宇崎竜童さんが語る内耳破損
こんな記事があった。
「聞こえづらくなると心の視野が…宇崎竜童さん語る内耳破損
30代の前半に出演していた映画で、弾着(少量の火薬や血のりが設置された装置)をつけてピストルで撃たれるという役をやりました。打たれた瞬間、耳の近くで大きな破裂音がしたのですが、実はそのとき耳栓をしていなくて、じかに爆音を受けてしまったんです。
監督の「カット!」という声で立ち上がった瞬間、グラ~ンと世界が揺れました。それはそれまで体験したことのない大きな揺れで、「どうしたんだ、オレ?」という感じ。めまいはしばらくたって治まったのですが、それ以降、ずっと高音の耳鳴りが続きました。 町医者に行っても、検査もせずに「悪いところが分からない」と言う。少しそのまま様子を見てて、でもやっぱり治まらないので大きい病院に行って検査をしたら「内耳破損」と言われました。
僕は聴神経を「アンテナ」と呼んでいます。耳には何本かのアンテナが立っているのですが、僕の右耳は3本あるうちの1本のアンテナが倒れているということでした。
特に高音の周波数が聞こえない。うちの奥さん(阿木燿子)はファルセットで周波数が高い。だから声をかけられても、隣室にいるのか階段下にいるのか上にいるのかが分からない。顔が見えれば大丈夫なのですが、姿が見えずに声だけ聞こえると、うまく聞き取れません。
治療法はなく、補聴器をつけて対応するしかないとのこと。診断結果を聞いたとき、「あぁ、オレは難聴になっちゃったんだ……ミュージシャンなのになぁ」と思いました。
とはいうものの、ミュージシャンは難聴が多いと思います。スタジオではヘッドホンでじかに爆音を聞いている。長年、耳を酷使しているわけです。
特にドラマーは、激しい破裂音を始終聞いていますから、耳を傷めるケースが多いようです。彼らのヘッドホンで音を聞かせてもらったことがありますが、それはそれはすごい音量。レコーディング中に具合が悪くなって吐いているドラマーを見たこともあります。
病院に行ってからしばらくたって、テレビの生放送でインタビューを受けているとき、質問するアナウンサーの声がよく聞こえないことがありました。
台本を思い出しながら質問を想定して自分なりに答えたのですが、収録後にマネジャーから「あのとき、質問と答えが合っていませんでしたよ」と言われました。トンチンカンな答えをしてしまったんです。
耳が聞こえづらくなると、人の話が聞こえないから、聞こえているふりをするようになる。最初のうちは聞き返すけれど、それも度重なると聞かれたほうも自分もわずらわしい。聞こえているふりだから、実際には話を聞いていないわけで、だんだんと心の視野が狭くなってくるんです。
打ち上げなどで大人数がいて、賑やかな店だと話が聞き取れなくて疎外感を感じたりもします。たかが難聴、されど難聴で、耳が聞こえにくいというのはパッと見、誰にも分からないから始末が悪いのです。
■もっと気軽に皆さんが補聴器を使えるようになるといい
そんなとき、雑誌のインタビューで「耳が聞こえにくくなった」という僕の記事を読んだある補聴器メーカーの方が、補聴器を贈ってくださったんです。その後、何個か補聴器を替えて、補聴器にもいろいろあることが分かりました。小さな音を多く拾ってしまって肝心の声が聞きづらかったり、常にノイズが聞こえていたり、耳のサイズに合わずに違和感を感じたり……。
いまつけている補聴器はとても小さい。耳の穴に粘土を入れて密着させ、型を取って自分の耳穴に合った形でズレることもなく、とても調子がいい。最近、もっといいモノが出たらしいので、また見に行こうと思っているところです。
補聴器をつけることを恥ずかしいと思う人がいらっしゃるようですが、僕はそうは思わない。目が悪ければ眼鏡をするように、耳が悪ければ補聴器をつければいい。もっと気軽に皆さんが補聴器を使えるようになるといいと思います。ただ、良い補聴器は高額です。保険が利くなどして値段が安くなると、もっと多くの方が気楽に使えるようになると思います。
最近、僕は自分が作曲した歌なのに正確な音程で歌うことが難しくなってきています。難聴はますますひどくなって、30代のときに作った当時の音域のままでは高音が出なくなってきたことに加えて、耳が聞こえにくいから音程を外してしまうこともあります。
ですから、60歳をすぎてから、ボイストレーナーの先生に特別なレッスンをしていただいています。耳が聞こえにくいなら、体の別の部分に共鳴させて正しく音を出すようにするというメソッドです。なかなか難しいですけど、この年で新しいことに挑戦できると自分を励まして、日々、鍛錬しているところです。(聞き手=池野佐知子)
▽うざき・りゅうどう 1946年、東京都出身。「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」で人気を博し、解散後は竜童組、宇崎竜童&RUコネクションwith井上堯之、ソロなどで活躍。妻で作詞家の阿木燿子とのコンビで、山口百恵のヒット曲を手掛けたことでも知られるほか、多くの楽曲を提供し、作曲家としての人気も高い。俳優としても活躍中。」(2019/11/25付「日刊ゲンダイ ヘルスケア」ここより)
この記事を読んで、“宇崎さんも自分の仲間なんだ~”と思った。難聴仲間・・・
あの偉大なるミュージシャンの宇崎竜童さんが、何と30歳で難聴を患っていたとは・・・。30代の前半というと、山口百恵が引退した頃。まさに宇崎さんとしては、作曲家として絶頂期。その時に、難聴とは、心中を察するに余りある。
同期の連中も、難聴の話を聞くようになってきた。その道の老舗である自分が、突発性難聴に罹ったのが1998年。50歳の頃(ここ)。そのときに相談したのが、当時メニエール病で片耳がダウンしていたT君。
そのT君も、最近は残った聞こえる方の耳も、調子が悪いらしく、皆でワイワイする同期会には出て来なくなった。でも少人数の会には出てくる。多人数での話が苦手という。
でも、少し声は大きいが、補聴器無しでも、そんなに違和感なく話している。
大きな血液のガンを患ったA君は、常に補聴器をしている。頭の手術の後遺症らしい。
前に、テレビの音が聞こえず、ボリュームを上げて家族から顰蹙(ひんしゅく)を買っているとう話を聞き、SONYの「お手元テレビスピーカー」という製品があることを教えてあげたら、直ぐに買って、重宝して使っているという。
これは、昔、お袋が老人ホームにいたときに、耳が遠いのでテレビの音を大きくして、隣室から苦情が出たときに研究した成果。
自分など、趣味で音楽を聞いているだけだが、ミュージシャンにとって耳は商売道具。
音楽家の難聴では、ベートーベンが有名だが、ドラマーなど、難聴は職業病のようだ。
宇崎さんも家庭内では色々と不都合があったらしいが、我が家はそこまでは行っていない。しかし、右耳がダメなので、カミさんに右隣に座られて話しかけられると分からない。
それで、いつも、左側から話をしてもらっている。
今日、たまたま所要があって特養に行った。特養の方が話すには、今では介護度3以上で無いと入れないそうだ。
そろそろ我々も良い歳。体のあちこちが故障することも仕方が無い。あきらめの境地。
でも、彼の宇崎竜童さんも、若い頃から難聴だと聞いて、つい嬉しくなってしまった(失礼!)。決して「人の不幸は蜜の味」では無いのだけれども・・・
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