中で、毎日の食事について、自分を含めて将校も兵士も同じものを配膳し、差をつけることを禁じた。現場を視察する時には、一兵卒に対してでも気さくに声をかけ励ました。米軍は捕虜になった日本軍の将兵たちのほとんどが、総指揮官の顔を見、肉声を聞いて、親近感を抱いていると言うので、驚いたという。
《厳しい地下陣地の戦闘だったにもかかわらず、発狂者が出なかったこと。》
米軍側は空母部隊の乗組員の中から、日本軍の航空機による「カミカゼ攻撃」(「自殺攻撃」とも呼んだ。特攻隊の体当たり攻撃のこと)の恐怖のために、戦争神経症に陥る兵士が続出し、その総数は何千人にも上った。硫黄島に上陸した海兵隊も頑強な兵士ぞろいだったがやはり発狂者が続出した。(そのことがアメリカの精神医学、とくにトラウマの研究を発達させた。)これに対し、日本軍の守備隊に発狂者が出なかったのは、奇跡だと後に米軍を驚嘆させた。おそらくそれは、栗林中将の全将兵平等主義と全員が総指揮官を信頼し一体感を持っていたことが、重要な要因になっていたに違いない。また若年兵が「故郷の空」などを歌って涙を流しても、女々しいなどと言って禁じなかったことも、大事な要因だったろう。
《島の住民たちをいち早く本土に避難させたこと。》
栗林中将は、軍隊は一般国民の命を守るために存在しているという意識を強く持っていた。そこで着任した翌月(昭和十九年七月)には、約一千人いた烏民を十二日間で本土へ送還している。沖縄の住民が軍も民間人も一体となって戦い抜けという国家命令の下、軍とともに行動して集団自殺を遂げた悲劇とあまりにも対照的だ。
栗林中将は、玉砕する前に、戦訓電報を送り、その中で、無意味な水際作戦への軍中央のこだわりが、後退配備の陣地構築を阻害したことや、航空機の補給の目途などないのに飛行場拡張工事をさせられ続けたことを批判した。さらに根本的には「陸海車の縄張的主義を一掃し両者を一元的」にしなければならぬとまで提言していた。しかし、これらの批判と提言は軍中央の大本営において真剣に顧慮されなかった。しかも驚くべきことに、戦後に編集され現在も活用されている公刊戦史でさえ、最後の陸海軍の縄張り争いの頂は削除されているのだ。(p245参照)
一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏ら経営学や組織論などの専門家六人が共同研究の成果を一九八〇年代はじめに発表した『失敗の本質』(ダイヤモンド社)は、日本車が教訓を生かさないために主要作戦で大きな失敗を繰り返していったことを鋭く分析し、その中でも陸海軍の縄張り争いを厳しく指摘した。しかし、栗林中将が二万の犠牲を無駄にしないために、率直に失敗の要因を戦訓として報告しても、何の都合があってか、いまだにその指摘は公には伏せられてしまうのだ。今に至るも日本の省庁のタテ割り行政と権益争いが改善されないのは、国民が血を流しても、その歴史の教訓を学ぼうとしないこの国のリーダーたちの心の貧困を示すもので、いまさらながら愕然とする。
『散るぞ悲しき』は、何と多くの今日に通じる教訓をあらためて白日の下にさらけ出してくれたことかと思う。」(同p299より)
この本が発行されたのは2006年。そして、この柳田邦男氏の解説が載った文庫の発行は2008年8月だという。
そして今の安倍政権は、第一次内閣が2006年9月に、第二次内閣は2012年に発足している。
梯久美子氏、及び解説の柳田邦男氏の日本のリーダーに対する指摘と嘆き・・・。まさに、現在の政治状況を事前に予言したかのようだ。
つまり、この本を読んで、戦時下での大本営の命令と、今の政治の動きが、あまりに似ているのでゾッとした。
臭い物にはフタ。都合の悪いことは、無かったことに。弱い庶民は切り捨て、自分たちのメンツだけで、棚の上から命令。
しかし、この本は一家の蔵書として取っておくべき本。次の世代に引き継ぐべき本だと思う。まさに柳田邦男氏が「何と深い教訓を」と題したのが分かる。
これを機に、改めて硫黄島を描いた「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」とい映画を見てみようかと思った。
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