「妻が願った最期の「七日間」」
今日(2019/08/16)の夕方のNHK「首都圏ネットワーク」で「中高年の心揺さぶる“最期の七日間”」という話を放送していた(2019/08/16 18:34~18:42)。
興味を持ったので、Netでググってみた。
話は、2018年3月9日に朝日新聞に掲載されたこの投稿からだったという。
「妻が願った最期の「七日間」
パート宮本英司(神奈川県 71)
1月中旬、妻容子が他界しました。入院ベッドの枕元のノートに「七日間」と題した詩を残して。
≪神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください 一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーもシチューも冷凍しておくわ≫
妻は昨年11月、突然の入院となりました。すぐ帰るつもりで、身の回りのことを何も片付けずに。そのまま不帰の人となりました。
詩の中で妻は二日目、織りかけのマフラーなど趣味の手芸を存分に楽しむ。三日目に身の回りを片付け、四日目は愛犬を連れて私とドライブに行く。≪箱根がいいかな 思い出の公園手つなぎ歩く≫
五日目、ケーキとプレゼントを11個用意して子と孫の誕生会を開く。六日目は友達と女子会でカラオケに行くのだ。そして七日目。
≪あなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょう 大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう≫
妻の願いは届きませんでした。詩の最後の場面を除いて。≪私はあなたに手を執られながら 静かに静かに時の来るのを待つわ≫
容子。2人の52年、ありがとう。」(2018/03/09付「朝日新聞」より)
その詩の全文がこれ・・・
「七日間」
作:宮本容子
神様お願い この病室から抜け出して
七日間の元気な時間をください
一日目には台所に立って
料理をいっぱい作りたい
あなたが好きな餃子や肉味噌
カレーもシチューも冷凍しておくわ
二日目には趣味の手作り
作りかけの手織りのマフラー
ミシンも踏んでバッグやポーチ
心残りがないほどいっぱい作る
三日目にはお片付け
私の好きな古布や紅絹(もみ)
どれも思いが詰まったものだけど
どなたか貰ってくださいね
四日目には愛犬連れて
あなたとドライブに行こう
少し寒いけど箱根がいいかな
思い出の公園手つなぎ歩く
五日目には子供や孫の
一年分の誕生会
ケーキもちゃんと11個買って
プレゼントも用意しておくわ
六日目には友達集まって
憧れの女子会しましょ
お酒も少し飲みましょか
そしてカラオケで十八番を歌うの
七日目にはあなたと二人きり
静かに部屋で過ごしましょ
大塚博堂のCDかけて
ふたりの長いお話しましょう
神様お願い七日間が終わったら
私はあなたに手を執られながら
静かに静かに時の来るのを待つわ
静かに静かに時の来るのを待つわ
この話は、大きな話題となって、クミコさんがCDを、そしてサンマークから本も出版されたという。
この背景について、この記事が詳しい(ここ)。
「妻が願った最期の「七日間」 投書にこめられた夫婦の物語
「1月中旬、妻容子が他界しました」。昨年11月に入院した妻が、そのまま帰らぬ人となったこと、病室の枕元のノートに「七日間」という詩を残したことをつづる、71歳男性の文章は、そんな言葉から始まりました。3月9日、「妻が願った最期の『七日間』」の題で新聞の投稿欄に掲載されると、またたく間にSNS上で広がり、18万7千件以上の「いいね」でシェアされました。詩にこめられた夫婦の物語が知りたくて、この男性を訪ねました。(朝日新聞オピニオン編集部「声」編集記者・吉田晋)
老後を過ごそうと購入した自宅
投稿を下さった宮本英司さん(71)は、神奈川県にお住まいです。息子さん2人は独り立ちして別に家庭をお持ちなので、今はメスのウェストハイランド・ホワイトテリア「小春」ちゃん(11)と一緒に暮らしています。
ご自宅のマンションは、玄関やベランダからの広々とした眺めを気に入った妻容子さんが、転勤族だった英司さんと老後を過ごそうと購入を決めたのだそうです。暖かな日が差し込むリビングは、きれいに片付けられていました。
「容子がきれい好きで、いつも冗談交じりに『あなたの後ろを片付けながら歩いているのよ』って。だから、きちんとしませんと」
口元に柔らかな笑みを浮かべながら話す英司さんですが、時々言葉を詰まらせます。「容子の思い出を胸に前を向いて、と皆が言ってくれますが、そこにはたどりつけていなくて……」。
すでに末期だったがん
容子さんが最初におなかの不調を訴えたのは、3年前の春。大学病院では感染性の腸炎との診断でしたが、夏に腸閉塞を起こしかけて開腹手術を受け、小腸がんと判明しました。すでに末期で、余命は平均2年との宣告でした。容子さんは68歳でした。
非常にまれながんで、別の病院でセカンドオピニオンを受けると、こちらの医師は「人の命について、あと何年なんて言いたくない」。容子さんはうなずき、抗がん剤の治療が始まりました。
最初は点滴で、副作用がきつくなってから経口薬も試しました。半年が経ったころ、容子さんはパソコンにこんな文章を残します。
「耐えられない副作用ではない。治療することで少しでも延命ができるなら、もっと生きたい。もっとあなたと楽しい日々を過ごしたい」
「生きることにしがみつきたい思いです。だって、やっとあなたと、ゆとりある日々が迎えられ、これからという時なんですものね」
少しずつ決めていた「覚悟」
体調が許す限り、2人と1匹で旅行に行きました。
八ケ岳、丹沢湖、鎌倉、箱根、北海道……。自宅の居間で、夕食後にパソコンの麻雀ゲームを一緒に楽しみながら夫婦の勝ち点を記録し、お金がたまったら旅の計画を立てます。
穏やかな日々でした。腫瘍マーカーの数値も落ち着いています。「後2年と宣告したあの先生に、顔見せにでも行こうか」。2人の間でそんな軽口も交わされるくらい、経過は良好でした――昨年の夏までは。
2017年7月。おなかが張って苦しいと訴え、緊急入院すると「腫瘍が大きくなっています」。腸がふさがり、人工肛門の手術をすることになりました。「半年程度しか持たない人に、この手術はしませんよ」という医師の言葉に、英司さんは希望を託します。
しかし、容子さんは少しずつ覚悟を決めていたようです。手術当日の朝、白い手製のブックカバーをかけた愛用の手帳に、夫と2人の息子の名前、そして一人一人に「ありがとう」と書きました。
英司さんが手帳を開いたのは、半年が過ぎ、全てが終わった後。そこにはこうありました。
「病気はみんな私が背負うから 健康で長生きするのよ」
「家に帰ったら、何がしたい?」
手術を乗り越えて退院した後も、容子さんの体調は戻りません。体重は10キロ以上減りました。
10月にまた緊急入院。容子さんは「退院したら野菜スープを作るから、それ用のなべが欲しいの」「点滴をしながらでも2人で出かけたいので、車いすをレンタルしておいて」と自宅での生活を思い描きます。英司さんも在宅医療の手配を整え、妻の退院に備えました。
「今思うと、病気が急にどんどん先に行ってしまって、気持ちが追いつかなくなっていました」
11月、車いすで自宅に帰りましたが、毎日吐いてしまい、医師も「いったん入院した方がいい」と勧めます。数日後、自宅近くの病院に入院しました。落ち着いたら戻るつもりでした。妻も夫も。
12月の半ば。「家に帰ったら、何がしたい?」。英司さんの問いかけに、ベッドに横になった容子さんが口を開きました。その言葉を、入院生活の覚書用に枕元に置いてあったノートに、英司さんが書き留めました。それが、「七日間」の詩です。
・・・・・」(2018年04月11日付「withnews」ここより)
そう。誰もが死ぬ。そしてどの家庭、どの夫婦にも、このような不幸な瞬間は必ず訪れる。問題は、それが“いつか・・・”だ。
何の変哲も無い日常が、どれほど幸せで有り難いことか、“その時”になってやっと気付く。
我々はただ、“その時”が訪れるのが、先であれば良いと、ただ祈るだけ。
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コメント
青山和子の歌や吉永小百合の映画でもおなじみの「愛と死を見つめて」、その主人公の大島みち子さんの詩に、「病院の外に健康な日を三日ください」と言う詩があります。 よく似ていますね。 古希を過ぎ、涙もろくなった私には、つらすぎます。
【エムズの片割れより】
我々も、だんだんと他人事では無くなってきますね。
投稿: ヒロナカ | 2019年8月17日 (土) 12:22