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2019年11月の10件の記事

2019年11月28日 (木)

千葉紘子の「愛は限りなく」~歌詞とリズムがずれる妙

先日、千葉紘子の「愛は限りなく」を聞いた。それまでは、伊東ゆかりの歌が自分には定番だったが、それに匹敵する素晴らしい歌唱である。

<千葉紘子の「愛は限りなく」>

「愛は限りなく」
  作詞:D.Modugno
  訳詞:あらかはひろし
  作曲:D.Modugno

雲が流れる空を
あなたの胸の 白いハンカチのように
その白さが 胸にしみる

Dio, come ti amo! このしあわせを
胸いっぱいに 抱きしめたい
甘いくちづけ やさしい言葉
しあわせすぎて こわいくらいなの
Dio, come ti amo! このしあわせを
涙でそっと あたためたい
愛はよろこび 愛は悲しみ
つばめのように 自由に空を
それが愛なの?
流れのように 自由に海へ
それが恋か?
Dio, come ti amo!

愛はよろこび 愛は悲しみ
つばめのように 自由に空を
それが愛なの?
流れのように 自由に海へ
それが恋か?
Dio, come ti amo!
Dio, come ti amo!

伊東ゆかりのこの歌を取り上げたのは、もう10年も前のこと。「伊東ゆかりの「愛は限りなく」と佐川満男の「今は幸せかい」」(ここ)というタイトルだった。
改めて聞いてみよう。伊東ゆかりのこの歌は、2つの音源を持っているが、この録音の方が好き。

<伊東ゆかりの「愛は限りなく」>

もちろんこの歌は、カンツォーネだが、伴奏の無いバラード風な歌で、かなりの歌唱力が要求される。

そして、この「愛は限りなく」は、曲のリズムと歌詞のアクセントとが微妙にずれ、何とも言えない雰囲気を醸し出す。
つまり、
「それが愛なの? 流れのように 自由に海へ それが恋か?」
の部分が、曲のリズム(4/4拍子)と歌詞のアクセントがずれて、何となく不安定さを生じさせる。

前に、さだまさしだったかどうか忘れたが、音楽のリズムと言葉のアクセントは曲作りには欠かせず、歌詞(言葉)を口に出していると自然に旋律が出来るという。つまり、やはり言葉とリズムとは一体なのだ。

次にジリオラ・チンクエッティのオリジナルを聞いてみよう。

<ジリオラ・チンクエッティの「愛は限りなく」>

もちろんジリオラ・チンクエッティも伊東ゆかりも、そして千葉紘子も同じ。
しかし、少し違う編曲もある。倍賞千恵子の歌は、それほど違和感が無い。

<倍賞千恵子の「愛は限りなく」>


そして、自分の持っている音源の中で、もっとも違和感が無いのが、レイモン・ルフェーブルの演奏。

<レイモン・ルフェーブルの「愛は限りなく」>

ともあれ、聞いていて何が不安定になる名曲ではある。

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2019年11月25日 (月)

宇崎竜童さんが語る内耳破損

こんな記事があった。
聞こえづらくなると心の視野が…宇崎竜童さん語る内耳破損
 30代の前半に出演していた映画で、弾着(少量の火薬や血のりが設置された装置)をつけてピストルで撃たれるという役をやりました。打たれた瞬間、耳の近くで大きな破裂音がしたのですが、実はそのとき耳栓をしていなくて、じかに爆音を受けてしまったんです。
 監督の「カット!」という声で立ち上がった瞬間、グラ~ンと世界が揺れました。それはそれまで体験したことのない大きな揺れで、「どうしたんだ、オレ?」という感じ。めまいはしばらくたって治まったのですが、それ以降、ずっと高音の耳鳴りが続きました。
191125uzaki  町医者に行っても、検査もせずに「悪いところが分からない」と言う。少しそのまま様子を見てて、でもやっぱり治まらないので大きい病院に行って検査をしたら「内耳破損」と言われました。
 僕は聴神経を「アンテナ」と呼んでいます。耳には何本かのアンテナが立っているのですが、僕の右耳は3本あるうちの1本のアンテナが倒れているということでした。
 特に高音の周波数が聞こえない。うちの奥さん(阿木燿子)はファルセットで周波数が高い。だから声をかけられても、隣室にいるのか階段下にいるのか上にいるのかが分からない。顔が見えれば大丈夫なのですが、姿が見えずに声だけ聞こえると、うまく聞き取れません。
 治療法はなく、補聴器をつけて対応するしかないとのこと。診断結果を聞いたとき、「あぁ、オレは難聴になっちゃったんだ……ミュージシャンなのになぁ」と思いました。
 とはいうものの、ミュージシャンは難聴が多いと思います。スタジオではヘッドホンでじかに爆音を聞いている。長年、耳を酷使しているわけです。
 特にドラマーは、激しい破裂音を始終聞いていますから、耳を傷めるケースが多いようです。彼らのヘッドホンで音を聞かせてもらったことがありますが、それはそれはすごい音量。レコーディング中に具合が悪くなって吐いているドラマーを見たこともあります。
 病院に行ってからしばらくたって、テレビの生放送でインタビューを受けているとき、質問するアナウンサーの声がよく聞こえないことがありました。
 台本を思い出しながら質問を想定して自分なりに答えたのですが、収録後にマネジャーから「あのとき、質問と答えが合っていませんでしたよ」と言われました。トンチンカンな答えをしてしまったんです。
 耳が聞こえづらくなると、人の話が聞こえないから、聞こえているふりをするようになる。最初のうちは聞き返すけれど、それも度重なると聞かれたほうも自分もわずらわしい。聞こえているふりだから、実際には話を聞いていないわけで、だんだんと心の視野が狭くなってくるんです。
 打ち上げなどで大人数がいて、賑やかな店だと話が聞き取れなくて疎外感を感じたりもします。たかが難聴、されど難聴で、耳が聞こえにくいというのはパッと見、誰にも分からないから始末が悪いのです。

もっと気軽に皆さんが補聴器を使えるようになるといい
 そんなとき、雑誌のインタビューで「耳が聞こえにくくなった」という僕の記事を読んだある補聴器メーカーの方が、補聴器を贈ってくださったんです。その後、何個か補聴器を替えて、補聴器にもいろいろあることが分かりました。小さな音を多く拾ってしまって肝心の声が聞きづらかったり、常にノイズが聞こえていたり、耳のサイズに合わずに違和感を感じたり……。
 いまつけている補聴器はとても小さい。耳の穴に粘土を入れて密着させ、型を取って自分の耳穴に合った形でズレることもなく、とても調子がいい。最近、もっといいモノが出たらしいので、また見に行こうと思っているところです。
 補聴器をつけることを恥ずかしいと思う人がいらっしゃるようですが、僕はそうは思わない。目が悪ければ眼鏡をするように、耳が悪ければ補聴器をつければいい。もっと気軽に皆さんが補聴器を使えるようになるといいと思います。ただ、良い補聴器は高額です。保険が利くなどして値段が安くなると、もっと多くの方が気楽に使えるようになると思います。
 最近、僕は自分が作曲した歌なのに正確な音程で歌うことが難しくなってきています。難聴はますますひどくなって、30代のときに作った当時の音域のままでは高音が出なくなってきたことに加えて、耳が聞こえにくいから音程を外してしまうこともあります。
 ですから、60歳をすぎてから、ボイストレーナーの先生に特別なレッスンをしていただいています。耳が聞こえにくいなら、体の別の部分に共鳴させて正しく音を出すようにするというメソッドです。なかなか難しいですけど、この年で新しいことに挑戦できると自分を励まして、日々、鍛錬しているところです。(聞き手=池野佐知子)

▽うざき・りゅうどう 1946年、東京都出身。「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」で人気を博し、解散後は竜童組、宇崎竜童&RUコネクションwith井上堯之、ソロなどで活躍。妻で作詞家の阿木燿子とのコンビで、山口百恵のヒット曲を手掛けたことでも知られるほか、多くの楽曲を提供し、作曲家としての人気も高い。俳優としても活躍中。」(2019/11/25付「日刊ゲンダイ ヘルスケア」ここより)

この記事を読んで、“宇崎さんも自分の仲間なんだ~”と思った。難聴仲間・・・
あの偉大なるミュージシャンの宇崎竜童さんが、何と30歳で難聴を患っていたとは・・・。30代の前半というと、山口百恵が引退した頃。まさに宇崎さんとしては、作曲家として絶頂期。その時に、難聴とは、心中を察するに余りある。

同期の連中も、難聴の話を聞くようになってきた。その道の老舗である自分が、突発性難聴に罹ったのが1998年。50歳の頃(ここ)。そのときに相談したのが、当時メニエール病で片耳がダウンしていたT君。
そのT君も、最近は残った聞こえる方の耳も、調子が悪いらしく、皆でワイワイする同期会には出て来なくなった。でも少人数の会には出てくる。多人数での話が苦手という。
でも、少し声は大きいが、補聴器無しでも、そんなに違和感なく話している。
大きな血液のガンを患ったA君は、常に補聴器をしている。頭の手術の後遺症らしい。
前に、テレビの音が聞こえず、ボリュームを上げて家族から顰蹙(ひんしゅく)を買っているとう話を聞き、SONYの「お手元テレビスピーカー」という製品があることを教えてあげたら、直ぐに買って、重宝して使っているという。
これは、昔、お袋が老人ホームにいたときに、耳が遠いのでテレビの音を大きくして、隣室から苦情が出たときに研究した成果。

自分など、趣味で音楽を聞いているだけだが、ミュージシャンにとって耳は商売道具。
音楽家の難聴では、ベートーベンが有名だが、ドラマーなど、難聴は職業病のようだ。

宇崎さんも家庭内では色々と不都合があったらしいが、我が家はそこまでは行っていない。しかし、右耳がダメなので、カミさんに右隣に座られて話しかけられると分からない。
それで、いつも、左側から話をしてもらっている。

今日、たまたま所要があって特養に行った。特養の方が話すには、今では介護度3以上で無いと入れないそうだ。
そろそろ我々も良い歳。体のあちこちが故障することも仕方が無い。あきらめの境地。
でも、彼の宇崎竜童さんも、若い頃から難聴だと聞いて、つい嬉しくなってしまった(失礼!)。決して「人の不幸は蜜の味」では無いのだけれども・・・

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2019年11月22日 (金)

ココログのGoogle検索順位悪化の原因はhttps未対応のため??

当サイトは@niftyの「ココログ」を利用している。2006年6月スタートなので、もう13年以上続けている。このココログの管理ページに「アクセス解析」というページがあり、「アクセス数」をはじめ、「ページビュー数ランキング」など、どのページが、どこからアクセスされているかの情報が得られる。
「ページビュー数」で見ると、ピーク時は1日に5000~6000アクセスあったこともあり、カウンターが日々増していった。
以前、2017年2月18日の「「エムズの片割れ」アクセス1000万を達成」(ここ)という記事で振り返っている。2017年頃までは、1日平均で4000アクセス台だった。

実は、それ以降、段階的にアクセス数が激減しているのだ。
1月の平均でトレンドを見てみると、
2014年01月 一日平均 4,431
2015年01月 一日平均 4,322
2016年01月 一日平均 4,315
2017年01月 一日平均 4,480
2018年01月 一日平均 2,314
2019年01月 一日平均 2,366

そして、今月(2019年11月)に至っては1300台。
191122access その推移をグラフ化したのがこれ。
見ると、2017年9月~10月頃に何かがあった。そして2019年9月~10月頃にも何かがあったことが分かる。
これは多分、Google内での検索アルゴリズムの変更によって、当サイトの記事の検索順位が下げられたのだろうことは分かっていた。しかしその原因が分からなかった。

先日、ココログの「お知らせ」に「ユーザーブログのHTTPS化に対応しました。開始日2019年11月11日(月)」ここ)という記事があるのに気が付いた。

もちろん自分はHPの原理には詳しくないので、Netで"https”をググってみた。すると、何とGoogleが、https化を強く勧めていた。
「検索エンジンの最大手であるGoogleは、2014年8月に、ウェブサイトがHTTPS(常時SSL)かどうかを検索順位の決定要因にする(ここ)ことを発表し、すべてのウェブサイトに対してHTTPからHTTPSへの切り替えを推奨しております。 また2015年12月には、常時SSL化されたウェブサイトでHTTPページとHTTPSページが同じコンテンツであれば、HTTPSページを優先的にインデックスするというアナウンス(ここ)を行いました。」ここより)

この話が本当だとすると、httpのココログは、それが原因で検索順位が下げられ、アクセス数が激減したのかも?
グラフを見ると、明らかに何らかの人的要因があると思われ、上の記事を読んで、納得してしまった。
つまりは、当サイトも "危険サイト”なので、https化を早急にする必要があるので、早速設定した。

しかし、自分がいつも使っているChrome で、URLの前部に表示される「(i)保護されていない通信」という表示が、鍵(南京錠)マークに変わるかと思っていたら、(i)マーク。
Chrome の(ここ)を見ると

(鍵マーク)保護された通信
(iマーク) 情報、または保護されていない通信
(△!マーク)保護されていない通信、または危険
との事で、「保護されていない通信」という、いやらしい言葉こそ消えたが、まだ何かが残っているようだ。

さらにググっていると、「Chromeのアドレスバーに「保護されていない通信」と表示される原因とその対策」ここ)に、対策が載っていた。
それで「デベロッパーツール」を使って調べてみると、なるほどトップページの「JASRACマーク」へのリンクがhttpだった。それで、マークを再アップして、httpsの図に再リンクした。
それでも、まだ充分ではない。7日分を表示しているトップページが(iマーク)。でもリロードすると鍵マークに変わる。
分かったことは、httpのサイトにリンクしているページは(iマーク)で、何もリンクが無いページは鍵マークが付く、ということ。

なるほど、当サイトは、音源は、同じ@niftyの「LaCoocan(ラクーカン)」を利用している。この「LaCoocan」がhttps未対応なのだ。それで鍵マークが付かないらしい。
そして「LaCoocan」は、今後もhttps対応はしないそうだ。
当方で今出来ることはここまで。

当サイトのどのページも「(鍵マーク)保護された通信」にするには、音源を現在の「LaCoocan」から、httpsのレンタルサーバーに移して、そことリンクするしかない。でもこれは手間の点で無理だ。

さて、果たしてhttps化で、検索順位が上がって、アクセス数が戻るか?
ここ)に「常時SSL化のSEO効果検証!検索順位は上がるのか?」という記事があった。

それによると、結論は
●アクセス数:1割の増加は見られたが、確実に常時SSL化による効果とは分からない。
●検索順位:ほとんど変化なし。一部キーワード群が上昇したが、流入には寄与せず。
とのこと。

あまり期待しない方が良いみたい。しかも、当サイトは音源リンクの関係で、全ページ安全なサイト、というわけではない。
しかも、「成果が出るまで時間がかかることを忘れないでください。変更に着手してからメリットが得られるようになるまで、通常は 4 か月から 1 年かかります。」ここ)という記事もある。検索エンジンに評価されるようになるまでには、時間が必要なようだ。

話は変わるが、さっき気が付いたのだが、何と左のバーに掲載している「サイト内検索」が動かない。これは「ココログ最強検索 by 暴想」で非常に便利に多用していたが、動かない。これもhttps化の影響かも・・・

ココログのお知らせのページにこんな注意書きがあった。
「・記事などの内容によってはmixed content(混在コンテンツ)警告が表示されます。またCSSやHTMLをカスタマイズしている場合にも、同様に警告が表示される可能性があります。
・その他、httpを前提としている外部サービスとの連携を主として、予期せぬ影響が生ずる可能性があります。」ここより)

上のコメントは、まさに"音源のあるページ”の(iマーク)(=mixed content(混在コンテンツ)警告)のこと。
そして「検索」が動かなくなったことは、下の例なのかも知れない。
なお、検索に付いては、
  site:https://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog “テキスト”
で、検索出来るようなので、しばらくはこれを使うしかないか・・・
「ココログ最強検索」がhttpsで動かないのか、もう少しググってみるが・・・

ともあれ、当サイトも少しだけ進化した?
blogユーザーにとって、最も困るのは、サービスの中止。ココログの場合、先のリニューアルを見ても、それは無いだろう。これは安心。

そもそも、自分は何で書いている?
誰かに読んで貰うため??いや、もうこの歳になると競争心は無くなった。
この記事もそうだが、全ては自分のための備忘録。
繰り返すが、そのためにも「ココログ最強検索」が動かなくなったのが痛い。httpに戻す??

ここ数日のblog奮闘記ではある。

(2019/12/07追)
リンクのhttps化完了。

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2019年11月17日 (日)

「ひとりの最期」~孤独死をどう考える?

だいぶん前の記事だが、朝日新聞に載っていた孤独死についての話。
(声 どう思いますか)ひとりの最期
  看護師・女性
 家族や親しい人たちだれにもみとられずに死ぬ。「孤独死」と称されることもある「ひとりの最期」。しかし、一人暮らしの人などが一人きりで最期を迎えることは、果たして「孤独」なことなのでしょうか。

 投稿を募ったところ、肯定否定双方の意見や体験談が寄せられました。多くの終末期の患者のみとりに立ち会い、著書に「後悔しない死の迎え方」がある看護師の後閑愛実(ごかんめぐみ)さんのお話とともに紹介します。療養病棟で勤務する後閑さんは、みとりの体験をもとに、人生の最期への向き合い方について執筆や講演活動をしています。だれにでも訪れる命の終わり。あなたの理想はどんな最期ですか。

 ■何より残念、悲しむ人いない死
   事務員 男性(千葉県 81)
 定年退職後、近くの病院で急患の受け付け業務をしています。
 近くの老人ホームから、入所者の症状が急変したので診てほしいと治療の依頼を受けることがあります。医師に診察が可能かを聞き、可能な場合は患者様に来て頂きます。
 一緒に家族も来院される場合もあれば、付き添いが施設の人だけの場合もあります。だいたいの方は治療が終わると帰られますが、治療ではなく、医師の死亡診断書発行のみとなる時もあります。
 その方が一人だったり、身元引受人もいらっしゃらなかったりすると、私はやりきれない思いになります。悲しむ家族がいない死ほど残念なものはありません。この方にも、一人になる前には家族もおられたでしょう。理由があって一人になったのだと思われるのです。
 私は一人暮らしですが、このような最期にならないよう、親戚、知人などにお願いし孤独な死を避けたいと思います。

 ■姉に学んだ、死に方より生き方
   主婦(埼玉県 70)
 ずっと「お一人様」だった姉は一流の着付け師でした。一昨年の1月、70歳で亡くなりました。
 亡くなる2年くらい前から病気が重なり、仕事ができなくなりました。私は通院に付き添ったり、メールや電話で毎日十数回連絡を取ったりしました。しかし、亡くなった時、姉は自宅で一人でした。
 俗にいう「孤独死」です。かわいそうで涙が止まりませんでした。前日までずっと姉に寄り添っていたのです。孤独死とは、思いたくありませんでした。
 でも、姉が生前いつも言っていたことを思い出しました。「私の人生は輝いていた。好きなことをやり、両親の介護もでき、幸せだった」。かわいそうだと思うことは、姉の生き様を否定していることになると気づきました。
 どんな死に方をしたのかではなく、どのように生きたかが大事だと、姉に教えてもらった気がします。

 ■できるなら孤独死を選びたい
 無職 女性(兵庫県 89)
 30年ほど前に、同級生の一人が孤独死されていたことを風の便りに聞き、心底お気の毒にと思った。戦中戦後をともに高等女学校で4年間過ごした友人だ。
 当時は、まだ若くして亡くなったことをかわいそうに思った。だが現在、90歳を目前に控え、ふっとその同級生がうらやましいと思うようになった。周囲に惜しまれて逝かれただろうからだ。
 家族にみとられながら自宅で最期を迎えることは、昔なら当たり前であったが、現在ではぜいたくで結構なことだと言われている。私も夫が亡くなった後、自宅を処分し、今は高齢者施設に独りで住んでいる。
 人は独りで生まれ、独りで死んでいく厳然たる事実は昔とまったく変わらない。誰にも知られないよう、こっそりと死にたい。いまわの苦しさ、もがきを家族にさらさずに死にたい。そんなわがままは許されそうにないが、できることなら孤独死を私は迷わず選びたい。

 ■穏やかに迎えられれば悪くない
   無職 女性(茨城県 74)
 夫の突然の死で一人暮らしになり2年が過ぎた。様々な手続きも済み、これから片付けが待っている。これは手ごわいためなかなか進まず、ため息をついている。
 一人暮らしだから「ひとりの最期」を迎える可能性はある。「ひとりの最期」は文字通り一人きりで死ぬことだ。でも私は「ひとりの最期」=孤独ではないと思う。
 誰もが体力、気力が尽きる日が必ずやってくる。その日までにできることをやり、穏やかに生活できるなら、一人で永遠の眠りにつくのは悪くはない。
 死後しばらくしてから発見されるのは避けたい。そのために家族とコミュニケーションをとり、友人や地域の方とのふれあいを大切にしていきたい。
 このように考えるのは、今自由に動くことができるからかもしれない。自分のこれからを知る由もないが、感謝を忘れずに毎日を過ごしたいと思う。

 ◆人生は物語、死はほんの一場面
 看護師・後閑愛実さん
 先日、勤務している療養病棟で男性患者さんが亡くなりました。末期の肝臓がんの方でした。一人暮らしで、生活保護を受けていたそうです。入院中、お見舞いに訪れる人はいませんでした。
 腹水がたまり、呼吸がさらに苦しくなってきた日、ふと聞いてみました。「○○さんの人生って、どんな人生でしたか」。絶え絶えの声が間髪入れずに返ってきました。「最高。人に恵まれた」
 これまでの日々が走馬灯のように巡ったのでしょうか。1時間半後、亡くなりました。最後の言葉に心の奥が温かくなりました。
 家族などにみとられない死。ここだけ切り取ると、寂しく映るかもしれません。でも、人生は生まれてから死ぬまでが積み重なった物語です。最後の一場面だけで周りの人が物語を評価できるものではないのではと考えます。
 入院患者さんが透析を断り、強引に一人暮らしの自宅での最期を選んだ例もあります。住み慣れた場所での安心できる最期。心からの孤独は感じていなかったのではと思っています。」(2019/11/06付「朝日新聞」P12より)

Z1_01_08 内閣府の資料(ここ)によると、2017年の65歳以上の者のいる世帯は全体の47.2%であり、夫婦だけの世帯は、その内の32.5%、単独世帯は26.4%だという。
つまり、全世帯の15%が65歳以上の夫婦世帯、12%が独居老人世帯ということになる。
Z1_01_09 そして2015年は、65歳以上人口に占める一人暮らしの割合は、男性13.3%、女性21.1%となっているという。

来月、お袋の七回忌がある。6年前に92歳で亡くなったお袋は、75歳の時に父が亡くなってから15年間、一人暮らしだった。玄関先で転んで大腿骨転子部骨折となり、病院から老人ホームに移ったが、たまたま転んだのが玄関だったので、大声を出し、近所の人が来てくれた。
後で考えると、ラッキーだった。一人暮らしは、このような突発的な時に厳しい。

もっとも、結婚していなければ、原理的にずっと一人暮らし。
先日、友人宅のテラスで“ひなたぼっこ”をしながら?コーヒーを楽しむ「コーヒー会」があった。同期の5人が、たまに集まっての雑談会。そこにいつもコーヒーメーカーを持って現れるH君は、同期で唯一の独身者。
我々も72~73歳になり、健康寿命を超える歳になってきた。それで孤独死についても話が出る。
H君に聞く。「突然、体調が悪くなったらどうする?孤独死になる可能性もあるのでは?」「前は、無断欠勤することで異常を見付けてくれるかな?とアルバイトを続けていたが、もう辞めてしまった。」「で?」「今は気にしていない。(幹事役の)Y君がメールの返事が無いって気が付いてくれるのでは?」「でもマンションにカギが無いので入れないのでは?」「そうだな。でも死んだ後は、自分に意識が無いので、どうなっても良い」・・・

確かに、誰に迷惑が行くかは分からないが、自分が死んでしまった後は、「知らん!」と開き直る手もあるのかも・・・

でも、やはり孤独に死んだとしても、早く誰かに見付けて欲しい気はする。
そう言えば、若い時に、外注の会社の若い人が孤独死したことがあった。月曜、火曜と無断欠席したので、同僚が寮に行ってみると、コタツの中で亡くなっていたという。老人に限らず、まだ20代の若者が、突然亡くなることもある。

こんな場合、友人は無力。今までの関係がどうであれ、家族がその役に当たるしかない。
老人の一人暮らしでは、やはり息子に頼るしかないかも。お袋の時も、携帯電話を持たせたり、毎日元気なことを確認する手段を兄弟で色々と考えたが、結局、時間と供に緊張感が薄くなった。
よって、突然死は仕方が無いとして、一人暮らしでの孤独死を避けるには、やはり老人ホームしか無いのかも・・・ね。

「人生は生まれてから死ぬまでが積み重なった物語です。最後の一場面だけで周りの人が物語を評価できるものではないのではと考えます。」という言葉が心に沁みる秋の夜長ではある。

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2019年11月14日 (木)

こどものための合唱組曲『チコタン』

先日、NHKラジオ深夜便で「明日へのことばアンコール「89歳、反骨の“ドラマ屋”人生」脚本家、合唱曲『チコタン』の作詞家 蓬萊泰三」(初回:2018/07/14放送)(2019/11/09再放送)を聞いた。

その中で紹介された「こどものための合唱組曲『チコタン』」が印象に残った。

<こどものための合唱組曲『チコタン』~東京放送児童合唱団>


「こどものための合唱組曲『チコタン』~ぼくのおよめさん」

  作詞:蓬莱泰三
  作曲:南 安雄

(1)「なんでかな?」
なんでかな? なんでかな?
なんでチコタン 好きなんかな?
なんでこないに 好きなんかな?
チコタン チコタン チコタン チコタン

アメダマみたいな 目ェやからかな?
マシュマロみたいな 鼻やからかな?
クラスでいちばん チビやからかな?
クラスでいちばん ゲラやからかな?
なんでこないに 好きなんかな?
なんぎやなあ なんぎやなあ
チコタン チコタン チコタンタン

どないしょう どないしょう
チコタン チコタン チコタンタン
チコタンタン チコタンタン チコタンタン
チコチコ チコチコ
チコタンタン チコタンタン
ぼくは あなたを…
ぼくは あなたを…
食べてもたろか!

(2)「プロポーズ」
チ チ チ チ チ チ チ チエコさん
ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼ ぼくぼくの
およ およ およ
およ およ およ およ およめさんに
な な な なってください

もし君が およめさんに なってくれたら
べ べ べ 勉強 いたします
よい子に なります
そうじも サボりません
ハナクソ とばしません
女の子も 泣かしません
ぜ ぜ ぜ ぜったい ちかいます!

チ チ チ チ チ チ チ チエコさん
そ そ そ そ そ そ そ そやさかい
ぼ ぼ ぼ ぼ ぼくの
およめさんに
な な な なってください!

(3)「ほっといてんか」
ほっといてんか! ほっといてんか!
おやつなんか いらん
ケーキなんか いらん
あほたれ あほたれ!
母ちゃんの あほたれ!
なんで ぼく一人だけ うんだんや!?
ぼくがサカナヤ つがんならんのに
そやから ぼくは シツレンしたのに…

ほっといてんか! ほっといてんか!
ごはんなんか いらん
テレビなんか 見とない
あほたれ あほたれ!
父ちゃんの あほたれ!
なんで サカナヤなんか したんや!?
チコタン サカナはきらいやのに
そやから ぼくは シツレンしたのに……

ほっといてんか! ほっといてんか!
一人ぼっちで ほっといてんか!

(4)「こんやく」
ええこと ええこと おーもいついた!
チコタン チコタン エビすき ゆうた
チコタン チコタン カニすき ゆうた
チコタン チコタン タコすき ゆうた
そんなら そんなら チコタンすきな
エビ カニ タコだけ 売ったらええねん
ほんまに ええこと おーもいついた!
ヤッホー ヤッホー ヤッホー!!
ヤッホー ヤッホー

チコタン チコタン ニッコリ わろた!
チコタン チコタン オッケー ゆうた!
チコタン チコタン ゆびきり げんまん!
チコタン チコタン 日本一の
チコタン チコタン サカナヤ やるぞ!
ヤッホー ヤッホー ヤッホー!!
ヤッホー ヤッホー!!

(5)「だれや!?」
二人で ゆびきりしたのに…
おとなになったら ケッコンしようと
二人で ゆびきりしたのに…
ケッコンしたら  日本一のサカナヤになろうと
二人で ゆびきりしたのに…

おいしいエビ たべさしたろ思てたのに
おいしいカニ たべさしたろ思てたのに
おいしいタコ たべさしたろ思てたのに

そやから そやから
いっしょうけんめ ベンキョウしたのに
よい子になったのに
そやのに… そやのに…

チコタン 死んだ
ダンプにひかれて チコタン 死んだ
横断歩道で 黄色い旗にぎって
チコタン 死んだ

チコタン わろてる 花の中から
チコタン わろてる 写真の中から
チコタン わろてる いたかったの こらえて
つらいの こらえて かなしいの こらえて
チコタン わろてる

わらうな チコタン!
写真の中なんかで わらうな!

ぼくは つらいねんぞ
ぼくは さびしいねんぞ
ぼくは 泣いてんねんぞ
そやのに… そやのに…

だれや!?
チコタン殺したのん だれや!?
ぼくのチコタン 殺したのん だれや!?
ぼくのおよめさん 殺したのん だれや!?
だれや だれや!?
だれや だれや!?
だれや だれや だれや だれや!?

アホーゥ!!

この曲の作詞をした蓬萊泰三さんは、非常に有名な方らしい。しかし自分は知らなかった。でもNHK教育のドラマ「中学生日記」の脚本家だと聞いて、あのドラマの・・・と分かった。
その蓬萊泰三さんの作詞による「こどものための合唱組曲『チコタン』」は、wikiによると1967年(昭和42年)に作られ、1969年にレコード化されたという。なかなか心に沁みるドラマチックな合唱曲である。

そして亡くなる4ヶ月前の放送だというこの「明日への言葉」。これを聞くと、人生の出会いと変遷について、色々考えさせらてしまう。
「中学生日記」は自分も良く見た番組だが、いつも重いテーマを挙げていた記憶がある。これを25年も担当したというからすごい。
この放送も挙げておきます。

<NHKラジオ深夜便「明日へのことばアンコール「89歳、反骨の“ドラマ屋”人生」脚本家、合唱曲『チコタン』の作詞家 蓬萊泰三」(初回:2018/07/14放送)(2019/11/09再放送)>

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2019年11月12日 (火)

2019年の「英語能力指数」~日本は100カ国中53位

今朝の朝日新聞にこんな記事があった。
非英語圏の英語力、日本は53位 昨年から下落、100カ国・地域調査
 スイスに本部のある国際語学教育機関が今月、英語を母語としない100カ国・地域で、日本の英語力は53位だったと発表した。昨年より四つ順位を下げ、4年連続で5段階のうち下から2番目の「低い」と認定された。アジアの25カ国・地域で比べても、韓国(37位)、中国(40位)などに次ぐ11番目だった。
191112eigo  世界各地で語学を教える「EFエデュケーション・ファースト」がオンライン上で実施した無料テストの結果を「英語能力指数」としてまとめた。2011年から公表しており、今回は世界230万人のデータを分析。日本からは数万人が参加したという。
 EFによると、指数は上位からオランダ、スウェーデン、ノルウェーと続く。日本の順位は11年には44カ国・地域で14位だったが、参加国が増えるにつれて年々下落している。同社広報担当の遠藤玲奈さんは「経済成長している国では英語を話せることが収入源につながるため、学ぶ動機になる。日本は経済の停滞にともない、ここ10年は英語力も伸びていない」と話した。(宋光祐)」(2019/11/12付「朝日新聞」p33より)

自分は、こんな“ベスト10”ものは好きなので、前にも挙げているのでは?と思って当blog内を検索したら、やっぱりあった。2013年12月10日付で「2013年の「英語能力指数」~日本は60国中26位」(ここ)という記事。
6年前は半分より上にあった。しかし今年は、半分以下。

191112asia オリジナルのレポートのPDFは(ここ)にあるが、地域別では、ヨーロッパ、アジア、中南米、アフリカ、中東の順だそうで、やはり米英に関係の近い国の順のようだ。
そしてアジアの順位を見ると、韓国や中国が上に居る。日本はベトナムより下の後進国。

確かに、韓国などに比べると、今までは英語を勉強して外に出る必要が無かったからかも知れない。しかし、井の中の蛙はそろそろ限界。

話は飛ぶが、今日のニュースで、「総理大臣主催の「桜を見る会」について、内閣府の官房長は、衆議院地方創生特別委員会で、招待者の取りまとめは適正だったとしたうえで、招待者の名簿は開催後速やかに廃棄しており、取りまとめの経緯などを調査することは困難だという認識を示しました。」だって。
またまた、いつもの首相忖度の官庁の証拠書類の隠滅・・・。

日本の若い人は、英語を勉強して、こんなどうしようもない国を見捨てて海外に出て行ったら!?

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2019年11月 9日 (土)

三谷幸喜の話せる6カ国語

先日、朝日新聞でこんな記事を見付けた。

(三谷幸喜のありふれた生活:966)6カ国語が話せるように
 最初にチャレンジしたのは約二十年前。映画「ラヂオの時間」でベルリン映画祭に行った時だ。
     *
 上映後、大勢の観客の前で舞台挨拶(あいさつ)。どうせならベルリンのお客さんを笑わせるスピーチがやりたい。そこで「皆さん、私のドイツ語が分かりますか」と僕はドイツ語で尋ねた。客席は盛り上がった。「分かるよ、分かるよ」と言っているようだった。僕は続けた。「それは残念です。僕は僕のドイツ語が分かりません」。観客爆笑。
 もちろんドイツ語など喋(しゃべ)ったことはない。日本を発つ前に、僕の原稿を通訳の方に訳してもらい、それを丸暗記した。何度も人前で披露して慣れなければと、まずは飛行機の中で搭乗員に試し、空港の職員に試し、ホテルへ行くまでのタクシーの運転手さんに試した。皆さん、笑ってくれた。ドイツ語は日本人には発音しやすいのだろうか。スピーチが終わった後も、気をよくして町で会う人に手当たり次第やってみた。ベルリンの皆さんにとっては、さぞ迷惑な外国人だったと思う。
 「みんなのいえ」がロンドンの映画祭で上映された時は、同じ内容のものを今度は英語で披露した。やはり爆笑。どうやらこのネタは世界で通用するようだと確信した。
     *
 僕の舞台がロシアで上演された。味をしめて、ロシア語バージョンを通訳さんに作って貰(もら)い、丸暗記。オムスクの劇場で舞台挨拶をした際、舞台上から観客に問いかけた。「皆さん、僕のロシア語が分かりますか」。「分かるよ」とロシアの人々。「残念です。僕は僕のロシア語が分かりません」
 その瞬間、客席の空気が変わった。ベルリンでもロンドンでも味わったことのないムードだった。何を言っているか分からないが、皆、慈愛に満ちた表情でこっちを見ている。隣の通訳さんが教えてくれた。「心配ないよ、ちゃんと通じているから落ち込む必要はない、と皆さん言っています」。ロシア人たちはそれがジョークだと気付いていないようだった。僕は、生真面目な彼らの性格を計算に入れていなかった。
 その後韓国で、僕の作品が上演された時には韓国語で挨拶。大成功。トロント映画祭でフランス語バージョンにもチャレンジしてみたが、この時だけはまったく伝わらず、観客はきょとんとするばかり。フランス語はかなりの強敵のようである。
 そして今回。映画「記憶にございません!」が台湾で公開されることになり、キャンペーンで台北を訪れた。北京語は難しいと聞いていたが、ここまで来たら挑戦し続けるしかない。今回も必死に覚えた。カンペを見ないで話すというのが大事。覚えて話すと、多少発音がおかしくてもお客さんは非常に好意的に受け取ってくれる。これは世界共通。今回も台湾の人々は爆笑してくれた。
     *
 一度覚えた挨拶は、せっかくだから忘れないようにと、帰国してからも日々反復している。僕はこの二十年で、英語、ドイツ語、ロシア語、韓国語、フランス語、北京語を話せるようになった。ちょっとした財産である。フランス語だけはいまだに、話せはしても通じません。」(2019/10/31付「朝日新聞」夕刊p4より)

三谷幸喜はウィットの達人だが、日頃からこのような努力をしているようだ。さすがだ。

何度も書いているように、自分は外国語は大キライ。「オレは大和民族だ~~!?ケトウの言葉はキライだ~!」と言ってみても空しい・・・
現役時代、何度も海外出張の機会はあったが、全て逃げた。しかし、当時の上司の事業部長から、一度だけラスベガスの展示会に視察に行くことを命じられ、仕方なく行った。
言葉が心配だったので、英語が堪能な人を一緒に連れて行った。まさに通訳同伴での大名出張。アメリカに着くと、現地の駐在員が案内。ベンダー訪問も含めて10日ほどだったが、いわゆる見学・視察出張だった。帰ってからも、特に報告会があるわけでも無く、そのまま何となく終わった。
その時に強烈に悟ったのが、英語が話せることは、ビジネスマンにとっては必須事項だということ。

大学入試で、英語の民間試験導入延期でドタバタしている。誰もが、話すこと、書くこと、のアウトプット能力が重要だと思っている。しかし試験の手立ては難しい。
自分が英会話は必須、と思っていても、息子どもはまったくダメ。孫がどうなるかは分からない。
世では、英会話はどのように身に付けるのだろう?

準現役のとき、部下に高校出の部下がいた。その人は、英会話が堪能だった。その人は、ある機器の保守のために、突然アメリカ駐在を命じられ、家族と一緒に2~3年滞在したという。その時のことを聞くと、まさに赤ちゃんからのスタートだったという。とにかく真似て真似て、少しずつ覚えて・・・
そして、現地での“逃げられない環境”は、英会話を否が応でも身に付けさせる。
つまり自分のように、逃げてばかり居る人間は、決して身に付かないということ。

日本の若者が、韓国や中国のように、英会話が出来ることが当たり前になるためには、どう教育をするべきなのだろう。
韓国の入試はどうなのだろう。英語教育の先進国の韓国!を見習うのもひとつかも?
三谷幸喜のウィットの小話を読みながら、日本人の英会話力について心配してしまった。

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2019年11月 7日 (木)

「政治家の失言~辞任すればそれでいいのか?」

先日、こんな記事を見付けた。
最近のバッカみたいな日本の政治に辟易して、挙げる気にもならなかったが、この一文は“然り”と思って、挙げてみた。

政治家の失言と外交に及ぼす影響─辞任すればそれでいいのか?
菅原一秀前経産相の辞任から1週間、河井克行法相が辞任した。しかし、内閣改造からわずか2ヵ月の間に起こったこの出来事に、“辞任慣れ”した世間はさほど驚かなくなっている。だが、それこそが由々しき事態なのかもしれない。朝日新聞元政治部長の薬師寺克行氏が解説する。

「辞任」すれば責任を取れるのか?
どうやら閣僚が自らの不祥事や失言がきっかけで辞任することに慣れっこになってしまったようで、今回の菅原一秀経産相や河井克行法相の辞任騒動も、「またか」と見過ごしてしまいそうになった。
ところが落ち着いて考えてみると、腑に落ちない点がいくつかあった。菅原氏の場合、事の発端は秘書が菅原氏の指示で、選挙区内の支持者に香典を渡したり、メロンなどの品物を贈ったりしていたと週刊誌に報じられたことだ。河井氏も、参院選で運動員に法定の上限額を超える報酬を渡していたと報じされた。これが事実であれば、明らかに公職選挙法違反となるはずだ。
辞任に際して菅原氏は秘書が香典を渡した件は認めたが、自分も渡したので、秘書の渡した香典は返却されたと説明した。だから違法性はないということだろう。そして辞任の理由は「国会の法案審議の停滞」としている。肝心の事実関係については「今後調査し、説明責任を果たしていく」と語った。
河井氏も「政治家として責任を取るのではなく、法務大臣として法に対する国民の信頼を損ないかねない疑義が生じたことに責任を取る」と意味不明の理由を挙げた。
2人とも国会審議への影響などが辞任の理由であり、、法律違反を犯したことが辞任の理由ではない点で共通している。
もし菅原氏や河井氏が違法行為を認めれば、国会議員を辞めることが筋であろう。しかし、苦労して手に入れた衆院議員のポストは手放したくない。ここは潔く閣僚を辞める。そうすればマスコミの報道は一気になくなり世間の関心も別のことに向いてしまう。
事実関係については「調査中」と言って放置しておけば、そのうちほとぼりも冷めてしまう。そして次の総選挙で当選すれば、有権者のみそぎを受けたといえる。それで万々歳というわけである。
結局、警察が捜査でもしない限り、菅原氏が公職選挙法に違反することをしたかどうかは、明らかにならないまま終わってしまう。菅原氏の言う「説明責任」はどこかに消えてしまうのだ。
もう一つ、菅原氏の辞任を受けて安倍首相は「任命責任は私にあり、国民に深くおわび申し上げる」と述べた。この「任命責任」とは何であろうか。菅原氏のような問題ある人間を閣僚に起用した安倍首相にも責任があるという意味になる。
安倍首相もそれを認めた。ではどう責任をとるのか。安倍首相は何も語っていないし、何もしていない。マスコミはこうした問題が起きるたびに「首相の任命責任が問われる」とこぶしを上げる。ところが首相が「私に任命責任がある」と認めると、矛を収めてしまう。そして首相が任命責任をとって何かしたという話はついぞ聞かない。
つまり、日本の政治における閣僚辞任劇は、辞める側も、任命した側も、肝心なことをあいまいにしたままで終わる儀式となっているのだ。「説明責任」や「任命責任」については、「辞任したのだから、これ以上追求しないのが武士の情けだ」という義理人情の世界に収まってしまっている。

歴史に関する問題発言が多かった90年代
菅原氏のように、問題が国内だけで自己完結している場合は、理屈抜きの曖昧な決着で済んでしまうのかもしれない。しかし、問題が外交に関連するような場合はそうはいかない。
90年代を中心に、閣僚の辞任理由は金銭スキャンダルのほかに、歴史問題に関する不用意な発言が多かった。
94年には長野茂門法相(羽田孜内閣)が「南京大虐殺はでっち上げだ」と述べて辞任。同じ年、桜井新環境庁長官(村山富市内閣)は「日本は侵略しようと思って侵略したのではない」と発言してやはり辞任。よく95年には江藤隆美総務庁長官(村山内閣)が「植民地支配で日本は韓国に良いこともした」と述べて、辞任した。
98年には中川昭一農水相(小渕恵三内閣)が就任記者会見で従軍慰安婦問題について「教科書に載せるということに疑問を感じている」と発言したが、直後に撤回した。
また、少しさかのぼるが86年には藤尾正幸文相(中曽根康弘内閣)が月刊文藝春秋のインタビューで日本の植民地支配について、「韓国側にもやはり幾らかの責任なり、考えるべき点はあると思う」と発言し、中曽根首相が撤回や辞任を求めたが応じなかったため罷免された。
いずれも自民党タカ派議員が閣僚に就任し、記者会見などの場で自分の歴史観や信念を率直に述べて問題化したものだ。これらのケースには辞任に追い込まれるまで共通したパターンがある。
発言が報道されると、それが中国や韓国のメディアに「妄言」などとして転電され、中韓国内で反発が高まる。それを受けて中韓両国政府が日本政府に撤回などを求めて抗議する。予定されている首脳会談など外交日程がキャンセルされる可能性が出てくる。一方、国内では野党が反発し国会審議で取り上げ追求する構えを見せる。
内政、外交ともに行き詰まる可能性が出てきたら、首相や官房長官がその閣僚に発言の撤回や辞任を求める。多くの閣僚は自らの発言が外交や国会運営に影響を与えることを理由に辞任する。

日本的処理がもたらす不信感
これらの辞任にも腑に落ちない点がある。こうした発言は、戦前の日本の歴史を美化したり正当化している点で共通している。ところが日本政府は植民地支配や侵略について「謝罪」や「反省」を表明している。従って閣僚の発言は政府の立場に反する。重要政策についての見解が政府と異なっているのであるから、そもそも閣僚にふさわしくないのだ。
ところがほとんどの閣僚は発言内容の非を認めることなく、外交や国会運営の停滞回避を理由に辞任している。また、任命した首相は、問題発言の内容について、それを批判することもなく辞任を受け入れている。罷免という異例の対応に踏み切った中曽根内閣も「個人としては自民党内にいろんな意見がある」(後藤田正晴官房長官)として、藤尾氏の発言を直接的には批判しなかった。
閣僚は自分の発言そのものについては何ら反省も訂正もせず、例によって国会等形式的なことを理由に辞任することでその場をとりつくろっているのだ。
菅原氏のケース同様、「説明責任」も「任命責任」もあいまいなまま決着されており、中韓両国の発言内容に対する批判には全く答えていないのである。
こうした閣僚の歴史問題に関する発言が続いたのは90年代のいわゆる「ハト派政権時代」だった。2000年代に入ると、特に第2次安倍政権になると全く出ていない。安倍首相自身が自民党の代表的タカ派議員であるということから、あえてそうした発言をする必要がないということであろう。だからと言って外交関係が安定するわけではない。
問題はこうした発言をした議員が辞任後も、自説を変えることなく党の幹部などとして政治活動を続けていることだ。日本側からすれば、発言について責任をとって閣僚を辞めたのだからそれで充分だとなるのかもしれない。
しかし、中韓両国から見ると、本人も首相も、発言内容の非を認めていないのだから、同じような歴史認識を持っている国会議員がほかにも多くいるのではないか、そして似たような発言が今後も閣僚から飛び出すのではないか、あるいはこうした考え方が日本の政策に反映されるのではないかと疑うのは当然だろう。つまり、中韓両国の政府や国民は日本に対する不信感をぬぐい切れないままでいるのだ。
日本政府は歴代首相が繰り返し謝罪や反省を表明し、従軍慰安婦問題では基金を作り、見舞金と共に首相の手紙を届けてもいる。こうした努力が素直に評価されないのも、背景にはこれまでの経緯を踏まえた日本に対する不信感が横たわっているためだろう。
閣僚の問題発言の日本的処理が、相手国の政府や国民の心に深い不信感を生み出し、それが今も続いていることを軽く見てはいけないだろう。

PROFILE
薬師寺克行
東洋大学社会学部教授。東京大学文学部卒業後、朝日新聞社入社。主に政治部で国内政治や日本外交を担当。政治部次長、論説委員、月刊誌『論座』編集長、政治部長、編集委員などを経て、現職。著書『現代日本政治史』(有斐閣)、『証言 民主党政権』(講談社)『公明党 創価学会と50年の軌跡』(中公新書)ほか多数。」(2019/11/06付「クーリエ・ジャポン」ここより)

自分は常々この手の話を聞くとき、「失言」という言葉に違和感を覚えていた。「失言」という言葉は「間違って言ってしまった言葉」と感じるから・・・。本当に間違って言った言葉か?といつも感じていた。

そもそも「失言」とは何か?広辞苑を引くと、
しつ‐げん【失言】 言ってはいけないことを、不注意で言ってしまうこと。言いあやまり。過言。「―が多い」
とある。

なるほど。「言ってはいけないことを、不注意で言ってしまうこと。」は、閣僚としての立場から、その通りかも知れない。しかし「言いあやまり。」というのはおかしい。そもそも“本人の本音”を言っているのだから、「言いあやまり」では無いだろう。

昔、こんな“失言”で更迭された閣僚がいた。
2010年11月14日、柳田法相は地元の後援会の挨拶で、
「法務大臣とはいいですね。2つ覚えておけばいいんですから。
「個別の事案についてはお答えを差し控えます」これがいいんです。分からなかったらこれを言う。
で、あとは「法と証拠に基づいて適切にやっております」
そして実際に、「個別の事案についてはお答えを差し控えます」は16回、「法と証拠に基づいて適切にやっております」は17回答弁で実際に使っているという。

ところで、安倍首相の「任命責任は私にあり・・・」という言葉を何回使ったのだろう?
ググっていたら、こんな記事を見付けた。

「2014年:小渕優子経産相、松島みどり法相
2015年:西川公也農相
2016年:甘利明経済再生担当相
2017年:今村雅弘復興相、稲田朋美防衛相
2019年:桜田義孝五輪担当相
2018年、体調不良で辞任した江崎鉄磨沖北相を除く、実に上記7閣僚辞任のたびに、私たちは「任命責任は私にある」との安倍首相の言葉を聞かされ続けてきました。
・・・
●今までも任命責任など口ばかりだったではないか
●今度こそ責任取るのか
●どう取るのか
●また国民を誤魔化すのか
 私の知る限りにおいて、これらの質問を安倍首相にぶつけた記者はいないようです。」ここより)

怒らない日本人。熱しやすく冷めやすい日本人。
そして、事なかれ主義が蔓延する日本の選挙。
ユニクロの柳井正氏の言葉ではないが、「このままでは日本は滅びる」(ここ)。

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2019年11月 4日 (月)

スマホをスーパーに置き忘れた話

何とも、この所置き忘れが多い。一昨日はスーパー内のレストラン(食堂)で、100均で買った物をレジ袋ごと置き忘れ、翌日気が付いて取りに行った。そして今日は、何とカミさんのスマホが入った小さなバッグを、スーパーのカートにぶら下げたまま帰ってきてしまった。

この頃、カミさんはバッグが重いとのことで、財布やカードが入ったバッグと、スマホや車のキーなどが入ったバッグの二つに分けている。
夕方、スーパーに行ったのだが、その時にスマホの入ったバッグを自分が預り、カートにエコバッグと一緒にぶら下げた。これは覚えている。
買い物が終わって駐車場に行き、カート置き場でエコバックを、ヨッコイショと持って車に運んだ。カートはカート置き場に置いて・・・(ここで、まだスマホのバッグがカートにぶら下がっていることに気が付かなかった!カート置き場で、カートを押し込んだのは覚えているが・・・)

夜8時半過ぎ、カミさんがスマホのバッグが無いと騒ぎ出した。電話をするも、呼び出しの音はするが、スマホが鳴っている音がしない。おかしい。あわててパソコンに向かい、「iphone 無くした au」と検索すると、直ぐサイトが見つかった。あわてて「iPhoneを探す」ボタンを押すと、パスワードを入れろというので入れたら、出て来た地図は自宅。ん???(後で分かったのだが、ログインしたのは、カミさんのアドレスでなく、自分のアドレスだった。自分のスマホは手元にあるので、地図が自宅を指すのは当たり前・・・)

もう一度、カミさんのスマホで電話する。呼び出し音はするがもちろん出ない。すると何とカミさんのスマホから電話がかかってきた。
「携帯の持ち主さんですか?」「はい」「こちらは、スーパー**ですが、バッグを開けて失礼だったのですが。実はお客さんから、カートにかかっていたと、落とし物の届け出があって、金庫に保管していたのですが、携帯の音が鳴っているというので取り出して、電話してしまいました」「やはりカートにぶら下がったままでしたか。今から取りに行きたいのですが」「9時閉店ですが間に合いますか?」「間に合います」
と言って、取りに行ってきた。店の人に、「車のキーが付いていたので、直ぐに取りに来るだろう、と思っていたのですが」と言われた。キーは二つあり、自分のポケットに入っているので、何事もなく帰ってきてしまったのだ。

帰りの車の中で、カミさんと再発防止策を討議。結局、バッグを二つに分けているのがダメ。ということで、携帯専用のショルダーバッグを買うことにして早速Amazonで注文。スマホとカードと現金が入る物。これなら、オールインワンで、最低限の物をカミさんが肩にぶら下げることができる。今までは、財布とスマホが別のバッグだったので、バッグをカミさんから預かったり返したりで、ワケが分からなくなっていた。(カミさんは重い物が持てないので)

それにしても、今まで何か事故が起こると、必ず再発防止をしてきた。しかしそれが守られていない。否、自分が守っていない。一昨日の、食事の後でレジ袋をシートに置き忘れた件も、「店から出る時は、必ず振り返って置き忘れがないか確認する」と誓ったはず。でも忘れた。
「買い物はすべて大きなエコバッグに入れて、荷物は一つだけにする」と昨日、誓ったはずなのに、もう忘れた。

この頃は、自分の記憶に自信が無いので、スマホの「メモ」機能を利用して、何でもメモしておくことにしている。例えば「**(ファミレスの名前)にはもう行かない。高すぎるから」とか、「**にはもう行かない。マズイのと客層が悪い」「**の惣菜パンは買わない。まずいから」とか書いておく。なぜなら、それを忘れて店に入ってしまい、「そういえばもう行かないことにしたんだっけ・・・」となるので・・・。

今回も、「カートに何か残っていないかを確認する」とメモに残しておこうか、と言ったら、カミさんから「そのメモを見ること自体を忘れるんじゃないの?」と言われ、「その通り!」と納得。

先日、「スマホを落としただけなのに」という映画を見た。これは殺人事件につながる怖い話だったが、もし今日拾ってくれた人が悪かったら、スマホの中身を見て、悪用されないとも限らない。
それにしても、さすがに2度、立て続けに忘れ物をしたショックは大きい。忘れ物外来で診て貰う??
どうしたら忘れ物をしないで済むか、根本的な対策を考えなくてはならない!!! 自分も衰えた・・・(>_<)

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2019年11月 3日 (日)

梯久美子著「散るぞ悲しき」-硫黄島総指揮官・栗林忠道-を読む

先日、「「新しい時代に、今、伝えたいこと」~ノンフィクション作家・梯久美子氏の話」(ここ)という記事を書いたが、その時に買った梯(かけはし)久美子著「散るぞ悲しき」を読んだ。
191103chiruzokanasiki ノンフィクションでありながら、小説的な進行とリアリティに、読んでいてワクワクしながらも深い感動を覚えた。

本の解説で柳田邦男氏が、「何と深い教訓を」という題で解説文を書いていた。ここに書かれたいたことが、自分の感想にピッタリだった。
この柳田邦男氏の解説から、この本の要について書かれていた部分を抜き書きしてみる。

「本土防衛のために、米軍の進撃を少しでも遅らせよという命を受けた硫黄島守備隊は、敗戦の約五力月前の昭和二十年三月、凄絶な地上戦の末に玉砕を遂げるのだが、大本営宛に最期を告げる悲痛な訣別電報の神髄にかかわる部分が、当時改変されて新聞に発表されていたというのだ。梯さんは、そのことを、栗林中将の遺族が保存していた電報の原文と、当時の新聞に掲載された発表文とを照合することによって発見し、検証していた。さらに、訣別電報の本文に添えて打電されてきた辞世の短歌三首のうち、栗林中将の心情を率直に吐露している第一首までが改竄されていたのだ。
 最も重要な点のみを比べると、次のようになっている。
 〔原文〕は「敵来攻以来、麾下(きか)将兵の敢闘は真に鬼神を哭(なか)しむるものあり。特に想像を越えたる物量的優勢を以てする陸海空よりの攻撃に対し、宛然徒手空拳(えんぜんとしゅくうけん)を以て克(よ)く健闘を続けたるは……」となっているのに、〔発表文〕では、傍線を付した「宛然徒手空拳を以て」という表現が削除されている。
 つまり、米軍は制空権・制海権を完全に握って空爆と艦砲射撃で徹底的に島内の陣地を破壊したうえに、上陸した海兵隊は重火器を駆使して、日本軍の地下壕や洞窟を次々に焼き尽してきている。これに対し日本軍は、兵器も食糧も補給されず、わずかばかりの機関銃と小銃で地下壕や洞窟からのゲリラ的抗戦をするだけだった。それは圧倒的な物量を誇る米国対資源の枯渇した日本の、非情な戦争を象徴するものだった。
 栗林中将は、「徒手空拳」という一語に、部下二万の将兵をむざむざ死に追いこまざるを得ない悲痛な心情とせめてもの贐(はなむけ)の気持ちとを凝縮させて表明していた。だが、大本営はそんな無力感を漂わせた表現、いわば「泣き言」では、国民の志気高揚を阻害すると判断して、削除したに違いない。しかも原文にはなかった「皇国の必勝と安泰とを祈念しつヽ全員壮烈なる総攻撃を敢行す」の文をはじめのほうに書き加えていた。
 さらに辞世の歌第一首については、次のように書き変えられていた。
 〔原文〕 国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
 〔発表文〕国の為重きつとめを果し得で 矢弾尽き果て散るぞ口惜し
 「悲しき」が「口惜し」に置き換えられているのだ。これによって歌の意味は全く違ったものになってしまう。「かなし」は、日本古来の文化の中で、意味が多様で深みのある言葉として大事にされてきたキーワードだ。人間がこの世に生まれて人生を生きていく中では、様々な波乱があり、非情な運命にも遭遇する。人はそういう「かなしみ」を内に秘めて生きている。文人肌と言われた軍人だった。ジャーナリストになろうかと思った時期もあった。その栗林中将が、「散るぞ悲しき」という表現を使ったのは、人間の運命や人生の不条理に対する深い哀感を表現したものであったろう。ところが、「散るぞ口惜し」となると、「勝利をおさめられなくて悔しい」といった、極めて表面的で通俗的な意味になってしまう。
 遺族の手許に残されたその電報の原文を見ると、辞世の歌第一首の「悲しき」の文字が黒い墨の線で消され、横に「口惜し」と書き直した文字があり、歌の頭のところには、朱書きで二重丸が記してあるという。鮮やかな朱色と生々しい黒の線。梯さんの文章は、随所でこのようにイメージが鮮やかで、時代を超えて伝わってくるリアリティがある。」(梯久美子著「散るぞ悲しき」解説p292より)

この本についてのコメントはない。ここまで緻密なドキュメントに対して、畏れ多くてとてもコメントなど出来ない。それにしても、この本を書いたのが当時43歳だった女性だということに驚く。しかも氏の第1作目。

改めて、解説の柳田邦男氏の言葉を借りて、なるほとと思った言葉を記してみる。
「《二万の将兵の一人々々を大事にして、全部下と一体になって「生と死」の道を歩んだこと。》
 わずかばかりの食糧しかない中で、毎日の食事について、自分を含めて将校も兵士も同じものを配膳し、差をつけることを禁じた。現場を視察する時には、一兵卒に対してでも気さくに声をかけ励ました。米軍は捕虜になった日本軍の将兵たちのほとんどが、総指揮官の顔を見、肉声を聞いて、親近感を抱いていると言うので、驚いたという。

 《厳しい地下陣地の戦闘だったにもかかわらず、発狂者が出なかったこと。》
 米軍側は空母部隊の乗組員の中から、日本軍の航空機による「カミカゼ攻撃」(「自殺攻撃」とも呼んだ。特攻隊の体当たり攻撃のこと)の恐怖のために、戦争神経症に陥る兵士が続出し、その総数は何千人にも上った。硫黄島に上陸した海兵隊も頑強な兵士ぞろいだったがやはり発狂者が続出した。(そのことがアメリカの精神医学、とくにトラウマの研究を発達させた。)これに対し、日本軍の守備隊に発狂者が出なかったのは、奇跡だと後に米軍を驚嘆させた。おそらくそれは、栗林中将の全将兵平等主義と全員が総指揮官を信頼し一体感を持っていたことが、重要な要因になっていたに違いない。また若年兵が「故郷の空」などを歌って涙を流しても、女々しいなどと言って禁じなかったことも、大事な要因だったろう。

  《島の住民たちをいち早く本土に避難させたこと。》
 栗林中将は、軍隊は一般国民の命を守るために存在しているという意識を強く持っていた。そこで着任した翌月(昭和十九年七月)には、約一千人いた烏民を十二日間で本土へ送還している。沖縄の住民が軍も民間人も一体となって戦い抜けという国家命令の下、軍とともに行動して集団自殺を遂げた悲劇とあまりにも対照的だ。

 栗林中将は、玉砕する前に、戦訓電報を送り、その中で、無意味な水際作戦への軍中央のこだわりが、後退配備の陣地構築を阻害したことや、航空機の補給の目途などないのに飛行場拡張工事をさせられ続けたことを批判した。さらに根本的には「陸海車の縄張的主義を一掃し両者を一元的」にしなければならぬとまで提言していた。しかし、これらの批判と提言は軍中央の大本営において真剣に顧慮されなかった。しかも驚くべきことに、戦後に編集され現在も活用されている公刊戦史でさえ、最後の陸海軍の縄張り争いの頂は削除されているのだ。(p245参照)
 一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏ら経営学や組織論などの専門家六人が共同研究の成果を一九八〇年代はじめに発表した『失敗の本質』(ダイヤモンド社)は、日本車が教訓を生かさないために主要作戦で大きな失敗を繰り返していったことを鋭く分析し、その中でも陸海軍の縄張り争いを厳しく指摘した。しかし、栗林中将が二万の犠牲を無駄にしないために、率直に失敗の要因を戦訓として報告しても、何の都合があってか、いまだにその指摘は公には伏せられてしまうのだ。今に至るも日本の省庁のタテ割り行政と権益争いが改善されないのは、国民が血を流しても、その歴史の教訓を学ぼうとしないこの国のリーダーたちの心の貧困を示すもので、いまさらながら愕然とする。
 『散るぞ悲しき』は、何と多くの今日に通じる教訓をあらためて白日の下にさらけ出してくれたことかと思う。」(同p299より)

この本が発行されたのは2006年。そして、この柳田邦男氏の解説が載った文庫の発行は2008年8月だという。
そして今の安倍政権は、第一次内閣が2006年9月に、第二次内閣は2012年に発足している。
梯久美子氏、及び解説の柳田邦男氏の日本のリーダーに対する指摘と嘆き・・・。まさに、現在の政治状況を事前に予言したかのようだ。
つまり、この本を読んで、戦時下での大本営の命令と、今の政治の動きが、あまりに似ているのでゾッとした。
臭い物にはフタ。都合の悪いことは、無かったことに。弱い庶民は切り捨て、自分たちのメンツだけで、棚の上から命令。

191103ioutou しかし、この本は一家の蔵書として取っておくべき本。次の世代に引き継ぐべき本だと思う。まさに柳田邦男氏が「何と深い教訓を」と題したのが分かる。
これを機に、改めて硫黄島を描いた「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」とい映画を見てみようかと思った。

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