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2019年8月 7日 (水)

朝日歌壇「番外地」~笑い飛ばしたいが・・・

先日の朝日新聞の記事である。

大いなる夢と笑いと 朝日歌壇「番外地」 選者・永田和宏
 朝日歌壇に寄せられた、入選は逃したものの笑いを誘う短歌を紹介する「番外地」第11弾。今年は永田和宏さんが紹介します。
     ◇
 まずは番外地名物、歌が採られない嘆き節から。
 ◆トランプの壁より高し朝日歌壇甘酒のんでひとり慰む 山口正子
 ◆ごくたまにわが歌の載ることあれば着いてはゐるらし投稿の葉書 坂本捷子
 ◆出してもいない歌をさがす日曜日出さねば出ない出しても出ない 梶正明
 どれも切実だが、トランプの壁が無くなっても、すみません、朝日歌壇の壁は低くはならないと思います。坂本さんは「ごくたまに」と言うけれど、はるかに打率の低い方々も大勢いらっしゃいます、念の為(ため)。昔、「私書箱300」は本当にあるのかなんて歌もあった。
 確かに「出さねば出ない」わけだが、「出しても出ない」が妙。選者への微(かす)かな怨嗟(えんさ)もあるか。あまり深刻にならないで。
 逆にあまりの能天気に笑ってしまうことも。
 ◆千年後朝日歌壇の吾(あ)の歌が元号となる夢を見ている 鈴木高志
 いいですねえ。万葉集が元号になるのなら、ひょっとして私の歌もというのだが、まずないでしょうね。まあ夢だけなら何の罪もないので大いに夢見て投稿を。
 ◆お迎えと迎えの違いは大きくて迎えのバスに「お」はつけないで 牧野弘志
 これは大いに笑ってしまった。何にでも「お」をつければいいというものではない。「お迎えがきました」と言われたら、デイサービスの車に乗り込むのにも覚悟が要るだろう。
 ◆夫婦間の言った言わないに使いたしドライブレコーダー、ビデオ判定 西村愛美
 ◆好物のいちごを妻に供えたが見切り品だと気付くだろうか 小田友弥
 夫婦間のジャブの応酬も番外地名物。言ったじゃない、いや言ってないは、夫婦喧嘩(げんか)の定番だが、現代技術を駆使すれば判定は訳もない。しかしカタをつけないで、ああだこうだと言っているのが夫婦喧嘩の妙というもの。小田さん、奥さんはもちろん気付くでしょう。でも喜んでいるはず。
 ◆「イワンの馬鹿」読み返しつつ膝(ひざ)を打つ「いやーん、ばかーん」そうだったのか 三井一夫
 全くばかばかしくも面白いナンセンス。でも気づいただけ賢くなったのかも。
 ◆あっち行ってお金やるからあっち行け!お化け屋敷で子の世渡り見ゆ 金宮美保子
 ◆「おじいちゃんの頭は肌色塗っちゃうね」五歳のお絵描きは容赦もあらず 折津侑
 立派な子供たちだ。お化けとの交渉術も見事だし写生に忠実なお絵描きも偉い。
 政治のあまりの劣化に笑おうという気も無くなったのか、ピリッと気の利いた社会詠が少なくなったのが残念だった。
 ◆どんたくは博多ばってんそんたくは小倉につなぐ橋だっちゃ、てか 小竹哲」(2019/08/01付「朝日新聞」P27より)

自分は川柳も好きだが、こんな番外の歌も読んでいて楽しい。
この朝日歌壇。たぶんベテランは毎週書いて投稿しているのだろう。そして、毎週自分の作品が載るかとドキドキ・・・
そんな趣味はうらやましい。ずっとチャレンジし続けるのも生き甲斐につながる!?

ここに挙がっているどの歌も楽しいのだが、選者が言うように「政治のあまりの劣化に笑おうという気も無くなったのか、ピリッと気の利いた社会詠が少なくなったのが残念だった。」
日韓の摩擦問題も、それぞれのトップの目線は自分への支持率だけ。それによって事態がどうなろうと、将来の国民がどうなろうと、そんな事よりも自分の保身だけを思って権力を使い、国民をあおっている。
力の弱い施政者が国をまとめるには、国の外に戦争を仕掛けて民意をまとめるのが最も簡単、とは良く言う。今の日韓関係は、まさに戦争を利用して国内をまとめる手法そのもの。
それに、愛知県の企画展「表現の不自由展・その後」が河村名古屋市長の圧力で中止になった件も、先進国として恥ずかしいこと。
オトナの大村知事と、ガキの河村市長との対比が目立った事件だった。

毎日暑い日が続いている。そして、もうすぐ終戦記念日。しかし今年は、重たいテーマはあまり論じたくない。
上の歌のように、笑い飛ばしたい劣化した世の中ではあるが、なぜか暑さで重苦しい自分の最近の日々である。

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