安武信吾・千恵著「はなちゃんのみそ汁」を読む
最近、家事の手伝いを始めたが、家事で最大のアイテムは炊事であろう。自分の食事での手伝いは、主に市販品食材の処置であり、まだまだ、とても炊事とは言えない。
ふと、「何とかちゃんのみそ汁」をいう話を思い出した。テレビドラマか何かで目にしたが、全部は見たことが無い。でも確かガンで死にゆくママが、5歳の子どもにみそ汁の作り方を教えた。という話は知っていた。5歳の子どもでも出来る炊事?と思って、ふとこの本を読んでみる気になり、ググると「はなちゃんのみそ汁」という本名がヒットした。
文庫本も出ていたので、買ってみた。昨日着いたので、今日一気に読んだ。今日はその感想である。
この本のカバーにこう解説がある。 「私はがんになった後に、ムスメを授かりました。だから、この子を残して、死ななければなりません」。 33歳で逝った母が5歳の娘と交わした約束、それは「毎朝、自分でみそ汁をつくること」。だから、はなちゃんは毎朝、みそ汁をつくる。生きることは食べること。゛生きる力。に心を揺さぶられる感動の記録。」
読んでみると、乳がんの体験記。あまりのリアルさに、途中で読むのを止めたいと思ったほど。炊事の方法を5歳の子どもの教えた話が中心かと思っていたが、少しはずれた。
闘病生活は8年。いったん転移したガンは消えたが、再発。5歳前からみそ汁の作り方を教え、5歳になった時(2008/2/22)から朝食はムスメに任せることにしたという。しかしその4ヶ月後の6月には緊急入院し、自宅闘病を経て7月11日に亡くなったというから、みそ汁以外のメニューを伝授する時間は残されていなかったようだ。
しかし実話だけに、心に突き刺さる言葉が多い。千恵さんが残したブログの一節である。
「あなたはこの子たちを残して死ねますか? 2008年2月16日
私は、がんになった後に、ムスメを授かりました。
だから、この子を残して、死ななければなりません。
がんになっでもならなくても、死ぬ順番は、私が先に決まっています。
逆になったら、いけない。
だとすると、心残りがないように、死ななければなりません。
彼女は、私がいなくなった後、生きる上で必須科目となる、家事はできるだろうか。
今ムスメに手伝わせている家事は、洗濯干し、洗濯たたみ、風呂洗い、靴並べ、掃除、保育園の準備、ダンスの整理、自分の服の管理等。
ついつい、わかっていても、危ないから、自分がした方が早いから…云々と理由をつけて、一番大事な料理は最後になってしまいますね……。
彼女の手伝いの中に、配膳と料理部門を増やすことが、今後の私の課題。
何にもできない彼やムスメだったら、心残りがありすぎて、おちおち天国に行けないっちゅうはなしです。
毎晩化けて出なくちやなりません。
だから、厳しいと揶揄されようとも、彼と彼女が自分の足で生きていけるようになるまで、心を鬼にして、躾をするまでです(私も彼らから躾られていますけれども)。
そして、日々祈るのです。
旦那とムスメが、朝、「行ってきます」と言って出かけた後、「ただいま~」と、元気に帰ってくることを。
がん友や、大切な人々が、毎日元気でいることを。
それぞれの家族が、できるかぎり長く、幸せであることを。」(文庫「はなちゃんのみそ汁」P151より)
千恵さんの決意が述べられている。
それ以外にも、重たい言葉が多々ある。少し転記してみる。
「いつか死ぬ、それまで生きる。「それまで」とはどれくらいの期間なのか。誰にも分からない。千恵の闘病中、会社の先輩記者が肺がんになった。手術をして、職場に復帰した。「よかったね」とみんなで喜び合った。健康を取り戻した先輩は休日に、趣味の釣りに出かけた。誤って海に落ちた。先輩は溺れて死んだ。
「それまで」の間に、ぼくたちは娘のためにやるべきことがある。慌てる必要はないが、気になることは、できるだけ早く伝えたり、済ませておいたほうがいい。先輩の死を思い、自分たちと重ね合わせながら、親として考えておかなければならないことを千恵と語り合った。」(同p116より)
「人間はいつ、どこで、最期を迎えるかわからない。喧嘩別れしたまま、顔を見ないまま、生き別れたら、後悔してもしたりない」。こう言って、千恵は、大人にもよくハグをした。スキンシップをとても大事にしていた。」(同p159より)
おっと、炊事の話からだいぶんそれてしまった。
映画やTVドラマもあったようだが、とても見る気にはなれない。
しかし改めて、ガン末期の痛さ、苦しさを知った。
多くの医者は「選べるならガンになって死にたい」と言っているという。ある程度の時間が与えられ、「自分の始末が出来るから」が理由らしい。
自分はゴメンだ。でも誰も自分では選べない。何とも難しい人の最期である。
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