重松清:作「母帰る」の朗読
このところ、NHKラジオ深夜便で毎(月)の午前1時台に放送されている「ラジオ文芸館」に凝っている。
先日(2019/08/26)は、重松清:作「ビタミンF」から「母帰る」の朗読だった。
NHKのサイトには、こう解説がある。
「「母帰る」2019年8月26日 作:重松 清
家を出た母に、戻ってきてほしいと願う父。それに反対する姉の和恵が弟の拓己に電話をかける。主人公の拓己は、37歳。 10年前に、33年連れ添っていた母が父に離婚をつきつけ、拓己は母への憎しみも感じていた。 離婚の理由は、和恵の産んだ孫を抱き、拓己の結婚を見届けた今、後は自分の好きなように生きたいという思いからだった。 父は理由を問い詰めたり、反対したりすることなく、離婚を受け入れた。 そして、10年後。母が新たに連れ添った相手が亡くなり、そのことを知った父が母に家に帰ってこないかと提案する。 拓己も和恵も反発し、なぜ父がもう一度母と暮らしたいと言い出すのかと戸惑いやいらだちを感じていた。 拓己と和恵は一人で暮らす父のもとへ出向き、その真意を確かめる。」(NHKのここより)
<重松清:作「母帰る」の朗読>
印象に残った言葉を挙げてみる。
姉が実家に戻ったときの父との会話。
「お母さんは?」
「おらんようになった」
「どこ行ったん」
「知らん」
「どういうこと?」
「離婚した」
「なして」
「わしゃよう分からん」
「58歳のおばあちゃんが、夫の両親を看取り、娘の生んだ孫を抱き、息子の結婚を見届けて、この家での仕事は全て終わったのだという風に、荷物をまとめたのだった。」
「70過ぎたらもうオマケじゃけん」
「もう親の努めが全部済んでからのことじゃったけ。子どもを一人前にして、舅と姑を送ったんじゃけん、ようやってくれた。あとはもう、自分のやりたいことをやらせちゃえばええが。家を出たいんじゃたければ出ればええ。もう迷惑のかかる者はおらんのじゃけ」
「お父さんが一番迷惑したんじゃないの」
「夫婦には、何をしてもされても、迷惑というものはないんよ」
「わしゃ、33年も連れ添った女を、一人暮らしのまま死なせとうない」
同じような年代の我々。さてこの物語をどう受け取るか・・・
熟年離婚で、自分を捨てて他の男に走った女房。それを、10年を経て一人になったからと言って、許せるか? 戻って来いと言えるか?
確かに、夫との33年間は、他の男との10年よりも密度は濃いのかも知れないが・・・
確かに、全てが終わって出て行くという女房を止める手段が無いのも事実。オマケの人生を自由にしたいと言われたら、返す言葉は無い。
逃げられて困るのは残された夫。しかし、この物語の夫は10年間、ちゃんと一人で生きていた。子どもたちとの関係も悪くない。それが支えか・・・?
自分も既にオマケの人生のフェイズ。そろそろ終盤戦。
改めて、「夫婦には、何をしてもされても、迷惑というものはないんよ」という言葉が、妙に心に残った物語ではあった。
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コメント
ありがとうございます。
のちほど聴かせていただきます。
このごろダウンロードはできなくなってい
いるのでしょうか。以前させていただいたような気がします(午前4時からの番組)
【エムズの片割れより】
ブラウザが、Chrome、IE 11.0、Firefoxなどでは、プレヤーを右クリックして「名前を付けてオーディオを保存」でダウンロードできるようです。
投稿: kmetko | 2019年9月12日 (木) 10:01