「政治家の失言~辞任すればそれでいいのか?」
先日、こんな記事を見付けた。
最近のバッカみたいな日本の政治に辟易して、挙げる気にもならなかったが、この一文は“然り”と思って、挙げてみた。
「政治家の失言と外交に及ぼす影響─辞任すればそれでいいのか?
菅原一秀前経産相の辞任から1週間、河井克行法相が辞任した。しかし、内閣改造からわずか2ヵ月の間に起こったこの出来事に、“辞任慣れ”した世間はさほど驚かなくなっている。だが、それこそが由々しき事態なのかもしれない。朝日新聞元政治部長の薬師寺克行氏が解説する。
「辞任」すれば責任を取れるのか?
どうやら閣僚が自らの不祥事や失言がきっかけで辞任することに慣れっこになってしまったようで、今回の菅原一秀経産相や河井克行法相の辞任騒動も、「またか」と見過ごしてしまいそうになった。
ところが落ち着いて考えてみると、腑に落ちない点がいくつかあった。菅原氏の場合、事の発端は秘書が菅原氏の指示で、選挙区内の支持者に香典を渡したり、メロンなどの品物を贈ったりしていたと週刊誌に報じられたことだ。河井氏も、参院選で運動員に法定の上限額を超える報酬を渡していたと報じされた。これが事実であれば、明らかに公職選挙法違反となるはずだ。
辞任に際して菅原氏は秘書が香典を渡した件は認めたが、自分も渡したので、秘書の渡した香典は返却されたと説明した。だから違法性はないということだろう。そして辞任の理由は「国会の法案審議の停滞」としている。肝心の事実関係については「今後調査し、説明責任を果たしていく」と語った。
河井氏も「政治家として責任を取るのではなく、法務大臣として法に対する国民の信頼を損ないかねない疑義が生じたことに責任を取る」と意味不明の理由を挙げた。
2人とも国会審議への影響などが辞任の理由であり、、法律違反を犯したことが辞任の理由ではない点で共通している。
もし菅原氏や河井氏が違法行為を認めれば、国会議員を辞めることが筋であろう。しかし、苦労して手に入れた衆院議員のポストは手放したくない。ここは潔く閣僚を辞める。そうすればマスコミの報道は一気になくなり世間の関心も別のことに向いてしまう。
事実関係については「調査中」と言って放置しておけば、そのうちほとぼりも冷めてしまう。そして次の総選挙で当選すれば、有権者のみそぎを受けたといえる。それで万々歳というわけである。
結局、警察が捜査でもしない限り、菅原氏が公職選挙法に違反することをしたかどうかは、明らかにならないまま終わってしまう。菅原氏の言う「説明責任」はどこかに消えてしまうのだ。
もう一つ、菅原氏の辞任を受けて安倍首相は「任命責任は私にあり、国民に深くおわび申し上げる」と述べた。この「任命責任」とは何であろうか。菅原氏のような問題ある人間を閣僚に起用した安倍首相にも責任があるという意味になる。
安倍首相もそれを認めた。ではどう責任をとるのか。安倍首相は何も語っていないし、何もしていない。マスコミはこうした問題が起きるたびに「首相の任命責任が問われる」とこぶしを上げる。ところが首相が「私に任命責任がある」と認めると、矛を収めてしまう。そして首相が任命責任をとって何かしたという話はついぞ聞かない。
つまり、日本の政治における閣僚辞任劇は、辞める側も、任命した側も、肝心なことをあいまいにしたままで終わる儀式となっているのだ。「説明責任」や「任命責任」については、「辞任したのだから、これ以上追求しないのが武士の情けだ」という義理人情の世界に収まってしまっている。
歴史に関する問題発言が多かった90年代
菅原氏のように、問題が国内だけで自己完結している場合は、理屈抜きの曖昧な決着で済んでしまうのかもしれない。しかし、問題が外交に関連するような場合はそうはいかない。
90年代を中心に、閣僚の辞任理由は金銭スキャンダルのほかに、歴史問題に関する不用意な発言が多かった。
94年には長野茂門法相(羽田孜内閣)が「南京大虐殺はでっち上げだ」と述べて辞任。同じ年、桜井新環境庁長官(村山富市内閣)は「日本は侵略しようと思って侵略したのではない」と発言してやはり辞任。よく95年には江藤隆美総務庁長官(村山内閣)が「植民地支配で日本は韓国に良いこともした」と述べて、辞任した。
98年には中川昭一農水相(小渕恵三内閣)が就任記者会見で従軍慰安婦問題について「教科書に載せるということに疑問を感じている」と発言したが、直後に撤回した。
また、少しさかのぼるが86年には藤尾正幸文相(中曽根康弘内閣)が月刊文藝春秋のインタビューで日本の植民地支配について、「韓国側にもやはり幾らかの責任なり、考えるべき点はあると思う」と発言し、中曽根首相が撤回や辞任を求めたが応じなかったため罷免された。
いずれも自民党タカ派議員が閣僚に就任し、記者会見などの場で自分の歴史観や信念を率直に述べて問題化したものだ。これらのケースには辞任に追い込まれるまで共通したパターンがある。
発言が報道されると、それが中国や韓国のメディアに「妄言」などとして転電され、中韓国内で反発が高まる。それを受けて中韓両国政府が日本政府に撤回などを求めて抗議する。予定されている首脳会談など外交日程がキャンセルされる可能性が出てくる。一方、国内では野党が反発し国会審議で取り上げ追求する構えを見せる。
内政、外交ともに行き詰まる可能性が出てきたら、首相や官房長官がその閣僚に発言の撤回や辞任を求める。多くの閣僚は自らの発言が外交や国会運営に影響を与えることを理由に辞任する。
日本的処理がもたらす不信感
これらの辞任にも腑に落ちない点がある。こうした発言は、戦前の日本の歴史を美化したり正当化している点で共通している。ところが日本政府は植民地支配や侵略について「謝罪」や「反省」を表明している。従って閣僚の発言は政府の立場に反する。重要政策についての見解が政府と異なっているのであるから、そもそも閣僚にふさわしくないのだ。
ところがほとんどの閣僚は発言内容の非を認めることなく、外交や国会運営の停滞回避を理由に辞任している。また、任命した首相は、問題発言の内容について、それを批判することもなく辞任を受け入れている。罷免という異例の対応に踏み切った中曽根内閣も「個人としては自民党内にいろんな意見がある」(後藤田正晴官房長官)として、藤尾氏の発言を直接的には批判しなかった。
閣僚は自分の発言そのものについては何ら反省も訂正もせず、例によって国会等形式的なことを理由に辞任することでその場をとりつくろっているのだ。
菅原氏のケース同様、「説明責任」も「任命責任」もあいまいなまま決着されており、中韓両国の発言内容に対する批判には全く答えていないのである。
こうした閣僚の歴史問題に関する発言が続いたのは90年代のいわゆる「ハト派政権時代」だった。2000年代に入ると、特に第2次安倍政権になると全く出ていない。安倍首相自身が自民党の代表的タカ派議員であるということから、あえてそうした発言をする必要がないということであろう。だからと言って外交関係が安定するわけではない。
問題はこうした発言をした議員が辞任後も、自説を変えることなく党の幹部などとして政治活動を続けていることだ。日本側からすれば、発言について責任をとって閣僚を辞めたのだからそれで充分だとなるのかもしれない。
しかし、中韓両国から見ると、本人も首相も、発言内容の非を認めていないのだから、同じような歴史認識を持っている国会議員がほかにも多くいるのではないか、そして似たような発言が今後も閣僚から飛び出すのではないか、あるいはこうした考え方が日本の政策に反映されるのではないかと疑うのは当然だろう。つまり、中韓両国の政府や国民は日本に対する不信感をぬぐい切れないままでいるのだ。
日本政府は歴代首相が繰り返し謝罪や反省を表明し、従軍慰安婦問題では基金を作り、見舞金と共に首相の手紙を届けてもいる。こうした努力が素直に評価されないのも、背景にはこれまでの経緯を踏まえた日本に対する不信感が横たわっているためだろう。
閣僚の問題発言の日本的処理が、相手国の政府や国民の心に深い不信感を生み出し、それが今も続いていることを軽く見てはいけないだろう。
PROFILE
薬師寺克行
東洋大学社会学部教授。東京大学文学部卒業後、朝日新聞社入社。主に政治部で国内政治や日本外交を担当。政治部次長、論説委員、月刊誌『論座』編集長、政治部長、編集委員などを経て、現職。著書『現代日本政治史』(有斐閣)、『証言 民主党政権』(講談社)『公明党 創価学会と50年の軌跡』(中公新書)ほか多数。」(2019/11/06付「クーリエ・ジャポン」ここより)
自分は常々この手の話を聞くとき、「失言」という言葉に違和感を覚えていた。「失言」という言葉は「間違って言ってしまった言葉」と感じるから・・・。本当に間違って言った言葉か?といつも感じていた。
そもそも「失言」とは何か?広辞苑を引くと、
しつ‐げん【失言】 言ってはいけないことを、不注意で言ってしまうこと。言いあやまり。過言。「―が多い」
とある。
なるほど。「言ってはいけないことを、不注意で言ってしまうこと。」は、閣僚としての立場から、その通りかも知れない。しかし「言いあやまり。」というのはおかしい。そもそも“本人の本音”を言っているのだから、「言いあやまり」では無いだろう。
昔、こんな“失言”で更迭された閣僚がいた。
2010年11月14日、柳田法相は地元の後援会の挨拶で、
「法務大臣とはいいですね。2つ覚えておけばいいんですから。
「個別の事案についてはお答えを差し控えます」これがいいんです。分からなかったらこれを言う。
で、あとは「法と証拠に基づいて適切にやっております」
そして実際に、「個別の事案についてはお答えを差し控えます」は16回、「法と証拠に基づいて適切にやっております」は17回答弁で実際に使っているという。
ところで、安倍首相の「任命責任は私にあり・・・」という言葉を何回使ったのだろう?
ググっていたら、こんな記事を見付けた。
「2014年:小渕優子経産相、松島みどり法相
2015年:西川公也農相
2016年:甘利明経済再生担当相
2017年:今村雅弘復興相、稲田朋美防衛相
2019年:桜田義孝五輪担当相
2018年、体調不良で辞任した江崎鉄磨沖北相を除く、実に上記7閣僚辞任のたびに、私たちは「任命責任は私にある」との安倍首相の言葉を聞かされ続けてきました。
・・・
●今までも任命責任など口ばかりだったではないか
●今度こそ責任取るのか
●どう取るのか
●また国民を誤魔化すのか
私の知る限りにおいて、これらの質問を安倍首相にぶつけた記者はいないようです。」(ここより)
怒らない日本人。熱しやすく冷めやすい日本人。
そして、事なかれ主義が蔓延する日本の選挙。
ユニクロの柳井正氏の言葉ではないが、「このままでは日本は滅びる」(ここ)。
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